第51話 彼女の過去を聞いて思うこと
嵐山さんの話を聞いた俺は言葉を失っていた。
彼女の話を聞いていて、きっと相槌を打ったり、そうじゃないと否定するべき場面だってあったように思える。
けれどそれが出来なかった。
嵐山さんの話はあまりにも辛くて、悲しくて、胸が締め付けられて、言葉を発せられなかった。
自分の中学時代の事を全て話し終えた嵐山さんは小さく息を吐き、俺の方を見る。
「以上が私の中学時代の話でした……なんて」
少しだけ寂しそうに、微笑んだ。
「馬鹿だよね。やってないならやってないって言い続ければよかったのに、受け入れちゃって――」
「それは違う!」
今まで全く言葉を発せられなかったのに、嵐山さんが偽りの罪を受け入れたことを自嘲した瞬間に声が出た。
「嵐山さんは悪くない! 悪いのは片倉っていう友達や、担任の先生だ。嵐山さんは……嵐山さんは何も……何も悪くない……」
「……ありがとう。優木は優しいね」
「優しいかどうかは……自分でも分からない。でも、もし嵐山さんの今の話を聞いて嵐山さんが悪いっていう奴が居たら、殴ってでも思い知らせてやる……だから、だから自分が悪かったなんて言わないでよ」
拳を強く握りしめて、震える声を絞り出した。
「……ごめんね。……でも、ありがとう」
「っ……」
嵐山さんの笑顔の中に、一筋の涙の線が流れた。
それを見てひどく心が締め付けられる。
彼女は自分の涙を指で拭って、落ち着けるように深く息を吐く。
「私は他人の事があまり信じられなかった。女子や女性の担任の先生は特に。だから4月に飯島先生に声をかけられた時も、5月に委員長に話しかけられた時も、二人を拒絶した」
でも、と呟いて、嵐山さんは首を横に振った。
「優木に出会って、修学旅行では東川さんや委員長と話して、あの人たちは中学時代のクラスメイトとは違うんだって気づいた。……そうだよね? 優木」
「うん、東川や委員長は今話に出てきた片倉や他のクラスメイトとは違う。それに飯島先生だって、桜っていう先生とは違う。だから……」
信じていいんだよ、と言いそうになったけど、言葉にならなかった。
今まで人を信じて裏切られてきた嵐山さんに軽く言って良いのか分からなくなったから。
けれど嵐山さんははっきりと頷いてくれた。
「うん、分かってる。彼女達は中学時代のクラスメイトや担任とは違うって……今は分かってるから、大丈夫だよ」
「嵐山さん……」
ああ、彼女はもう先に進めているんだなと思って、胸が熱くなった。
本当に良かったと、そう思える。
「それに」
嵐山さん左手が伸びてきて、俺の右手の甲に重なる。
「それにもし今後、中学と同じようなことが起きたとしても……優木だけは……優木だけは側に居てくれるよね?」
言葉の内容は弱々しかったけど、嵐山さんの声も重ねられた手も震えてはいなかった。
嵐山さんと目が合う。
瞳も揺れることなく、その奥の感情を読み取ることが出来た。
今言った彼女の言葉を、他ならぬ彼女自身が誰よりも信じていることが伝わった。
信じている。いや、信じてくれていると。
だから俺は右手を翻して彼女の手を握り、強く、強く頷いた。
「うん、傍に居る。中学の奴らみたいに外見じゃなくて、嵐山さん自身を見るよ。そんなことは起こらないと……本当に起こらないと思うけどもし……もし嵐山さんが孤立したとしても、絶対に側に居る。一番の友人として、嵐山さんの側に居るよ」
俺の言葉を聞いて、嵐山さんの目が少しだけ潤んだ。
言葉の途中でほんの少しだけ唇を噛みしめる嵐山さん。
俺も同じように視界が潤んできて、彼女の表情がよく見えなくなる。
胸が痛い。
自分が味わったわけじゃないのに、まるで自分が経験してきたかのように胸がちくちくと痛む。
でも悲しい過去を聞いたからじゃない。
悲しい過去を持っていた嵐山さんが、今はもう大丈夫って言ってくれていることが嬉しいから。
彼女が一人じゃなくなったのが、とても嬉しいから。
そしてそのきっかけになれたことが、その幸運が嬉しくて仕方ないから。
本当に良かった。
