破 前夜 (時として衝動は意志を超える
同盟国最高戦力が結集する諮問会議の前夜。如月は本庁から連絡を受けた。既に手配は完了し、移送手段、ホテル、導線の警備、各陣営との打ち合わせ、いずれも完了したところだった。如月本人もそろそろ訪れるだろうと半ば確信に至っていた。本庁のパイプは強く、世界のあらゆる分野に繋がり、あらゆる人脈に触れるほど幅広いものだった。その強みが、今回生かされたのだ。
新宿御苑、庭園ほとりのテーブルで落ち合う手はずとなった。
「…冬は好きかね?」
新宿御苑は都内きっての巨大な有料公園とも言えた。家族連れで賑わい、草スキーも出来、植物園としても来訪する価値のあるほど、生育にも力を入れていた。照明の落とされた閉園された新宿御苑はそんな公共の公園というよりも異質な感じがした。まるで異界だと感じながらも如月は入口から指定された場所へ歩いて行った。待っていたのは予想外にも老人だった。暗く落とされた真っ黒な世界の中で、その男は優雅に池の中で泳ぐ鳥を見ていた。席に座ると、だしぬけにそう言われた。
「いえ。あまり好きではありません」
アメリカ英語に若干のドイツの癖のついた語りであった。
「どうして?」
暗い闇の中、丸帽子が傾いた。
「生命が死んでゆくから」
「私はそれが理由で冬が好きだ」
男は更に語る。
「やがて色は一色に統一され、音も無くなってゆく。限りなく浄化された世界が広がってゆく」
「…」
気付けば男は湯気の出ているコーヒーを飲んでいた。気付けばテーブルの上にコーヒーが置かれていた。
「骨のように葉の抜け落ちた木々の森を真っ白な銀世界で歩くんだ。白夜でも満月でもかまわない。初めて歩いたのは十代の頃だったな。感動したよ」
そして初老の男はごほごほと音を立てて笑った。
「ここから生命が始まるのだとね。ちょっと恥ずかしい事だが。想像できなかった。春の訪れを、夏の騒音を。今でもたまに信じられなくなる。季節という概念に対してね」
「…昼に来たなら、もっと印象は違ったでしょうね」
如月の言葉に老紳士はまたしてもごほごほと音を立てて笑った。
「好きなのだよ。こういう場所がね。静かな場所がね」
「…護衛をつけてませんね」
「もちろんだよ」
即答であった。
「これはビジネスじゃない。私の趣味だよ。私の眼は少し改良が更に加えてある。だからもっと楽しめる。年々、こういう時間が増えている。正直に言って、こんな時間こそが、私にとってなによりも贅沢なものなのだ」
「…悪い趣味じゃない」
「そうだね。自分でもそう思う。退屈させてしまったね。悪いと思う。無駄話を聞いてくれる人間はとても希少でね。こういう機会でも設けなければ、ビジネスの話しかできないのだよ」
「今日でなくてもかまいませんよ」
「今日でなくてはならないのだ」
老紳士はぴしゃりと語尾を荒げてそう言った。
「明日の正午から始まる会議で、ネオが君たちに対して宣戦布告をする。手段は複雑で豊富な資金力に物を言わせて君たちのガードを容易に突破する。動員される人員の数は一万を超えるだろう。その気になれば、全員が死亡する事態になりえるだろう。確率は極めて小だが。タイソンは珍しい無干渉地帯を作れる能力を持っている。ドラゴンカリスマではない。彼の持つ固有の能力だ。よって突破は可能だ。例えそれが君たちの言う神域でも。そしてそれは彼の意志ではない」
「明日はノクターンを投入予定です」
「彼女を?…なるほど考えたな。良い案だ。これで全滅する事も無いだろう。矛先は彼女に向く。デモンストレーションが必要なのだ。ヒトは痛みによる学習が有効だからね」
「彼女が破られる事などありえませんよ」
「言っただろう。質の問題ではない。数の問題なのだよ。君達はネオの根城を特定したかね?」
「いえ」
「成層圏にも到達する天空城が彼らの根城だよ。未発見のラピュータが午前ぴったりに君達の真上につけられる。儀式は既に完遂され詠唱はじきに終えるだろう。変えられない結果だけが待っているだけだ」
「…浮島………ありえない」
「島ときたか。むしろ大陸と表現すべきだね。彼らは着々と用意していた。千年女王を討滅した事は出来過ぎだ。よって千年を超えている。君達はファーザーという概念を手に入れたか?」
「…いえ」
「第四世代、或いは第五世代に位置する男性だ。第六世代である我々は全て、もちろん例外はあるが、彼の血を引いている。ミトコンドリアイヴと聞けば理解が早いだろう。彼の概念はマクロにも浸透しミーム的意味を多分に含んでいる。人類の共通深層意識。現人類は彼の脳髄のシナプスネットワークのようなものだ。ノクターン君は呪いだと言っていたがね。彼の目的は人類の救済。我々人類補完委員会の要であり肝の部分だ。ネオも同じくそこから根付いている」
