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U.N.オーエンの正体は彼女なのか  作者: 貞晴
【第一章】 人妖の鬩ぎ
4/21

不自然な失踪 




   【4】




 ソファーの背凭れに深々と倒れ込んだ上体を起こし、眩暈で重くなった頭を交互に振る。


 すっかり寝入っていたらしい。魔理沙は未だ眠りから醒めきらない脳味噌でそう悟り、ふと視線を膝に落とした。あまり読んだ気のしない雑誌が広がって天井を仰いでいる。射命丸の小説は魔理沙の口にあまり合わなかった。


 部屋は薄暗い。人形や、洒落っ気のある小物と並べて置かれた時計を見遣る。――六時五十分。熟睡していたのかと改めて思った。


 魔法の森は、植物が好き勝手に繁殖し絡み合った自然の天蓋によって全土をすっぽり覆われているため、月明かりに照らされる隙間がなければ朝陽の刺しこむ余地もない。常に暗くじめついている。明暗から正確な時刻を類推するのはほぼ不可能であった。


 窓硝子の外側で漂っている白煙は胞子である。森のどこにでも生えている茸が散布する猛毒だ。朝靄と酷似しているが、魔理沙やアリスのように特別な免疫体に恵まれた者でなければ、微量でも体内に取り込んだ場合、最悪死に至るだけの危険性を備えている。森は外敵を寄せつけない天然の要塞である反面、幻想郷から隔離された陸の孤島なのである。

 

 釣りランプの火は消えていた。真下には角の丸いテーブル、それを囲むように配備された四脚の椅子にアリスの姿はない。


 居間と台所は突き抜けとなっているのだが、そこにもアリスは見当たらない。魔理沙は書庫に本を返し、バスルームを覗いてから廊下に出た。


 人形部屋のドアをノックし、返事がないのを確認する。部屋に入るのは悪い気がして、中まで確認せずに横手の階段をあがった。ちょっとした冒険心が二階にあがる魔理沙の足を速めていた。


 二階には部屋が三つあった。手前のドアから順にノックして回る。しかし反応はない。薄い木の板に『ALICE』と掘られたプレートが掛けられたドアを見つけたが、声を投げ掛けただけでドアノブに触れようとはしなかった。


 収穫を得られず、出掛けたのかなと諦め始めていた魔理沙は、扉の開閉する音を聞きつけて玄関に向かった。目当ての少女は外に出ていたらしい。肩と頭巾に胞子の粉が乗っていた。


「あら。おはよう」


 アリスは手提げの籠を持っていて、籠には収集したての野草が一杯入っている。挨拶をし、魔理沙が率先して荷物運びを申し出ると、アリスはきょとんとして首を傾げた。


「そんなの悪いわ」


「いいからいいから。目覚ましの体操にはもってこいだぜ」


「重いわよ」


「だから代わりに運ぶんだって」


 あらそう、とアリスは承知したように頷く。


「じゃあ、これなんだけど――」


 魔理沙に籠を渡し、集めてきた野草を見て言う。


「劇薬を拵えたいんだけど、そのためにはもっと、量を集めないといけないわ。余ったぶんは人形に着せる服の装飾にしたいし。お手伝い、お願いできるかしら」


「おう、任せとけ」


 魔理沙は破顔した。


「力仕事は得意だぜ」


「有り難いわ」

 

 アリスは微笑んだ。


「じゃあ、手分けしてやりましょうか。私が薬草を採ってくるから、ダイニングまで魔理沙が運んでちょうだい。テーブルに置いといてくれればいいから」と、思い出したように付言する。「あ、ちゃんとビニールシートを敷いてから置くのよ。草は土埃を被ってるから。部屋を汚したくないの」


