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U.N.オーエンの正体は彼女なのか  作者: 貞晴
【第一章】 人妖の鬩ぎ
6/21

八意医院




   【6】




 暑気中りと診断をくだされ、捺美(なつみ)はホッと胸を撫でおろした。


「意識はやや胡乱としていますが、内臓器官にこれといった異常はみられません。宿痾の再発する恐れ、もしくはした可能性は皆無でしょう。ご安心ください」


 診断書に淡々とペンを走らせ、永琳は背後に控える看護師に棚から薬剤を持ってくるよう指示する。看護師は頷くと胸元の「鈴仙(れいせん)」と書かれたネームプレートを翻し、無地のカーテンで遮られた部屋の奥へ向かった。


 上だけ裸になった息子に服を着させながら、捺美は白衣を引っかけた医院長の横顔を盗み見る。自分より若そうだが、とても知的な顔立ちをしている。それでいて同性の捺美にもどことなく濃艶なフェロモンを感じさせるのが奇妙だった。


 捺美がいるのは、人里は「東場(ひがしば)」に建つ八意(やごころ)医院の診察室である。院長の永琳を筆頭に、数人の――あるいは数匹の――妖怪で切り盛りしているここ診療所は、村の祭事(さいじ)祝事(ほぎごと)だろうと関係なく年がら年中患者を受けつけており、頼めば永琳みずから往診を請け負ってくれる。それでいて里で唯一の病院だけに、八意医院は大変重宝されていた。


「圭介くんは肌が青白く、汗をあまり掻いていません」


 息子を見て、次に永琳は捺美を見た。


「軽度の脱水症状にあるようですね。知ってのとおり連日猛暑の嵐ですから、水分補給はこまめにさせるよう心がけてください」

「――はい」

「お子さんに限ったことではなく、だるみ、動悸を訴える患者がここのところ増え続けています。怪我や風邪なんかは症状が顕著で、早期に治療することが可能ですが、熱からじわじわくる夏バテはそうもいきません。当人の自覚が薄いままに身体を壊されてしまうのです。なので、健康のためにも、お母様や、周りの大人がいちはやく当事者の変調に気付いてあげられるか否かが重要になってきます。この時期、子供の体調管理にはいっそう気をひきしめてとり組んでください」


 わかりましたと頷き、捺美は無理を承知で「あのう」と切りだした。


「なんでしょう」


 ねめつけるような目が捺美に向けられる。その目つきがあんまり鋭利なものだから、永琳にそんな気はないのだろうが、捺美は蛇に睨まれたような心地で萎縮してしまった。


 身内で病人がでると、薬を受けとりに診療所へ出るのは決まって夫の秀康(ひでやす)だった。息子の圭介が怪我をしたときも夫がつきそった。なので、診療所の院長と話すのはまだ二度目になる。一度目は革鞄を片手に往診に出ていたところを夫と呼びとめ、病弱な息子の相談を持ちかけたときだった。あのときは夫が率先して前に立ってくれたから捺美の出番はないに等しかったのだが、それでも彼女の物腰から一種威圧のようなものを感じ、いかんともしがたい苦手意識をもったものだった。


「息子の……持病についてなんですが」


 永琳の眉がぴくりとあがる。捺美はおずおずと、怠そうに自分に寄りかかる圭介と永琳を見比べた。


「やはり、完治させるのは難しいのでしょうか」


 圭介は先天性の心臓病を抱えていた。右心室と左心室の間に穴が空いているのだ。無論、運動は控えなければならず、動かないとくれば小食ときたもので体力がない。病床に伏せりがちな独り息子をどうにかしてやりたいと思うのは、母親としてさもありなんな慈愛からくる願いだった。


