第44話 アウトローの同窓会
都内某所、高架下の空き地。
街の喧騒から切り離された暗がりで、一台の武骨なランドクルーザー70が、エンジンの余熱を放ちながら鎮座していた。
車内では、松本愛永がノートPCのカメラに向かって、流暢な英語でまくし立てていた。
『……ええ、そうよ。ジャック。久しぶりね』
彼女が通話している相手は、アメリカ大手ニュースネットワークの極東支局長だ。
かつて愛永が海外取材を行った際にコネを作っていた、数少ない「借り」のある人物である。
『日本のメディアは死んだわ。今夜起きている騒乱も、明日の朝には「一部の暴徒による騒ぎ」として矮小化されて報道されるでしょうね。……スポンサーの顔色を伺って』
愛永は冷笑を浮かべ、手元の電子タバコをふかした。
『だから、あなたに特ダネをあげる。……バズ・インキュベーション。日本政府すら忖度するこの巨大企業の、裏帳簿と洗脳マニュアル。欲しいでしょう?』
画面の向こうの男が、色めき立つのがわかった。
海外メディアにとって、日本の腐敗構造や巨大企業の不祥事は、極上のメインディッシュだ。特に「AIによる国民監視」というネタは、世界的な関心事でもある。
『条件は一つ。……今夜、私が指定する場所にカメラを持ってくること』
愛永はカメラに向かって、妖艶に、そして挑戦的にウィンクした。
『見逃さないでね。明日の夜、東京で面白い花火が上がるわよ』
通話を切る。
愛永はふぅ、と息を吐き、背もたれに体を預けた。
「……完了よ。CNN、BBC、アルジャジーラ。……主要な海外メディアの特派員には声をかけたわ」
「お見事です」
運転席で待機していた佐藤任三郎が、バックミラー越しに頷いた。
「これで、国内メディアが情報を握りつぶそうとしても、外圧でこじ開けられます」
「ええ。……でも、彼らは慎重よ。ただの『タレコミ』じゃ動かない。確実な証拠の受け渡しと、信頼できる人間による案内が必要だわ」
「そのための『接待』です」
佐藤は助手席のドアを開けた。
そこには、トレンチコートの襟を立てた渡辺千尋が待っていた。
「……行きましょうか、千尋さん。久しぶりの夜会です」
「ええ。……エスコートしてね、Mr.サトウ」
二人は車を降り、夜の闇へと消えていった。
港区、六本木。
表通りの煌びやかなネオンサインとは裏腹に、一本路地を入れば、そこには古き良き「昭和の夜」が澱のように残っている。
雑居ビルの地下にあるジャズバー『アンダーグラウンド』。
看板すら出ていないこの店は、かつて日本に駐在していた海外のジャーナリストや、裏社会の情報屋、そしてスパイたちが夜な夜な集まる、知る人ぞ知る「聖域」だった。
重い木の扉を開けると、紫煙とアルコール、そしてけだるいサックスの音色が流れ出してくる。
「……懐かしいわね」
千尋が店内を見回す。
「昔、公安の仕事でよく張り込みに使ったわ。ここのマスター、口が堅いから」
「私は初めてです。……衛生状態に少々不安がありますが」
佐藤は眉をひそめながら、カウンターの隅に千尋を促した。
「いらっしゃい」
白髪のバーテンダーが無言でコースターを置く。
「……バーボンを。ロックで」
佐藤が注文する。
「私はマティーニ。……オリーブ多めで」
千尋が続く。
グラスが置かれる。
琥珀色の液体と、鋭いカクテル。
「乾杯」
「……何に?」
「今夜の共犯関係に」
カチン、とグラスが触れ合う。
佐藤はバーボンを口に含んだ。安酒特有の荒々しいアルコールが、喉を焼く。
「……まずいですね」
「ふふ、正直ね。……でも、今の私たちにはお似合いよ」
千尋はマティーニを飲み干し、オリーブを齧った。
そして、ハンドバッグから一つの小さな包みを取り出し、カウンターの上に滑らせた。
中身は、愛永が集めた証拠データが入ったUSBメモリと、データセンターへの地図だ。
「……そろそろ来るわよ」
千尋の視線の先。
店の奥のボックス席に、数人の外国人グループが入ってきた。
