第40話 宣戦布告
翌朝、午前10時。
千葉県のオートキャンプ場を出発したオメガ・リスクマネジメントの一行は、都内へと戻っていた。
彼らの現在の移動拠点は、佐々木紘子が昨晩調達した年季の入ったキャンピングカーだ。
外見は薄汚れているが、車内には生活に必要な物資と、佐藤が持ち出した最低限のPC類が詰め込まれている。
「……状況は最悪ね」
助手席で、吉田彩がタブレットの画面を指で弾いた。
彼女の指名手配写真は、昨日の「ゴミ収集車からのダイブ」のせいで、さらに拡散されている。ネット上では「ダイ・ハード弁護士」などという不名誉なあだ名までつき始めていた。
「松本愛永の番組降板が正式に決定したわ。テレビ局は『コンプライアンス違反』を理由に契約解除を発表。……彼女、切り捨てられたわよ」
「予想通りです」
ハンドルを握るグレタ・ヴァイスが、バックミラー越しに後部座席を見た。
「問題は、彼女の身柄だ。まだ局内にいるのか?」
「ええ。ですが、時間の問題でしょう」
佐藤任三郎は、膝の上でPCを操作しながら答えた。
「局の周囲にはマスコミと警察、そして氷室レイの私兵が張り込んでいます。彼女が出てきた瞬間、誰かが彼女を『確保』する」
「警察ならまだマシだけど、氷室の連中に捕まったら……」
田中襟華が青ざめる。
「自殺に見せかけて消される」
「させません」
佐藤はPCを閉じた。
「これより、作戦『フェニックス』を開始します。……愛永さんを回収し、同時に我々の『声』を世界に届けます」
佐藤は立ち上がり、キャンピングカーの奥で整備用具を片付けている佐々木紘子に声をかけた。
「紘子さん。……デートの時間ですよ」
「あら、やっと?」
紘子は工具を置き、妖艶に微笑んだ。
「どこへ連れて行ってくれるの? ……と言いたいところだけど、行き先は『秋葉原』よね?」
「ええ。放送機材と、大容量の通信回線が必要です。……あなたの『顔』でしか手に入らないものが」
「了解。……このデカいキャンピングカーじゃ秋葉原の路地裏には入れないわね。途中で『足』を替えましょう」
佐藤と紘子は、キャンピングカーをグレタたちに任せ、途中下車した。
午前11時。
都内のコインパーキング。
紘子は慣れた手つきでスマートフォンのアプリを操作し、カーシェアリングのロックを解除した。もちろん、架空名義のアカウントだ。
「……商用バンね。色気はないけど、荷物は積めるわ」
彼女が選んだのは、グレーのトヨタ・ハイエース。
街に溶け込むには最適な擬態だ。
「行きましょう。……最高の買い物に」
佐藤がハンドルを握り、紘子を助手席に乗せて走り出す。
目指すは電気街、秋葉原。
午前11時30分。秋葉原。
電気街の裏通り、雑居ビルの狭間に、その店はあった。
看板はない。シャッターが半分降りた、一見すると廃業した倉庫。
「……ここよ」
紘子がシャッターを潜り抜ける。佐藤も続く。
店内は、埃っぽい空気と、電子部品特有の金属臭に満ちていた。
天井まで積み上げられたジャンクパーツの山。真空管、基盤、太いケーブルの束。
「おや、紘子ちゃんじゃないか。……今日は警察の旦那連れかい?」
奥から現れたのは、半田ごてを握った白髪の老人だった。
分厚い瓶底メガネの奥から、ギョロリと佐藤を睨む。
「人聞きの悪いこと言わないでよ、松爺。……彼は私のパートナー。ちょっとワケありでね」
紘子は老人のカウンターに、ドンと何かを置いた。
桐箱に入った、年代物のウィスキーだ。
「……マッカランの30年か。いい色だ」
松爺の表情が緩む。
