10
そしてその次の日、私はホワホワした気持ちで朝を迎えた。
「朝だ」
起き上がってすぐに机の上の紙を確認する。
『夢じゃないよ!』
「夢じゃなかった……」
昨日、寝る前に書いておいておいた。
夢ごごちで、自分の部屋に戻った後に「もしかしたら夢かもしれない」なんて思い不安に駆られた。
実際、夢でも同じシーンを何度も見たから夢出会ったのも確かなんだけどね。
けど、最初のは紛れもない現実。
「ぬおおおお!」
私はもう一度ベットにダイブして、枕に向かって叫ぶ。
フッと鮮明に思い出しちゃうあれはやばい。
私はひとしきり叫び終えると体を起き上がらせる。
「これ、結婚しても大丈夫なの?」
自分の体力にも精神にも不安を感じてしまった。
*****
「あ」
なんとか落ち着いてティア皇女の元へ向かおうと廊下を歩いていると、出会っても嬉しいとは言えない人物が目の前に現れた。
「ヒィイっ」
そして、その人物は、声を上げ、青白い顔をしてさっと隠れる。
──おい、なんで私が避けられるんだ
なんだか腹立たしくて、チェイスを追いかけた。
「あの、なんで逃げるんですか?そんな事してたらすぐにスコットレット伯爵にばれ──」
「わあああ!!」
私が言うと、チェイスが慌てて私の口を塞ぎに戻ってきた。
そして私に触れてしまったからか慌ててその手を離す。
「す、すまない!絶対に、ノア君には言わないでくれっ!!君に触れたのは事故のようなものだっ!」
そっちから触れてきて事故って言うのは違うだろと私は顔を顰めた。
「あ、あとコーラ嬢にもっ!!君が大声であんなことを言うからっ……」
チェイスは慌てて弁解を始めた。
「君に触れた事を知られたら…僕はもう命がなくなる……」
キザなわざとらしい仕草はどこに行ったのか。
チェイスは必死に懇願を始めた。
──こんな感じの人だったけ?
そう思いながらも、こちらのチェイスの方が鳥肌が立たないことに気づく。
もしかしたら、無理に演じていた事を私は感知していたのかもしれない。
──てか、ノアはチェイスになんか言ったのかな?
この前のことだけでこれほど怯えるとは、こいつは意外とチキンなのかなとか考える。
──いや、チキンだから、父親に反発することもできなかったのか…
見た目はキザな髪型のままで、嫌な印象が全く変わってないが、どことなく情けなさがプラスされた様に思えた。
そして彼の場合、その情けなさがマイナスに発揮しまくっているんだと思う。
ノアの場合もいい時と悪い時とあるけどね。
「人の顔を見て逃げていく行動の方がバレますよ。伯爵の為にキザを演じてるんじゃなかったんですか?」
「そ、それはっ……、あんな風に矢や剣を向けられたら…そんなことしてる場合じゃなくなる……」
本当に臆病者みたい。
きっと明確な力に弱いタイプなんだろうね。
「それに、父上は今は僕になんて興味ないさ…」
チェイスは暗い表情で呟く。
怯えている羊のようで、私はちょっと可哀想とか思ってくる。
──いや、だからといって、この人の罪が消えたわけじゃないけど…
それでも、クリスティンさんはもう前を向いて歩き始めた。
そしてそのクリスティンさんが見逃した。
許したかどうかは分からないけど、クリスティンさんは彼にもチャンスを与えた。
──でも、だからと言って、この人がお父さんから逃れられるわけじゃないんだよね…
やっぱり不憫にも思える。
この性格だ。
もしかしたら、この人は一生ビクビクして過ごすのかも。
「チェイスさん」
「なっ……なんだ」
わたにしさえ怯えながらチェイスが返事をする。
この人は安心して付き合える人間っているのかな。
そんな心配までしてきた。
「最近になって思いますけど、怖いって思うのは大切だと思いますよ」
ノアを見ているとそう思う。
自分は何が怖いのか、それを知ってる人は強い。
「え?」
チェイスさんはいきなり語り出した私に不思議そうな目を向ける。
「何がこわいか分かってる人は、自分の大切なものが分かってる人なんです。それって凄くないですか?」
だって、何が大切かって明確にわかる人ってそうそういないと思う。
人はどんなものであっても一回手に入れたものを手放すことは難しい。
自分の所有物と認識したものはどれもある程度大事になってしまうから。
「だから、自分の幸せがよく分かっているんです。どれを大切にすればいいのかって、よく考えてるし、考えてるから最悪の事態にはならないんですよ」
「この状態が最悪じゃないって、君は言いたいのかい?」
私が言い切ると、チェイスは皮肉を言われたと勘違いしてきつい目をむけてきた。
「でも、貴方はまだ伯爵に捨てられてないじゃないですか」
「父はまだ僕を見捨ててないだけだよ。今回の件で父は僕の利用価値は低いと思ったかも…。そうなったら、捨てられるのも時間の問題かもしれない…」
