第30話 強行突入
午前8時10分。
『ミライ・アカデミー』の大食堂は、爆音と粉塵、そして怒号に包まれていた。
佐藤任三郎たちが壁を爆破して突入した直後。
食堂内はカオスの極みにあった。
松本愛永の番組を見て洗脳が解けかけた参加者たちは、壁の大穴を見て我先にと逃げ出そうと殺到している。
それを阻止しようとするスタッフたち。
そして、そのスタッフを次々となぎ倒していく、金髪の獣――グレタ・ヴァイス。
「……どけ! 怪我をしたくなければ道を開けろ!」
グレタの叫びと共に、警棒を持った大男が宙を舞い、テーブルの上に叩きつけられた。
彼女はそのまま滑り込むようにして、ホールの中心で孤立していた田中襟華と渡辺千尋の元へ到達する。
「グレタ!」
襟華が安堵の声を上げる。
「遅いじゃないの。……危うくフライパンで撲殺されるところだったわ」
千尋もエプロン姿のまま、へたり込んだ。
遅れて、佐藤と小林弥生が駆け寄る。
「無事ですか!」
佐藤が周囲を警戒しながら声をかける。
「私は平気。でも、襟華ちゃんが……」
千尋が襟華を支える。
襟華の顔色は青白く、呼吸が荒い。瞳孔が開いているように見える。
「……なんか、頭がふわふわする。……変なスープ、飲まされたから」
「薬物中毒の所見あり。……ちょっとチクッとするよ!」
弥生が即座に反応した。
彼女は背負っていた医療ケースを開き、オートインジェクターを取り出すと、迷いなく襟華の太ももに押し当てた。
プシュッ。
拮抗剤と興奮剤の混合液が注入される。
「うっ……!」
襟華が大きく息を吸い込み、激しく咳き込んだ。
数秒後、彼女の目に光が戻る。
「……はぁ、はぁ。……弥生さん?」
「おかえり。……もう大丈夫だよ」
弥生が優しく頭を撫でる。
薬が回り、意識が鮮明になるまでの数秒間。
襟華の脳裏に、この地獄に来る前の、温かい記憶がフラッシュバックした。
東京、月島。
鉄板の上で、ソースが焦げる香ばしい匂いが立ち上っている。
佐藤任三郎と田中襟華は、路地裏にあるもんじゃ焼き屋の暖簾をくぐっていた。
「……なんでデートがもんじゃ焼きなわけ?」
襟華が小さなヘラをいじりながら文句を言う。
「君が『粉ものが食べたい』と言ったからです。それに、もんじゃ焼きは江戸の庶民文化の結晶であり、コミュニケーションツールです」
佐藤はジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり上げた。
注文したのは『明太もちチーズもんじゃ』。
佐藤はキャベツの山を鉄板に広げ、二つの大きなヘラを使って、鮮やかな手つきで刻み始めた。
カカカカカッ!
リズミカルな金属音が響く。キャベツを微塵切りにし、ドーナツ状の土手を作る。
決して決壊させない、完璧な円形。
そこに生地を流し込み、明太子と餅、チーズを投入する。
グツグツと沸騰する生地。焦げたソースの香りが鼻腔をくすぐる。
「はい、どうぞ」
佐藤が小さなヘラで、端の焦げた部分を剥がして襟華の皿に乗せた。
「……ん、うまっ」
熱々のもんじゃを口に含む。出汁の旨味とチーズのコク、明太子の辛味。
「ビールに合うだろうなー。……飲めないけど」
襟華はコーラを飲む。
佐藤は冷えた瓶ビールをグラスに注ぎ、美味そうに喉を鳴らした。
「ねえ、佐藤」
襟華が鉄板を見つめながら、ポツリと言った。
「今回の潜入……正直、ちょっと怖いんだよね」
「……」
「私さ、昔いじめられてた時、こういう『救い』を謳う場所に縋りそうになったことあるんだ。だから、洗脳されちゃう子の気持ち、ちょっと分かる気がして。……もし、私も取り込まれちゃったらどうしようって」
佐藤はビールを置き、襟華を真っ直ぐに見た。
そして、自分の焼いたもんじゃを指差した。
「……具材はバラバラでも、鉄板の上で熱を通せば、一つの料理になります」
「は?」
「我々も同じです。バラバラのアウトローですが、チームという鉄板の上では一つです」