 しかし返ってきたのは捺美の期待に反する回答だった。


「残念ですが――」


 永琳はゆるゆるとかぶりを振る。


「病気の進行を著しく遅らせることはできますが、完全に治す、根本から解決するとなると、それは難しいと言わざるをえません」


 圭介の腕を握る手に力がはいった。永琳は医学書でも朗読するような調子で続ける。


「うちで揃えている薬剤は、どれも良心的な効能が保障されている反面、副作用が非常に強く、加工せずにそのまま服用すれば、人間の身体ではまず耐えきれません。しかし、それでも薬として販売していられるのは、うちの優秀なスタッフが、人間の身体に合わせて薬剤の効果を調整しているためなんです。飲めば飲むだけ効く薬というのはありません。表があれば裏があるように、効く薬を飲めば強力な副作用が必ず発生します。――で、先天性の病を治すとなれば、悪玉の根幹を排除するだけの、相当強力な副作用が伴う薬を飲まなくてはいけません。その反動に耐えうる体力を、圭介くんが持っているかどうかを考慮し、そのうえで心臓病を完治することはできないのかと問われれば、不本意ですが、私には難しいだろうとしか」

「副作用に、耐えきれない……」

「ええ。べつだん差別するつもりはありませんが、もともと私は竹林の屋敷で、妖怪相手に薬剤師の真似事をしていたのです。それを里の方に頼まれまして、村に医院を建て、人間相手に医者の真似事もするようになりました。ですから、手持ちにある薬剤は、もとはといえば人外を対象にして煎じたもの。人間と妖怪では構造からなにやら一致しませんから、副作用は必然的についてまわるのです」

「じゃあやっぱり、どうにもならないんですね」

「心苦しいのですが」


 診療所に通う夫を媒介し、そのへんの事情は心得ていた捺美だったが、いざ正面切って希望を否定されると大いにへこんだ。先天性の病は治らない――。


「ですが、そう悲観なさらず。激しい運動等で心臓に負担をかけなければ、命に別状はありません」


 捺美の心情を知ってか知らずか、永琳は捺美の目を真っ直ぐ見つめて言う。


「完治することはないにしても、それが死因に直結するだとか、そういう不幸がないように飲める薬をお渡ししているんです。最悪のケースは考えすぎってものでしょう。お子さんの一挙手一投足にぴりぴりしていては、どっちが先に心労で倒れるか分かったもんじゃありませんよ」

「はあ……」

「お気を確かに。長生きのコツは、万能な医者の言うことを鵜呑みにすることです」


 永琳の生真面目な物言いに捺美は愛想笑いを返した。そこにカーテンが開かれて、隣りの部屋から先程の看護師が紙袋をもって戻ってきた。


「お師匠様、死ぬとか倒れるとか、不謹慎ですよ」


 白いユニフォームに白いキャップ。頭の天辺には、兎耳(うさぎみみ)と称するほかない見慣れぬ角が生えている。


「申し訳ありません。どうか、お気を悪くなさらず」


 看護師から紙袋を受けとり、捺美は永琳に礼を言ってから圭介を抱きかかえた。永琳は真顔で席を立つ。


「なにかありましたら、お気軽にまたどうぞ」


 そう言い残すと、彼女は白衣のポケットに両手をつっこんで、奥手のドアから診察室を後にした。


 薬代を受付で会計し、建物の外にでたところで捺美はやっと緊張から解放されて息をついた。診療所の先生はどこか苦手だ。得体の知れない怖さというか、表情に乏しく、感情の読めないあたりが特に。なにか善からぬことを企んでいるような気がして空恐ろしい。


 里の人間――おもに老人――には、妖怪というだけで概に憎悪する連中がいる。かつて人間を虐げていた悪者という認識が抜けきっていない、いわば時勢に乗り損ねた頑迷な頭の持ち主たち。


 憎んでこそいないが、寺子屋の慧音といい診療所の永琳といい、現に人里と共生している妖怪がいるというのに、それを素直に受け入れられず蟠りを残しているという意味では捺美もこれに該当した。


