11
──なんか疲れた……
まだ昼前だというのに、この疲労感。
デネブレ公爵は散々話した後、「あ、議会があったんだったね。じゃぁね」って嵐のように去って行った。
恐らくだけど、婚約式は内定してしまった見たい。
「本当は2人の夫婦姿を見たいけど、まだ結婚はしないって言うからさ。義父の頼みを少しぐらいは聞いてくれないかな?」なんて、ノアみたいな子犬顔で言われたら、抗えるわけない。
──弱すぎよ。私……
あの手の顔には弱い。
簡単に押し切られてしまう。
──結婚したらあの顔が2人か…
中々手強いなと私は顔を顰める。
片方は天然だけど、もう片方はあざといタイプ。
デネブレ公爵はきっと私があの顔に弱いのを熟知している。
婚約が決まったばかりだと言うのに、もう結婚生活に不安を覚え始めた。
私は、デネブレ公爵を笑顔で見送って、今度こそはティア皇女の宮殿に向かおうとした。
けど、その第一歩を踏み出そうとした瞬間──
「ミンディさん」
またしても、呼び止められた。
今度は誰だよとキレ気味に振り返ると、そこには──
「……マリッサさん?」
私は見覚えのあるその人物に声をかける。
眼鏡はかけてないけど、間違いはない。
マリッサさんだ。
「覚えててくれたのね」
柔らかい笑みを見せるマリッサさん。
その笑顔には、私に何度も接触してきたよな刺々しさはなく、むしろ好印象にも思える優しげな感じではあった。
あの茶会で見たように、すっかり大人しい地味な印象の姿に私は戸惑いを隠せない。
「え、えぇ…それはもちろん」
あんな衝撃的なストーカー体験をそう簡単に忘れるわけがない。
「そう…。とっても嬉しいわ」
スッと目を細めて笑うマリッサさん。
物腰も柔らなのに、毒が抜けたようなのに何故か私の中でアラームが鳴る。
それはあの冷酷な異常と言える一面を知っているからだろうか。
──私は一度も謝ってもらってないんだよね…それに、私ってノアの婚約しているわけで…
あの時は誤解だったけど、今は普通に敵視されるポジション。
ふと思い出し、私は警戒心を高める。
すると、私のピリついた空気を感じ取ったのか、マリッサさんが小さな声で「あっ…」と声を出す。
「そうよね。ごめんなさい…。私が話しかけたら、嫌ですよね……」
口元に手を当てて、申し訳なさそうな顔をするマリッサさん。
地味顔ではあるものの、顔のパーツは整っていて、長いまつ毛が悲しげに揺れる瞳に覆い被さる。
「あんな事をして…、本当に申し訳なく思っています……」
マリッサさんは自信なさそうな様子で話す。
「なんであんな事をしたのか…自分でも分からなくて……あの時は色々と辛くなってしまって考ることができなくなっていたのかもしれません……。公子が救ってくださる神様のように思えて……おかしいですよね。本当にごめんなさい」
ゆっくりと戸惑いながらも謝罪を口にする様子は、本当に悔いているようにも見えた。
まだ彼女の中でも整理はできていないのかもしれない。
「ごめんなさい。ミンディさん…にも、悪いことをしたと思ってます……。あんな事を言ってっ……」
自分でも自分の行動に耐えられなくなったのか、マリッサさんは顔を手で覆った。
手は震えていて、後悔に満ちているのは明らかだった。
──内気な性格でそれが今までできなかったのかな?
