(五)緩和
そんな折、南場が健児に話しかけてきた。
「健児さん、因果応報の下の二文字は応報?それとも報応でしたっけ?」
「因果応報でしょ」
「そうですよね、僕はいつも間違えて因果報応って言ってしまうんですよ」
健児はなぜ南場が話しかけてくるのか分からなかった。その日、健児は南場に誘われて昼食を一緒にとる約束をした。
昼食は、ランチタイムを兼ねている居酒屋に行った。喧騒な夜の居酒屋とは対照的に店内は薄暗く閑散としている。
南場は定食のおかずがなくなると、味噌汁の残りを食べ残しの白米にかけて、ずるずると口のなかに流し込みながら木暮のことについて語り始めた。
「木暮さん、犬も歩けば棒に当たる程度のことわざも知らないんですよ。僕あんなことわざも知らないひとに会ったの初めてですよ」
国立大学出身の南場にとって、木暮の稚拙な話にいいかげん辟易していたようだった。以来、南場は昼食を健児と取るようになったのである。
木暮は、そんな南場の行動がもどかしかったようで、健児に近寄らないように南場に働きかけていた。
「W大といってもあいつの学部は違うらしいよ。岩脇さんが言ってたよ」
それでも南場は木暮の言うことには耳を傾けなかった。木暮はわざと健児に聞こえるように言っていたのだが、健児は木暮の悪口よりもむしろ、岩脇の言動にショックを受けた。普段岩脇は年上の健児を立てるような口調で会話をしていたが、陰では健児のことを侮蔑していたのである。
昼食を一緒にとるようになってから以降、南場は健児に積極的に話しかけてきた。政治、経済、恋愛の話。南場は健児の受け答えを素直に聞いていた。そして、赤坂で一晩中飲み歩いたり、南場の下宿先で飲み明かしたりと、職場以外での付き合いもするようになっていった。
この南場のおかげで健児は孤立することなく仕事をすることができたのである。しかし、そんな日々は永くは続かなかった。南場の就職先が決まったのだ。
南場の後に派遣に加わったのが、英子と同じフリーターの美子だった。木暮はまた健児を仲間外れにして会社を辞めさせようと働きかけてきた。
「あいつバカなんだよ、あいつ」
「あいつさあ、つかれるんだよ」
「あいつバーカ、バーカ、バーカ」
また木暮の罵倒が始まった。
健児はどうにかこの状況を打破できないか思案した。健児に非はない。悪いのは仕事を怠けて他人に迷惑をかけていた木暮だ。健児は木暮を辞めさせることができないか考えた。
木暮は入力業務が遅延しているだけでなく、入力した数値自体に誤りが多かった。そればかりか仕入伝票を紛失してしまうため、佐々ら仕入担当者は困り果てていたのである。そこで、健児は佐々に働きかけて木暮を辞めさせて、岩脇を復帰させることを思いついた。岩脇は公認会計士試験終了後、仕事を探していたのである。しかし、岩脇を復帰させるのには少し問題があった。岩脇は会社の経営方針や経理業務について常日頃批判していたことから、佐々らに嫌われていたのである。それでも岩脇は入力業務については正確に迅速に行っていた。木暮をくびにして岩脇を復帰させることは、経理担当者にとって好ましいことだと健児は思ったのだった。