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U.N.オーエンの正体は彼女なのか  作者: 貞晴
【第一章】 人妖の鬩ぎ
3/21

守矢神社 




   【3】




 朝靄は寝覚めの体温に心地良い冷気をくるんでかすみわたり、中庭の前栽にぽつぽつと硝子玉のような露を落としている。池底で涼しげに尾を靡く錦鯉だけが、青白いような空気に染まった境内で唯一息吹を感じさせた。


 少女は箒を抱えて庫裡を出ると、砂利道から庭を迂回するように進み、静謐そのものの境内を横切った。


 山門前で足を止め、濡れた石畳に無数の葉が頑としてくっついているのを目撃する。思わずため息がでる眺めだ。一晩でよくもまあと少女は密に皮肉る。屑を避け、下生えに向かって行進する蟻の行列を踏まないよう注意を払い、山門の支柱に箒を立てかけた。湿り気を含んだ閂を抜き、門扉を片側ずつ順番に押し開く。


 東方に臨んだ山門を日の出前に開放し、朝陽を従えた五運と六気を迎えいれることから、少女――早苗(さなえ)の一日は始まるのだった。


 守矢(もりや)神社、ひいて東風谷(こちや)早苗の朝は早い。時間までに山門前から石段下までの掃き掃除、それから朝の勤行の支度を早起きな顧客が訪ねてくるまでに済ませ、勤行が終わった後に振舞う茶菓子を整えておく必要がある。しかし辛いとは思わない。神社の神聖な威厳を守る意味でも、守矢神社の風祝(かぜぼうり)を任せられた早苗は、持前の使命感から至極積極的にこれをこなした。


 また山には信仰心の深い妖怪がたくさん生息する。おかげで盛況というわけではないが、多くの妖怪に親しまれている、頼りにされていると思うとやる気がでた。参拝客が祭神を心の支えと見做すと同時に、また早苗もそんな妖怪たちに依っているのだと思う。早苗はいつからか、沈痛な面持ちで礼拝しにやってきた妖怪が守矢神社を介し、肩の荷が降りたような顔をして帰っていくことに喜びを見出すようになっていた。


 神社を贔屓にしてくれる妖怪には高齢の者が多い。信仰の度合いと年齢は比例しているようだった。年を食ったぶんだけ、素直に依存できる存在を切に求めるようになるらしい。


 古くから生きているうちに神経がすり減り、それはやがて弱みに転じる。己という存在に不安を覚え、物足りないが故の窪みが目立つようになり、その不足したぶんを埋める存在を欲した結果、神の信仰に流れ着く。漠然とではあるが、早苗はそんなものだと思っていた。畢竟、生物はみな脆い。支えがなければ独りで歩くこともままならないのだから。


 なんにせよ客は老妖(ろうよう)が大半で、年寄というのは往々にして朝が早い。限られた時間で風祝としての役目を果たすためにも、いまは掃除に集中しなければ。


 露滴で滑りやすくなった石段を往復し、早苗は山門を綺麗にし終えた達成感からひと息つく。掃除の中程で朝靄もだいぶ薄れ、見晴らしが利くようになっていた。稜線に滲んだ黒色が太陽の到来を匂わせる。いよいよ、朝日が昇る。


 白々とした巨輪の背光が山の尾根から溢れだした。光は山肌を滑り降りるように照らしつけ、早苗の目を眩ませる。強烈な眩しさのなか、母親に抱かれたときのように安心できる温もりが確かに感じられた。


 太陽に背中を預け、拳を腰に当ててよしと呟く。今日も一日、頑張ろうという気にさせられた。


 陽の光を浴びるのはなんて気持ちが良いんだろう。


 来た道を引き返した早苗は、竹箒を片し、勤行の準備を整えようと本堂に出向いた。顧客にお出しする菓子のことも熟慮しながら廊下をいそいそと進む。中庭に開けた縁側にちょこんと腰かけた、寝間着姿の少女を見かけたのはそんな折りであった。


諏訪子(すわこ)様」


 早足は少女に近づき、慇懃に頭を下げる。


「おはようございます」


 大欠伸をひとつしてから、諏訪子は左手をひょいと上げて挨拶を返した。起床したばかりで血圧が低いのか、虚ろな瞳が諏訪子が半ば夢心地であることを物語っている。そこには早苗からすれば残念ながら、守矢神社の大黒柱たる威厳は全く感じられなかった。


