第7話 古書店の魔女
最強の矛と盾を手に入れたチーム「Hexagram」は、MIIKAへの総攻撃に向けた最終調整に入っていた。
佐藤任三郎のオフィスにある作戦室。
壁面の大型モニターには、MIIKAが主催するライブ会場の図面と、彼女の自宅マンションのセキュリティシステムが投影されている。
「……問題発生です」
佐藤がレーザーポインターで一点を指し示した。
それは、MIIKAのマンションの寝室にあるウォークインクローゼットの扉だ。
「小林先生の分析により、MIIKAのサプリが国際犯罪シンジケートの資金源であることは判明しました。しかし、それを法的に立証し、警察を動かすには『物証』が必要です」
「裏帳簿ってやつね」
ソファで爪を磨きながら、渡辺千尋が口を挟む。
「ええ。情報屋の話では、MIIKAはこのクローゼットの奥にある隠し金庫に、組織との取引記録と現金を保管しています。しかし……」
佐藤はモニターの画像を拡大した。
「この金庫、生体認証が導入されています。それも、指紋や顔認証といった生温いものではない。『虹彩認証』です」
「虹彩……瞳の模様か」
腕組みをしていたグレタ・ヴァイスが呟く。
「軍用レベルのセキュリティだ。複製は極めて困難だぞ」
「はい。指紋なら私が人工皮膚で作れますけど、虹彩となると話は別です」
小林弥生が白衣のポケットからキャンディを取り出しながら首を振る。
「コンタクトレンズに特殊な加工をする必要がありますけど、それにはナノレベルのプリント技術と、MIIKA本人の高解像度な瞳のデータが必要です。私のクリニックの機材じゃ、1週間あっても間に合わない」
「それに、もう一つ足りないものがある」
佐藤はデスクに置かれた極小のチップを指差した。
「田中君が前回仕掛けようとした盗聴器ですが、これではサイズが大きすぎます。MIIKAは警戒心を強めており、定期的に業者を入れて盗聴器発見器を使っているとの情報が入りました。発見器の周波数をすり抜け、かつ発見不可能なほど微細な……米軍特殊部隊仕様の盗聴器が必要です」
「米軍仕様って……そんなの、Amazonでポチれるわけないじゃん」
田中襟華が呆れたように言う。
「時間がないのよ、任三郎」
吉田彩が腕時計を見た。
「作戦決行は明日の夜。今から海外の裏ルートに発注しても、届くのは来週よ」
手詰まりか。
室内に重苦しい空気が流れる。
だが、佐藤だけは涼しい顔でジャケットを羽織った。
「いえ。心当たりがあります」
「は? 心当たりって、アキバのジャンク屋とか?」
襟華の問いに、佐藤はニヤリと笑った。
「もっと古風で……魔術的な場所ですよ。行きましょう。財布は入りませんが、空腹にしてきてください」
佐藤が連れてきたのは、神保町の路地裏だった。
古書店街のメインストリートから外れ、人がすれ違うのもやっとの細い道を抜けた先に、その店はあった。
朽ちかけた木造の建物。看板には、金文字で『ALEXANDRIA』とだけ書かれている。
ガラス戸の向こうは薄暗く、本の山が迷宮のように積み上げられているのが見える。
「……ここ、本屋でしょ?」
襟華が怪訝そうな顔をする。
「米軍の盗聴器なんて売ってるわけないじゃん」
「入れば分かります」
佐藤がカウベルの付いたドアを開けた。
カラン、コロン……と、ノスタルジックな音が響く。
店内は、古紙とインク、そして微かな珈琲の香りに満ちていた。
天井まで届く本棚には、背表紙の剥がれた洋書や、黄ばんだ和書が乱雑に、しかしある種の法則性を持って詰め込まれている。
通路は狭く、グレタのような長身の人間は頭をぶつけそうだ。
