チャプター2 序 諮問会議戦
大きな魔力のうねりの中、過去五十年以上に渡って採集された怪物化け物実験体。それらの合体した膨大な超規格量の魔力の出現、間もない消滅。監視衛星史上、初めてのことだった。報告を受けた米国駐日大使は米国安全保障局の命令を受け、防衛大臣の前に立っていた。
「最大災厄組織、いわゆるA級首の殲滅。我々ステーツとしては、君たちに感謝を述べる前に、先ず宣言しておく事がある。いいですか?」
明らかに異なるランクを超えて、最速で通達される最強の国家の発言である。
「これは、日米同盟を揺るがしかねないッ。これほどの戦力を秘匿していたという事実…」
「…」
「我々の大量破壊兵器の実戦使用を幾度抑えられた事か。過去の消滅作戦。これは、同盟国満場一致で認識したことだ。重ねて述べよう。これは裏切り行為に等しい。最高戦力を同盟間での共通認識に基づく運用ッ。これを破られていたのだッ!!」
「…」
「二日後、諮問会議が開かれる。君とはスタンフォードの同期の間柄だが。私のクビが飛ぶ。この一件は、米国共通認識として処理したい。あるいは、今後何十億ドルもの節約をも視野に入れた会議だ」
「条件は?」
米国駐日大使は衛星から撮影された綺麗なカラー写真を机においた。
「当該人物の出席。第二に、当該人物の最高戦力入りだ」
「わかった」
そして踵を返して、早々に退出しようとドアの前に立ったついでに質問を投げかけた。
「もちろん君も知っていた事………だよな?」
「もちろんだ」
そして男が部屋を後にした後、大臣はため息をついた。
「管轄違うんだよなぁ………」
そして本庁に電話をかけた。
一方その頃、都内地下500メートルの特別シェルターでは、緊急秘密会議が行われていた。
「先に感謝をしなければなりませんね。如月真琴、よくやってくれました」
出席者は全てリモート、テーブルも椅子も全てぼろぼろの御影石で構成されており、5メートルを超える長いテーブルには等間隔でモニター代わりの特別性の鏡が設置されていた。それぞれがアイコンを使用しており、それぞれが自身を示すマークであった。或る者は家紋、或る者は組織のマーク、或る者は企業のロゴ、或る者はふざけたエロ漫画の切り抜きであった。
「しかし、なぜランクDがランクB相当に化けた?我々のカレンダーには記載すらされてなかった」
「米国上層部はこの事で躍起になっておる。戦力拡充は最大の懸念事項じゃからな」
「ゴーレムクラブという最悪の狂気。これを凌駕するまほうつかい。鈴をつけんでも?」
「後に訪れる終末の黙示録、ランクAへの希望の光。補正予算案への承認は満場一致でした」
つつがなく進行してゆく会議は、問題なく終了へと移行しつつあった。
「では、夜宮勇樹の処遇の決定をお願いします」
「彼へは、貞操帯の装着義務、能力欠落への対処として監視者の付随義務、最高環境での適用、訓練義務、最重要機密への承認、如月さんへは、特別殲滅作戦部隊の新たな組織編制の一切をお任せします。既に補正予算案は可決されています。災厄を防ぐため、あらゆる努力を我々は要求します。それでは、閉会」
「諮問会議の対策ならびに夜宮勇樹の適切な運用を一任します。任せましたよ」
後に残ったのは、一切の物的証拠の無い、夏のぬくもりが残る、地下深く。よく磨かれた鏡だけがモニターのように並んでいた。如月は静かに埋葬されている名も無く散っていた英霊達の玄室を過ぎていった。
「私が機密組織の編成か。本庁が黙ってないでしょうね」
そして現在。
「おめー雑魚いなぁ」
大激闘!悶絶シスターズではエロゲ―のキャラクター同士を戦わせる全年齢版のプレステソフトである。百戦錬磨の夜宮は、京香に負け続ける事、実に七回。
