あなたが明日死ぬとして、こんなもの読むか?
あなたが明日死ぬとして、些細なことに苛々したり怒鳴ったりするのでしょうか? 昔言われたことをくよくよと思い返すのでしょうか? 十年後の未来について迂遠な計画を立てるのでしょうか?
たぶん、やらないでしょう。明日死ぬというのにそんなどうでもいいことに注意を割いている余裕などないはずです。
またあなたが明日死ぬとして、つまらない暇つぶしに興じるのでしょうか? あてもなくYoutubeやニコ動やまとめサイトを彷徨うのでしょうか?
たぶん、やらないでしょう。一秒一秒が音を立てて消えていくような、そんな貴重な一日をつまらないことに費やしたいなどとは誰も思いますまい。
では一体何をするか? 今すぐできて、今すぐやらなければならないこと、今すぐやりたいことばかりに目を向けるのではないでしょうか。
たとえかつてはそうしたことを面倒だとかおっくうだとかほざいて遠ざけていたとしても、今はもうそんなことはしないはずです。なぜって、明日にはもう死んじまうんだもの。どんな怠け者だって勤勉にもなります。
あのですね、明日世界が終わるとしてもリンゴの木を植えようって人がかつておりました。で、その人にとってそれが本当にやりたいことだったならば、それはもう全然無意味でも無価値でもないわけです。他者からの評価などどうでもよかったのであります。
第一、明日死ぬってときにまで、他者の目やら評判やらに遠慮している場合でしょうか。おそらく、まったく気にならないのではないかと思われます。
そしていちばん大事なのは、いざ死亡宣告されるってときにまで、誰もこういうことに気づいたりやったりしようともしないってことであります。
だからクソどうでもいいことでいちいちいちいち青筋立てたり、ヒマつぶししたりするわけであります。アホですか。
あのう、でもそれって楽しいんですかね? ああ生きてるっ、って感じ、少しでも味わえているんでしょうかね?
いざ死ぬときになって、「もっと他のことをやりたかった」と気づくってのは、あまりにも手遅れだし救いがないように思われます。
ならば、あらかじめ死んでおきましょう。メメント・モリです。死を想え。
明日死ぬとわかったら絶対にやらないようなことは、もう今からやめちまえ。
明日死ぬとわかったらもっとやっておくんだったと絶対後悔するようなことは、もれなく今からやっちまいましょう。
おいしいものを後にとっておくというのも一興ですが、運命というのは無作法かつ非常識な輩でありまして、勝手に人のメインディッシュやデザートを下げてしまうのであります。あのう、まだ食ってるんですが……
闘病生活をブログにしたためたり、麻薬やアルコールの依存症等から更生した人が講演活動をしたりするのも、一度死を間近に見たというのが理由としてあるかもしれません。
一度死に瀕したことで、自分が本当にやりたかったこと、世界の真のあり方、もっと放っておくべきだったことともっと気づくべきだったこと、その他諸々、人生観価値観世界観常識経験が一変してしまうような感覚を味わったに違いありません。
思いっきり矮小な例を出すと、素晴らしいアニメや音楽や動画や映画や本やゲームに感動して、その感動といったら自分ひとりの胸にはとどめておけないってくらい溢れんばかりで、ぜひともこの感動を他者にも味わってほしいとレビューしたりスレ立てしたり動画作ったり宣伝したり早口になったりff外から失礼したり布教したりするという感覚に近いでしょうか。
布教といえば今や世界中に広まりしキリスト教というのも、かつては地球の片隅で生まれたに過ぎないものでありました。
で、なぜそれがそんなに広まったかと言えば、キリストの復活を間近で体験したような人々が、そのとんでもない感動を世界中の人に教えたいと思ったからに違いないのであります。
ま、だいたいそれくらいの感動を、一度死んだ人たちも味わったのでしょう。だからそれを語るのであります。一人でも多くの人に知らせようとするのであります。
だって、本当にそんくらいヤバいヤバいスゴいスゴいものだったんですもの。この感動を興奮を知らさでおくべきか。不可。
というわけで最後に言いたいことは、ぜひとも今年の流行語大賞に「メメント・モリ」を推してくれということであります。授賞式にはハイデガーが蘇って参列するでしょう。
そしたらもうちょっと多くの人が、常日頃から死んでくれるようになるのではないでしょうか。
そしたらもうちょっと明るい顔をする人も増えたりするんじゃないすか。多分。おそらく。そうなれば、まあ、もう少し楽しい世界になるかもしれませんゆえ。
筒井康隆さんに感謝。『漂流』(改題後は『読書の極意と掟』)の中の『存在と時間』の紹介の受け売りでこのエッセイは成り立っております。これは素晴らしい本なのでみんな、読もう! あと『みだれ撃ち涜書ノート』『本の森の狩人』も読みましょう読みましょう。これらは死んでも読むべき名書でありますゆえ。幽霊が本を読めないとは限らないけれど、大事をとっておくに越したことはありますまい。




