第8話 国民的お姉さんの裏顔
決戦前夜。
佐藤任三郎のオフィスにある作戦室は、これまでにない熱気に包まれていた。
中央のデスクには、佐々木紘子が調達した米軍仕様の超小型盗聴器と、虹彩認証を突破するための特殊コンタクトレンズが置かれている。
壁には、MIIKAのマンションの見取り図、ライブ会場のセキュリティ配置、そして吉田彩が作成した法的な告発状のドラフトが貼られている。
指揮官。
潜入者。
交渉人。
執行者。
分析官。
守護者。
供給者。
七人のスペシャリストが揃い、準備は完璧に見えた。
だが、佐藤だけは腕を組み、モニターに映るMIIKAのSNSアカウントを凝視していた。
「……社長。何か懸念でも?」
小林弥生が、佐藤のために調合したビタミンドリンクを差し出しながら尋ねる。
「ええ。……『空気』です」
「空気?」
田中襟華が首を傾げる。
「換気ならしてるけど」
「違います。世論の空気です」
佐藤はモニターを指差した。MIIKAの投稿には、数万件の『いいね』と、信者たちからの熱狂的なコメントが溢れている。
『MIIKAちゃんは私の神様!』
『アンチなんて死ねばいいのに』
『MIIKAちゃんが言うことだけが真実だよ!』
「彼女の信者たちは盲目です。カルト宗教に近い。……もし我々がライブ配信をジャックし、彼女の不正の証拠を突きつけたとしても、彼らはそれを『捏造だ』『AIで作ったフェイク動画だ』と騒ぎ立てるでしょう」
佐藤の声は重い。
「人間は、信じたいものしか信じない生き物です。特に集団心理が働いている時、論理や科学的証拠は無力化される。……最悪の場合、逆上した信者が暴徒化し、被害者の長谷川さん親子に物理的な危害を加える可能性があります」
「なるほどね」
渡辺千尋が赤ワインを揺らす。
「証拠を見せるだけじゃダメ。それを『真実だ』と大衆に信じ込ませるための、強力な『お墨付き』が必要ってわけか」
「その通りです。……それも、ネットの中だけの匿名アカウントではなく、顔と名前を出して、社会的な信用を持っている人物による誘導が」
佐藤は立ち上がり、ジャケットを羽織った。
「行ってきます。……最後のピースを拾いに」
「どこへ?」
グレタが問う。
「テレビ局です。……国民的な『お姉さん』に会いに行ってきます」
港区、赤坂。
キー局の巨大な社屋は、午後3時の気怠い陽射しを浴びていた。
佐藤は吉田彩から入手した入館パスを使い、迷路のような局内を歩いていた。
すれ違うスタッフたちが、佐藤の完璧なスーツ姿を見て、どこかの芸能事務所の社長かと思い込み、ペコペコと頭を下げる。
彼が目指していたのは、第3スタジオの裏手にある楽屋エリアだ。
『松本愛永 様』
そう書かれた貼り紙のあるドアの前で、佐藤は足を止めた。
松本愛永。32歳。
朝の情報番組からバラエティまで引っ張りだこの人気フリーアナウンサーだ。
清楚なルックス、柔らかい物腰、そして時折見せる天然な一面から「国民的お姉さん」「嫁にしたいアナウンサーNo.1」として絶大な支持を得ている。
佐藤はノックをした。
「どうぞ~♡」
中から、テレビで聞くのと同じ、鈴を転がすような甘い声が返ってきた。
佐藤はドアを開ける。
そこには、地獄絵図が広がっていた。
「あーっ! っっっ辛ら!! 死ぬ! 食道焼ける!!」
化粧前の前で、清楚なワンピースを着た美女が、形相を変えてのた打ち回っていた。
テーブルの上には、真っ赤な――というよりドス黒い――激辛カレーの容器が置かれている。漂ってくるスパイスの刺激臭だけで、目が痛くなるレベルだ。
彼女――松本愛永は、ティッシュで汗を拭いながら、さらにカレーをスプーンですくい、口に運んだ。
「んぐっ……! ハァーッ! ……クソが!」
彼女は鏡の中の自分に向かって、中指を立てた。
「なーにが『今日のゲストの俳優さん、素敵でしたね~』よ! あいつ中身空っぽじゃねーか! 番宣のタイトルすら覚えてないし、私のこと『お母さんに似てる』とか言いやがって! テメェの母ちゃん何歳だよ! あーイライラする! カプサイシン足りねえ!!」
ガツガツとカレーを貪り食うその姿に、テレビの中の「愛永お姉さん」の面影は微塵もない。
佐藤は静かにドアを閉め、咳払いをした。
「……相変わらず、アグレッシブなストレス解消法ですね」
愛永がビクッと肩を震わせ、振り返った。
口の周りをカレーで赤く染めたまま、彼女は目を丸くした。
「……え、げっ。……任三郎?」
彼女は慌ててウェットティッシュで口を拭き、水を一気飲みした。
「な、なんでアンタがここにいるのよ! セキュリティどうなってんの!?」
「ご無沙汰しています、愛永さん。入館パスは正規の手続きで入手しました」
佐藤はハンカチを差し出した。
「汗、拭いてください。……また激辛ですか。胃に穴が開きますよ」
「うっさいわね! これは私のガソリンなの!」
愛永はハンカチをひったくり、乱暴に額の汗を拭った。
彼女は深呼吸をして、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。