「こ、このオレが負けるなどと………あ、ありえんのだぁ……!!」
そして八回目。
「はー。満足。おめーとあたしの違いは、脳味噌っしょ。おめーのこだわりもいーけど、勝つための最適解、最適キャラを選ぶのが重要なんよ。なんでおめー、黒髪ぱっつんロングばっかなんだよ。それで処女だろ?マジねーっつーの!」
そして大爆笑である。更に指をさしていた。死体蹴りである。
「うるせーな………うるせーなぁ……。あのなぁ。オレの趣味はほっとけ!最後だ最後。もう一回!もう一回だ!次は昼飯を!なんでも好きなのでいいから!」
「はーー?じゃああと一回な。京都王将の大盛天津炒飯、甘酢のな。もーほか弁は飽きたっつーの!」
そして夜宮のキャラクターが衣服がぼろぼろで全年齢版ぎりぎりのラインの破れかたをしているところで本日の昼食のメニューが決定した。京香がインターホンで警備兵に今日の昼ご飯を頼んでいる。
「はぁ…」
夜宮達は、昨日今日が嘘のようにくつろいでいた。寮費無料、水道光熱費無料、三食付き。好待遇の反面、夜宮の部屋からの外部へのインターネット等が使用不可。Wi-Fi等などもってのほか。使用可能なものは、至急されたスマホの通話機能のみ。但し、要相談でアプリ等の使用などは可能とも言われたが、どすけべゲームの総本山であるDDMゲームのどすけべゲームを社用スマホでアプリ使用の申請などはさすがにできない。
「うひー。早く来ないかなぁー」
「あのなぁ。ここはオレの寮だぞ。おっさんの部屋なんかじゃなく、他の同期の部屋で遊んだらどうだ?」
「あ?つまんねーよ。アイは本の虫だろ。カリンは勉強、修行と大忙しだよ」
「キョウちゃんも修行と勉強やらなくていいのか?」
「あたしは特別だからな。頭も良いし、カワイイし、無敵過ぎ」
実際のところ、事実なのだろうと夜宮は思った。京香の言う特別がどのような内容を含んでいるのか。夜宮はあえて聞けなかった。それがもし、とても大切なものなら。踏み越えるべき一線に触れる類のものだとしたら。夜宮は結局、人の心に触れる事が苦手だった。
「そんな顔すんなよ。イケメンじゃねーんだから」
「…じゃあどういう顔をすればいい」
「はぁ?あたしに聞くなよ。………福笑い的な?」
そして京香は甲高いきゃははという笑いをした。
「正月にはまだ早いんだよなぁ…」
東京に戻った如月は顔を合わせるなり、自宅待機を命じた。その際に一切の外出禁止。インターネットも禁止というものだった。京香は今回の一件を引きこもり大作戦と名付けていたが、夜宮にとっては不安だった。敵を殲滅したという事実が、大きく夜宮にのしかかっていた。病院での一件も含めて、人生の途上で起こるイベント全てをひっくるめてもお釣りがくるほどの出来事である。
「ほんっと、さえないおっさんをイジるのは楽しーなぁ」
「こんなオレで良かったらいくらでもイジってくれ…」
不安な心配が、大分救われていた。夜宮は、大分助かっていた。それを自覚していた。
「まー。超絶美少女と童貞のおっさんが狭い部屋の中でゲームっていうのはちょっち不健全かもっか。少し汗を流すか。おっさんついてこいよ」
京香に連れられて部屋を出た。エレベーターに乗って、地下三階のボタンを押した。
「禁止じゃなかったのか?」
「びびんなよ」
エレベーターの扉が開くと、蛍光灯が輝いた。そこはもう、畳で敷かれた大広間だった。
「道場………か?」
「おー。稽古つけてやっからさ」
「稽古?」
「おぅ。おっさんの能力はいわば一撃必殺のワンパン。オンリー。強味であるその強さも、相手が童貞なら無力だかんな。ほら。あそこに更衣室があるから。道着は着た事あっか?」