佐藤は真顔で言った。
「君は一人ではありません。……もし君が向こう側に取り込まれそうになっても、必ず私が引っ張り戻します。このヘラで焦げを剥がすようにね」
「……ぷっ。何それ、例えが下手すぎ」
襟華が吹き出す。
「安心しなさい。……帰ってきたら、次は君の奢りで『特大パフェ』を食べに行きましょう」
「絶対だよ? 高いやつ頼むからね」
あの時の約束。
佐藤は、本当に来てくれた。
約束を守るために。
現在。
襟華はグレタに支えられて立ち上がった。
「……立てるか?」
「うん。……あいつ、ぶっ飛ばさないと気が済まない」
襟華が睨みつけた先。
食堂を見下ろすキャットウォークに、白いスーツの男が現れた。
西園寺レオ。
この狂った王国の王だ。
彼は眼下の惨状を見ても動じることなく、優雅に手すりにもたれかかっていた。
「……素晴らしい。感動しましたよ」
西園寺が拍手をする。
「まさか、壁を壊して入ってくるとはね。野蛮ですが、効果的だ」
「西園寺レオ」
佐藤が一歩前に出て、見上げた。
「あなたの遊びは終わりです。……道を開けなさい」
「遊び? 心外だな」
西園寺は冷たく笑った。
「これは崇高な実験だ。……そして、君たちは貴重なサンプルだ」
彼が指を鳴らすと、食堂の四方の扉が開き、新たな集団が入ってきた。
逃げ惑う参加者たちとは違う。
焦点の合わない虚ろな目をした、数百人の若者たち。
「洗脳済みの信者」たちだ。
彼らは武器を持っていないが、その数は圧倒的だ。じりじりと、佐藤たちを包囲するように距離を詰めてくる。
「これ以上の抵抗は無意味だ。見なさい、この『肉の壁』を」
西園寺が両手を広げる。
「彼らは私のために命を捨てることも厭わない。……さあ、どうする? 一般市民を撃てるかな?」
卑劣な盾。
グレタが舌打ちをする。
「……チッ。民間人を殴るわけにはいかないぞ」
相手が武装したスタッフなら容赦しないが、彼らもまた被害者だ。手を出すわけにはいかない。
「かかれ」
西園寺が命じる。
「うあぁぁ……」
信者たちが、うめき声を上げながら雪崩れ込んでくる。
ゾンビ映画さながらの光景。
「……仕方ありません」
佐藤は懐から、小瓶を取り出した。
小林弥生が調合した、とっておきの切り札。
「弥生、ガスマスクを全員に!」
「了解! みんなつけて!」
弥生がメンバーにマスクを配る。
佐藤は小瓶を床に叩きつけた。
パリンッ!
瓶が割れ、中から毒々しい黄色の液体が気化して広がる。
それは、催涙ガスではない。
人間の生理的嫌悪感を脳レベルで刺激する、特製の「悪臭ガス(スカンク・ボム)」だ。
腐った卵、硫黄、そして数ヶ月放置した生ゴミを煮詰めたような、この世のものとは思えない悪臭が、瞬時に食堂を満たした。
「う、うぷっ……!?」
「オェェェッ!」
洗脳され、痛みや恐怖を感じなくなっていた信者たちが、次々と嘔吐し、膝をつく。
どんなに精神を支配されていても、肉体の拒絶反応(嘔吐反射)は止められない。
人間の尊厳を保てないほどの悪臭が、彼らの「行軍」を物理的にストップさせた。
「臭っ! マスクしてても臭いんだけど!」
襟華が涙目になる。
「当たり前でしょ、成分透過率ギリギリで作ったんだから!」弥生が得意げに言う。
「今のうちに!」
佐藤が叫ぶ。
信者たちが倒れ込み、道ができた。
全員で出口へと殺到する。
キャットウォークの上の西園寺も、ハンカチで鼻を押さえてよろめいていた。
「お、のれ……! 品のない真似を……!」
「上品に振る舞うのは、テーブルの上だけです」
佐藤は捨て台詞を残し、食堂を脱出した。
外は新鮮な森の空気だ。
だが、まだ終わりではない。
「追え! 逃がすな! ……殺しても構わん!」
背後から西園寺の怒号が響く。
今度は、武器を持った私兵部隊が追ってくるだろう。
佐藤たちは森の中へと駆け込んだ。
退路はない。土砂崩れで塞がれている。
敵地での逃走劇が始まった。