そんな考えがチラつく。
チラつくけど、彼女に向けられた悪意はまだ忘れ慣れない。
さっきチェイスに会ったから比べてしまうけど、どこか彼女の言葉を鵜呑みにするのは違う。
あのチェイスの必死さとどこか違うきもする。
──結局、あんなことができる人って事だもんね
誰かに強要されたわけでもなく、自分の気持ちだけでそれをできる。
それが底知れない怖さを秘めている。
それでも彼女は謝った。
怯えながらも謝ってくれている。
そしてちゃっかり私は婚約者におさまっちゃった人間で、なんだか色々と複雑。
どんな対応を彼女にすればいいのか分からない。
「……」
きっとここで私が拒絶するのは悪魔みたいだろうな。
涙を零し始めた彼女を見捨てるのは、どうも良心が痛む。
「終わった事ですから…」
私はできるだけ笑顔を見せながら言った
「……許してくださるのですか?」
マリッサさんが顔を上げて私に尋ねる。
許す、許さないの判断は正直できない。
けど、いつまでも恨み続けていても何もならない。
「それは──…」
「あら、マリッサさん、まだここにいらしたの?」
そこに他の令嬢が通りかかった。
煌びやかな服装はおとなしめのマリッサさんと対照的。
「えぇ、少しお話をしてました」
「早くしないと遅れますわ。私、焦ってきたところですのよ?」
親しげにマリッサさんとその令嬢は言葉を交わす。
──あれ……マリッサさんって友達いた?
同年代と思われる令嬢。
この前のレイナの為に開かれた茶会ではマリッサさんは1人ぽつんといた。
誰も問題を起こした彼女に近寄ろうとしなかった。
「みなさん、待ってますわ。急いでいきましょう」
令嬢はマリッサさんに好意的な目を向けながた語りかける。
マリッサさんには友人が幾人もいるような言い方だった。
「えぇ、そうですね」
マリッサさんもそれを当たり前のように微笑みながら受け取る。
自然なその流れは違和感がなさすぎて、私の中で疑問が浮かぶ。
「あ、そうですわ」
マリッサさんはそんな私に崩れない笑顔を向けた。
「ミンディさんもご一緒しませんか?これからサロンがあるんです」
「え?」
「絶対、楽しいと思いますよ」
「え、ですが、私は招待されてませんので…」
誰のサロンかは知らないが、おそらく皇族関係であるはず。
そんなところに招待もなしで行くとなるとかなりの無礼。
私はごく当たり前に断りを入れる。
「そんなこと気にされない方ですわ。きっと人が増える方がお喜びになれます」
「えぇ、きっとそうですね」
合流した令嬢もそう言ってマリッサさんと2人で私を挟み込んだ。
「いえいえ、そんな…身嗜みもこうですし……」
「大丈夫です。私の方が地味な服です」
「……」
その通りで何も言えない。
宮仕えしているから、私の服装はそれなりに着飾ってはある。
正直、服はどれもお気に入りだから、どれもサロンに出ても恥ずかしくない服装。
「あ、いや…」
「さぁさぁ」
「行きましょう」
断ろうと思ったのに、結局そのまま2人で押し切られた。
なんだか、善意で来られると断りづらい。
ノアの気持ちがよく分かった。
*****
そして、その数十分後、流されるべきではなかったとすぐに後悔した。
「まぁ、本当に素晴らしい方ですね」
「えぇ、女神のようです」
「きっと貴方を向かれいれたこの国は大陸一の幸せな国ですわ」
令嬢達の賞賛の中心にいたのはレイナだった。
どうやら、マリッサさんのいうサロンとはレイナのサロンだったみたい。
まぁまぁの人数が集まっていて、レイナの周りで人々が談笑していた。
しかもその内容は全てレイナを称えるものばかりで、そこではレイナを中心に世界が回っているようでもあった。
「そう言えば、もう魔法を操れるとか」
1人の令嬢がレイナに問いかける。
「うん。ちょっとね。まだまだだけど」
そう言いながらもレイナはヒョイっと目の前のコップを宙に浮かせた。
しかし、少し浮き上がっただけですぐに落ちる。
「まだ少ししか経ってませんのにっ!」
「幼少期から訓練してもなかなかできませんわ!」
令嬢達はそんなレイナをさらに褒め始める。
──あれぐらいでも高度なの?
