ファンタジーにおける、魔法の設定について考えてみた(ハード・ソフトの違い)
ハードマジックシステム、ソフトマジックシステムの主な違い、長所、短所、オススメ作品を挙げて行きます。
魔法システムはしっかりとするか、それとも敢えて曖昧にするか…貴方の作風、及び主人公タイプにピッタリな魔法システムを探して行きましょう!
尚、本作は例を挙げた説明の一環で、以下のファンタジー物の(重大な物も含む)ネタバレがあります。内容に触れる前にはもう一度注意書きをしますが、ご注意ください。
結末含むネタバレ:
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作:ハウルの動く城
物語中盤(かなり大事な部分)含むネタバレ:
ミヒャエル・エンデ作:はてしない物語
冒頭・あらすじ程度のネタバレ:
白浜鴎作:とんがり帽子のアトリエ
荒川弘作:鋼の錬金術師
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作:トニーノの歌う魔法、
J.R.R.トールキン作:ホビットの冒険、指輪物語
また、本作は主にファンタジー作家、ブランドン・サンダースンのエッセイで得た知識を元に、私が読んだ事のあるファンタジー物と照らし合わせる、という形を取ります。
魔法!誰もが一度は夢見たコンセプトでしょう。そして多くのファンタジー物とは切っても切れない、話を盛り上げてくれる、貴重な要素です。
しかし、ファンタジー物を書いた事のある人なら誰もがぶつかる壁は、その世界の「魔法システム」の設定。作者自身のイメージ自体が、あまりにもフワッとしていると、所謂「リアリティの欠如した」「ご都合主義」と言われかねない物語が出来ます。
勿論、その世界の魔法の倫理というのは、必ずしも読者に理解して貰わなければならない、という訳ではありません。敢えて曖昧にする事で、その物語の雰囲気を保っている場合もあります。しかし、本格的な魔法バトル物なら、それは残念ながら基本通用しません。読者も作者も作品も、その魔法システムを理解する事、そして物語は常にそのルールに添うことが求められます。
ファンタジー作家、ブランドン・サンダースンは、前者を「ソフトマジックシステム」、後者は「ハードマジックシステム」と呼びました。
先ず、「ソフトマジックシステム」とは何なのか?作中において、魔法のあり方が極めて曖昧である事です。古来より伝えられて来た「ファンタジー・童話・神話」に最も当てはまる魔法システムであり、私達が最も馴染んでいる魔法システムの例でしょう。
例えば「アリババと四十人の盗賊」、「アラジンと魔法のランプ」…両方の作品には「魔法の洞窟」「魔法のランプ」等の魔法要素がありますが、それらがどうして存在し、起動しているのかは解りません。ですが、物語に置いて、別に知る必要は特に無いのです。
一見すると、「ソフトマジックシステム」はファンタジー小説で使うには、悪手に見えます。ロジハラ軍団の恰好の的であり、冒頭に述べた「ご都合主義」の落とし穴になりかねない(そして一応これは事実であります)…しかし、以下の条件さえ守れば、ソフトマジックは非常に面白い要素となります:
1.主人公は魔法を使えない(or 使いこなせない)
2.魔法を一番な大切な場面で、「解決策」として使わない!あくまで補助として使う。謎解きや問題解決においては、魔法以外を頼ろう。
3.魔法はむしろ「全てのトラブルの元」、及び物語を進める「切っ掛け」として使うのが好ましい。
簡単に言えば、物語の「中心」に魔法を置かない事が肝心です。
主人公は魔法が使えない、使いこなせないからこそ、読者、作者同様に、魔法を良く理解していない。しかし、魔法は存在するから、それによって助けられる場合もあり、逆にトラブルに巻き込まれる事もあります。そして安易に「問題解決」の為に魔法は使えません。
「ホビットの冒険」「指輪物語」、両作に登場する魔法使いガンダルフは、所謂チート魔術師です。魔法を使い、時にはピンチを助けてくれる都合の良い存在ですが、何時も助けになっている訳では無いです(でなければ話がつまらなくなります)。そして読者は最後まで、彼は何が出来るのか、何が出来ないのかは、今一つ掴めていません。