「いらっしゃい。……珍しい客ね」
本の山の奥から、声がした。
アンティークのロッキングチェアに座り、分厚い革表紙の本を読んでいた女性が、ゆっくりと顔を上げる。
その瞬間、襟華たちは息を呑んだ。
佐々木紘子。28歳。
黒髪のロングヘアを無造作に垂らし、古着のゆったりとしたドレスを纏っている。
だが、何よりも目を引くのは、その瞳だ。
ガラス玉のように透き通る、色素の薄い瞳。
すべてを見透かすような、魔性を秘めた眼差し。
彼女は佐藤の姿を認めると、本を閉じて艶然と微笑んだ。
「久しぶりね、任三郎。……その顔を見ると、また『厄介な買い物』をしに来たんでしょう?」
「ご名答です、紘子さん」
佐藤は帽子を取って一礼した。
「急ぎで調達してほしいものがあります。……『米軍仕様の超小型盗聴器』と、『虹彩認証突破用の特殊コンタクトレンズ』です」
背後のメンバーたちがざわめく。
だが、紘子は眉一つ動かさなかった。まるで「今日の天気は?」と聞かれた程度のことのように。
「ナノ・バグは、CIAが東欧で使ってた型落ち品でいい? コンタクトは……ターゲットの瞳のデータはあるの?」
「あります。昨夜、千尋が撮影した4K映像から解析しました」
佐藤がUSBメモリを差し出す。
紘子はそれを受け取らず、ロッキングチェアから立ち上がった。
彼女が動くと、甘く重厚な香水の香りが漂う。
「データがあるなら簡単よ。……でも、代金は高いわよ?」
「ドルですか? それともビットコイン?」
彩が財布を取り出そうとするが、紘子はそれを手で制した。
「お金なんて紙切れ、興味ないわ」
紘子は店の奥にある小さなカウンターキッチンへと歩いていく。そこには、業務用の冷蔵庫が鎮座していた。
彼女は冷蔵庫を開け、中から真空パックされた肉塊を取り出した。
美しい赤身と、分厚い脂身。
「……シャラン鴨ですか」
佐藤が目を細める。
「ええ。フランスのヴァンデ県から、今朝届いたばかりの最高級品よ。血抜きをしないで窒息死させるエトゥフェ処理が完璧になされているわ」
紘子は肉塊を愛おしそうに撫で、佐藤に突きつけた。
「この鴨、あなた以外に焼かせたくないの。……私のオーダーは一つ。この鴨を、世界で一番美味しく焼くこと。それが代金よ」
「……相変わらず、変な女ね」
千尋が呆れたように呟く。
「鴨一羽で軍用機材が買えるわけ?」
「価値を決めるのは市場じゃない。私よ」
紘子は悪戯っぽくウィンクした。
「どう、任三郎? 取引成立?」
佐藤はジャケットを脱ぎ、丁寧に畳んで椅子に置いた。
そしてシャツの袖をまくり上げる。
「……交渉成立です。最高のローストに仕上げてみせましょう」
古書店の奥にある簡易キッチンが、佐藤の厨房と化した。
彼は持参したマイ包丁セットを取り出し、鴨肉と向き合う。
まずは皮目に細かく切り込みを入れる。脂を溶け出しやすくし、皮をパリッと焼き上げるための工程だ。
フライパンを熱し、皮目を下にして肉を置く。
ジュウウウ……という音と共に、芳醇な脂の香りが立ち込める。
紘子はその音をBGMに、脚立に登って高い場所にある本棚を漁り始めた。
「確か、この辺りに隠したはずなんだけど……」
彼女は『失楽園』と書かれた古い詩集を取り出し、中をくり抜いたスペースから、極小の金属ケースを取り出した。
「あったわ。ナノ・バグ、在庫残り3個」
一方、佐藤は鴨肉から出た脂をスプーンですくい、肉に回しかける「アロゼ」を繰り返していた。
熱い脂を浴びせ続けることで、肉の内部にゆっくりと熱を伝え、しっとりと仕上げる。
肉の焼ける香ばしい匂いが店内に充満し、襟華や弥生がゴクリと喉を鳴らす。
