臆病な婚約者に捨てられた私は途方に暮れる
※※※ 男性視点 ※※※
「馬鹿者が!」
父上に怒鳴られて初めて、私は理解した。
結婚間近の婚約者がいる男が、未婚の女性の屋敷を訪ねることがどれほどの醜聞となるのかを。
屋敷でどう過ごしたか。真実など意味がない。
《何かあった》とされるだけなのだと。
私は発言を許されないまま火消しが謀られた。
私が愛した婚約者との婚約は解消された。
私の婚約者は《愛し合う私と彼女》のために潔く身をひいた、とされた。
私が有責となる《婚約破棄》ではなく《婚約解消》を申し出た優しい婚約者だ。
そして《愛し合う》私と彼女は《めでたく》婚約。
ひと月後に結婚することになった。
私と元婚約者があげるはずだった結婚式の、花嫁だけがかわったのだ。
「冗談じゃない!嫌だ!」と叫んだのは私だけではなく彼女もだったが
私たち二人の意思など誰も聞いてはくれなかった。
私と彼女の結婚は王命なのだそうだ。
元婚約者のお父上は相当お怒りらしい。
式の準備は着々と進んでいく。
彼女の親戚たちとの顔合わせの日がやってきた。
何を言われるかわかったものではないが。行くしかない。
なにせ私は、両親をはじめ親戚中から縁を切られてしまったのだ。
この上、彼女の親戚からも縁を切られては貴族として生きてはいけない。
重要な顔合わせだ。
ところが彼女は「一人で行ってね」と言った。
耳を疑った。
「おい、何を言っているんだ。普通は結婚する二人で挨拶に行くものだろう」
しかし彼女はけろりと言った。
「私は急用ができたの。だから貴方一人で行って」
呆然とした。
―――嘘だ。
急用があるなんて絶対に嘘だ。
彼女が幼馴染だと言っていた男友達の顔が浮かぶ。
きっとあいつのところに行く気だ。
そう思ったら怒りがわいてきた。
「あの幼馴染のところか?いい加減にしろよ。
いくら幼馴染でも男性だ。もうすぐ私たちは結婚する。付き合いを慎め」
彼女はふん、と鼻をならし言った。
「何よそれ。私を疑うの?《急用》だって言ってるでしょう。
信じなさいよ。
あんたは私の夫になるんでしょう。堂々としてればいいじゃないの」
「なんだと?」
「あ、なあに?もしかして心細いの?はは。大丈夫よ。
取って食われたりしないわ。私の親戚はみんないい人達ばかりだから」
彼女はけたけた笑いながら出て行った。
冗談じゃない、と思った。
もう無理だ。彼女があんな女だったなんて。
記憶の中の、これまで可愛らしいと思っていた彼女の顔が塗り変わっていく。
全て今の、けたけたと笑う醜い顔へと変わる。
あれと一生を共にするなど考えただけで気が狂いそうだ。
言い寄られていい気になっていた自分に腹が立つ。
だいたい、元から好きでも何でもなかった。
―――《あの日》は、ほんの出来心だったのだ。
もうすぐ結婚するのだ。
妻以外の女性と甘い思い出を持つ機会などもうない。
だから一度だけ。一緒にお茶を飲むだけ。
そう思っただけなのに。
愛しい元婚約者はもういない。
あの後、すぐに隣国へと行ってしまった。
私の顔を見るのが辛いと言って。
君のためを思って小さな嘘をひとつ、ついただけじゃないか。
なのに何故、私のもとを去った。
ああ。君があれほど脆く臆病でさえなければ―――
※※※ 彼女視点 ※※※
「ああいやだ。冗談じゃないわ」
私はひとり吐き捨てる。
物腰の柔らかい素敵な人だと思っていた。
婚約者をエスコートする姿は堂々として輝いて見え
女性たちは皆、彼の婚約者を羨んだ。
―――だけど、あれはどうよ?
「おい」と言う呼び方が嫌い。
威圧的な態度が嫌い。ついでに香水も嫌い。
ひとつ嫌なところが見えたと思ったら
今やもう全てが嫌いだ。
あんなのと一生を共にするなんてたえられないわ。
王命で結婚はしなくちゃいけないけど、
どんな結婚生活を送るかまで命令されているわけじゃない。
《書類上》もう妻だもの。十分でしょ。
あとはどこへ行こうが私の勝手。
「よ、遅かったな」
男友達が声をかけてくる。
私は手を上げて笑った。
「お迎えご苦労様」
「そっちは……えーと、お疲れさん?――あ、どっちの名前で呼べばいい?」
「この国で《作った》方は既婚者になったから捨てるわ。
これからは本当の名前で呼んで」
「未練なしか。さっぱりしてるねえ」
男友達が笑う。
婚約者がどんな勘違いをしてるか知らないけど、
彼は私の幼馴染で今は私の護衛だ。
これから故郷へ向かう。
その前に。
私はくるりと振り返った。
「バイバイ、旦那様」
今頃、誰もいない屋敷の前で唖然としているだろう男にお別れを言う。
あいつはアレだな。自覚があるかどうかは知らないけど
《釣った魚に餌はやらない》ってやつだな。
私が「好き」と言ってちょっと迫ったらすぐに態度が豹変した。
紳士から横柄な男へ。
あれなら私の兄の方がよほど良い男だ。
あとひと月したら結婚する予定だった初恋相手の隣国の王女様を諦められなかった重い男だけれど。
結婚の申し込みは受けてもらえそうかなあ……。
あの線の細い、儚げな女性が無骨な兄と並んだところを想像する。
うーん。姿形だけなら《この国での》私の旦那様に軍配が上がるな。
女性を《自分のもの》にしたと思ったら、それまでの優しい態度がころりと変わる、私にはたえられない男だけど。
それでも王女様はあいつを愛していた。
なら自分の気持ちに折り合いをつけて結婚までいきそうなものなのに。
王女様はお別れを選んだ。
結構、勇気あるよね。
会ったらよーく謝らなくちゃ。
あ、兄はこの件に関して無関係ですとも言わなくちゃ。
ふふ。
《お義姉様》と呼ばせてくれるかな。