「人類が支配されていると?」
如月の持つセキュリティークリアランスを遥かに上回るレベルの情報だった。
「強い影響力を受けているという状況が支配されていると感じているならね。そもそも支配という言い方は不適当だ。保護にすら近い。人間は今現時点をもってしても、動物だ。親の持つ脳に書き込まれた情報、能力を子供が遺伝する事はない。魂は各個であり独立している。まぁ私の意見だがね。少し前までは電子ツールの確立によって世界の裏側とすら楽々に交信など出来ようはずもない。いや、このたとえは不適当だな。エジソン君が無線で遊んでいた。似たようなものか。人々の呟きは今や世界に伝染する。ヒトとヒトとの距離が縮んだ世界だ。動物や昆虫が可能な世界だと思えるかね?可能ならば一体どれほどの時間が必要か想像できるかね?ファーザーの概念は絶対だよ。人類はむしろ彼に助けられていた」
「…」
「私は彼の信者だからね。だから支配という言葉は不適当なのだよ。もっとも、君達からすれば私の認識が許せないという事も理解している。例外は君達にあたる。まほうつかいという極端なファーザーの影響を逃れる人種が生まれたのはそのためだ。ファーザーの持つ雛形設計にない能力。第六世代以前の旧人類。アガルタや楽園への道が複数ある神話の国土の賜物だね。アメノイワトは現在も本庁が厳重に封印してるのがもったいない」
「…」
如月はコーヒーに口をつけた。
「実はその封印は最近破れました」
「…なんだと?ありえん」
「…」
知らない情報ばかり出されたので、如月はあえて機密を口に出した。情報とは、一方通行のものではない。この原則だけではない。ひけらかされっぱなしは、如月の性に合わなかった。
「…あの連中か」
「ええ」
「直近で君達の報告が私を驚かせたよ。巫女達の預言が外れたらしいじゃないか」
「次代の巫女上り。これが当面、先送りになりました。京香。特別な感応者の素質がある巫女足る乙女。死後の永遠を約束された存在。その脳髄は歴代の巫女へと繋がれ、預言書へと昇格される。正しくは外れたのではなく、外れたように見えたが正解です。おそらく、高レベルのアイテムが使用されたのでしょう。ひりあ。彼らに協力を打診した。運命を打ち破る程に強烈なアイテム。Sクラスのアイテムの使用。そしてそのアイテムは、天岩戸を抜けた先にあった」
「…ほう」
「預言は変えられませんが、運命の見方は一つじゃない。修正し書き換えることもできる」
「君が巫女達の預言を基に、新たな預言によって組み替えたという訳か。君のシナリオ通りに」
「カードは揃いました。切り札は依然健在です」
「一個の力を切り札と呼ぶ…か。ありえん話だが、彼はそれを証明している。今後もそれが続くだろう。良い。私から見た君へは合格点に達している。好きにやりたまへ」
「他人事ではありませんよ」
「どういう事だね?」
如月は老紳士に銃口を向けた。
「貴方も明日の会議に出席してください」
老紳士は突然大声で笑いだした。テーブルを叩いてすらもいた。腹が捻じれて笑い転げる。それを体現したような笑い方であった。
「はは…。ひ…。銃口を向けられるなど、半世紀ぶりだよ。君は私をおどすつもりかね?ディープステート、闇の組織、ステートメンツ、イルミナティ、そんな人類の闇の部位である私を?」
破顔するという笑いの表現が的確な顔つきのまま老紳士は言った。
「有効な手段です」
如月は安全装置を外した。
「確かに………有効だ。しかし。うむ…」
初老の紳士は池に目をやり少しばかりの時間で考えた。
「先ほど私がどうしてファーザーの概念を君に教えたと思うかね?」
「人類には隠された共通深層意識が存在するという話でしょう」
「それもあるが、違う。ネオにとってファーザーは神だ。もっとも、人をつくった存在が神なのだと仮定するならば、その通りだが。私は自分の両親を神扱いなど決してしない。しかしネオは違う」
「…まさか」
「そう。ネオ究極の目的はファーザーの復活だ。古の人類を生贄にしてね。単一の完全なる存在を作り上げる。ただそれだけのためだ。後の事など考えもしてないだろう。本物の神をつくるのだ。そして彼らにはその覚悟ある。ネオはこれをファーザーの意志だと考えている」
「究極のテロリズムは防がなければなりません」
「もちろんだよ。或る意味、私と君とでは意見が一致してる部分がある。現状位置のおおむねといった部分ではね。まぁ。いいだろう」
老紳士は立ち上がった。
「他人のシナリオに乗っかるのも悪くない」
にやりという笑いだった。