ですが、主人公が前者ではビルボー、後者ではフロード、どちらも魔法を使えないホビット目線で話が進められています。彼らも魔法は今一つ理解していませんし、何時もガンダルフ頼りに出来ないからこそ、曖昧な魔法コンセプトでも、話は面白いのです。全く同じストーリーでも、ガンダルフが主人公であった場合、きっととてもツマラナイ物語が出来るでしょう。
もう一つソフトマジックシステムの例を挙げるなら、「ハウルの動く城」です(以下結末含むネタバレをします)。
ハウルの動く城は、明確な魔法システムが無いにも関わらず、「魔法がトラブルの原因」であり、最終的には「魔法で解決」します…一見するとご都合主義に見えますが、この作品は「明確な魔法システムを必要としない謎解き」がメインであるからこそ、これが許されるのです。
帽子屋のソフィーは所謂「物に命を吹き込む力」を持っており、作中に置いてそれを仄めかす描写は幾つかありますが、それが本領を発揮するのは本当にクライマックスのみです。彼女が荒れ地の魔女によって老婆になる呪いを掛けられますが、「魔法使いハウル」の契約悪魔「カルシファー」がとある提案をしてきます:「ハウルとカルシファーを結ぶ契約を解けば、契約解消の瞬間にその呪いも解く、しかしハウル、カルシファーの何れかの命を犠牲にする事は出来ない」という物です。その後、大まかなストーリーはこの「契約内容」の謎解き、そしてそれに少なからず関わっている「荒れ地の魔女とその契約悪魔(と呪い)」、「王子」、「魔法使いサリマン」の行方・正体を突き止める事です。
冒頭で言ったように、魔法は本作に出てくる主なトラブルの原因です。それと同時に、謎さえ解けば「魔法」で元通りに出来るのですが、謎解きの場に置いて魔法はほぼ役に立ちません。そしてこの「謎解き」に重点を置いているからこそ、魔法のコンセプトが曖昧でも(例えば魔法は学べば誰でも使えるのかとか、呪いとか呪文とかはそんなに簡単に掛けられるのか?とか、魔法を使うと代償があるのかどうかとか、ハウルとサリマンがどうやて異世界転移をしてきたのかとか、ソフィーの「命を吹き込む魔法」の細かい設定とか etc)、面白い話が出来るのです。
クライマックスのシーンに置いて、ソフィーはその「命を吹き込む魔法」で荒れ地の魔女の契約悪魔をぶちのめし、カルシファーを殺さずにハウルとの契約を破棄し、呪いが解けますが、それがラストの為のご都合主義、という感じがしなかったのは、やはり「契約内容」「荒れ地の魔女の悪魔の正体」の方がストーリーにおいて、肝心だったからです。
次は「ハードマジックシステム」です。
ハードマジックシステムは冒頭の方で、その作品の魔法システムに明確な法則とルールがある場合です。本格魔法バトル物、そして主人公にもバリバリ魔法を使わせたい場合は、こちらをオススメします。
サンダーソンの提示した「三つのルール」は以下の通りです:
1.作者が物語の展開における問題解決に、魔法を使えるか否かは、読者がどの程度その作品の「魔法」について知っているかに比例している
2.魔法における制限>魔法で出来る事
3.(魔法に関する)新しい情報を加え続けるのでは無く、まずは最初に提示した条件・情報を拡張する所から始める
まあハードマジックの場合、単純に解釈するなら:
A.魔法の発動条件&習得条件をハッキリ提示する
B.魔法で出来る事・出来ない事の範囲を、ハッキリ提示する。制限大事
C.魔法の弱点をか・な・ら・ず入れる
D.後出しはするな(するなら早い段階で伏線を張って欲しい。そして出来ればロジカルな後出し)
簡単に言えば、私達の世界で言う「科学」を「魔法」で置き換えているだけ、の物が多いです。要はその世界のテクノロジーのベースに「魔法」があり、使いこなすには学び、とことん理解する必要がある…魔法はそれなりに身近な「道具」なのです。そして物語の冒頭部分で、読者に上記で述べたA~Cを理解してもらう必要があります。
難しいです、マジで。ですが上手く使えば、ソフトマジックシステムでは勧められない「魔法に頼った問題解決」が出来ます。現代探偵もので「科学を使った謎解き」と同じと考えて下さい。読者にも「魔法を使った解決策」というのを考えさせる事が出来るのです!
