第13話 処刑執行:Phase 1
午後8時00分。
港区のイベントホールは、熱狂と不安が入り混じった異様な空気に包まれていた。
照明が落ち、スポットライトがステージ中央を照らす。
スモークの中から現れたのは、純白のドレスに身を包んだMIIKAだった。
「……みんな、来てくれてありがとう」
マイクを通した震える声が、会場に響く。
彼女の目は潤み、頬には一筋の涙が伝っていた。
「今朝から、ネットで酷いこと書かれてて……正直、怖くて震えてました。でも、信じてくれるみんながいるから、私はここに立てています」
客席のファンたちが、一斉にサイリウムを振る。
「MIIKAちゃん泣かないでー!」
「私たちは信じてるよ!」
「文春なんかに負けるな!」
同情と連帯感。
巧みな演出により、会場は「悲劇のヒロインを守ろう」という空気で一体化していた。
MIIKAは涙を拭う仕草を見せ、さらに畳み掛ける。
「記事に書かれてること、全部嘘です。私が反社と付き合ってるなんて……そんなわけないじゃん。私はただ、みんなに可愛くなってほしくて、サプリを作っただけなのに……っ」
完璧な演技だ。
これまでの彼女なら、これで乗り切れただろう。
しかし今夜、その脚本は書き換えられる。
★★★★★★★★★★★
同時刻。佐藤任三郎のオフィス。
モニターの光だけが灯る薄暗い部屋で、佐藤は静かに画面を見つめていた。
彼の脳裏に、数日前の記憶が蘇る。
あの日の原宿。
田中襟華と二人で、カップルを装って下見をした時のことだ。
(……あの子もさ)
クレープを頬張りながら、襟華は言った。
(被害者の、長谷川さんの娘さんも。……本当なら、あんなふうに笑ってたはずなんだよね)
普段は生意気で、口が悪くて、暴走気味な17歳。
だが、その根底にあるのは、純粋すぎるほどの正義感と、他者の痛みへの共感だ。
かつて、佐藤の妹が持っていたものと同じ。
(だから、私、許せないんだ。人の『普通の幸せ』を奪って、自分だけキラキラした嘘で固めてる奴が)
襟華の瞳に宿っていた怒りの炎。
それは、佐藤自身が心の奥底に封印してきた感情の鏡像でもあった。
佐藤はデスクに置かれた一枚の写真――妹の遺影――に視線を向けた。
そして、キーボードに手を置く。
『ターゲット、弁解を開始しました。……白々しい演技ね』
インカムから、会場に潜入している渡辺千尋の声が届く。
『こちらの準備はいつでもOKよ。……会場の温度、下げていい?』
「ええ。お願いします」
カチャリ。
軽い打鍵音。
「では、始めましょうか。……彼女の『厚化粧』を落とす時間です」
佐藤は、あらかじめ仕込んでおいたプログラムの起動キーを叩いた。
Enter。
★★★★★★★★★★★
会場。
MIIKAが新曲を歌い出そうとした、その瞬間だった。
キィィィィィィィィィン――――!!!
不快なハウリング音が、スピーカーから爆音で鳴り響いた。
観客たちが耳を塞ぐ。
「きゃっ!?」
MIIKAも驚いて歌うのを止めた。
「な、なに? 音響さん!?」
ザザッ……ザザザッ……。
ステージ背後の巨大スクリーン――MIIKAのPVが流れていたはずの画面――が、砂嵐のようなノイズに覆われる。
そして次の瞬間、映像が切り替わった。
映し出されたのは、どこかの楽屋のような場所だ。
そこにいるのは、MIIKA。
だが、今ステージに立っている彼女とは、何かが決定的に違っていた。
肌は荒れ、目の大きさは半分ほどしかなく、顎のラインももたついている。
いわゆる「加工フィルター」が一切かかっていない、ありのままの姿。
そして、その口から飛び出しているのは、耳を疑うような暴言だった。
『あー、マジだるい。……ねえ、今日の客、ブスばっかじゃね?』
会場が凍りついた。
スクリーンの中のMIIKAは、タバコを吹かしながら、スマホに向かって吐き捨てている。
『つーかさ、あいつらホント単純だよね。「MIIKAちゃんみたいになりたい」とか言って、私のサプリ飲んで腹下してんの。ウケるw』
『養分だよ、養分。あいつらの小遣いが、私のバーキンに変わるんだからさ』
――信者は養分。
その言葉が、巨大スピーカーから大音量で再生された。
会場のファンたちが、呆然とステージ上のMIIKAを見上げる。
MIIKAの顔色は、ドレスよりも白くなっていた。
「ち、違う! これ、私じゃない! AIよ! フェイク動画よ!」
彼女はマイクに向かって叫ぶ。
「信じないで! 誰かが私を陥れようとして作っ……」
ザザッ。
映像が再び切り替わる。
今度は、薄暗い部屋で、強面の男と密会しているMIIKAの姿だ。
以前、チームに加入したばかりの田中襟華が命がけで撮影した、決定的な証拠映像。
『で、例のブツは?』
男の声。
『はい。……今月の売上の一部です』
MIIKAが分厚い封筒を渡している。
