(二)校友
健児の仕事は、レコード会社から仕入れた音楽CDの数を、メーカー別にパソコンに打ち込んでいくという作業で、簿記の知識も必要のない単純な作業である。ただ、正確かつ迅速に端末へ打ち込むことが要求された。
その端末に打ち込む業務は店舗ごとに担当者が割り振られていて、すでに三名の派遣社員が作業を行っていた。リーダー格の岩脇公博は健児より四歳年下で、奇遇にも健児と同じW大の出身であった。他に会計専門学校を出たばかりの木暮裕太と鈴本哲也がいた。
健児に最初に話しかけてきたのは、W大の後輩である岩脇だった。銀縁の眼鏡をかけてりりしく、いかにもインテリじみた風貌をしている。彼は同じ出身大学の健児に対して積極的に話しかけてきた。大学の先輩にあたる健児に対して敬語で話しかけていた。が、心のなかでは健児のことを蔑んでいたようだ。彼はその後、健児に対して坂本のおやじ語録なるものを作成し、陰で健児のことを嘲笑っていたのである。同じ私立大学最高峰のW大であったが、岩脇はW大のなかでも看板学部である政治学部出身。一方、健児は下位学部の情報科学部出身だったからだ。
健児ははじめ、W大政治学部出身の岩脇が、なぜ派遣の仕事についているのか不審に思っていた。W大政治学部と言えば一流企業から引っ張りだこの学部だったからだ。が、その理由はすぐに察することができた。岩脇はその話題を休憩時間や昼食時間の時に繰り返し話していたのである。
岩脇が言うことには、就職活動をしたが一年間留年していたため、一流会社にはことごとく不採用になったらしい。そして、上場会社の子会社に入社したものの不当な扱いを受けて一年で退職し、起死回生をはかるため公認会計士を目指しているとのことだった。しかし、彼は勘違いをしている。岩脇は不採用の理由を留年したことだと思っているようだが、大学時代の四年間サークルにも入らずただ荏苒と日々をすごし、また講義にほとんど出席していなかったため成績が極端に悪かった。就職に失敗した主な原因はそこにあったのだ。岩脇は、W大政治学部卒であれば必然的に一流企業に採用されるのだと過信していたようだった。
専門学校出身の木暮と鈴本は、W大出身の健児に対して敬服している様子であった。
「W大ってすごいですね」
「W大のひとと話をするのは初めてですよ」
彼らはW大を東大や京大と同じレベルだと思っているようだ。
木暮と鈴本は、二人とも身長百八十センチ、体重八十キロの巨漢でがっちりとした体格をしている。鈴本は言動がしっかりしていて頭も切れそうであったが、木暮の言動はたどたどしく、顔貌は左右の目の大きさが異なっていて、ジャガイモのようないかにも間の抜けた面構えをしている。しかし、彼の拙い話し方が無知蒙昧な芸人のようで、職場の特に女性社員の笑いを誘い、派遣社員のなかでも特に人気があったのである。
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