嫁き遅れ女の受難
奴を一言で表せば鬼
人でなしのろくでなしだ
え?奴も私も人じゃなくて神だろうって?
んな事は関係ない
奴は悪魔さえ裸足で逃げ出す極悪ものだ
その非道さを書き連ねていけば一冊の本にすら出来る
「ちくしょうぉぉっ!あの鬼の申し子がぁぁぁっ」
まるで親の敵のように次々と悪口を書き連ねていく私に、周囲の客達が引いていく。
因みに今私がいるのは比較的大きめの街にある人気食堂だ。
きっと今日の夕方までには私はおかしな人として街中の食べ物屋に認定されるだろう。
だが、それが分っていても書かなければならないこの気持ち
今書かねばいつ書く?!
「書いて書いてかきまくってやるわぁぁあっ」
締め切り前の漫画家か小説家の如き叫びを絶叫しつつ、私は順調?にそれを埋めていった。
そうして、最後の一ページにたどり着いた時だった。
「何してるんですか」
響く凜とした声に、私は一瞬にして固まった。
まさか
いや
まさかこんなところに奴がいる筈がない
だって彼は今頃愛しく可愛らしい巫女姫様と逢瀬の真っ最中なんだから――
「そうよっ!これは私の退職金を持ってきてくれた事務の人よっ」
「誰が事務員だ。この私にむかって」
せっかくの思い込みを本人に否定される。
鬼だ。悪魔だ。鬼畜だ。
というか、国王様はあんなにも出来た素晴らしい方だというのに――
『更紗、あのね、ああ見えても彼はとても優しく頼りがいのある人なんだよ、うん、全然大丈夫』
何が大丈夫なんですか国王様
どこが優しくて頼りがいがある人なんですか
寧ろ鬼畜教では法王レベルですよ――あ、これだと最高位になっちゃうか、うん
「何か失礼な事を考えてますね、あなたは」
「それより退職金とっとと渡して帰って下さい」
後ろを振り向かずに言えば、くすりと笑う声が聞こえた。
「退職金も何もないですよ。退職してないものにはそんな制度はありませんから」
退職してない?
「じゃあ退職金は?」
「だからないですよ。さて、退職もしてないのに仕事をさぼった貴方にはどういうお仕置きが必要ですかね」
「…………」
逃げた
脱兎の如く私は逃げた
「食い逃げですか?」
「違うわっ!」
目にも止らぬ速さで懐からなけなしのお金が入った財布を取り出し、食べた担々麺の料金分を店員に投げ渡す。
そのまま荷物を抱えて店の外に飛び出した。
向けられる幾つもの槍と兵士達を認識したのは、店の外に飛び出してすぐだった。
危うくそのまま突っ走りかけるも、このままでは串刺しというありがたくもない未来を回避するべく全力で足を止めた。
が、物理的な法則により前に向おうとする体は「車は急には止まれません」という一般常識のもとに前に傾きそのまま地面に倒れ込んだ。
そんな私の姿に、槍を向けていた兵士達が一斉に涙を隠すように目元を覆ったらしいが見る事は叶わなかった。
なぜなら、地面に倒れた衝撃で私の意識は吹っ飛んだからだ――
思えば私は最初からついていなかった。
運が悪いと言ってしまえばそれまでだが、そうとしか思えないのもまた事実。
生まれは貴族
それも、結構力のある家の娘である
なんたって、某国の公開鬼畜国王様から逃げてきた王妃様を一時的にでも守り切れたほどなのだから
しかし――
下の弟妹達が優秀過ぎたせいか私が平凡すぎたせいかは分らない
気づけば25才という、貴族社会では完全なる嫁き遅れになっていた
私としても、結婚に憧れなかったわけではなかったが、何せ相手が居ない
社交界に出ても、既に賞味期限の切れた私よりも今旬真っ盛りの若い妹達や他の姫君達に男達は群がっていく
こうなれば何処か辺境の地で大好きな本にでも囲まれて静かに余生でも過ごそう
何か周囲がとても騒がしかったが、とにかく私はさっさと荷造りをして計画を進めていった
それをぶち破ったのは何年も前に結婚した幼馴染みである
『性格に難はあるけど、顔と身分、地位、財力に問題のない良い人がいるのよ』
それ良い人言わないし
しかし、次の日には私はその外面だけが良い人の元に送られた
というか、家族に売られた
その相手が奴だった
国王の側近?
信頼の厚い参謀役?
