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「チェイス、お前そこで何をしている?」
ガサゴソと人が寄ってくる音と共に、スコットレット伯爵と思われるヒキガエルのような声が聞こえた。
私は誰に抱きついた状態のままで、視界は遮られ状況が分からない。
「父上、何をしているって…それは……父上が一番よく分かっておられるはずです」
私を抱きとめている人間が言った。
その声は間違いなくチェイスだ。
「下女と逢引きか?」
鼻で笑うスコットレット伯爵。
──え?これ、チェイス?
今、私はチェイスに抱きついている状態なのかと気づき、体を離そうと力を込めるが、チェイスがギュッとそれを押さえつける。
「父上がいきなり笑われたので、彼女が驚いてしまったようです…」
そう言って、さらに私を力強く抱き寄せる。
──え、何?庇ってくれてるの?
彼らから私の顔が見えないように、後頭部をがっしりとチェイスに掴まれている私。
全く身動きが取れない。
「下女風情に随分、優しくするのだな。大した仕事も出来ぬくせに…。その顔があるから他の兄弟よりも手厚く育ててやったというのにな。顔しか取り柄のない下賤な女に生ませたのが間違いだった。今は怪しまれぬ為にお前を処分してないのをいいことに図に乗っておるのか?」
「っ…」
息子に対する言葉とは思えない。
蔑んでいる声が降って来た。
「下女からも情報が得ろと仰ったから…僕はしているだけです」
チェイスの悔しそうな声。
すると、スコットレット伯爵が盛大に笑い始めた。
「ははっ、今更お前の得てくる情報がなんだと?まぁ、少しはマシな顔の下女でも連れてくれば話は別だがな……」
そっと私の肩にスコットレット伯爵の手が伸びてくる。
──っ…
顔を見られても面識がないから分からないかもしれない。
けど、見られずに終わるならそっちの方がいい。
それに、下賤なスコットレット伯爵に触れられる。
そう思うだけでゾッとした。
「すみません」
するとそこで女性の声が聞こえた。
凛としてよく通る綺麗な声。
全然知らない声なのに、なぜか安心感のある声だった。
「何者だ」
スコットレット伯爵の側近が警戒して言った。
「道に迷ったのですが、案内をお願いしても?」
「…道?」
伯爵はその女性を怪しんでいた。
もしかしたら他国の客かも知れない。
ここで道に迷うのは頷ける。
「彼女、アーノルド卿の連れです」
「ジャマの人間か?」
「おそらく」
「…」
スコットレット伯爵と側近達が話し合っている。
──アーノルドさんの連れってあの美女か!
私はチェイスの胸の中で衝撃を受ける。
「伯爵、そろそろ公爵との約束の時間が…」
「ちっ」
側近に指摘されてスコットレット伯爵は舌打ちをした。
「道ならそこの下女にでも聞いてくれ」
吐き捨てるようにスコットレット伯爵は女性に言うと、ついでのようにチェイスにも声がかかる。
「お前、それほど目をかけている娘か?それなら貴様には活躍してもらう事が増えそうだな」
スコットレット伯爵がニヤリと笑ったのが、見えなくてもよく分かる。
その人とは思えない非常さに私は震えた。
──まるで、道具みたい…
彼には全てが物なのかもしれない。
だから、なんでも利用できるのだ。
彼の底知れない恐ろしさで私はスコットレット伯爵が去るまで、ジッとチェイスの胸に収まるしかなかった。
けど、すぐに例の女性が私たちに声をかけてきた。
「あの、その方に案内をお願いしたいので、離れてもらっても?」
そう言って、彼女はぐいっと私の腕を引っ張った。
私も思わぬその力強さにやられて、今度は女性の胸に収まる。
──うわ、でか
背もそうだけど、胸の話。
私よりも2ランク上、ヴェロニカ以下の胸が目の前にあった。
──ん?