チェイスはどこか諦め始めた顔をしている。
怯えながら自分の人生の終わりを待っている人のようにも見えた。
「ほら、そうやって『かもしれない』って先の事を考えてるじゃないですか」
「……」
「怯えない人はそんなことも考えられないんです。きっと大丈夫だって思い込んでるから自分の立っている場所を明確に見ることが出来なくて、葉巻に毒が入ってるなんて気づけないんですよ」
「君は嫌味を言いに来たのか?」
チェイスは私を警戒しているようだった。
「いや、だから、貴方はクリスティンさんが見逃してくれたおかげで、こうやって無事に生きてます。それこそ、貴方のお母様はひとまず元気なんですよね?」
私が確認すると、チェイスは渋々返事をする。
「あぁ……」
「それなら、貴方の願いは叶ってるじゃないですか」
私が言うと、チェイスは面を喰らった顔をした。
「後はこれから伯爵に切り捨てられないように、お母様に被害が行かないように考えるだけ。貴方はお母様に為にここまでしたんです。貴方にとって大切なものはちゃんと守れてます」
彼は目標を達成した。
多分、あの時クリスティンさんが彼を見逃さなかったらその結果は獲れてないと思う。
けど、彼は自分を曝け出し恥部まで語った。
彼が同情を誘いたかったわけではないと思うけど、彼は必死だった。
自分の大切なものの為に必死に語った。
それは人の心を動かすには十分で、彼が自分で勝ち取った結果とも言える。
「それで彼女は許してくれるだろうか………?」
チェイスは黙り込んだ後、私に聞いてきた。
多分、クリスティンさんの事だろうね。
クリスティンさんは彼を許すとは言ったけど、彼はまだそれで許されたとは思ってないみたい。
それで終わりのマヌケ野郎なら、それ以前に許されたなかったと思う。
彼は自分の付けた傷をちゃんと認識できる人。
そして、それを悔いることができる人なんだ。
当たり前のことなのに、それをできる人は少ない。
自分の付けた傷が理解できない人、悪いことだと思っているけどそれは仕方なかったと片付ける人。
きっと背負い続けて生きる人はそうそういない。
「さぁ、どうでしょうか」
彼に対してあまり感情は湧かなかった。
「でも、クリスティンさんは進み始めたよ」
ただ、クリスティンさんの思いが無駄になることが嫌だ。
私がそう言うと彼は、グッと下唇を噛み締めた。
瞳は不安げに揺れていた。
「お母様を守れるといいですね」
私は最後にそう言って、その場を離れる。
──今回は完全にでしゃばった…
関わらなければそれでいいのに、自分から行った。
失敗だったと思いつつも、言いたいことを彼にやっと言えてスッキリした気分ではある。
──ただの自己満足って言われれば、言い逃れはできないけど…
そう思いながらも、ちょっと考える。
彼はどんな方法を選ぶのだろうか。
結局、罪悪感をまた抱きながら伯爵に使えるのだろうか。
彼は臆病だからそうかもしれない。
──でも、きっとクリスティンさんのことは忘れないよね…
「おや?ミンディくん」
そんな事を思いながら元の道に戻ると、ノアのお父さん、デネブレ公爵と出くわした。
デネブレ公爵は今日も若々しい。
婚約してから「僕の娘になってくれるのに、『嬢』じゃよそよそしいよね。でもねぇ~、親しくしすぎるとノアがねぇ~」と言って、いつの間にか「くん」で落ち着いていた。
「これから、ティア皇女の元へ?」
「はい。少し遅いですけど」
「朝食は?」
「部屋で済ませました」
「そうか。では、ブランチでもどうだい?」
ダンディなデネブレ公爵の誘い。
きっと、色恋に夢中な人なら喜んでついていくだろうな。
私も別にいいかなと思っていると、デネブレ公爵がすぐに表情を暗くさせた。
「っと、言いたかったけど、この後、議会があるんだね」
デネブレ公爵は肩を落とす。
彼は他の貴族のようにプライドを全面に押し出しながら話すことはしない。
きっとそれだけ自信のある人なんだろう。
──ノアも多分、自信なんてないって言いながらある人なんだよね…
いつでもノアは堂々としている。
彼は気づいてないだけ、もしくはまだ足りないと思っているのか。
考えて行動する分、ノアは自分のすることにある程度の自信を持っている。
性格が異なるように見える親子だけど、そういう根っこの部分は一緒。
「ふふっ」
それを思うとつい、笑みが溢れた。
「ミンディくんは私とお茶できないのがそんなに嬉しいみたいだね」
「とんでもない。公爵とはゆっくりお話ししたいです。ノアの小さい頃の話をまた聞かせて下さい」
「それならいくらでもしてあげるよ。ノアは面白い子だったからいくらでもある」
ノアと兄弟と言われてもおかしくないデネブレ公爵の若々しい顔に、父親の表情が見えた。
