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U.N.オーエンの正体は彼女なのか  作者: 貞晴
【第一章】 人妖の鬩ぎ
2/21

極度のスランプ、極上のスクープ 

 都合よくキャラクターの性格が改変されています。そのうえ当たり前みたいな顔してオリキャラとか出てきます。これこそ二次創作の醍醐味! っていうテンションで読んで頂ければ幸い。




   【2】




 小さな羽虫に鼻頭を横切られ、猫背を正した女は軽く息をつく。すると途端に世界は変転し、凛乎とした巫女が活躍する物語は闇に消え、射命丸(しゃめいまる)は蒸し暑い夜の自室へと引き戻された。


(暑い……)


 尖端の丸まった鉛筆を原稿用紙のうえに転がし、手の甲で額の汗を拭う。集中が途切れたと同時に気温が一気に上昇したようだった。身動きひとつすることさえ億劫に感じられる。怠いと感じ、しばらく茫然としていた。


 手放した鉛筆は六角形の底面を見せつけながら転がり続け、無機的な書机を照らすスタンドの前脚に当たって静止した。明りに晒された鉛の表面は妙な滑り気を醸している。それを何とはなしに目で追っていた射命丸は再び息を吐き、開け放した窓に目線を遣った。


 気が付けば外は闇に満ち満ちていた。高い木の壁に引っ掻けた掛け時計を確認し、とっくに日付が変わっていたことに驚く。作品に没頭していた先程とは打って変わり、現在時刻を体感した脳は鈍い睡眠欲を滲ませ、射命丸の目蓋を重くした。


 射命丸文は新聞記者であり、それと同時に妖怪唯一の作家であった。同血を分かつ天狗の一族が発刊している雑誌で連載小説を担っている。


 射命丸の手懸ける小説は、活字に馴染みがあまりない妖怪には受けが悪かったが、人里ではおおよそ娯楽の類として受け入れられていた。雑誌自体の売れ行きも悪くない。仲間内で、編集者の肩書を持つ鴉天狗からはくれぐれも原稿を落とさぬよう進言されている。そのためには多少無理してでも、締切日に合わせて原稿用紙の升目を埋めて行かねばならない。執筆を推し進めねばならないのだったが――。


 紙面をざっと読み直し、射命丸は溜め息をついた。これじゃないというのが、書き連ねたばかりの文字を読み返してみて生じた率直な感想だった。どこか違う、間違っている。ならばどこがどう間違っているのかと問われれば返答に窮する、いわば曖昧模糊とした不具合。混沌。それの正体が気になりだすと駄目だ。続きを書こうとする気概は熔解するように消え失せてしまう。


 羽虫が不規則な軌道を描いて闇の隅から現れた。思い悩む射命丸を揶揄するように飛び回り、再び何処かに行方を眩ませる。


 机のひき出しからカッターナイフを取り出した。鉛筆を拾いあげ、違和感の正体を模索しながらカッターナイフの刃で芯を削る。


 射命丸が注力している小説は、いわゆるエンターテイメントにカテゴライズされるもので、とある人物の一人称で展開される私小説の形式に適応した、幻想郷を舞台にしたファンタジー依りの冒険記である。


 幻想郷のあちこちで勃発する異変を、主人公や、主人公を取りまく登場人物たちが、知恵や力を持ち寄って解決する顛末が大半で、作風は明るめ。実在する地名、キャストが入乱れての構成がヒットの所以だと射命丸は睨んでいる。妖怪はいざ知らず、人間とは対象が身近であればあるほど愛着を湧かせやすいものなのだ。実際問題、それだけの支持を人間の読者から集めている。商業の面から辿れば、順調以外に評する言葉は見当たらない。なにも間違ってなどいない。額面通りに評価を受けとっても、射命丸は現状に満悦することはあっても、厭になって筆を投げ出すことは有り得ないわけなのだったが。


(……疲れているのかな)


 夜間を小説家として費やすいっぽう、陽が昇れば、記者として決して楽ではない雑務を消化しなければならない立場にある。当然こまめに緊張を解かなければ、妖怪といえども身体を壊す。最近は仕事に追われ、満足に休息もとれていなかった。