「ああ。道場には通ってた頃もある。父親に連れられてな。本武流柔術という看板でな。とにかく生き残れるための戦術を教えてもらったよ。小さいころの話だけどね」
「聞いたことねーなァ…。ま、さっさと着替えろや」
そこまで言うと、京香の服が一瞬で変わった。紫の装飾。よく見れば関節部位には網目が施されており、それが動きやすさを追求している兵装である事が見て取れた。見ようによっては、着物のような。
「そういういやらしい目つきで見るなよ。好感度が下がっちまうぞ」
「そういう目で見てない。ただ、魔法少女なんだな。そう思ってな…」
更衣室に入って着替える。まるで夜宮用のような、新品の道着がベンチに置いてあった。男性用更衣室には、意外にも最近も頻繁に使用されている気配があった。芳香剤、洗面所、独特な臭い、そして床にわずかに残る血痕。そして、かけられている武器。壁には、槍、日本刀といった武器から、クナイ、爆弾のような形状のもの、マキビシ、砂。
「目潰し用か…?やたら実戦的だな…」
奥にある装備一式が立てかけられる壁には、血の匂いが感じ取れた。
「…」
夜宮はその中の暗器を一本手に取った。手のひらに隠せる刃状のメリケンサックだった。
「こんなものまで」
夜宮は元に戻して、更衣室を出た。
「よっし!やるぞー?」
礼もナシに、突然宣言された。京香は一気に夜宮に接近し、右の拳で夜宮の顎目掛けて殴りつけた。それをバックステップで夜宮は避けた。
「反応良いな。身体能力は並じゃねーな」
京香は自身の魔力を更に解放した。圧力を夜宮は感じた。
「もらったっ!」
「タックル!?」
夜宮の反応速度を超える速度で詰められ、足を取られた。
「うっそだろ」
「ざーっこぉ」
耳元で囁かれた。直前まで食っていたであろう甘い砂糖菓子の香りが漂っていた。小さい体のはずが、夜宮には振りほどけないほどに力強く。首を二の腕で食い込ませ、三角絞めがキマった。
「ぐっ」
両腕を使用した夜宮がまるで外せず。
「がっ………」
ぽんぽんと夜宮はその細い腕を降参の意味でタップした。
「はー。甘いなぁ…。おっさんは」
緩められ、ようやく息が出来る状況になると夜宮は息を整えた。
「はぁはぁ…」
意識が落ちる一歩手前で夜宮はなんとか息を整えた。意識が跳ねている状態。
「はぁはぁ」
そんな状況で。
「…」
視界が暗転した。
「…」
「おい………」
電気がついたように、空間の明りが煌めいた。
「えっ」
気付けば、部屋の一室。
「どういう事だ!?ここは…」
照明が大きい、鏡面のドレッサー、夜宮は今自分の寝ている場所が大きいキングサイズのベッドだと気付いた。それと同時に。
「…」
ありえない。そう思った。隣で、肩が白い肌が見えてる状態で、誰かが寝ている状態。
「…ぅ!」
そんな誰かが、誰かの足が、自分の足に絡んできた。
「おい…」
ぐるりと頭が夜宮の方へ向いた。ロングヘアの、京香であった。だんだんと顔が近く。近くにやってくるところで。
「おい!何してんだこんなとこで!」
視界が再び暗転した。
「なっ…」
「カリンちゃーん。お勉強はどーしたんだよ?」
顔を上げると、カリンと呼ばれた女の子がいた。夜宮の体を巻いたリボンを延ばす事ができる魔法少女であった。
「これ。早急につけろって。貞操帯。あと、キョウ。やりたい放題はやめとけ」
「はァ?べっつに問題ねーだろ。夢の中ならやりたい放題だろ」
「精神汚染の可能性も考えろよ」
「うっせーな!言いたい事はそれだけかよ。パシリ終わったんならさっさと失せな」
「別にここに居ても問題無いでしょ?さ。続きやってちょうだい」
「お前が見てると冷めるだろーがっつーの!」
「燃えるんじゃなくって?」
「…はあ。もーいいや。帰る。片付けと掃除やっといてくれ。先輩命令な。はぁ。つまんねーの」