ノアは人を長時間、軽々と浮き上がらせていた。
そう言えば、魔法と関係なく生き過ぎて、どれが魔法の基準なのかよく知らない。
時々、魔法石に受け入れてもらっても、魔法を使えないって人がいるのは聞くけど、それは結構当たり前なのだろうか。
ママさんは魔法を全然使わないし、パパさんもあんまり使わないからよく分からない。
「あれ?ミンディさん?」
そんな事を考えている内にいつの間にか逃げるタイミングを失った。
レイナが私に気づいてしまった。
──余計な事を考えるんじゃなかった…
後悔先に立たず。
人生で何度、この言葉を使うんだろう。
それぐらい人生には失敗がつきものだと思う。
「なんで、ここに?」
レイナは私に目を丸めて問いかける。
「あら、レイナ様とはお知り合いで?」
マリッサさんは私とレイナを交互に見つめて首を傾げる。
そりゃ、私とレイナが知り合いって知るわけもないか。
公で会ったのは本当は2回だけど、この前の狩猟大会ぐらいだもん。
「えぇ、まぁ、色々と」
私は苦笑いで答える。
考えてみれば、ノアの元ストーカーのマリッサさん、現在進行形でノアに恋してると思われるレイナ、そして運よく婚約しちゃった私。
昼ドラならドロドロの展開間違いなしのキャストだ。
「まぁ、それならお誘いして正解でしたね」
マリッサさんは嬉しそうに言うけど内心そんな事ない。
だってこの前──
「マリッサが彼女を?」
「はい。きっとレイナ様は人が多い方が喜ばれると思って」
「そうなの?ありがとう」
レイナはマリッサさんとそんな会話をするとこちらに目を向けた。
どきりと一瞬緊張する。
「ミンディさん、いらっしゃい。きてくれて嬉しい!」
レイナはこの前の泣いて帰った事など忘れているのか、炭酸飲料が似合う、弾けるような笑顔をこちらに向ける。
──え…
私はその反応に一瞬戸惑う。
「もっとゆっくりお話ししたいって思ってたから。この前もお茶に誘ったら断られちゃって……」
そう言って、レイナは悲しそうな顔をする。
すると、その表情に次々と周りの令嬢が反応を示す。
「レイナ様、そんな悲しい顔をされないでください」
「レイナ様は笑顔が一番です」
「私まで悲しくなってしまいます」
慰めの言葉を述べ、レイナをあっという間に囲んだ令嬢達。
──あ
その中にあの侍女もいた。
いつもの様に私を睨んでいる。
いや、侍女だけじゃない。
他にも私を睨む人がちらほらと見受けられた。
──なんなの…
不気味に思える光景に私は身震いした。
けど、この光景は初めてじゃない。
見覚えのあるもの。
だからか、私はそっと自分の腕にはめているノアのブレスレットを触った。
──いざとなれば、これがあるし…
そう焦ることはない。
冷静に対応すればなんとかなる。
そう思い自分を落ち着かせる。
「あら?それ…」
私が安心感を得ようとブレスレットを片手で握っていると、隣にいたマリッサさんが声をかけてきた。
「あ、はい」
私が返事をすると、マリッサさんはすっと目を細めて笑う。
「ノア様からの贈り物でしたよね?」
「え?」
愛想良く尋ねられているのに、私は内臓から冷えるような感覚になった。
──なんで知ってるの?
そう思い、マリッサさんを見つめ返すと、マリッサさんは笑顔のまま言う。
「報告書で読んだんです。私が暴走してしまって、皇女殿下にまでご迷惑をかけてしまい…」
マリッサさんは瞳を曇らす。
報告書って調書か何かで聞いたものだろうか。
よく分からないけど、そういう意味だと取っておく。
「そうでしたか」
「はい。愛されているんですね」
マリッサさんは笑顔のままそう言う。
知ってたのかと私は一瞬表情を凍らせた。
「知ってますよ。公子の婚約は国の一大ニュースですから」
朗らかに言うマリッサさんだけど、なぜか私は緊張する。
──多分、気を許したらダメな気がする。
瞳の表面はらしく見えているけど、その奥がいまいち掴めない。
笑顔なのに肝が冷えてしまうのは、きっと何かある。
「ミンディさん、こっちに座りましょう」
マリッサさんが、私をレイナを中心として座る人々の方へ誘う。
──気を引き締めろ
私は背筋を伸ばし、一歩ずつ踏み出す。
私の中のアラームが歩くごとに大きくなり私に警告し続けていた。