「で、何が欲しい? 軍用の無線機か? それとも衛星のスクランブラーか?」
「放送機材一式。……それと、都内の電波ジャックができる高出力の送信アンテナ」
佐藤がリストを差し出した。
松爺はリストを一瞥し、ニヤリと笑った。
「……アンタら、派手にやるつもりだな? 今の東京でそんな電波を出せば、総務省の探知車がすっ飛んでくるぞ」
「構いません。……5分だけ持てばいい」
「イカれてるねえ。……気に入った」
松爺は奥の棚から、無骨な黒いケースを次々と運び出してきた。
放送局で使われる業務用の機材だ。しかも、出処不明の改造品。
「持っていきな。……代金はウィスキーで十分だ」
「助かるわ、松爺」
紘子と佐藤は、重たい機材をハイエースに積み込んだ。
作業を終え、車内で一息つく。
「……いい店ですね」
佐藤が缶コーヒーを開けて渡す。
「でしょ? あの爺さん、昔は過激派の通信兵だったのよ」
紘子はコーヒーを受け取り、プルタブを開けた。
「ねえ、任三郎」
「はい」
「私ね、思うの。……『価値』って何かしらって」
紘子はフロントガラス越しに、秋葉原の雑踏を見つめた。
行き交う人々。最新の家電を買い求める客。アニメの看板。
「私は鑑定士として、いろんなモノを見てきたわ。……数億円の絵画、偽物の壺、伝説の宝石。でもね、値段がついているモノほど、脆くて嘘くさい」
彼女は視線を佐藤に移した。
そのガラス玉のような瞳が、佐藤の奥底を覗き込む。
「今のあなたは、無一文の指名手配犯。社会的な価値はゼロ、いえマイナスよ」
「……否定できませんね」
「でも」
紘子は身を乗り出し、佐藤の頬に手を添えた。
その手は冷たかったが、不思議と心地よかった。
「今のあなたの方が、ずっと『価値』があるわ。……100億のダイヤよりも、輝いて見える」
「……買い被りですよ」
「私の鑑定眼は誤魔化せないわよ」
紘子は悪戯っぽく笑い、佐藤の唇に自分の唇を軽く重ねた。
コーヒーの苦味と、微かなルージュの香り。
「……これは手付金。残りは、世界を取り戻してから払ってもらうわ」
「……高くつきそうですね」
「当然よ。私は強欲なんだから」
二人は笑い合った。
世界中が敵に回っても、この助手席には絶対的な味方がいる。
その事実は、どんな高性能な武器よりも佐藤を勇気づけた。
「……行きましょう。お姫様を迎えに」
佐藤はエンジンをかけた。
ハイエースが走り出す。目指すは港区、テレビ局。
午後1時。
テレビ局の通用口前は、異様な緊張感に包まれていた。
詰めかけた報道陣、抗議デモの団体、そして警備員たち。
その喧騒を割って、一人の女性が現れた。
松本愛永だ。
いつもの華やかな女子アナファッションではない。ジーンズにパーカー、帽子を目深に被ったラフな姿。
手には、私物が入ったダンボール箱を抱えている。
「あ! 松本愛永だ!」
「コメントお願いします! テロリストとの関係は!?」
「番組降板について一言!」
カメラのフラッシュが一斉に焚かれる。
愛永は無言でうつむき、足早に通り過ぎようとする。
その時、黒いスーツの男たちが彼女の進路を塞いだ。
氷室レイの私兵だ。マスコミに紛れ、彼女が出てくるのを待っていたのだ。
「……松本さん。お迎えに上がりました」
男が愛永の腕を掴む。
「車へどうぞ。社長がお待ちです」
「離して! 私は……」
「拒否権はありませんよ」
男の指が、愛永の二の腕に食い込む。
拉致だ。公衆の面前での、堂々たる連行。周囲のマスコミも、彼らの異様な雰囲気に気圧され、誰も止めようとしない。
その瞬間。
キキィィッ!!