夜宮は今も尚、三角締めのまま、京香に甘く羽交い絞めにされている場面だと気付いた。
「わりーな。また今度、つづきしよーぜ」
そう言うと夜宮の体を離して解放し、京香は立ち上がってそのままエレベーターに向かって中指を立てたまま扉が閉まった。
「一つ聞いておく。引っ張られて、悪い気はしなかったか?」
引っ張られてっという表現は、あの小さい部屋に意識を引っ張られたという意味なのだろうと夜宮は理解できた。悪い気はしなかったかという質問は、夜宮にはどういう意味なのか分からなかった。しかし、ああいう状況下で、仮にカリンが声をかけずにあのままでいたならば。どうなっていたであろうかはあまり想像したくないものであった。
「もしあのままだったらと考えると、少し怖い気にもなるね」
「気を付けた方がいい。きっと、次はナイ。泣き落としで落とされる。そんなタイプだろ?」
「そういうタイプじゃない」
「そういう経験は?」
「ないけど」
「じゃあ、多分ね。キョウちゃんはね、特別なんだ。一応、コレ着てくれればいいから。それに、こういう場面で出張ってる状況で言うのもなんだけど、夜宮さえいいなら、後は二人の問題だし。………相手してあげてよ。それで全てが終わっても、どうせ最初に戻るだけだし」
「えっと………すまない。聞いていいか?」
夜宮は立ち上がった。まだ脳は正常に作動していなかったのだろうか。夜宮はつい、その疑問を口にしていた。
「特別って、どういう意味なんだ?」
「…んー。私の口からそれを言わせるかー。まぁ。そうだね。それじゃあ、ちょっと立ち合ってもらおうかな。勝てたら一つ、ちゃんと教える。どう?」
「いいだろう。勝てたら…」
夜宮が喋り終わる前に、目の前で真っ白なリボンが飛び込んできた。
「…ッ」
バックステップとのけ反りで避け終えると、夜宮は叫んだ。
「早いぞッ!!」
「そういうもんでしょ。立ち合うって。スポーツじゃないんだから」
そう言ってカリンはポケットから拳銃を取り出すと、夜宮に向けた。
「こういうことも」
「ツッッ!??」
夜宮は目で確認した。銃口の先、着弾位置を瞬時に考え、引き金に注視した。当ててない。当たらない。威嚇のつもりか。そう考えたと同時、カリンは発砲した。
「…その顔を見る限り、予測したみたいね」
そう言うやいなや、カリンは拳銃をポケットにしまった。
「戦闘になると、先に殺した方が勝ち。幸運な事に、私たちは過去の一度も敗れた事が無い。つまり、こういう状況にはとても慣れてる。とてもね」
カリンはポケットからクナイを取り出した。先端の尖った鉄の短い棒で、小さい穴がついていた。
「…それ!」
夜宮のまばたきに合わせて投げられたクナイは、夜宮の頬をかすめて道場の壁に突き刺さった。
「…まだだ」
「でしょうね」
カリンはポケットから、両手いっぱいのクナイを取り出した。
「四次元ポケットか…」
「ッふ!」
投げる。投げる。投げる。いずれも、夜宮の体をかすめてゆくギリギリの投擲攻撃。
「私は魔力を形にするのが得意でね。こういうことも出来る」
夜宮の後方の壁に突き刺さったクナイ、実に七つ。瞬時にクナイの穴にリボンが通っていた。
「電撃もね」
接触している箇所、左肩、右腕、左足、左胸二箇所、左足首二箇所。そこから焼け付くような痛みが夜宮を襲った。
「~~ッッッ」
「こういう時もできる」
「っく」
一瞬だけの雷撃。
「オレが無抵抗をいいことに、やりたい放題じゃないか?」
「だからやってる。私に一撃入れたら負けでいいから」
「あの時の続きというわけか。いいだろう」
夜宮は繋がっているリボンを手に取り、おもいきり引っ張った。
「っふ!」
「…」