また、物語のトラブルの要員にも、ソフトマジックシステム同様、ハードマジックシステムは使えます。ただ、形は少し違うと思います。
ソフトの場合、「未知の力がなんかした、どうしよう?」な感じなのに対し、ハードは「原因があり、結果がある」場合が多いです…例えるなら、航空宇宙工学者がネジ一本忘れて、ロケットが爆発した…みたいな。
ここで例を挙げるのが白浜鴎作:「とんがり帽子のアトリエ」と、荒川弘作:「鋼の錬金術師」です。
まず、とんがり帽子では「『魔の墨』を用い、法則に従った『魔法陣』を描くことで、誰にでも魔法を使うことができる(Wikipedia)」とされています。解り易いです、非常に。その他にも魔法に関する情報制限、禁忌や制約が定められ、「何が出来るのか、出来ないのか」「何が許されているのか、許されていないのか」がハッキリしています。
これらをしっかり理解していなかった主人公ココは、冒頭で母親を石に変えてしまい、そしてそれを解く為に魔法を勉強する事になります。
「鋼の錬金術師」では、「等価交換」という形を取っています。無から有を作るのは不可能であり、再利用できる性質は同じだとされています。故に、「必ず原材料となる物が必要であり、その物質の構成元素や特性を理解し、物質を分解、そして再構築するという3つの段階を経て完了する。ただし、構築式に誤りがあったり、対価以上の物を錬成しようとすると失敗し、時にリバウンドと呼ばれる現象が起きる。リバウンドが起きると術者に多大なダメージを及ぼす(Wikipedia)」。
物語の冒頭では、主人公エドとその弟アルは禁忌に触れ、そしてリバウンドで体を失います。この作品に出てくる魔法も、まあ解り易いです。そして基本的に主人公の出来る事、出来ない事を、読者は解っています。
主観バリバリの要点まとめです
ソフトマジックシステム
魔法:曖昧な物
主人公:魔法は使えない、使いこなせないのが良い
ビジュアル:幅が利く、割と自由
ストーリー:「魔法」を中心に置かない。あくまで補助要素
トラブル:魔法が原因で良し。魔法は曖昧な物なので、主人公も魔法が元のトラブルに対し、対処に困る
解決策:なるべく魔法に頼るな!特に過程では控えめに!