 疲労、心労が祟って作品の足を引っ張っているのかもしれない。もう休むことにしよう。射命丸はそう決断した。


 一時の情から、妄りに作品を二転三転改変していては自分でもなにを書きたいのかが認識できなくなってしまい、最終的には質を落とすだけに帰着してしまう。あくまで副職とはいえ、物書きとして手を抜くつもりは毛頭なかった。働くときは全力で働き、眠るときはしっかり眠る。それが射命丸のやり方だ。


 数枚の原稿用紙は、完成した分とまとめて折り畳み、研いだ鉛筆は筆入れに放りこむ。残った白紙の原稿とカッターナイフをひき出しに納め、明りを消そうとした折りに、ふと窓辺へ出向いた。


 濡れた前髪を掻き上げ、窓縁に手をかける。


 身を乗り出せば届く距離で、輪郭が仄かに白く浮いた木の葉が微動だにせず暗闇と同化している。背高な樹木の天辺近く――鳥の巣箱のように位置する射命丸の住処は、見通しが悪ければ風通しも悪い。せめて見渡せるだけの景色があれば幾らか気も晴れるのだろうが、窓に縁取られた景色は、暗い緑に暗い緑を重ねた、とうに見飽きた果てのない樹林。


 どれだけ目を細めても、乱立する木々以外に風景の変化は望めない。それは幻想郷の最南端にある「妖怪の山」のなかでも、比較的、奥地に住居を構えている射命丸の宿命といえよう。飛べば難なくお邪魔できる近場に同族の住処――やはり天狗は、立ち木の高い位置に家を造る――は存するのだが、それでも木々の生茂った闇黒の森は、射命丸を無性に孤絶した心持ちにさせる。


 夜の闇は生物を感傷的にさせる。毒みたいなものだ、と射命丸は思う。何かの拍子に含んだら最期、毒は全身を巡って被験者を確実に蝕み弱らせる。夜の闇にはそんな、否応なしに万物を弱らせる効力がある。


 あるいは毒なんて生半可な殺傷力ではなく、もっと最上級の力、支配する力みたいな能力があるのかもしれない。


 針で刺すような眠気に襲われつつも、意識の主軸が変に覚醒している射命丸はしばらく窓のそばを離れられずにいた。そんな彼女が、暗闇の奥底に移動する影を発見したのは、不自然な覚醒もいよいよ揺らいできた時合である。おや、と思って鎧戸を閉じようとした手を止め、寝惚け眼を細めて暗黒を注視する。黒い影はふらふらと覚束ない態で樹林を避けて飛び、あっという間に右から左へ姿を消した。


 天狗は暗闇でも目が利くという特性を備えている。五十メートルは離れていたからだろう。影が射命丸の視線に気付いた様はなかった。山の妖怪だったのだろうが、少なくとも天狗ではなかったのか。


(こんな夜更けに……)


 妖怪の飛び方が危うかったのを思い出し、射命丸の頭に、酒臭い宴会の状景が説得力を持って映し出された。こんな時間になるまで酒を飲んでいたのか。あんまり酔いが回っているんだったら、無理は控えて、最寄の知り合い宅にでも泊めて貰えばよかったのに。


 恐らく見覚えのある顔だったと思うのだが、睡魔に負け、そう深く追究せずに鎧戸を閉じた。


 毛布に包まるころには、影のことなど念頭からすっかり霧散していた。





 凝った夜露が枝葉に付着し、雪解け水のような変容を遂げた。その過程は、青葉の腹から水滴が自然と湧いたように見る者を錯覚させる。植物が汗を掻いているようでもあった。


 暑い。熱気が鬱陶しい。


 樹影で手足を縮こまらせ、気配を必死にひた隠しにする姫海棠(ひめかいどう)はたては、全身汗だくだった。気温のみならず、全身のありとあらゆる神経を張り詰めているせいでもある。


 はたては男を尾行していた。目で捉えられるぎりぎりの距離を常に維持し、男に勘付かれぬよう追跡をかれこれ時間の感覚が狂うまで続けている。いつ心が挫けてもおかしくないが、はたてのしぶとさは筋金入りだった。


 事の発端は、寝床に籠もった熱気に嫌気がさし、夜涼みしようと自宅を後にし、妖怪の山を彷徨っていた矢先のこと。はたては期せずして見つけてしまったのだった。射命丸の住処近くで、あの男を。


