(四)険悪
木暮の怠慢を黙認しながらも、健児は対面上では木暮とうまく人間関係を築いていた。しかし、派遣の仕事を始めて一年ほどたった頃のことである。月末の集計作業中、木暮は相変わらず共同作業を行わず、ひとりだけ入力作業をしていた。木暮が一時しのぎにファイルに差し込んでいた仕入伝票のペーパーファスナ―を外しながらファイリングしていた健児は、「こいつ少しは手伝えよ」と心のなかで思っていた。その時、珍しく「俺も手伝います」と言って木暮が席を立った。ファイリングを手伝うのかと健児は一瞬思ったのだが、木暮はファイリングをしないで、楽な作業である空のファイル整理をし始めたのである。その木暮の素行を見た刹那、健児は木暮に怒鳴ってしまった。
「お前こっち手伝えよ」
木暮はその時はなにも言わずに席にもどって入力作業を続けた。以来、健児と木暮はいっさい話をすることはなかった。昼食も健児は岩脇ととって、木暮は鈴本と昼食を食べに行くようになった。そのような状態がしばらく続いていたのである。
やがて岩脇は公認会計士試験に向けて勉強に専念するため会社を去り、鈴本も就職先が決まったため派遣の仕事を辞めた。二人の代わりに派遣社員に加わったのが、地方国立大学出身の南場太郎とフリーターの英子である。
彼らは健児と木暮が険悪な仲であることを知らない。木暮が豹変したのはこの頃のことであった。
沈黙をしていた木暮が、健児の悪口を言い始めたのである。
「あいつバカなんだよあいつ」
「あいつバーカ、バーカ、あいつほんとバーカ」
「あいつさあ、くせえんだよ」
木暮はわざと健児に聞こえるように悪口を言っていた。
南場と英子はしだいに健児と木暮が険悪な仲であることに気づいたようだ。しかし、なぜ仲たがいをしたのかまでは分からない。木暮の嫌がらせは日を追うごとにエスカレートしていった。蒙昧なくせに悪知恵だけは働く木暮は、南場と英子を自分の味方につけて健児を孤立させ、会社を辞めさせることを考え始めた。たえず健児の悪口を言い続け、昼食時間になると健児を残して南場と英子を引き連れて先に外に行き始めたのである。
健児は木暮のいじめに対抗するため、休憩時間を五分早めて木暮たちが出て行く前に昼食に行き始めた。が、木暮はさらに五分早く外に出て行こうとするのである。
―二十歳を過ぎたいい大人がまるで小学生なみの振舞いだ―
と健児は思った。
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