夜宮は思い切り引っ張ったつもりだった。それが、ぴくりとも動かない。カリンの剛力か。それともそういう能力か。かまわず夜宮はカリンに向かっていくつもりで一歩踏み出そうとした。
「…動けない……!?」
「そういう使い方もあるってこと。ゲームセットかな」
もう終わりなのかと落胆していたところ、小さな音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。
「…誰?」
「…」
エレベーターから降りてきたのは、絵に描いたような美少女だった。夜宮は目を疑った。自身のゲームで必ず選ぶ、プレイアブルキャラクター。黒髪ロングぱっつんの超絶清楚系美少女キャラクターに酷似していたためである。
「えっ」
夜宮の脳に、人生はそう悪いものではない。そんな素敵な思い出がまた一つ刻まれた瞬間であった。
「おなかが減りましたね。カリンちゃんと夜宮さん。ご飯食べにいきませんか?」
彼女はそう言った。
「そうね。そうしましょう」
カリンは言った。
「あ。ああ。そうだな。給料は前借りしたから好きなものでかまわない」
夜宮は言った。
「ところで、ええっと………」
「ノクターンで結構よ。カリンちゃん。ところで、夜宮さんは処女は殺せないらしいですね。実演してくれますか?カリンちゃん」
「ええ。もちろんよ。夜宮。私の顔面を全力で殴ってみなさい」
「あ。ああ。わかった」
つかつかと夜宮はカリンの前に立ち、思い切り大振りの全力の一撃をカリンの顔面にぶち込んだ。鼻血がどばどばと噴水のように出て、唇からの裂傷ともあいまって、カリンの白いブラウスを血で汚した。
「ありがとう。カリンちゃん、ちょっと来て」
カリンはつかつかとノクターンの前に来ると、顔を手のひらで押さえられた。それでカリンの鼻血は止まり、唇の裂傷は治っていた。
「それでは行きましょうか」
ノクターンはこともなげに言った。
「何にする?」
カリンの制服は血で染まっていた。真っ白なブラウスが大量の血で真っ赤に染まっていた。にもかかわらず、街に出た衆人は皆、その異様さに気付きもしなかった。あまつさえ、ビルを出てことすらも、監視するはずの警備兵もスルー。そのままの足でタクシーに乗り込み、歩いて少しの神楽坂で高級料亭に入っていった。
「…前借はしてもらったが、一応の生活品を整える程度しかもらってないんだが」
夜宮は言う。
「就職祝いです。私がご馳走しますよ。夜宮さん」
「いや、流石に年下には…」
「私69ですよ」
ノクターンは言う。
「そうだったな。すまないな。ありがとう。今日はご馳走になります」
「ほんっと。女の子の年齢忘れるとかサイテー」
極太亭、創業文久元年、江戸後期の老舗である。暖簾をくぐると若女将が玄関で三人を迎えた。
「いらっしゃいませ。ありゃりゃ………何かお召し物をお持ちしますか?」
「いえ。かまわないでください。奥の座席、空いてますか?」
「そうでございますか。奥の間は、いつでもあなた様に空けてございますよ」
「ありがとう。いつもの三つ、お願いします」
「かしこまりました」
広い中庭には錦鯉が泳いでいる大きい池があった。一番奥の個室に通されると、夜宮はその景色を見て、間違いなく今の財布の中身では足り無さそうだなと思った。
「…」
「上座へどうぞ」
「しかし…」
「どうぞ」
「すまないな」
三人は硬くて高そうな座布団に座ると、カリンは口を開いた。
「凄いわね。ノクターン。いつもの三つって。いつも来てるの?」
「ええ。ウナギが好きなの。二人とも嫌いじゃない?」
「オレは好きですよ」
「私も」
「そう。なら良かった。ここのはね。絶品。鹿児島産の選別された太くて大きいウナギを出してくれるの。鰻丼の竹。きっと気に入ります」