 こんな夜遅くに、こんな山奥でなにを……。怪しすぎる。


 夜間、山の麓では白狼(はくろう)天狗(てんぐ)の群れが定められた規律に則って、厳重な警邏を行っている。どんなローテーションを駆使しているのか、警備部隊に所属していないはたてからすれば知り得ぬことではあるが、山外の妖怪が監視網を掻い潜るのは絶対に不可能だ、と部隊の隊員は自慢げに話していた。それなのに余所者の空気を纏った男が、どういうことかそこにいた。警備の目をかい潜った侵入者だ。そうとしか思えなかった。


 余所者が山の土を踏むには白狼天狗の許可が必須である。それも前もって天狗族の上層部とコンタクトをとるなり手続きするなりしたうえで、初めて白狼天狗に入山を許される手筈になっていた。二重三重の手順をこなして、やっと山入りが許可されわけだ。


 しかし、この時間帯に山入りの許しが下されたとは断固考えにくい。夕刻でも入山を断られる妖怪は後を絶たないというのに、夜中に、得体の知れない男が山中を彷徨っていること自体が馬鹿げていた。どの経路を利用して侵入したかは見当もつかないが、まず男の正体が、後ろ暗いなにかを隠し持った侵入者であることに間違いはない。


 男の風采は見るからに異常と断定できた。回転力を失いかけたこまのように左右へふらついている。背中をとんと突いてやれば、塵紙のようにひらひらと落下してしまいそうな、そんな危うさがあった。単なる酒食らいかな程度に尾行当初は考えていたが、それにしてはアルコール特有の臭いもない。それにただの酔っ払いが、警備の目を盗んで山の奥深くまで立ち入るだなんていよいよ考えにくかった。


 蚊のようにふらりふらりと飛び進む男が林の死角に消えた。やっとか、と控えめに息を吐く。やっと動ける。


 男はゆったりと一定のスピードで飛び進んでいた。距離をある程度保持することを思えば、はたては常時飛び続けているわけにもいかず、適度に樹の枝で待機し、男が飛び進むのを息を潜めて観察していなければならなかった。しかし身動きの取れない状況下、熱は服の中で膨張し(……ああん、もう!)、発汗を後押しする(……苛々する!)。これが辛い。もっと速く飛べないのか、と鈍間な男に怒鳴りつけたくなってくる。


 はたては音を殺して斜め前方の樹に飛び移った。男と自分との間には、常に遮蔽物となるものがあるように心掛けている。タイミング悪く男に振り返られても、こうしていれば尾行が露見する危険性は低いからだ。一発勝負には慎重すぎるくらいで丁度良い。


 大声をあげるか、警鐘を打ち鳴らすかすれば近くの仲間が飛び起きて駆けつけてくれるだろうが、はたてはその選択肢をとっくに放棄していた。しかしそれは仲間を危険な目に遭わせたくない、という純然な正義心からではない。もっと私欲に忠実な理由。すなわち、業績を伸ばすためである。


 はたての通報で男をひっ捕らえることに成功したとしても、はたてが単独で侵入者を取り押さえたときの勲功と比較すれば、見劣りするのは避けられない。それでは面白くない。手堅く業績を伸ばし、天狗の衆から力量を認めてもらうには、あくまではたて独りの手柄であることが重要なのだった。


 追跡が上手くいって、男の目的を看破したうえで捕まえるのが理想的だ。言わずもがな、自分ひとりの機転と実力によって。


 動かないでいると顔に虫が寄ってくる。蠅だ。それもかなり肥大した肉体だった。からかうように羽音を撒いて飛び回るならまだしも、頬や耳たぶに止まられると腹が立つ。


(これも辛抱だ)


 ふんと鼻を鳴らす。そのとき、はたての脳裏をある女の顔が過ぎった。


 男の狼藉を見逃した白狼天狗たちは非難されるだろうが、そのぶん、はたての功績は水際立つ。出世だって夢じゃない。――そう、射命丸のうえに立つことだって夢じゃない。


 射命丸は仕事ができ、美しく、愛嬌があるわで部内の人気者である。協調性に欠け、なにかと便利に扱き使われるはたてとは似ても似つかない、いわゆるデキた鴉天狗だ。その能力に嫉妬してないと言えば嘘になる。