「シートはどこにあるんだぜ」


「持ってくる」


 アリスは裏手の用具置き場に走り、ビニールシートと新しい竹籠を玄関マットのうえに運び入れた。


「よろしくね」


 おう、と魔理沙は意気込んだ。


 採集が一段落つき、居間の置時計を見て「そろそろ行こうかな」と魔理沙が御暇を口にしたのは七時半になろうかという時合だった。


「帰るの?」


 土を洗うため、採ったばかりの薬草を湯船に浸していたアリスが手を拭きながら尋ねた。魔理沙は帽子を被って頷く。


「外せない用事があってね」


「そう。――お腹減ってない? 簡単な朝食だったら、すぐに用意できるけど」 


 魔理沙は苦笑する。


「せっかくだけど、寄らなきゃいけないところがあるんだ。まあ確かに、腹ペコではあるんだがな」


 魔理沙はアリスに見送られて外に出た。


「もしかすっと、昼過ぎにまた顔出すかもしれないな」


「駄目よ。お昼は私、寝てるもの。ここんところ生活習慣が崩れっぱなしなの」


 そう言うアリスの瞳は、やや赤らみ潤んでいる。


「私に会いたいんだったら夜にくることね」


「是非、そうさせてもらうぜ」


 じゃあなと言い残して魔理沙は飛び立った。その後姿が白く濁った胞子に隠れ、影が霧に細く刻まれるまでアリスは扉を閉められずにいた。


 進行方向を遮る樹の葉群を掻き分け、幼馴染が店主を務める香霖堂(こうりんどう)を目指す。店では冥界の道具、魔法の道具、幻想郷を出た先にある世界の道具等々、物好きな霖之助(りんのすけ)が古今東西から掻き集めた商品を幅広く扱っている。頼めば通販だって受け持った。ただ難点なのは、森の入口に店を構えているせいか里民からは胡散臭がられているらしく、霊夢と紅魔館(こうまかん)のメイドである咲夜(さくや)以外の人間が訪問することは滅多にない。店は経営難にあった。


 森近(もりちか)霖之助は人間と妖怪のハーフ――つまりは人妖(じんよう)――で、一時期、魔理沙の実家に居候として身を寄せていた。そのころは魔理沙も実家住まいで、人里にある父母の経営する霧雨店(きりさめてん)で幼少期を過ごしていた。


 父母より霖之助と密に遊んでいた記憶がある。共に起床し、共に修業を積み、共に眠る。それが当然であるかのように何の疑いも持たず、幼い魔理沙は霖之助の隣りにいた。


 霖之助は幼馴染であると同時に、もっとも付き合いが長く続いている大事な親友なのである。


 とはいえ、年がかなり離れているためか、霖之助からは妹にするようなあしらいかたを時折される。魔理沙はそれが小馬鹿にされているようで気に食わなかった。


 そんなときには霖之助が居候時代、魔理沙の父親に弟子入りし、現在の魔理沙が鼻で笑うような初歩的なミスを繰り返していた歴史をほじくり返してやった。すると霖之助は面白くなさそうに口を窄めた。未熟だった僕を引き合いにだすなと赤面した。


 事実、霖之助はいまでも魔力が不十分で、あまり強力な魔法は逆さにして振ってみても発動することができない。それを指摘すると霖之助は痛いところを突かれたと言わんばかりの顔をし、眼鏡をしきりに直しながら、魔理沙が小さい頃に犯した痴態を語り始める。すると今度は魔理沙が赤面する番だった。力づくで口を封じようと躍起になって。


 そうやって売り言葉に買い言葉ではないが、居候時代の関係をずるずると引きずっているうちに、魔理沙にとって霖之助は、もっとも長年連れ添ってきた失い難い人物にまで昇格したのである。


 その幼馴染が行方不明になってから、いったいどれくらい経つんだろう。親指から順番に折ってゆき、拳となった右腕を見て不安を募らせる。憑き物を払うように魔理沙は身体を震わせた。


 五日だ――五日も彼は消息を絶っている。


 ある日、ふらっと立ち寄った香霖堂は施錠されていた。店じまいの張り紙は見られなかったが、客を締め出しているのだから営業しているとは到底思えなかった。


 風邪などで寝込んでいるにしては静かすぎる静寂だった。貴重品である鍵は店主である霖之助が肌身離さず携帯している。鍵をかけて、そのままどこか営業に出ているのか。


 魔理沙はそのとき、配達に出ているのか程度にしか考えなかったのだったが、次の日、前日と変わらず固く閉ざされたままの扉を前にして疑念が生じた。二日間も店を閉めてるなんて……。出ているにしても帰りが遅すぎる。


 さらに次の日。やはり開かない店の周りでやきもきしていた魔理沙は、地面に落ちていた新聞を発見し手にとった。今日の朝刊である。どうやら郵便受けから滑り落ちた一冊のようだ。見ると、郵便受けには許容量を超える新聞が山積みになっていた。


 そうだと思って郵便受けをあさった。霖之助がいつから留守にしているのか、それを辿る手掛かりになると睨んだのだ。新聞は細長い紐で巻いて束ねてある。既読かどうか、紐の具合を見れば明らかだった。


 結果、落ちていたぶんを合わせ、読まれていない新聞は五束。郵便受けに放りこまれていたぶん全てが未読のまま放置されていた。


 苦いものを胸に留め、魔理沙は香霖堂を後にした。その晩、魔理沙は得体の知れない不安と高い気温から寝つけず、以前から気になっていたアリスの家を訪ね、ようやく安眠するに至ったのである。


 どこかで事故に遭ったのかもしれない。その怪我が悪化し、出向いた先から帰れないのだとしたら。――いまごろ霖之助はどうしているだろう。


 それが民家の周辺ならともかく、ひとも妖怪も立ち入らないような森林や、深い渓谷の狭間だったとしたら――。そこで身動きがとれなくなっているのだとしたら。


 そう懸念する頭の片隅で、馬鹿馬鹿しい、心配しすぎだと意見する自分がいる。確証はないが、霖之助なら大丈夫。最悪な事態はそうそう起こり得ない、そんなふうに訴える自我がある。