鏡に向かってニッコリと笑いかけ、一瞬で「国民的お姉さん」の顔を作る。そしてすぐに素の「毒舌策士」の顔に戻り、足を組んで佐藤を睨んだ。
「で? あの『氷の爬虫類』が、わざわざ私の楽屋に来るなんて。……どうせロクな用事じゃないんでしょ?」
「人聞きが悪いですね。昔、セクハラ上司を社会的に葬り去って差し上げた恩を忘れたのですか?」
「チッ。……恩着せがましい男」
愛永は舌打ちしたが、その目には佐藤への信頼が宿っていた。
「わかったわよ。話くらいは聞いてあげる。……誰を潰したいの?」
佐藤は単刀直入に切り出した。
「インフルエンサーMIIKAです」
「ああ、あの整形モンスターね」
愛永は即答した。
「知ってるわよ。最近、テレビ局の上層部にも媚び売ってるみたいだし。……で、あいつが何したの?」
「サプリ詐欺による健康被害。そして、背後には国際犯罪シンジケートがいます」
「へえ。真っ黒じゃない」
愛永は楽しげに口角を上げた。
「でも、私が動く必要ある? アンタのチームなら、証拠を掴んでネットで晒して終わりでしょ?」
「それだけでは不十分なのです」
佐藤は一歩前に出た。
「彼女の信者たちを黙らせ、世論を『MIIKAは悪だ』という方向へ決定的に傾けるには、あなたの力が必要です。……テレビという王道メディアからの、強烈な一撃が」
愛永は考え込むように顎に指を当てた。
「要するに、私にアジテーターになれってことね。……リスク高いわよ? もし失敗して、私がデマを拡散したなんてことになれば、今のポジションもCM契約も全部パー」
「失敗はしません。私のチームが、100%確実な証拠を用意します」
佐藤はまっすぐに彼女の瞳を見つめた。
「それに……今のあなた、退屈しているでしょう?」
図星だった。
愛永の眉がピクリと動く。
フリーになって成功し、誰もが羨む地位を手に入れた。だが、来る日も来る日も当たり障りのないコメントを言い、空っぽなタレントを持ち上げるだけの日々。
刺激が足りない。この激辛カレーのように、脳髄が痺れるような刺激が。
「……フフッ」
愛永は低く笑い出した。
「アンタってホント、性格悪いわよね。人の心の隙間に入り込むのが上手すぎる」
彼女は立ち上がり、佐藤の胸元に人差し指を突きつけた。
「いいわよ。乗ってあげる」
その顔には、カメラの前では絶対に見せない、悪女の笑みが浮かんでいた。
「そのインフルエンサー……私が『空気』を変えてあげる。視聴者の同情も、怒りも、全部私がコントロールして、彼女を地獄の底まで叩き落としてやるわ」
「感謝します」
「勘違いしないで。ボランティアじゃないわよ」
愛永は佐藤のネクタイをグイと引っ張った。
「報酬は……その女が潰れる瞬間の『独占スクープ』。それと、私の番組での独占インタビュー権。全部私がやった手柄にして、視聴率の女王になるの」
「……強欲ですね」
「あら、褒め言葉?」
愛永はパッと手を離し、鏡に向かって髪を直した。
「さあ、そうと決まれば準備しなきゃ。……週刊誌の記者にリーク電話入れて、明日の番組の台本も書き換えないと」
彼女はスマホを取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。
「あ、もしもし文春さん? 愛永ですぅ~♡ ちょっと面白いネタがあるんですけどぉ……」
電話越しの声は、完全に「愛永お姉さん」に戻っている。
だが、鏡に映るその瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭かった。
佐藤は一礼し、楽屋を出た。
背後から、獲物を見つけた歓喜に満ちた愛永の声が聞こえる。
これで、すべての役者が揃った。
オフィスに戻った佐藤を、7人のメンバーが迎えた。
「社長、遅い!」
弥生が待ちくたびれたように言う。
「作戦会議、始めますよ!」
「釣れましたか? 大物は」
千尋がワイングラスを傾ける。
佐藤は頷き、ホワイトボードに8人目の名前を書き加えた。
『松本愛永』。
「彼女が動きます。明日の朝には週刊誌のWEB記事が出て、夕方のニュースで彼女が『懸念』を表明するでしょう。それで下地は完成します」
「うわ、愛永お姉さんってマジ?」
襟華がスマホで検索する。
「この人、裏じゃ性格悪いって噂だけど……味方なら心強いね」
「性格の悪さなら、このチーム全員どっこいどっこいだ」
グレタが淡々と言う。
「違いない」彩が笑い、紘子が頷く。
佐藤は全員を見渡した。
指揮官、潜入者、交渉人、執行者、分析官、守護者、供給者、そして扇動者。
八つの星。
社会の裏も表も、デジタルもリアルも、法も感情も。すべてを支配できる最強の布陣。
「……完璧です」
佐藤は静かに宣言した。
「これより、作戦『フォール・ダウン』を開始します。明日の夜、MIIKAのライブ配信をジャックし、彼女の虚構を剥ぎ取り、社会的に抹殺します」
全員の目が、鋭く光った。
それぞれの専門分野で、牙を研いできたプロフェッショナルたち。
その殺意のベクトルが、今、一点に収束する。
「ターゲットはMIIKA。……容赦は無用です」
夜の帳が下りた東京。
その地下深くで、革命の鐘が鳴らされようとしていた。