 守矢神社の祭神は八坂(やさか)神奈子(かなこ)であると公言している一方、実際に神社を経営、成り立たせているのは神奈子と同じ神の種族である洩矢(もりや)諏訪子の才力に他ならない。しかしそのことを正しく認識できているのは極少数の関係者のみだ。幻想郷の住人の九割が勘違いしている。奉られるべき神は神奈子であっても、神社の経営者は諏訪子。つまり神社の代表格は諏訪子である。実質的な権力を保有するのもまた後者だ。諏訪子の知恵と力なくして、経営の安泰は難しい。商売に精通していない早苗や神奈子では代理が務まらなかった。


「じき、お客がお見えになります。ちゃっちゃと着替えちゃってください」


 早苗の催促を嫌がるように、諏訪子は顔を両膝に埋めて縮こまる。さしもの諏訪子も朝には弱い。それでもいまこの場に姿がない、布団から離れることさえ厳しいのだろう神奈子と比べれば格式の高い自覚を持っているようで、こうして弱り果てながらも自力で布団を這いだしてくるのは流石だった。


 諏訪子は唸って身震いする。早苗は少し肩を竦めた。神である諏訪子に、人間である早苗、両者はもはや言わずもがなな上下関係にあるのだが、雑務を一手に引き受ける早苗が母親のような言動になりがちなのがおかしかった。


「今日も暑くなりそうですね」


 すっかり白けた空を仰いで、早苗は自分の言葉に対し本当にそうだと思った。朝飯時を過ぎれば気温は一気に上昇する。定期的に打ち水しなければ、植木が全滅してしまう恐れもある。


「あとで庭に水を撒いといてくれませんか」


 早苗が頼むと、諏訪子は再び唸って微かに頷いた。


「助かります」


 ときには諏訪子が早苗を補助する。神奈子が上座でふんぞり返り、早苗が雑務を担当し、諏訪子が裏方に徹することによって神社は回っている。


「では私、もう行きますね。ちゃんと礼服に着替えてから勤行に参加してくださいよ」


 諏訪子が頷くのを見届け、早苗は一礼して諏訪子のもとからさかった。




 案の定というか、本日一番目の来客は鴉天狗の蓮丸(はすまる)だった。


 山門を抜け、道なりに鳥居を潜ってくる彼を見た早苗が、老躯に駆け寄って手を差し伸べる。その手に捕まって並んで歩き、庭の長椅子に辿り着いたところで蓮丸は礼をした。


「年ってのはとりたくねえなあ、階段がつらくてしょうがない。でもまあ……」


 言って、嗄れた声で愉快気に笑う。


「今朝もおれが一番乗りだ。まだまだ隠居とは無縁そうで、安心したわ」


 天狗一族のなかでも高い地位に属する鴉天狗の血を引く蓮丸は、負けん気の強さを全面的に押し出した性格をしていた。腰は直角に曲がり、歯は残っている本数の方が下回る按配だったが、ほぼ毎朝のように徒歩で境内に訪れては体力自慢をくり返し披露する。矍鑠とした老妖だった。


「どうぞ」と早苗が茶を淹れた湯呑を差しだした。蓮丸をそれで喉を潤してから自身の武勇伝を語りだす。体力自慢のあとは自分語り。蓮丸の定番である。


 天狗の前当主を決闘で打ち倒した、背中にある傷はそのときの激戦の証だ、継承式を蹴っておれは当主を辞退した、――と口から飛び出すのは、早苗にとってまさに耳タコな作り話(なのだろう――)ばかり。毎朝聞かされている身としては、これらを諳んじることも容易い。多少うんざりしながら相槌を打った。


 蓮丸は早苗に話を聞かせるだけ聞かせて、勤行には参加しないで帰宅する場合が多い。誰かと対話するだけで気が済むようだった。これも風祝の仕事には違いないから、という気持ちで相手取るよう早苗は心掛けている。


