4
「キャ────────!!!!」
会場が男の言葉で唖然としていると、直ぐに悲鳴が聞こえた。
只事ではないと、全員が気付くと、次々にテラスや窓へ人々が向かい始める。
ヴェロニカも「行くわよ」と私を引っ張って行く。
「あれは誰だ?」
「遠くて見えんぞ」
「女性ではないか?」
なんとかして人混みをかき分けて進むも、人が飛び降りようとしている姿がうまく見えない。
この公爵の屋敷のコの字続きの建物で、飛び降りようとしている人は向かいの建物にいるようだ。大きな中庭を挟んでの事なのではっきりと見えない。
だが、確かに向かいの建物のベランダから人が飛び降りようと、手すりに登ろうとしていた。
「警備に連絡だ!」
「もう行ってるって」
「どうするのあれ…」
ざわざわと人々の会話が止まらない。
よく見えないのは皆同じようで、それぞれが考察を口にしている。
──ご令嬢っぽい
ドレス姿なのは分かる。風で揺れている裾だけがはっきりと分かった。
私も前世よりも視力のいい目を凝らして見続ける。
野次馬精神があったみたい。
「あれはレヴリー伯爵家のマリッサさんね」
私が必死に見つめていると、ヴェロニカが呟いた。
ハッとして彼女の方を向けば、ヴェロニカはオペラグラスを覗き込んでいた。
──なぜそんなの持ってる
私はさも当然にオペラグラスを使用しているヴェロニカに問いかけたかった。
「何か話そうとしてる」
ヴェロニカがそう言ったのと同時に、必死な声がここまで届く。
「私はっ…信じていたのにっ……こんな事っ…!!」
大声を出すのになれていないのか、途切れ途切れに声を出す。
確か、彼女は私達と同じぐらいの年齢だったはず。
愛らしい顔をメガネと髪で隠すようにして、大人しいイメージだった。
「あなたはっ…私を選んでくれるって…、次は私と幸せになるって!なのにっ…」
──あ、これ、痴情のもつれですか?
気づいてしまった。令嬢が命を投げ出して訴える。
そして、ドラマや映画どうりのドロドロの事が実在するこの世界。
結論が出てしまった。
と、なれば気になるのはそのお相手。
「ミンタ男爵っ!何故私ではないのですかっ!」
──お前かぁあああああああい!
会場の全員がある男性の方へ目を向ける。
私は探すのでちょっと手間取って遅れてしまった。
「なっ、何を言い出す!?」
さっき私がヴェロニカに報告していたミンタ男爵だ。
見事に注目を集めたミンタ男爵は顔を真っ赤にさせた。
「なっ、あ、なんだ!?君はっ?!しっ、失礼だぞっ!!」
40代目前のおっさんが明らかに慌てて、テラスから大声で叫ぶ。
「あなたがっ!言ったじゃないっ……!!奥様とっ、奥様とも愛人とも別れて、私と一緒になるってっ……!」
──おいおい
私はマリッサさんの言葉に盛大に引いてしまった。
このおっさん30歳も年の離れたお嬢さんに何を言ってやがる。
生娘も生娘な子に。愛人も妻もいて、いいとこの令嬢、しかも愛人を乗り換えて──
──どうしようもない男だな…
多分会場の大半はそんな目でミンタ男爵を見ていたと思う。
ご婦人たちは白い目でミンタ男爵を見つめていた。
男性の方も「おいおい遊びがすぎたねぇ~」なんて目の人もいたけど、「馬鹿だなこいつ」って感じの目も多かった。
確かにおっさんにしては若々しくいい顔だけどさ。
ダンディーさにかまけていい男を醸してる雰囲気がぷんぷんしてきた。
偽いい男さんは真っ青になってガクガクしちゃってる。
綺麗にセットして決めてる流行りの長い髪も滑稽に見えてくる。
「ちっ、ちがっ……ぼ、僕……」
このまま「ママ~」と叫びそうなほどミンタ男爵は怯えていた。
彼と親密そうにしていたお針子の女性は状況がわかっていないのか首をことりと傾げている。
ちょっと巻き込まれて可哀そうとか思った。
けど、そんなミンタ男爵の様子はマリッサさんまで届かなかったみたい。
カシャン
マリッサさんが何かを落とした。
中庭の木が少しだけ揺れた。
「メガネよ」
ミンタ男爵の方を見ずにマリッサさんを観察していたヴェロニカが言った。
「メガネ?」
何故それをわざわざ落としたのだろうか。
男爵からのプレゼントなのかな?
「飛び降りるのね」
ヴェロニカの判断は違ったみたい。
しかも、見届ける覚悟はできてる的な物言いをするのは止めて。
こっちは出来てないの。
──メガネを落とすのは決意表明ですか?
って思ってたら、ヴェロニカは私の疑問に気づいたみたい。
「これから飛び降りるってのにメガネをかける人なんている?」
「いても…いいでしょ?」
ヴェロニカの言葉の意味が分からない。
不安そうな顔で答えてしまった。
「飛び降りた事ないの?」
「ないわよ」
ある方が少ないと思う。
「人は死を目の前にした時、その先を見つめることなんて出来ないの。目を閉じるに決まってる」
「なんで断言できるのよ?」
あまりに自信満々に答えるから、聞きたくなった。
そうではない時だってある筈だ。
「私の家は大陸有数の港町だから情報も人もよく集まるの」
そんなの知ってる。
「だからいろんな人を見てきたの。もちろんこの社交界でもね」
オペラグラスをじっと見つめていたヴェロニカがこちらをチラリと見た。
だが、それ以上は言わなかった。それが答えらしい。
答えになってるようななっていないような。
そんな話をしていると周りが騒がしくなった。
「「「「わぁ!!!!」」」」
「「「「きゃ──!!!!」」」」
ほぼほぼ絶叫だった。
マリッサさんは完全に決意が決まったようで、完全に手すりの上に立っていた。
そして祈りのポーズをとった。
──警備さん達は!?
チラリと視線を落とせば、警備の人が走って行くのを見えた。
マリッサさんのいる下の中庭にも集まってきている。
けど、落ちても無事では無いはず。
「ヴェロニカ、魔法でどうにかならないの?!」
つい焦って聞いてしまった。
「そんな魔力無いわよ。大体、今日は屋敷全体に魔力制御されてるはずだから無理」
ヴェロニカの淡々な物言いに、そっかと思い出す。
貴族の夜会などの催し物ではその日だけ、魔力制御をする。それをするのも大変なので、色々とあるのだが、兎に角、その魔力制御のおかげで強力な魔法は使えない。
きっと魔力制御の装置も中々切れていないのかもしれない。
「私はっ!あなたにっ心を捧げ────────」
マリッサさんは最後の言葉を告げて飛び降りおうとする。
会場はもう絶叫を通りこして、地獄のBGMみたいだった。
私も映画を見ているようで目が開きっぱなしだった。テレビ版だったらここでCM入るやつ。
誰もがもうマリッサさんの死を覚悟した瞬間───────────
「ここで何をされているのですか?」
本当のCM入りはここだった。
マリッサさんの後ろの扉から、現実を超越した圧倒的に秀麗な顔が現れた。