 妖怪と人間のいがみ合う時代は終わった。


 それを知識として押さえることは誰にだってできる。しかし、その時代に適応するか時代を拒むかによって道は分断される。


 里では適応するのが当たり前とされ、少数派である時代を受け入れない人間は好奇の目に晒されていた。だから、軽蔑されるのが厭で、たとえ本心は後者であろうとも、人間と妖怪による共存を表立たせて批判しようとする里民は少ない。大半が、好意的な妖怪には友好的に接しているようなふりをしているのだ。――捺美のように。


 夫は、寺子屋の妖怪になついている。息子は、寺子屋の妖怪が与える知識を従順にとりこんでいる。捺美と同じくらいの年の男女は、診療所の妖怪が差しだす薬をなんの疑いもなく服用している。村長が、自警団が、里のほとんどの人間が、簡単に心を開いている。しかし、それに違和感をもつのは極少数だ。捺美の同世代にもなるともっと少ない。妖怪に子供を預け、命を預け、信頼を置いていることに、どうしてそこまで鈍感でいられるんだろう。


 捺美には理解できない。それでも家族の顔がある手前、口が縦に裂けても寺子屋には通わせません、薬なんて結構ですとは言いだせない。そもそも最低でも、先に挙げた二匹の妖怪にだけは依存しなければ、平穏な日常なんて成立し得ないのだから。


 人間の住む里、それが人里。しかしその核を牛耳っているのは妖怪。ひとならざる異世界の住人。


 こんな馬鹿げた話がまかり通るのだから、どこかでなにかが狂ってしまっているとしか捺美には思えなかった。このままでは、妖怪による独裁体制が敷かれるのも時間の問題ではあるまいか。もしそうなったら、どうなる。捺美は、息子は、夫は、残された人間は――。


「……お母さん」


 自分を呼ぶ声で我に返った。血色の悪い顔が不思議そうに捺美を見あげている。考えに没頭していて、帰路につく足が止まっていたようだ。


「お母さん?」

「ううん、心配かけてごめんね。なんでもないのよ、ね。早くおうちに帰りましょうか」


 細すぎる我が子を抱え直し、歩みを再開する。


 女の捺美が抱き抱えられるほど圭介は線が細く、本当に小さい。力仕事には向かないうえ、蚊も殺せないような女々しさが目立つ。だからなのだろうか、同性の友達が出来たことはない。それも捺美の悩みの種の一粒だった。


(……気弱になっててどうするの)


 せめて圭介が独り立ちするまでは、圭介の評判を落とさないためにも普通の主婦になりきらなければならない。そう、妖怪と心から友好的に接することのできる、普通であり元来あるべき人間のひとりを捺美は演じようと思う。


 いや演じるだけでは駄目だ、と捺美は自分自身に言い聞かせる。中枢を担っているのが妖怪とはいえ、里は支障なく穏やかに回っている。不穏な噂は耳にしない。この平和にあやかるためにも、根本から正すべきは時代に併合できない己の適応能力。妖怪を受け入れるだけの器量。そう、周りではなく、矯正すべきは捺美自身の心の弱さ。


 それを胸に固く刻み、捺美は自宅まで連なる村道を急いだ。なるべく圭介に陽射しがあたらないよう、息子の顔に袖で陰をつくりながら。と――。


(あれは……)


 道の対から、大男がのっしのっしと歩いてくる。それに気圧され、男をやりすごすため捺美は首を垂れて端に避難した。


 すれ違いざま、訝しげに横目で男を見る。


 短いが筋骨たくましい脚で地を踏みしだき、降り注ぐ日射に押し潰されんばかりに背筋を丸めた彼は、頭から酒を被ったような臭いを発していた。なぜかしら憤懣とした様子が窺えるのは、この茹だるような暑さのためか、それとも――。


 男が刺し殺すような視線で睨みつける先には、太陽の光を煌々と照らし返すホワイトの建造物があった。あれは、たったいま息子の容体を診てもらったばかりの、妖怪だらけの診療所。


 捺美は胸にざわつきを覚え、逃げるような足どりで男から離れた。








 永琳の回はもうちっとだけ続くのじゃ。

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