ラフな格好をしているが、その眼光は鋭い。愛永が連絡を取った特派員たちだ。
「……ジャック・ミラー。CNNの古株よ」
千尋が小声で教える。
「湾岸戦争の時も最前線にいた猛者。……彼が動けば、世界が動く」
佐藤は頷き、立ち上がろうとした。
だが、千尋がその袖を掴んだ。
「待って。……まだ行かないで」
「……?」
千尋は少し潤んだ瞳で、佐藤を見上げていた。
店内の薄暗い照明が、彼女のエキゾチックな顔立ちに陰影を落とし、魔性のような美しさを際立たせている。
「もう少しだけ。……このグラスが空になるまで」
「……急がないと、作戦に支障が出ます」
「わかってる。……でもね、任三郎」
千尋は佐藤の手の甲に、自分の手を重ねた。
冷たい指先。
「私、怖いの」
「……何がですか」
「明日が終わったら、この『熱』も冷めてしまうんじゃないかって」
彼女は自嘲気味に笑った。
「私たち、歪な関係でしょう? 依頼人と請負人、あるいは共犯者。……平和な日常が戻ったら、あなたはまた綺麗なオフィスに戻って、完璧なコンサルタントを演じる。私は……また、孤独な詐欺師に戻る」
千尋の指が、佐藤の手を強く握る。
「この高揚感も、信頼も、全部嘘だったみたいに消えてしまうのが……怖いのよ」
佐藤は無言で、彼女の手を見つめた。
渡辺千尋。
嘘と演技で生きてきた女。誰にも本心を見せず、誰も愛さず生きてきた魔女。
その彼女が今、震えている。
佐藤はゆっくりと、自分の手を彼女の手のひらから抜き――そして、逆に彼女の手を包み込んだ。
「……消えませんよ」
「え?」
「我々は『共犯者』です。……共に地獄を見て、泥を啜り、それでも生き延びた。その記憶は、消そうとしても消えない『傷跡』のようなものです」
佐藤は千尋の目を真っ直ぐに見据えた。
「それに、私は潔癖症です。一度自分のテリトリーに入れた人間を、そう簡単に外へは出しません。……掃除が面倒ですから」
「……ふふっ」
千尋が吹き出した。
緊張の糸が切れ、心からの笑顔がこぼれる。
「なによそれ。……最高の殺し文句ね」
彼女は残りのマティーニを飲み干し、立ち上がった。
「行きましょう。……私の『本性』を知っている男なんて、世界中であなた一人だけよ。責任取ってもらうんだから」
「善処します」
二人はカウンターに現金を置き、ボックス席へと向かった。
ジャック・ミラーが二人を見つけ、怪訝な顔をする。
「……Mr.サトウか?」
「ええ。……面白い花火の、点火スイッチをお持ちしました」
佐藤は千尋から受け取った包みを、テーブルの中央に置いた。
アウトローたちの同窓会が、幕を開ける。
一時間後。
店を出た佐藤と千尋は、夜風に吹かれていた。
交渉は成立した。
明日の夜、データセンター襲撃に合わせて、彼らは全世界に向けて生中継を行う。
日本のメディアが黙殺しようとしている「真実」を、外側から暴くのだ。
「……うまくいったわね」
千尋が伸びをする。
「ええ。……彼らは飢えていましたから。極上の獲物に」
佐藤は空を見上げた。
雲が切れ、月が見えている。
「戻りましょう。……仲間が待っています」
「そうね。……お腹すいたわ。グレタがまたカップ麺でも食べてなきゃいいけど」
二人は並んで歩き出した。
手は繋いでいない。
だが、その距離感は、来る時よりもずっと近く、自然なものになっていた。
路地裏に停めたハイエースに乗り込む。
エンジンをかけると、カーラジオからノイズ混じりのニュースが流れてきた。
『……都内各地で発生した多重事故の影響で、現在も交通規制が……』
さきほど紘子たちが仕掛けた陽動の影響が、まだ続いているようだ。
カオスは拡大している。
「……ふふ。東京中がお祭り騒ぎね」
千尋が窓の外を眺める。
「明日はもっと派手になりますよ」
佐藤はハンドルを握り、アクセルを踏んだ。
ハイエースが夜の街を疾走する。
アウトローたちの夜は、まだ終わらない。
すべての嘘を暴き、世界をひっくり返す、その瞬間まで。