 蓮丸に限らず、山に棲む年老いた妖怪は長話が大好物だった。いつぞやに話した話題と被っていようがお構いなしによく喋った。


 蓮丸はとうに職場から退いた身で、朝の神社参りを日課として過ごしたあとは、もっぱら同年代の老妖たちと群れてつつがない時間を過ごしている。それは隠居暮らししているのと大差ないだろうと早苗は思うのだったが、当の蓮丸は、職場の最前線から退いただけであって、偉大な先輩として後輩にアドバイスしているのだから現役だと言い張って譲らない。それに、いよいよ死に際を悟ったら黙っていなくなるよ、と冗談めかして早苗に話していた。


「暑い日が続きますね」


「ああ、うん。寝苦しくってたまらねえ」


 蓮丸は口角に皺を寄せて笑った。


「この暑さでおっちんじまったら、おれの供養はあんたに頼もうかな」


 と、自分の喉を軽く絞めて早苗を見た。早苗は笑ってそれのコメントを控えた。


「おっと、本気にしなさんな! おれはまだ惚けてもいねえ。そう呆気なくは死なねえよ」


 そうですね、と早苗は曖昧に微笑んだ。


 人間と妖怪では寿命の上限が異なるため、長い目で見て老衰した早苗が先立つ可能性は十二分に考え得る。それを蓮丸はどこまで踏まえたうえで、話の種にしているのだろう。豪語とは裏腹に、惚け始めをそれとなく匂わせるのは気のせいか。


 早苗は気を滅入らせた。見た目年齢の幼い諏訪子だって、早苗より何十倍も年嵩だ。普段はなんともないが、時にこうして人間と妖怪の仲に隔たる大きな壁みたいなものが浮き彫りになると、複雑な心境にさせられるのだった。


 その現実を真摯に受け止め、人里に学問所を据える慧音(けいね)、診療所を構える永琳(えいりん)は立派だと思う。どちらも人間を超越した種族であるというのに、ひとを好み、ひとの子に学を与え、悩める病人を労わる精神には感服せざるを得ない。なかでも永琳はひとならざる部下を多数抱えて診療所を運営しているのだが、人間の客足が絶えることはないらしい。里民との円満な関係性が見てとれるようだった。


 逆に人間の分限で妖怪の領域に干渉する霊夢(れいむ)、魔理沙の度胸にも頭がさがる。


 霊夢は博麗(はくれい)神社にお仕えする巫女で、事実上、守矢神社の商売敵に相当する人物だ。ただし山に造作された守矢神社の客層が多分に妖怪である反面、博麗神社に通う参拝客は人間ばかりである。そんな事情もあって、客の食い合いになった試しはない。諏訪子の立案した過度な布教活動が原因で、一度だけ先方と真正面から衝突したこともあったが、それも今や解消済みだ。


 守矢神社が敵をつくらず穏やかに営業できるのも、この地、幻想郷の孕む不可視な機運あってこそだろう。


 幻想郷は実に面白い。人間に妖怪、神様までもが同じ土俵に立つことを、当たり前だと捉える思想が根づいている。早苗はこの空間が好きだ。「外」から引っ越してきて正解だった。――あんな世界には二度と戻りたくない。


 早起きな妖怪の頭数が十に達し、境内に活気が溢れだした。蓮丸が神社を後にし、老妖ばかりのなか一際若さに富んだ白狼天狗の敏馬(みぬめ)(もみじ)が鳥居を潜る。客の全員が自らの足で石段を登り、鳥居に一礼してから敷地に踏み入るのは清潔な信仰心の表れと言えよう。


 早苗は飲み物を配りながら挨拶して回った。日焼けしている顔は意外と少ない。守矢神社へ参拝しにくる客は山に棲む妖怪ばかりで、太陽に照らされる頻度が極端に低いためだ。


 しかし肌は色白だが、砕けた笑顔には活力が満ちている。勤行を習慣づけている妖怪たちだ。きっと神を奉ることに自分なりの信念をもって、神社にきているのだろう。実直な妖怪の笑顔の、なんて気持ちがいいことか。早苗の口も自然とほころんだ。


 じりじりと陽射しが強くなりだした。巫女装束のしたに汗が滲む。自分の発言を思い出し、暑くなるなあと改めて噛みしめた。


「道場の方にお入りください」


 準備できたよと声をかけた諏訪子に礼を言って、早苗は、木陰で雑談をする妖怪たちに頭を下げて回った。














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