制限:あまりない(しようがない)、からこそ乱用するなかれ
ハードマジックシステム
魔法:明確な法則とルールがある
主人公:魔法?好きなだけ使え(ルール範囲内に)
ビジュアル:ワンパターンになりがち
ストーリー:「魔法」は中心に置いて良し。何なら魔法を使った戦略や心理戦に持ち込んでも全然オッケー
トラブル:魔法が原因で良し。ただし、「原因があって、結果がある」というやり方が好ましい。魔法を使う際のリスクは大きければ大きい程良い(個人の好みです)
解決策:魔法に頼って良し。ただし、解決策用の後出しルールはしない方が良い。白ける。冒頭で述べたルールの範囲内である事が好ましい。それが出来れば天才
制限:魔法に関する法律やルール、禁忌等が付いてくるのが定番
まあ、別にどっちかをハードコアに使わなきゃならない、という訳でもありません。ハード、ソフトを両方使う作品もありますし、ミドルグラウンドが最も使い易い場合もあるでしょう。そこは作者の腕の見せ所です。
という訳で最後に、基本ソフトだけど、書く人によってはハード路線になりえた、オススメファンタジー物です。
「トニーノの歌う魔法」
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作
本作では、魔法は「呪文を創る家系」が開発し、呪文は「正しく覚え、歌う」事で発動します。正直、これ以上詳しくは書かれていませんが、主人公とヒロイン(?)の弱点は、片や物覚えが少し悪く、使える呪文が少ない、片や物覚えは良いけれど、音痴で呪文が正しく発動しない、という感じです。
本作は全体的に、ソフトマジックシステムです。魔法が失敗しても、「具体的にどこが悪くて失敗したのか」は解りません。ただ、人によっては「呪文を正しく覚え、歌う」の上に「呪文の法則」的な物をプラスし、「とんがり帽子」と路線の似た作品を作るんだろうなぁ、とは思いました。
(*しかし、トニーノの物語に置いて、ソフトマジックのさじ加減は非常に良いです。ハードマジックにした場合、ストーリーは全然別の方向へ行くでしょう。オススメなので、ぜひ読んでください!)
「はてしない物語」(*後半部分の大ネタバレ含みます、何時か読みたい方は「あとがき」まで飛ばしてください。メッチャオススメです)
ミヒャエル・エンデ作
物語後半に置いて、主人公バスチアンは本の世界、ファンタージエンで、己の夢見る世界を作ります。願うだけで、「物語を始める」だけで、何でもかんでも思い通り、容姿も美しくなり、力も強くなる…正に夢の様です。しかし、それには代償があります。願いが一つ叶うたびに、現実世界の記憶が一つ消える…そして記憶が全て消えた時、生還の道は潰えます。
一応願い一つ=記憶一つの対価交換的な魔法システムです。ただ、何処までが「記憶一つ」なのかは確かに曖昧…最も本作に置いては、その曖昧さがむしろハラハラ感がありました(「記憶が残り少ない」と言われても、具体的な数が解らず、「え、大丈夫なの…?」とメッチャドキドキした記憶があります)。
ハード&ソフトマジックシステム、いかがでしょうか?貴方はソフト派、それともハード派?
皆さんの作品にピッタリな、魔法の法則が見つかる手伝いになれば、幸いです!
うーん、今回のエッセイは少しまとまりと日本語が悪いです…ちょくちょく訂正を加えて行こうと思います。
どーでも良い余談1:
友人「ウォーロックとウィーザードとソーサラーの明確な違いってなんだろう」
ジャガイモ「ウォーロックは男の魔女、悪魔に魂売って能力を得る魔法使い、ウィザードは学問っぽい感じで魔法を習得した人、ソーサラーが生まれつき魔法を使える超人、じゃね(主観です)?」
友人「つまり天才だからAを取るのがソーサラー、真面目に勉強するからAを取るのがウィザード、先生と寝るからAを取れるのがウィッチとウォーロックか」
ジャガイモ「例え上手過ぎワロタ」
どーでも良い余談2:
「ハウルの動く城」のジブリリメイクであるアニメ映画の英語吹き替えに置いて、ハウルがウェールズ訛りじゃないのが、心底気に入らない。ハウルはウェールズ人だろ!!!!何アメリカ訛りで喋ってんねん。ていうか吹き替えやったクリスチャン・ベールって、イングランド人だけど、ウェールズで生まれ育ってなかったっけ?せめてナチュラルの訛りでやって欲しかった……
と、ウェールズ人ですら無い私が思ったので、ウェールズ人の心境は如何に…?と思ってしまう。
なんでもかんでもアメリカナイズされるのは嫌だなぁ…