でもなんだか違和感。
この感じ知ってる。
「あ、君は…」
チェイスは何か気づいたみたい。
──え?誰?
もぞもぞとして見上げて確認しようとしたけど、チェイスと同じようにグッと抱きしめられた。
女性のくせして力強い。
──コーラさん?
って思ったけど、あり得ない。
まず身長が違う。胸だってあり得ない。
「彼女に道案内してもらうので」
私を抱きしめるだけ抱きしめた美女は、今度は私の手を掴んでそのまま離れようとした。
私はされるがまま。
頭は完全に混乱状態。
だけど、私の空いている方の手をチェイスが掴んだ。
私も驚いて振り向く。
──何?気づいてる?気づいてない?
庇ってくれたけど、どっちなんだ。
混乱していると、チェイスが私の腕を浮かんだまま早口に言った。
「私は、チェイス・スコットレット。君のような美しいレディに会えるなんて、なんて幸運なんだ」
そう言って、彼は私の手の甲に口づけをした。
さっきの父にビビっている彼ではなく、胡散臭いナンパ男の声色。
ブワッと瞬く間に鳥肌が…
「なっ…」
その時、私じゃなくて、美女が怒った声を上げた。
ぐいっと私を引っ張るけど、チェイスも私の浮かんだまま。
「いたっ…」
「あ、ごめん…」
私が声を上げると、美女がすぐに力を緩める。
するとチェイスがここぞとばかりに私を引っ張った。
「レディ?よければ名前を教えてくれないかい?」
そして、アイドルばりのウインクをかましてきた。
──やっぱり、気づいてない?
だとしたら、この残念なキザなナンパ男だけには絶対に教えたくない。
──あれ?
なんだこの既視感。
「だめだ」
なぜか、美女が答えた。
だけど、チェイスが怯まずやってくる。
私にさらに近づいてきた。
「おっと、襟が捻れているよ」
普通に触れてきた。
「はい、オッケ」
「ど、どうも…」
そして、チェイスは離れる。
「あぁ、これから用事があるからじゃあね」
そう言って去って言った。
──なんだったんだ…
親切なのかなんなのか。
気づいているのかなんなのか。
何も分からない。
「すぐに着替えよう。その服は捨てるべきだ」
私が唖然としていると、美女が私の目の前に回ってそう言い出した。
──なんだこの人…
チェイスも分からないけど、この美女はもっと意味不明。
近くで見ると余計に神々しい。
この美人感、ノア並みだ。
「ミンディ、すぐに着替えよう。いや、体も洗おう」
──ん?
「あ、いや…君が嫌ではかったのなら、それはいいのだが……」
──んん?
このちょっと気弱な声。
絶対知ってる。
そしてそれは一人しかいない。
「…ノア?」
私は躊躇いながら、美女に尋ねる。
美女はハッとして自分の格好を見直した後、気まずそうに顔を上げる。
「うん…」
やっぱりノアだった。
だったら、色々と繋がるのだけど──
「どうしちゃったの!?」
私は目の前にあるボリュームのある胸に目を向けて叫んだ。
「なんでこんな事に!」
思わず、それを掴んだ。
*
しばらして落ち着いてから、ノアには色々と説明してもらった。
どうやら、今夜スコットレット伯爵とノイトラール公爵が会うって聞いたノアも何か情報がないかと潜入しにやって来たらしい。
そして、ノア自身では目立つからと、女装してやってきたとか。
まさか、ここまでシンクロするとか奇跡か。
「目はどうしてるの?」
私はノアを覗き込む。
綺麗な透き通った水色が綺麗な新緑に変わってしまってる。
今ならカラコンがあるけど、この世界にあるとは思えない。