目尻に皺を寄せ、愛おしむその瞳は彼の宝物の姿がたくさん詰め込まれている。
その表情もノアの柔らかさと似たものがあった。
「あ、あのデネブレ公爵、お聞きしたいのですが…」
私がそう言うと、「義父様って呼んでもいいんだよ?」なんて冗談を言いながらも、「なんだい?」と耳を傾けてくれる。
「例の植物の件ですけど…」
私が誤魔化して言うと、デネブレ公爵はあっさりと「あぁ、レモラね」と口にした。
一瞬周りを警戒したけど、公爵の堂々とした姿を見ればなんともないのは明らか。
でも、私は吹っ切れることはできないから、神妙に頷いた。
「あまり気にしなくていい。帝国は優秀な犬を飼ってるからね」
そんな意味深な言葉を言った。
多分、順調ってことなのかもしれない。
デネブレ公爵もそれ以上は言うつもりはなかった。
「あぁ、そうだ」
何かお思い出し、明るい笑みを見せる。
「ノアの幼い頃の話なら母上──、ノアの祖母の話もいいよ。妻が亡くなった後、ノアは祖母に育てられたからね」
デネブレ公爵はククッと喉を鳴らした。
「まだ、会ってないだろ?」
「はい。新婚旅行で回るつもりでいましたが…」
「あぁ、そんな時代錯誤の新婚旅行なんてしなくていいさ。親戚周りなんて結婚式や婚約式で終わらせればいいんだ」
デネブレ公爵は微笑みながらそういうと、何かに気づいたようで改めて私に顔を向ける。
「そういえば、婚約式の話を君たちから聞いてないね」
婚約式。この世界では婚約が決まると、ちょっとしたパーティーを開くのが通常だ。
結婚式前に先に祝っておこう的な物らしい。
けど、私の場合、前世の影響であった多少のウェディングドレスへの憧れは、貴族令嬢で生まれたおかげでほぼほぼ叶っている。
言ってしまえば、毎日がコスプレ大会みたいなもので、シーパンにTシャツが当たり前だった私には、それよりも煌びやかな服を着ているだけでお腹一杯だ。
しかも、色恋のあれこれに興味がなかった私は、結婚式そのものへの憧れはない。
寧ろ、前世でも写真だけ撮れたら結婚式しなかったらしなかったらいっかぐらいなわけで、婚約式って必要?なんて思ったりもする。
そして、そんなニュアンスの話を私はノアに言ってしまったようで、ノアが私に尋ねてきた。
『君は結婚式も婚約式もしたくないの?』
ノアが不思議そうに私に尋ねる。
『う~~~~ん、必要ならするよ?』
私がそう言うと、ノアは表情を曇らせた。
『君がしたくないのか、したいのかを聞いてる』
ノアにはそこが大事だったみたい。
『憧れはないし、わざわざ2回も式をする必要はないかなって感じかな?』
『女性は式とつくもには目がないってアーノルドは言っていたけど…』
ノアは目を丸めて私に言った。
どんな解釈だよと思いつつも、私は苦笑いを返す。
『憧れはないし、その度に着飾るのはちょっとだけ勿体無い気がするかな。毎日、身だしなみを整えるのだって面倒に思う事だってあるのにさ』
そう、この世界に来てひしひしを感じる。
綺麗でいるのも楽じゃない。
櫛でとかなきゃ髪は乱れるし、顔だって毎日洗わないとよだれの跡は消えない。
服を着るのも綺麗にしないとものにならない。
ドレスのリボンが縦に結ばれていたらそれはもうだらしないもの。
着ておけばなんとかなるって考えは捨てないとどうにもならない。
前世は最低限でなんとかなってたけど、今世はそうもいかない。
だって周りが綺麗すぎるから。
前世よりいい見た目になっても、努力が更に必要になってしまった。
──それに、ノアを自慢できるのは嬉しいけど、その分私も頑張らなくちゃいけないじゃん…
そう。更に、相棒が女性よりも美しい容姿ときた。
並の私が普通に着飾るだけではどうにも対抗できない。
『それよりも、もっと普通に楽しい方がいいかな』
楽であることを優先させてしまうダメな人間。
でも、そっちの方が本当に楽しい。
人生はもしかしたら何度かあるかもしれないけど、この人生は一度きりだもん。
できるだけ、この瞬間を楽しむ方がいいに決まってる。
そう言うと、ノアはうんうんと頷いて私に同意を示す。
『僕も疲れるより楽しい方がいい』
どうやらノアも同じ考えだったみたい。
そんなこんなで、2人の中で結婚式は逃れられないだろうから、婚約式はスキップしちゃえって事になったのだ。
「なるほどな。ノアらしいし、ミンディくんらしい」
私の話を聞いたデネブレ公爵も頷く。
「でもね。婚約式はしたほうがいい。うん、した方がいいさ」
デネブレ公爵は頷きながら言った。
その言い方は私の意思なんて関係ないような感じ。
「きっとそっちの方が面白いからね!そうしよう!」
私のさっきの話はなんだったんだろう。
デネブレ公爵はノアにそっくりなキラキラした笑顔でそう言った。




