第6話 法の抜け穴
翌朝、午前10時。
丸の内の超高層ビル街は、冷たい雨上がりの空の下、無機質な輝きを放っていた。
その一角にある、ガラス張りのインテリジェントビル。
最上階を占有する「五大法律事務所」の一つ、『ミネルヴァ法律事務所』のエントランスを、異様な集団が歩いていた。
先頭を行くのは、完璧なスーツを着こなした佐藤任三郎。
その右斜め後ろに、派手なブランドもののコートを羽織った渡辺千尋。
左側には、不機嫌そうに制服のスカートを気にしている田中襟華。
そして殿には、全身黒ずくめのグレタ・ヴァイスと、白衣ではなく清楚なカーディガン姿の小林弥生。
すれ違うエリート弁護士や秘書たちが、怪訝な顔で彼らを見る。
明らかに「堅気」ではない空気を纏った5人組。場違いにも程がある。
「ねえ、社長。ここって日本で一番デカイ法律事務所でしょ?」
弥生が小声で佐藤に尋ねる。
「私のクリニックなんて、ここから訴えられたら3秒で潰れるんだけど」
「安心してください。今日は敵として来たわけではありません」
佐藤は足を止めず、受付に向かった。
「アポイントメントのある佐藤です。吉田先生をお願いします」
受付嬢が「お待ちしておりました」と深々と頭を下げる。
通されたのは、皇居を一望できる角部屋の広い応接室だった。
磨き上げられたマホガニーのデスク。壁一面の法律書。そして、部屋の主が座るべき革張りの椅子。
だが、その椅子は空だった。
「……遅い」
グレタが腕時計を見て呟く。
「約束の時間から30秒過ぎている」
「まあまあ。売れっ子弁護士様は忙しいのよ」
千尋がソファに座り、足を組む。
その時、重厚なドアが開いた。
カツ、カツ、カツ。
鋭いヒールの音が響く。
現れたのは、息を呑むような美女だった。
吉田彩。30歳。
イタリア製のハイブランドのパンツスーツを鎧のように着こなし、黒髪をタイトにまとめている。その瞳は猫のように鋭く、四角い顎のラインが知的な意志の強さを物語っていた。
片手には分厚いファイル、もう片手にはテイクアウトのコーヒーカップを持っている。
「お待たせ。……相変わらず、柄の悪い連れ合いね、任三郎」
彩は佐藤を見ても笑わず、デスクにファイルを放り投げた。
バサッ、と乾いた音が室内に響く。
「久しぶりだな、彩。……検事を辞めて、随分と良い服を着るようになったじゃないか」
佐藤もまた、無表情で返す。
「皮肉は結構よ。ここは資本主義の最前線。正義じゃなくて、勝訴が全ての世界だから」
彩はデスクの椅子に座り、眼鏡をかけて5人を見渡した。
まるで裁判官が被告人を値踏みするような視線だ。
襟華が気圧されて、佐藤の背後に隠れる。
「で?」
彩はコーヒーを一口飲み、単刀直入に切り出した。
「私にどこの法律をねじ曲げろって?」
佐藤は微かに口角を上げた。
話が早くて助かる。
「単刀直入に言おう。我々はこれから、国際犯罪シンジケートを相手に喧嘩を売る」
「……ハッ」
彩が短く笑った。
「インフルエンサーMIIKAの件ね。ニュースで見たわ。サプリ被害者の会が騒ぎ始めてる」
「その裏にいる組織を壊滅させる。……だが、私のチームには致命的な欠陥がある」
佐藤は後ろのメンバーたちを親指で指した。
「不法侵入、器物損壊、窃盗、ハッキング、無免許医療行為、傷害、銃刀法違反……。現行法で裁けば、全員合わせて懲役100年コースだ。このままでは、敵を倒す前に警察に一網打尽にされる」
「でしょうね」
彩はファイルを開いた。
「特にそこの金髪の彼女。昨夜の六本木での暴走行為、すでに防犯カメラの映像が警視庁交通機動隊に回ってるわよ。ナンバープレートは偽装してたみたいだけど、車種とドライビングテクニックで特定されるのは時間の問題」
グレタが眉をひそめる。
「……私の運転は完璧だった」
「日本の道路交通法上は『暴走族』よ」
彩は冷たく切り捨て、一枚の書類をデスクに滑らせた。
「だから、これを用意したわ」
書類のタイトルには『業務委託契約書』と書かれていた。
一見すると、ただのビジネス契約書に見える。
「これは?」襟華が覗き込む。