「……なんか、すっごいいい匂いするんだけど」
「シャラン鴨特有の鉄分を含んだ香りだ」
グレタが解説する。
「血液を体内に留めたまま処理するから、野性味あふれる味がするんだ」
焼き上がった肉をアルミホイルに包み、余熱で火を通す。この休息時間が、肉汁を全体に行き渡らせるために不可欠だ。
その間に、佐藤はソースを作る。
フランボワーズビネガー、蜂蜜、フォンドヴォー、そして鴨の焼き汁。甘酸っぱさとコクが凝縮されたソース・ガストリックだ。
「お待たせしました」
佐藤が皿を差し出す。
ロゼ色に輝く鴨のロースト。皮はキャラメリゼされたようにパリパリで、断面からは肉汁が滲み出ている。
紘子はフォークとナイフを手に取り、一口サイズに切り分けた。
口に運ぶ。
咀嚼した瞬間、彼女の大きな瞳がさらに見開かれた。
「……んッ」
官能的な吐息が漏れる。
皮の香ばしさ、脂の甘み、そして血の風味を含んだ濃厚な赤身の旨味。酸味の効いたソースがそれらをまとめ上げ、喉を通った後も長い余韻を残す。
「……完璧ね。アロゼの回数、焼き加減、ソースの粘度。すべてが計算され尽くしている」
紘子はうっとりと皿を見つめた。
「ありがとう、任三郎。あなたの料理は、いつだって私の魂を満たしてくれるわ」
彼女はカウンターの下から、アタッシュケースを取り出し、ドンと置いた。
中には、米粒サイズの盗聴器セットと、特殊なプリンターで出力されたばかりのコンタクトレンズが入っていた。
「約束の品よ。コンタクトはMIIKAの虹彩パターンを99.8%再現してある。これならペンタゴンのゲートだって通れるわ」
「仕事が早いですね」
佐藤が検品する。
「……おや? これは?」
ケースの隅に、見慣れない黒いカードキーが入っていた。
「オマケよ」
紘子は鴨肉を頬張りながら言った。
「MIIKAのマンションの管理会社のマスターキー。データのコピーだけじゃ不安でしょ? 偽装IDで正面から入るより、裏口からスマートに入りなさい」
「……そこまで手配していたとは」
さすがの佐藤も舌を巻く。
「言ったでしょ? 私が手に入れられないのは、あなたの心だけだって」
紘子は妖艶に笑いかけ、口元のソースを指で拭った。
襟華がポカンと口を開けている。
「な、なにこの人……。鴨肉ひとつで、国家機密レベルのアイテム出しちゃったよ」
「これが『調達屋』の実力よ」
彩が肩をすくめる。
「彼女の店には、核ミサイルの発射コード以外なら何でもあるって噂よ」
「核のコードも、前は在庫あったわよ? 売れちゃったけど」
紘子がサラリと恐ろしいことを言う。
佐藤は機材を懐にしまい、改めてメンバーを見渡した。
指揮官。
潜入者。
交渉人。
執行者。
分析官。
守護者。
そして、供給者。
七つの星が揃った。
Heptagram。
それは魔術において、最強の結界であり、強大な力を呼び覚ます象徴だ。
「……これですべての準備が整いました」
佐藤の声に、全員の視線が集まる。
「武器も、情報も、法的な盾も、そして勝利への鍵も揃った。あとは実行あるのみです」
「いよいよ明日ね」
千尋が不敵に笑う。
「MIIKAの化けの皮、全部剥がしてやる」
襟華が拳を握る。
「行ってらっしゃい」
紘子はグラスに注いだ赤ワインを掲げた。
「最高のショーを期待してるわ。……あ、そうだ任三郎」
「何でしょう?」
「今度の報酬は、白トリュフのリゾットでお願いね。イタリアのアルバ産が入荷予定だから」
「……善処します」
古書店のドアベルが鳴り、7人の影が夜の街へと繰り出していく。
東京の地下深くに根を張る悪を断つため、最強の処刑人チームが動き出した。