「これ、魔法玉の新しい発明品。ガラス玉と同じ成分が入ったものに魔力を注いだもので──」
やっぱり、説明となるとノアは饒舌だ。
スラスラと話し始めた。
「髪も?」
「いや、これはカツラ」
ちょっとずらしてノアの黒髪が見えた。
そこは私と同じ見たい。
それにしてもやっぱり美人だ。
──なんだか、恥ずかしい…
私は下女姿でそばかすまでつけているのに。
「ってか、なんでノアは私が分かったの?」
「…はぁ」
私が尋ねるとノアはため息をついた。
なぜだ。
「マナを感じれるって言ったじゃん…」
ノアが崩した言葉を使った。
珍しいってか初めて見た。
確かにそれは知ってた事だなと私も頷いた。
「そうだったね」
「うん」
忘れてすみませんって私も反省した。
「でも、どうしてここに私がいるって?」
「君のマナが乱れたから、何かあったなって」
そんな事まで分かるのか。
「来てみたら、チェイスくんがいた」
むっとノアが拗ねた。
あの行動はそう言うことかと納得しながら、またしてもちょっとときめいた。
「すごいね」
嬉しさが込み上がってきて思わす笑みが溢れた。
「何が?」
「ノアは私をすぐに見つけられるんだね」
「うん。ミンディはすぐに分かる」
すごい。
ノアの口から私の名前がすんなりと出てくるようになった。
──これは…くるね
あざとい女子に悶える男子の気持ちがわかる。
「それに魔石も教えてくれる」
「そうなの?」
「あぁ、会いたいマナへ導いてくれる」
優しい笑みでノアが言った。
「なら、私が連れ去られても大丈夫だよね」
「連れ去られる?」
ノアが顔を顰めた。
「もしもの話だから。私が連れ去られるなんてあり得ないけどさ」
「見つける」
私が冗談まじりに言うと、ノアはいつもよりしっかりした顔で言った。
「ミンディは僕が絶対に見つける。どこにいても、いつでも」
ノアが私に真剣な瞳で言った。
ドキッとする。
それは将来を誓うような言葉で──
「ノア、その格好だときまらないね」
「…」
女装で、私よりも綺麗な状態で言われたら、ちょっと複雑。
気持ちはすごく嬉しいけどね。
私は落胆しているノアを横目に、幸せを噛み締めた。
「…それで、ミンディは、なんでここに?」
ノアの説明が終わったので、今度は私の番。
私はあの店長の話から説明した。
「ノアが会いにきてくれたから、私も何か役に立ちたくてさ」
私がそう言ったら、ノアは首を横にふった。
「無謀すぎる」
どこか怒っているような表情のノア。
「魔力も使えないのに、何かあったらどうするんだ!」
ノアが叫んだ。
私はびっくりして固まる。
「僕はいくらでもマナがあるからいいけど、君は女性で魔力なしなんだっ」
「そうだけど…」
「さっきチェイスが君を庇わなかったら…君は……」
ノアが悔しそうに呟く。
「僕が後悔しないためにも、無謀なことはやめてくれ」
懇願するように言われた。
そう言われたら、私もどうしようもない。
──そうだよね…
私がノアの立場だったら同じことを思っていた。
それは待っていた時間と同じ。
「ごめん…」
私がそう言うと、ノアは安堵したのか息を吐いた。
ちょっと嬉しいとか思ったのは黙っておこう。
「…なんで喜んでるの?」
ノアが不機嫌そうに言う。
「マナでそんな事まで分かるの?」
「口元が緩んでる」
指摘されてしまった。
どうやら、私がノアを理解してきた分、ノアも私を理解し始めたみたい。
これは隠し事なんてできないな。
そう思っていると、ノアがスンッて何かを嗅いだ。
しかも私の首元で。
──え、私、臭う?