ノクターンはそう断言した。
「うなどん。かぁ」
カリンは口いっぱいの期待のよだれが噴き出るのを感じた。鰻丼。
「…」
ご飯の大盛と釣り合う量の鰻が匂い立つ濃厚なタレを塗られてやってきた。重箱を開くと、そこはもう宇宙である。
「…」
久しぶりの、御馳走である。夜宮の心拍数は跳ね上がった。
「夜宮さんお酒は?」
「飲めないんだ」
「お、おかわり…」
カリンは言った。
「いいかな…?」
「ええ。おなかいっぱいどうぞ」
夜宮一回、カリン三度の鰻丼を食べた後、満腹感の幸福特有のぐだっとした雰囲気の中。
「ノクターンはどう?夜宮の能力ってさ」
「どうって?」
「どうってどうよ。大御所の寸評」
「魔法や魔術、秘術の一切は、もともと超能力や奇跡の体現者、元々持ってる生まれてから当然のように持ってる特別な力に対抗した技術だと思うんですよ。夜宮さんの能力は、そういう能力。元々持ってる。あって当然の力、強さ。それには、本来魔術や魔法といった対抗者に比べて、あまりにも理不尽。私と同じで、きっと苦労しちゃいますね」
「ふーん。ノクターンの能力は?」
「私は感応型だから。私本人を中心とした磁場、テリトリーの中で、私を中心に世界が書き換わる。イマジナリーフレンドって呼ばれたからずっとそう呼んでますけどね。分かりにくい能力だから、世界の最強が集うランカーの編成から外れちゃった」
「へえ。さっすが。そういえば、初めて聞いちゃったかも」
「そうね。隠してないから別にいいですよ」
「世界が書き換わるって、そういうのが、人間の能力として発揮されるのか…」
夜宮はその言葉を信じられなかった。
「分かりにくいけど凄そうですね。例えば?」
「そうね。半世紀以上前、バチカンに最強の戦力を集結させる会議があったんだけど」
「へぇ」
「私分からなくて、どんどん奥に入って行っちゃったら、注意を受けたの。それからは出禁。米国もそうみたい。みんなとても慌てふためいちゃってね。ランクA判定を受けちゃったの」
それを聞いてカリンはテーブルを叩いて爆笑した。
「うっそでしょ!」
「でも、私って強情だから、アメリカで豪遊するんだって大枚持って空港へ出掛けたら、これ以上進むと、セキュリティー関連企業の株価が暴落して、何十万人の家族が食卓からおかずが一品減ることになりますって泣かれちゃってね。流石に、悪いじゃない?」
「警備がかいくぐれるわけですか…」
「そうみたい。私も自分の事は正確には把握してないんですけどね。私の磁場に至っても、体調なんかその日の調子で変わっちゃうみたいだし。それに引き換え、夜宮さんの能力は分かりやすくてとっても羨ましいわ。一目で分かる強さがあって」
「そうなんですかね。尽力させていただきますよ」
「そこそこね。頑張りすぎるのもよくないと思うの。私たちの関与は最低限度に留めないと。私たちが死んでからが大変ですから」
「そういえば、見た目がとてもお若いですよね」
「覚醒遺伝って言って、極稀に遠い祖先の特性が表出するの。身体機能もそこから止まったまま。可能ならもうちょっと30ぐらいまで成長した方が威厳も出たんであろう、なんですけどね。まぁ不都合は感じませんけど」
「永遠の十六歳を体現してるなぁ。じゃあ、特別作戦部隊って、ノクターン一人いればよかったんじゃない?」
「私はあくまでも、感応型で、脳のパターンが違った怪人や知性を持たない脅威には対処できないの」
「それってさぼりの建前じゃない?」
笑いながらカリンは言う。
「それもあるけど、実はみんなは私を好きじゃない。だから、可能なら私以外の誰かがやるべきことをやったほうがいい」
「それは以外と深いよね。畏怖。でも。普段は何やってるの?」