「表向きは、あなたたち全員が佐藤の会社『オメガ・リスクマネジメント』の外部委託スタッフであることを証明する契約書よ」
彩は流暢に説明を始めた。
「田中襟華は『市場調査員』。渡辺千尋は『広報アドバイザー』。グレタ・ヴァイスは『身辺警護員』。小林弥生は『産業医契約』。……これで、あなたたちが佐藤の指示で動いていること自体は、合法的なビジネスの枠組みに入る」
「でも、やってることは犯罪でしょ?」
千尋が突っ込む。
「ええ。だから、ここからが私の仕事」
彩は書類のページをめくった。
そこには、細かすぎて虫眼鏡がなければ読めないような条文がびっしりと書かれている。
「第14条3項。『緊急避難的措置に関する特約』。……もしあなたたちが現場で警察に捕まった場合、あなたたちは佐藤の指示ではなく、現場の状況判断による『緊急避難』または『正当防衛』であったと主張するスキームを組んでおいたわ」
彩は眼鏡の位置を直しながら、黒板で講義をするように指を立てた。
「例えば襟華ちゃんが不法侵入で捕まったとする。その時、彼女は『顧客の安全確認のためにやむを得ず立ち入った』と主張する。その裏付けとなる依頼メールの日時を、私が後から改ざんしてアリバイを作る。……警察が令状を取る前にね」
「そ、そんなことできるの?」
襟華が目を丸くする。
「できるわよ。警察のシステムにも穴はあるし、何より私は元検事。彼らがどうやって調書を作るか、手の内は全部知ってる」
彩はニヤリと笑った。それは法を守る者の笑みではなく、法を支配する者の不敵な笑みだった。
「私の名前を出せば、所轄の刑事くらいなら黙るわ。逮捕状が出る前に私が乗り込んで、不起訴にしてあげる」
圧倒的な自信。
法という最強の武器を使いこなす、リーガル・フィクサー。
佐藤は満足げに頷いた。
「聞いた通りだ。……君がいれば、我々は影の中で自由に動ける」
「勘違いしないで」
彩は釘を刺すように言った。
「私はあなたたちの犯罪を推奨してるわけじゃない。……ただ、法で裁けない悪党がのさばっているのが、個人的に気に入らないだけ」
彼女の脳裏に、10年前の記憶が蘇る。
佐藤の妹が自殺した事件。担当検事だった彩は、執拗なネットリンチを行った主犯格を特定し、起訴しようとした。だが、上層部の圧力と、現行法の壁に阻まれ、不起訴処分とせざるを得なかった。
あの時の無力感。法廷で勝ち誇ったような顔をしていた加害者たちの顔。
それが、彼女が検事を辞め、闇の弁護士へと転身した原点だ。
「……MIIKAのバックにいる組織、叩き潰すんでしょ?」
彩の声色が、少しだけ低くなった。
「完膚なきまでに」佐藤が答える。
「なら、乗ってあげるわ。この泥船に」
彩は契約書の末尾にサインをし、佐藤に突きつけた。
「ただし、私のギャラは高いわよ? 成功報酬の30%。それに、経費は青天井。高級ワインの差し入れも忘れないこと」
「守銭奴だな」
「優秀な弁護士は金食い虫なのよ」
佐藤は苦笑しながら、契約書にサインをした。
続いて、襟華、千尋、グレタ、弥生も次々とペンを走らせる。
「これで契約成立ね」
全員のサインが揃った契約書を、彩は金庫にしまった。
「ようこそ、共犯者たち。……今日から私が、あなたたちの『盾』になる」
その瞬間、チームの空気が変わった気がした。
これまで「いつ捕まるか」という不安を抱えていたメンバーたちの背筋が、ピンと伸びる。
背中を預けられる最強の守護者が加わったのだ。
佐藤。
襟華。
千尋。
グレタ。
弥生。
そして、彩。
五芒星は、六芒星へと進化した。
攻守共に隙のない、完全無欠のチーム。
「さて、法的な防壁は構築した」
彩は立ち上がり、窓の外の東京を見下ろした。
「次は攻撃の番ね。……MIIKAに内容証明郵便を送る準備はできてるわ。名誉毀損と業務妨害で、あっちの顧問弁護士をビビらせてやる」
「頼もしいですね」
佐藤はハンカチで手を拭きながら、冷徹な光を瞳に宿した。
「では、始めましょうか。……MIIKAへの『処刑』を」
六人の影が、オフィスの床に長く伸びていた。
法の光が届かない場所で、彼らだけの正義が執行される時が来たのだ。