確かに奴は非常優秀だった
頭脳明晰だし聡明でもある
地位や身分、財力も申し分ないだろう
顔だって、長い金髪に、同じく長い睫毛が縁取る青瞳。
女性と見紛うほど中性的な美麗顔は百人の女性がいればほぼ全員が虜になるレベルだ。
だが、所詮完璧な存在などいない
どれほど美しかろうと氷のように鋭い視線と口調、そして性格は奴を近寄りがたい存在とし
極めつけの常に無表情さは、触れて愛でるのではなく遠くから眺めて愛でる孤高の華として周囲は距離を保っている。
中にはその視線に撃ち抜かれたいとして特攻する者もいるらしいが、そういう輩は大抵再起不能となっていた。
勿論私にはそんな趣味はないので遠巻きにし、出来れば視界からも排除している。
が、そんな無表情の申し子にも例外の存在はあったらしい
奴には現在ご執心中の娘がいる。
それは、異世界から来たという巫女姫だ。
詳しい力は知らないが、人間でありながら神にも珍しい美貌と清らかな心の持ち主である彼女の名は蓮花。
いつも無愛想な顔も彼女の前だけでは花が咲き乱れるような笑みを見せ、優しい言葉をかける。
だが、奴は蓮花を恋愛対象として見ているかというと、そうでもなかった。
彼は、蓮花を唯一彼が忠誠を誓う王の妻にと望んでいたからだ。
しかし、それにしては凄まじいまでの蓮花への溺愛っぷりに私は全力でひいた。
勿論、結婚相手としてどうかと言われて出会った相手で、それなりに好意を抱いていた相手でもあったから、最初は蓮花に嫉妬もしていたが、それ以上に私は蓮花の身を心配した。
なんて危険な相手に目をつけられたんだ――と
そんな蓮花は別の国の男性を好きになり、共に旅立った
勿論、奴はすぐに追いかけたが、結局は王の説得もあり蓮花を行かせたという
一方、王様の方はまた新しい人を見つけるからと優しく笑う
周囲は痛ましいと涙ぐむが、私には別の見解がある
すなわち、王様は蓮花を恋愛対象とまでは見ていなかったのではないかと
大切だったのも可愛かったのも事実だろう
けれど、二人の仲は恋愛とは違う
だからこそ、王はどことなく嬉しそうな穏やかな笑みを見せたのだ
たとえ違ったとしても、その潔さには好感を持てる
いまだに、蓮花の様子を自分の影に見晴らせている奴とは大違いだ
奴はとうとうストーカーの域までイってしまった
その頃にはもう奴と結婚する未来はないだろうなと考えて居た私は、王様に頼んで図書館司書の仕事をしていた。少しずつお金を貯めて、一財産だって築けた。
そんな私が今回退職したのは、奴の蓮花熱に愛想を尽かしたからだ。
奴は私が何のためにこの国に来たのか絶対に忘れている。
口を開けば蓮花、蓮花。私のことは名前すら覚えておらず、「おい」、「あなた」と呼ぶ。
しかも人使いが荒く、蓮花に何かあったと聞かされれば奴は私に全てを押しつけてとっとと蓮花に関する情報収集に走る始末。
一度は好意を抱いた自分が信じられない
それでもまだ奴を好きな自分も信じられない
彼が蓮花にのめり込むほどに嫉妬は煽られる
これならば、自分の恋心になど気づかなければ良かった
よりにもよって、私は彼が蓮花にのめり込んで初めて自分の恋心に気づいてしまった
知らなければ、昔と変わらず実家に戻り、どこか適当なところに後妻に入る事だって可能だったのに
けれど、もうどこかの男と家庭を築いていくだけの心の余裕もない
とれば、大好きな趣味に没頭しながら余生を過ごすのみである
そんな私の心の機敏に最後まで気づかなかった奴。
愛しい人とすれ違い、偶然?から保護されてこの国に戻ってきた蓮花の元に通い詰め溺愛する奴にとうとう切れて罵り、挙げ句の果てには大げんかまでした私。
奴に散々蓮花との違いを聞かされ
奴と一緒にいる私の事を気にくわない者達に散々蔑すみと罵倒を頂戴し
流石の私も我慢ならなかった
だからこそ、王に退職願を出してとっとと出てきたというのに――
「これ、何?」
目の前に広げられるのは、色とりどりの花嫁衣装の数々
そして、沢山の装飾品
直前まで浴室に投げ込まれて徹底的に体を磨かれた私は、沢山の侍女達もとい同僚の方々に引き摺られた先であんぐりと口を開けた
「どれがいいでしょうか」
「これなんか更紗様の肌に宜しいかと」
「急がないと式に間に合わなくなってしまいますわ」
式?
「勿論、更紗様と宰相様のですよ」
茫然とする私に、侍女達がくすくすと笑った。
後に私は、奴に関する色々な噂話を聞かされる事となる。
実は蓮花への愛情は心からの娘や妹に対するものと、崇拝する気持ちだけだったという事
私のことは面白い生き物だと思っていたけど、気づけば恋心に変わっていた事
奴の中では既に私は婚約者という位置づけだから安心していた事
けれど、油断していたら逃げられたので捕獲してさっさと逃げられないように孕ませてしまおうと思った事
とはいえ、その噂を聞くまでにはまだしばらく長い時を待つ事となる
なので
「私は辺境の地で悠々自適な生活を送るんだあぁぁぁぁっ!」
後に、この国で史上希に見る無理矢理婚だったと称される挙式の主役として奴に引き摺られていった私は、市場に売られていく子牛のようだったと参加者達は言う。
そして私の奴への愚痴ノートは第二弾へと突入するのだった――