「ゲーム。おもしろいのならなんでも。どえろいやつからかっこいいやつまで。見た目が若いと、精神的にも幼いみたいで、ちょっと恥ずかしいんだけどね」
「じゃーキョウちゃんと話合うんじゃない?ゲーム好きだし」
「んー彼女とはそれが合わないのよ」
「どうして?」
「話が合わなくて口喧嘩になっちゃうの。折り合いが全くつかない」
そしてノクターンはため息をついた。
「なんでもかんでも、世の中は自分の都合で好き勝手うまいこといくんじゃないんだなぁって思えるのよね」
「普通そうだがな」
夜宮は言う。
「そうなの?」
「むしろ上手くいく方が珍しい」
「生き方が下手なんですね」
「渡る世間は厳しい。オレは………結構田舎出で悠々自適なとこから都会に出たんだ。洗練された都会の生き方は、田舎のオレには水が合わない。情けない話ですが」
「その力を持ってしても?」
「これはつい最近、一週間前ぐらいようやく自覚したんですよ」
「あー。そういうのおられるんですよね。凄まじい能力を持っていても、生涯自覚せず、ひとづてにそれが、伝説となり伝承されてく」
コップいっぱいの水をぐびぐびとノクターンと呼ばれている少女の姿をしたモノは飲み干した。これは、彼女の物語だった。およそ人の人生である大半が、何一つ不自由の無い、平凡。彼女も、周りも、世界も、誰も気づかず、気付く必要もなく、その能力に意味すらない平凡な時間が、過ぎていた。彼女にとっての人格形成はそこを基点として発達していた。邪悪な暗黒にすらも十分成りえる、それが極めて当然ともいえるただひたすらに飢え続けてる人生。多くの人間が、ただひたすらに獲得し続けるだけの人生に比べて、彼女は既に満たされ、そして幸福だった。
「あるんですか?」
「まれによくありますね」
「どうせ自分の事でしょ」
「…」
イマジナリーフレンド。自身を起点として精神汚染を引き起こし、ノクターンのなすがまま、トモダチになってゆく。純粋無垢な少女の願いを体現した能力であるが、世界が下した彼女への評価は、実にAクラス。やろうと思えば、誰もがにこにこした表情で、喜んで彼女に核ボタンを搭載したアタッシュケースを差し出すだろう。誰も傷つかずに世界が終わる。これは、過去、バチカンでの彼女の身の振り方に起因する。純真無垢、天真爛漫、故に、畏怖すべき能力であった。
「よくわかるんですね」
「友達だもん、分かるに決まってるでしょ」
「ええ。そうね。トモダチですもんね」
「でもさ。思い返してみると、ノクターンの事って案外知らない事ばかりなのよね。もうちょっと教えてくれないかしら」
カリンは言った。
「そうね。また今度にしましょうか」
ノクターンはこともなげに言うが。
「ダメ。絶対ダメ。こういう時だからこそ。ちゃんと話してほしいの」
「オレが居たら話しにくいなら席を立つよ」
極稀に、ノクターンの望んだトモダチではない振舞い方をされる事もあった。彼女にとって、夥しいぬいぐるみで囲まれた人生で過ごす内、それはたまにいる温かいぬくもりを感じる存在でもあった。
「ありがとう。でもいいの。今日はね。本当はこの部署の査察に来ただけなのよ。報告書に偽りがあるなら、そこで終了でも良かった。そろそろ私はおいとま致します」
彼女は席を立った。
「お洋服、汚してしまってごめんなさいね」
珍しく少し寂しい気持ちになりながらも、ノクターンは店から出た。一方その頃。
「マイケル・タイソン。ヘヴィ級チャンプ。190センチを超える恵まれた体格でありながら、軽やかなフットワークで刺す、幻の王者。幻の所以は、タイトル防衛戦前、突然の引退表明だったから。ね」
特別作戦本部の事務所で、如月はモニターとにらめっこしていた。