(そうだ、私の考えすぎ、そうに決まってる)


 十中八九、霖之助は遣いに出ているだけで、魔理沙が想像したような事態に陥ってるはずはない。きっと注文を受けて、不慣れな土地まで配達に行っているのだろう。そのまま土地勘がないせいで迷ってしまって、五日間(……そう、たった五日じゃないか)店を閉じたままにしている。


 そうに決まっている。しかし魔理沙は、店に霖之助の有無を確かめずにはいられなかった。


 どうせ今日も閉まっているんだろう、でもそれは、彼の身に危険な事象が降り注いだせいではない、もっと他愛のない事情があるんだ、だから心配しなくてもいいんだ、――根拠もなにもあったもんじゃない理論を無意識に組み立て、魔理沙が森を抜けると、白濁とした視界がたちまち色味を帯びた。


 風景が劇的に変化した。焦げたような緑が犇めく森から、背の低い草花が広がる高原に。


 のどかな草原である。人間も妖怪も、動物の姿もない。広場を円く切り取るように並び立った林の区切れ目には、人里に通じる緩やかな勾配がある。しかしこの道を利用する里民は滅多にいない。前述した通り、魔法の森と距離を置いているためだ。


 魔理沙は緑の空き地を突っ切るように飛ぶ。陽射しが幾らか和らいでいるとはいえ、じっとりとした汗が背中をぬるくした。急き立てられるような心持ちで加速する。薄暗い林を背にぽつねんと佇む山小屋のような建物が見えてきた。


 魔理沙は再び加速する。地面に放置された新聞を見遣り(――六束目)、地上に降り立った


 遠目に玄関扉についた硝子窓から店内を窺う。埃で曇っているせいで、あまり詳しいことは分からない。電気は消えていた。


 店は死んだように静まり返っている。そこからひとの気配は感じとれない。住人の見つからない空き家然とした雰囲気を醸していた。


 魔理沙は泣きだしたいような、がなり立てたいような衝動に駆られた。なんなんだよ、あいつ。いらつきながら階段を踏みしだき、玄関の前で胸に手を当てる。ともすれば乱れてしまいかねない心を落ち着ける。


 生唾をのみ、扉を軽く押してみる。鍵はかかっていなかった。


 え、と思わず呟き、魔理沙は先を争うように店に踏み込んだ。外からの風で床板の埃が舞いあがる。それを吸い込み、魔理沙はむせてしばらく動けなかった。


 両手の壁には陳列棚が二列ずつ打ちつけてある。そこには霖之助の几帳面な性分が窺い知れるような整頓ぶりで、用途の不明確な珍品が並んでいた。


 売り物にもほんのり埃が被っている。店内は空き家として紹介されれば信じてしまいそうな様相を呈していた。玄関扉から射しこむ黄色い光が、舞いあがった塵を煙のように映しだす。こうりん、と声を掛けたつもりが、声になっていなかった。


 咳きこみながら狭い店内を見渡す。まっさきに魔理沙が目を遣ったのは奥のカウンターだった。しかし主人の坐る丸椅子が空いているのに落胆し、つぎの瞬間には思い直してカウンターを抜けた。こうりん、と霖之助に呼びかけながら、香霖堂の最深部に通じる暖簾を潜った。


 霖之助は普段店で寝泊まりしているため、香霖堂には霖之助の自室兼寝室が設けられていた。商品だろうと気に入ったものなら即非売品とし、自室に飾っていることもあった。そこでうたた寝している幼馴染の姿を思い浮かべながら、魔理沙はいそいそと台所を通り過ぎる。


「香霖、いるのか」


 名前を大声で呼び、魔理沙は部屋の襖を力強く引き開けた。


「――香霖!」


 毛布の捲れあがった布団が目に飛び込んでくる。枕元には火の灯っていない行燈。中華風の寝衣がハンガーにかけてある。襖を開けた振動で、ロッキングチェアが微かに揺れた。


 魔理沙はしばらくその風情から目を逸らせずにいて、ようやく我に返ると首を大きく横に振った。昨日まで開いてなかった表戸が開いていたくせに、鍵の持ち主である霖之助が帰っていないだなんて方程式がどうして成立し得よう。概ね、その辺の雑木林で山菜採りでもしているのだろう。タイミング悪く入れ違いになっただけだ。


 鼻を鳴らして部屋から遠ざかる。出歩く霖之助を探して店を空にし、また入れ違いになるのも間抜けな話だ。ここは下手にちょこまかせず、店で霖之助を待ち構えているのがもっとも利口なやり方だと思われた。


 カウンターの席に腰を置く。指を組んで入口を睨み据え、魔理沙は霖之助を気長に待つことにした。


 何分でも、何時間でも。霖之助の顔を見るまで、店を離れる気はなかった。







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