 しかしそこについて言及するつもりはない。射命丸は世渡り上手で、自分は下手なのだと、そういうふうに割り切っているつもりだったからだ。けれども――。


 身を焦がすほどの多大な劣等感に苛まれるようになったのは、部署を同じくして間もなくの頃だったように思う。


 何故だろう、射命丸は折に触れて、はたてに優しく接するのだった。仕事が雑だと上司から叱られたとき、射命丸は親身になってはたてを励ました。何気なくを装って、新聞の記事埋めを手伝ったときもあった。


 同情されているのだとすぐに理解した(……そんなに私が哀れか)。


 あの笑った顔を見ると、いつも苦いものが食道を逆流してくる。ふざけやがって。情けをかけられて嬉しがる妖怪なんていないんだよ。あるいは気紛れで親切に振舞っているのか。集団の輪からはみだしているはたてが、そんなに物珍しいのか。


 射命丸のそれは偽善じゃない。真から良かれと思っての心配りである。はたてにも、それは分かっていた。しかし出来損ないの自分にいくら優しくしたところで、優しくされた側からすれば、それは屈辱いがいの何物でもない。射命丸はそれを理解していない。いや、皆から愛されている天狗が、皆から軽視されているはたての心情を理解することなど、そもそも不可能なのかもしれない。


 まあいい、とはたては拳を握った。射命丸に理解を求めているわけではないし、それどころか理解されたくもないと思っている。分かり合えないままに突き放してやる。悔しがらせてやる。この手柄で、立身出世は約束されたも同然。白狼天狗の株は下落し、はたての信用は鰻登り。皆の信用を勝ち得、射命丸文を悔しがらせてやるんだ。


 天狗は縦社会に生きている。昨日まで下位だった天狗に顎で使われることほど屈辱的なことはないだろう。屈辱には屈辱をもって返す。胸の奥底がめらめらと燃えあがる気分だった。


 男は闇から闇へ脱力したふうに流れ、樹の死角へ姿を消した。


 男は目的もなくただ飛行しているわけではないらしい。微妙に進路を調整して、確実に目的地へと飛び進めている。――はたての目にはそう映った。


(やっと動ける……)


 射命丸のうえに登りつめるるという、野望というか妄想を描きながら、はたては隣りに立つ細身の樹に足をかけた。枝に体重を預ける。と、靴で踏んだ部位が、バキッと音を立ててへし折れた。


 咄嗟に幹に抱きついた。両脚を幹の裏へ回し、締めつけるように力を込め、次いで顔面を木肌に押しつけた。


 樹木と一体化するこの行為は、夜の隠密行動中なんらかのアクシデントが発生した際、標的の目を躱す天狗の習わしであった。遠目になら樹の瘤と見分けのつかない偽装である。服も自然に溶けやすい色を基調とした布地を加工しているため、肌さえ誤魔化してしまえば滅多なことでは見つからない。


 ばれてない、ばれてない、と暗示をかけるように執拗に口の中で呟く。汗がどっと噴きでた。


 男の視線を感じる。


 いや、感じているような思い込みをしているだけかもしれなかった。はたては男の様子を確認したい衝動に駆られた。しかし幹から顔を剥がして確認をとるわけにもいかなかった。それが原因で尾行がばれたとあれば元も子もない。


 ばれてない……ばれてない……。

 

 唐突に、遠い場所で鳥が羽ばたいた。踊るように羽衣を撒き散らしながら空を旋回する。はたてはそれを音だけで判断し、内心ガッツポーズをとった。天は彼女に味方した。


 視線を感じなくなった。鳥に気をとられたのだろう。


 用心を重ね、はたてはしばらく樹の瘤になりきっていた。相手の警戒態勢が解かれるのを見計らって、首だけを動かしてみる。男は空を睨み据えていた。


 え、とはたては目を丸くする。男の顔が月明かりに照らされて、その全貌が露わになっていたのだ。


 再び顔を幹に押し当てる。男の顔を垣間見た衝撃を抑えるのに苦労した。


(スクープ……)

(……これは、大スクープだ)


 見知った顔だった。それも、こんな山奥にまるで縁のない男が、不審者の正体だった。


 再び盗み見ると、男は暗闇の濃淡な更に山奥へ飛び去るところだった。尾行に勘付いた雰囲気はない。


 逃がしてなるものか。この特種は、はたてのものだ。


 焚火の影が揺らめくように、はたては音もなく樹木を離れた。男の後を追いかける。その瞳には執念深い臙脂色が固くこびりついていた。









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