私が戸惑っていると、ノアの手が伸びてきた。
そして私の襟首の方を触ると──
「あった」
何かを取り出した。
それは紙切れ。私の首元に忍ばせてあったみたい。
「あ、これ…」
その瞬間、既視感が何か分かった。
チェイスのさっきのセリフに言動。
全部、出会った時と全く同じだ。不自然なまでに。
「ノア、それ開けてっ」
私は焦ってノアに頼む。
ノアはそっとそれを開くと、その紙は何十にも折り重なっていたのか、勝手に開き始めだんだんと大きなものに変化し、最終的にはA4サイズの何十枚も重なった紙切れになった。
「あの紙入れに施された魔法もすごい技術だったけど、これもすごい」
ノアは感心してそれを眺める。
確かに凝ってるなって思う。
それこそファンタジー小説の粋な演出って感じだ。
ものが勝手に動くだけでも凄いけど、チェイスのはどこか華やかさがある。
魔法もマナの量だけじゃなくて技術も必要なのかもしれない。
「ミンディ…これ」
私が色々と考えていると、ノアがその書類の中身を読んで顔を上げた。
「スコットレット伯爵の計画が書かれている…」
ノアに言われて私もそれを覗き込む。
ざっと要点の書かれているところだけ読む。
「…彼の目的は聖女の誘拐だったの?」
「凱旋式で爆破し混乱している最中に…場所は、なるほどな」
ノアが頷いた。
「ノイトラール公爵邸の近くだ」
「どういう事?」
「きっと、ノイトラール公爵家の地下道を使うつもりだろう。公爵家や宮廷には帝都外への抜け道もあるから、そこまで運べば…」
「これでノイトラール公爵家の関与が立証される…」
「そうだね」
重い空気が流れる。
「でも、誘拐してどうしようと?」
「使い道はいくらでもある。魔力のあるものは高額で売れるしね」
「つまり…金儲けの為に?」
──たったそれだけの理由で?
国を乗っ取るとかそんな理由ではないのかと私は驚く。
「レモラや万能薬の件を考えればそうだろうね。ミンタ男爵が獲たはずのお金の中で行方不明なものもあるから。人の買収に使ったって言ってるけど、金額が足りない。スコットレット伯爵はただ金儲けがしたいって可能性の方が高い。権力が欲しいならもっと積極的に元老院への参加をすると思うし、帝国が大陸での硬貨の価値を定めたおかげで、お金は権力よりも絶対的なものになったからね。ノイトラール公爵もそれが分かっているのかもしれない…」
ノアは淡々と説明する。けど、目に光はない。
疲労感とかそんなものよりも、悲しみがあった。
自分が振り回されたものの正体が分かった今、燃え上がる怒りさえもない。
──こんなのあんまりだ…
私は悔しくて仕方がなかった。
意味がなかった。
苦しんだ人たちになんの意味もなかった。
こんな酷い事があるのだろうか。
ノイトラール公爵は本当にこれが国の発展だと思っているのだろうか。
お金だけの利益主義が国を発展させるわけがない。
人を人として扱わないそんな国が生き残るわけがない。
人はきっとその間違いに気づく。
これは発展のための犠牲でもなんでもない。
ただ、己の欲によって踏み潰されただけだ。
「報告に行こう」
ノアが立ち上がる。
「陛下と父上が待ってるから」
ノアが私に手を差し伸べた。
ノアは優しくて強い。
今でも前を向こうとしている。
私はまだ、立ち上がるよりも悲しみの方が強いのに。
「ミンディ、僕たちはみんな足りない。だから、何度も気づける時があったのに今になってしまった…でもそれはどうしようもない」
ノアはいつもより強い輝きをもつ瞳を向ける。
曇ってなかった。
「どうしようもないから、走り続けるんだろ?立ち止まっていることが一番悲しい事だ」
どこか聞き覚えのある言葉。
「君が言ったんだ」
ノアがそう私の背中を押してくれる。
「だから、行こう」
やっぱり、女装のノアじゃキマッてはないと思う。
でも、そんなの関係なかった。
どんな時でもノアは一緒に歩もうとしてくれる。
──もう、待たないんだ
私は踏ん張りたい。
自分の力で踏ん張りたい。
「うん」
私はその手を取って立ち上がった。