飯島先生の依頼を受けて良かった。
あの日、嵐山さんの鞄についたDear Worldのキーホルダーに気付けて良かった。
家に帰ってDear Worldの音楽を聴いて良かった。
V系に詳しい人が俺の周りに居なくて、良かった。
そして嵐山さんに話しかけて、彼女と仲良くなって、本当に良かった。
「本当にっ……よかったっ……」
「うんっ……」
「嵐山さんっ……泣いてるの?」
「優木だって……っ……泣いてるじゃん……」
ああ、確かに頬を流れる冷たいものを感じる。
もう長らく感じていなかった冷たさが、重力に従って落ちていく。
でも悲しいからじゃない、これは嬉しいからだ。
俺と嵐山さんは手を握り合ったままで、ほんの少しの間だけ泣いた。
心が落ち着いて涙が止まるまで、二人で静かに涙を流した。
◆◆◆
そうしてしばらく経った後、俺と嵐山さんは変わらず椅子に座ったままだった。
嵐山さんは涙を指で拭っていて、もう俺達は手を繋いでいなかった。
気づいたときに少し恥ずかしくなって、離したからだ。
ちょっとだけ名残惜しかったのはここだけの秘密だ。
その後、俺は嵐山さんの家で少しの間過ごした。
夜にはお姉さんが帰ってくるという事を嵐山さんから聞いたのと、俺も夕飯があるので帰ることに。
滞在時間は短かったけど、楽しい時間だった。
嵐山さんに別れを告げて彼女の家を後にした俺はエレベーターを降りてマンションから出る。
外はすっかり暗くなっていて、急いで帰ってちょうど夕飯時だろうか。
道を歩きながらスマホを取り出して、RINEを起動する。
母親に夕飯までには帰るという旨を打ち込んで送信しようとしたとき。
「あっ」
「っ……す、すみません……」
曲がり角で人にぶつかってしまい、スマホを落としてしまった。
ぶつかった相手はスーツを着た女性で、慌てて頭を下げる。
落ちたスマホを拾って、ぶつかった相手にどこも怪我がないだろうことを確認する。
「本当にすみません、じゃあ……」
「え、ええ……」
ぶつかったけど倒れるわけじゃなかったので大事には至っていないだろう。
そう思って、俺はぶつかった女の人の元を離れた。
少し離れたところまで歩いて立ち止まり、周りに人が居ないことを改めて確認して、再度RINEを送る。
歩きスマホはダメだな、って思って、スマホをポケットに入れて歩き始めた。
「……酷い話だったな」
しばらく歩いて、ぽつりと呟く。
思い出したのはさっきの嵐山さんが話してくれたこと。
今思い返しても悲しくて、そして嵐山さんの中学のクラスメイトや担任に怒りが沸いてくるような内容だった。
とくに片倉と桜という先生に関しては、途中から嵐山さんも呼び名が変わっていた。
恵ちゃんから片倉に、桜先生から担任に。
そのくらい、嵐山さんの中であの二人は心を傷つけられた相手なんだろう。
時間が経った今何かが出来るわけじゃないし、会ったこともない相手だけど、胸の中の怒りが消えることはなかった。
これから先、その二人に嵐山さんが二度と会わなければいいなと、そう思うくらいには。
「嵐山さんと……お母さん……か」
けれどその一方で少し気になった部分があって、小さく呟く。
話の中で出てきた嵐山さんのお母さん。
小さい頃から嵐山さんに習い事をさせて、嵐山さんの好きなものを受け入れられなかった人。
中学に、嵐山さんとの溝が決定的になった相手。
でも嵐山さんは、お母さんの事を話しの中でお母さんと呼び続けていた。
それに時折、昔の事を話す中で寂しそうな顔をすることがあった。
きっと嵐山さんはお母さんと仲直りをしたいんじゃないか。
「…………」
いや、あくまでも俺がそう思っただけだし、嵐山さんがどう思っているかは分からない。
それに仮にそうだとして、俺が何かできることはあるのだろうか。
ただの友達である俺が、何かできる事なんて。
一人で悩んでも答えが出るわけもなく、俺はもやもやした気持ちのまま夜道を歩く。
空に浮かぶ月は完璧な満月でいつもなら綺麗だと思う筈なのに、今はちょっとだけ憎らしかった。