『へへっ、いい子だ。……しかし、お前のところの信者はチョロいな。毒入りサプリを有り難がって飲むんだから』
『ふふっ。馬鹿な子ほど可愛いですからね』
決定打だった。
これまでの疑惑――サプリの危険性、反社との繋がり、そしてファンへの蔑視――が、本人の口から、動かぬ証拠として突きつけられたのだ。
「……あ、あ……」
MIIKAは後ずさりした。
言い訳の言葉が出てこない。
ステージの強い照明が、今は尋問室のライトのように彼女を焼き焦がす。
★★★★★★★★★★★
その頃、ネット上でも爆発が起きていた。
松本愛永がオフィスの別室から、SNSに指令を出していたのだ。
「今よ! ハッシュタグ一斉投下!」
彼女がエンターキーを押すと同時に、用意されていた500個のアカウントが一斉に投稿を開始した。
『#MIIKAの真実』
『#ライブ会場で本性暴露』
『#信者は養分』
さらに、愛永は自身の公式アカウント(フォロワー200万人)でも、意味深な投稿をした。
『今、あるライブ会場から信じられない情報が入ってきました。……やはり、私の番組で懸念していた通りだったようです。皆さん、真実から目を逸らさないで』
この投稿が起爆剤となった。
ライブ配信のコメント欄は、秒速で塗り替えられていく。
『うわ、マジじゃん』
『音声聞いた? 完全に本人の声だろ』
『養分って言われた……死にたい』
『サプリ飲んで体調崩したの、やっぱり毒だったんだ』
『最低。金返せ』
擁護していた信者たちも、あまりに生々しい映像と音声に言葉を失い、やがてその感情は「裏切られた怒り」へと反転していく。
愛と憎しみは紙一重だ。
盲信していた分だけ、反動は凄まじい。
炎上は「火事」のレベルを超え、「爆撃」となっていた。
★★★★★★★★★★★
再び、ライブ会場。
静まり返っていた客席の空気が、変わり始めていた。
ざわめきが波紋のように広がる。
「ねえ……今の、本当なの?」
「私たちが養分って……」
「嘘つき……」
その疑念の火種に、ガソリンを注ぐ者がいた。
VIP席に座っていた渡辺千尋だ。
彼女は、あえて周囲に聞こえるように、大きな声で叫んだ。
「騙されたッ!!」
その声は、悲痛な叫びのように会場に響いた。
千尋は立ち上がり、ステージのMIIKAを指差した。
「私、あなたのこと信じてたのに! 記事は嘘だって、あなたが言ったから信じてたのに!」
迫真の演技。
彼女の目には涙さえ浮かんでいる。
「私の妹も、あなたのサプリを飲んで入院してるのよ! それなのに、裏で笑ってたなんて……許せない!!」
千尋の叫びが、観客の心のリミッターを外した。
誰かが叫んだ。
「ふざけんな!」
別の誰かが続く。
「金返せ!」
「人殺し!」
「嘘つき!」
罵声は雪崩のように増幅し、MIIKAへと降り注ぐ。
サイリウムが床に叩きつけられ、中にはステージに向かって物を投げる者まで現れた。
ペットボトルが宙を舞い、MIIKAの足元に転がる。
「ひっ……!」
MIIKAは悲鳴を上げ、へたり込んだ。
煌びやかなステージは、一瞬にして処刑台へと変わった。
数千人の「敵意」が、物理的な圧力となって彼女を押し潰そうとしている。
スクリーンには、未だに彼女の醜悪な本音がリピートされている。
『養分だよ、養分w』
その嘲笑う声が、今の惨めな彼女の姿と重なり、残酷なコントラストを描き出す。
佐藤のアジト。
モニター越しにその光景を見ていた佐藤は、無表情のまま呟いた。
「……虚飾が剥がれましたね」
彼の目には、もう子猫も、平和な日常も映っていない。
あるのは、冷徹な断罪の意志だけだ。
佐藤はマイクに向かって呟いた。
「ええ、まだ終わりませんよ。……これからが、本当の『損切り』です」
MIIKAは震える手でマイクを握りしめ、舞台袖を見た。
そこには、彼女の護衛――半グレたちが控えているはずだ。
彼女の瞳に、狂気じみた光が宿る。
謝罪ではない。逆ギレだ。
「……うるさい! うるさいうるさい!」
MIIKAが絶叫した。
「私が何したっていうのよ! あんたたちが勝手に崇めて、勝手に金出してきたんじゃない! 私は悪くない! 悪いのは……私を妬むアンチよ!」
彼女は舞台袖に向かって叫んだ。
「おい! 何してんのよ! こいつらつまみ出して! 全員ボコボコにして黙らせなさいよ!!」
その命令が、決定的な過ちだった。
観客への暴力を指示したその瞬間、彼女は「アイドル」から「加害者」へと完全に転落した。
舞台袖から、黒スーツの大男たちがのっそりと現れる。
手には警棒。
客席から悲鳴が上がる。
パニックになる会場。
だが、佐藤は動じない。
彼はインカムに向かって、短く告げた。
「Phase 1、完了。……Phase 2へ移行せよ。実力行使を許可します」
会場の暗闇で、二つの影が動いた。
グレタ・ヴァイスと小林弥生。
処刑執行の第2幕が、切って落とされた。