一台の商用バンが、猛スピードで歩道に乗り上げ、男たちの目の前で急停車した。
スライドドアが勢いよく開く。
「乗れッ!!」
運転席から佐藤が叫ぶ。
後部座席から紘子が身を乗り出し、手を伸ばす。
「愛永! 荷物は捨てて!」
愛永は一瞬で状況を理解した。
彼女は抱えていたダンボール箱を、躊躇なく男の顔面に投げつけた。
「ギャッ!」
男が怯んだ隙に、彼女はバンへと飛び乗った。
「クソッ、追え!」
男たちが怒号を上げるが、ハイエースはすでにタイヤをきしませて急発進していた。
マスコミのカメラが、その一部始終を生中継で捉えていた。
午後2時。
都内某所、高架下の空き地。
ハイエースと、合流したキャンピングカーが並んで停車している。
車内では、救出された愛永が、肩で息をしていた。
「……ハァ、ハァ……死ぬかと思った……」
彼女の手は震えていた。
テレビ局という聖域から放り出され、犯罪者のように追われる恐怖。
これまで築き上げてきたキャリア、名声、地位。その全てが、今朝の通達一つで消滅したのだ。
「……大丈夫ですか、愛永さん」
佐藤が水を手渡す。
愛永はペットボトルの水を一気に飲み干し、乱れた髪をかき上げた。
そして、顔を上げた。
その瞳には、涙ではなく、煮えたぎるような怒りの炎が宿っていた。
「……やってくれたわね、あいつら」
愛永は唇を噛み締めた。
「私を誰だと思ってるの? 視聴率の女王、松本愛永よ? ……こんなゴミみたいに捨てられて、黙って引き下がると思う?」
彼女は立ち上がり、キャンピングカーの中に設置された機材――さきほど佐藤と紘子が調達してきた放送機材を見つめた。
「……社長。これ、使えるの?」
「ええ。準備は完了しています」
佐藤は機材のスイッチを入れた。
「YouTube、Twitch、Instagramライブ。……全プラットフォーム同時配信。さらに、紘子さんが調達した増幅器を使えば、都内の主要な街頭ビジョンも一時的にジャックできます」
「上等じゃない」
愛永はニヤリと笑った。
その表情は、清楚な女子アナのものではない。
数々の修羅場をくぐり抜けてきた、生粋のアジテーターの顔だ。
「メイク道具、ある? ……最高の顔を作らなきゃ」
千尋が化粧ポーチを差し出す。
愛永は鏡に向かい、手早くメイクを直した。
赤いルージュを引き、髪を整える。
わずか数分で、彼女は「逃亡者」から「女王」へと変貌を遂げた。
「……準備オーライよ」
愛永がカメラの前に座る。
照明が焚かれ、マイクがセットされる。
「テレビが私を捨てたなら、私がテレビを捨ててやる。……これからはネットが私の戦場よ」
佐藤が配信ソフトのカウントダウンを開始した。
『3、2、1……ON AIR』
その日の午後。
日本中のスマホ、PC、そして街頭ビジョンに、突如として一つの映像が割り込んだ。
『……こんにちは。松本愛永です』
画面の中の彼女は、いつものスタジオセットではなく、薄暗い車内を背景にしていた。
だが、その存在感は、テレビの中にいた時よりも鮮烈だった。
『今、私は指名手配犯として警察に追われています。テレビ局もクビになりました』
彼女は淡々と語り始めた。
『報道では、私たちがテロリストだと言われています。……ええ、そうかもしれません。私たちは、皆さんが信じている「嘘の世界」を破壊するテロリストですから』
愛永はカメラを指差した。
『これから、真実をお話しします。……この国を裏で操っている「本物の悪」について』
『チャンネルはそのまま。……いえ、チャンネル登録、よろしくね』
松本愛永による、たった一人の海賊放送。
それは、巨大なメディア帝国に対する、あまりにも無謀で、痛快な宣戦布告だった。
佐藤はモニターの横で、静かに頷いた。
反撃の狼煙は上がった。
ここからが、本当のショータイムだ。




