7
私はノアの研究室の扉をノックした。
「はい」
「失礼します…」
ノアの落ち着いた返事を聞いて、私はそろっと部屋に入る。
「あの……もう一回、お詫びにやって来ました」
私はそう言って、後ろに隠していた袋をノアに渡す。
ノアはそれを自然に受け取って、首をかしげる。
「あの日は、ノアの事を気にせず、色々と押し付けて食べさせてごめんっ…。調子に乗って全然ノアの事を気遣ってなかっです。それは胃のもたれにいいって言われているお薬」
私は罪悪感を一気に吐き出した。
ノアの顔色は見れない。
──嫌われたらどうしよう……
面倒なやつだと婚約を解消されることだってあるかも。
されない自信なんてないから怖い。
「嫌じゃなかった」
ノアが優しい音色の声を出す。
私の好きな声だ。
「気を使わないでいいよ。迷惑だったら迷惑だったって言ってくれないと、私、学習せずに何度も同じ事をしちゃうから……」
言いながら、馬鹿で学習能力のないやつだと思われてないか不安になる。
いや、思っていてもノアはそれを受け止めてくれるんだと思う。
「本当に嫌じゃなかった。僕はとても楽しかったから…調子に乗って食べすぎたんだ」
声色が違う響きの様な気がしたら、私は顔をあげる。
ノアは頬を染め、気恥ずかしそうに口元に手を置いていた。
「どれも美味しくて…知らないものばっかりで……。しかも、あまりにも楽しそうに勧めてくれるから、僕も浮かれてしまった……」
ノアは口元を緩めそうになるのを必死に堪えている顔で言葉を続ける。
そして、私がノアをじっと見つめているのに気がつくと、ノアは決まりの悪そうな顔をして視線を彷徨わせた。
「謝るべきなのは僕だ。迷惑をかけてしまって──」
「迷惑じゃないよ。みんなすごく楽しくなっちゃったんだよ。ノアがあまりにも美味しそうに食べるし、なんせうちのお父さんと弟は結構面食いなんだよ。ノアの嬉しそうな顔を見てやられてさ」
パパさんはママさんと結婚しただけある程、本物の面食いだ。
今は最高の女神のママさんを見つけて一筋だけど、昔は結構いろんな美人さんを見てときめいていたらしい。
そしてその血を受け継いだワイアットは同じく身内には甘めの面食いだ。
「姉上の可愛さは別格です!」と言われたことはある。
そして、その2人は女性も見劣りしそうな美形のノアにやられたみたい。
無表情はセーフだったのに、笑顔が半端なかったと告白された。
「それに、ノアの顔はタイプだったみたい」
私が身内の恥を渋々言うとノアは顔を綻ばせる。
「よかった」
「嬉しがるところじゃないよ」
「でも、嬉しい」
ノアは素直に言った。
義理の父になる予定の男にタイプだと言われて嬉しがる人間がどこにいるんだ。
私はなんとも言えない気持ちになって口をモゴモゴとさせる。
──ノアがいいならいいけどさ……
はいそうですかと簡単に受け入れるほど、私も図々しくない。
「兎に角、私も私の家族も調子に乗って親切だと思い込んで色々とやっちゃうかもしれないから、嫌なら嫌って言ってね。こっちも気をつけるから…」
謝罪しても受けとってくれないのは分かるから、私は結局そんな言い方になった。
ノアは「うん」と軽く頷く。
「嫌だったらね」
そうは言うが、それは絶対に言わないパターンじゃないかと思う。
私が納得してないのが分かるのか、ノアはしれっとその話を逸らそうと口を開く。
「もしかして、さっきの事で気になった?」
「う゛っ…」
図星で私は可愛げのない声を出す。
さっきのってのは、レイナとの食事会の事。
ノアはそんな私を見て、目尻に皺を寄せた。
「ミンディ嬢が慌ててるのは感じてた」
どうやら、私もバレバレだったみたい。
「空気を悪くするのもティア皇女に悪いし、本人は親切のつもりだったから、わざわざ断ることもないと思った」
ノアはそう言って立ち上がり、私を近くの椅子に座らせ、自分はティーポット類が準備してあるところへ行く。
「何か飲む?」
「いや、いい」
「これ、ありがたく飲ませてもらうね」
ノアはそう言って、ティーカップにお湯を注いで、私が渡した薬を飲む。
そしてちょっと眉を下げてこちらに顔を向ける。
「無理して食べたから助かった」
「残せばよかったのに」
「作ってくれた人に申し訳ない」
「美味しく食べないのも、料理人への冒頭だよ」
「それは盲点だった」
私が指摘すると、ノアは何が楽しいのか穏やかに言葉を返す。
なんでかな。
ノアと話していると気が抜ける。
「彼女のとミンディ嬢達のとは違うよ。彼女はただの押し付けで、ウルグス家は僕を喜ばせようと僕を気遣っての事だから」
「いや、結構押し付けたよ?」
「それは僕が喜んだからでしょ?僕が何を好きか考えてくれたから」
ノアは穏やかな顔で語る。
窓から入り込む微風がノアの癖っ毛を揺らす。
「聖女様だって、親切心だよ」
何が違うんだろう。
「あぁ、だから断ってしまうのも悪いと思った。けど、彼女のは──」
言いかけて、ノアは一旦口を閉し、考える。
どうしたのかと覗き込むと、ノアはゆったりと語り始めた。
「前に魔法を教えに通っていた時、何度かお茶に誘われた事がある。その時にも、善意で色々と勧められた。紅茶は砂糖など入れぬ方が良いとミルクも取り上げられて」
ノアは哀愁漂う顔で話す。
「彼女は自分がそう思うから勧めてくれているのは分かっている。だが、どうもそれはどこか押し付けられているようで。僕が何を好むかは彼女には関係ないようだった」
そう言うノアを見ながら、私にも思い当たるものがあった。
「絶対、こっちがいい」とレイナはよく言っていた。
率先して学校行事でリーダーシップをとっていたからかもしれないけど、レイナはまず自分の意見をよく言う子だった。
──そういえば…レイナの思い通りにならないことあったっけ?
そう思い返しても特に見当たらない。
レイナがいいと言えば、皆がそれに従っていた。
──いや、私もそう思ってた。レイナがいいって言う事は全部正しいって……
中学生の頃はそんな風に思って違和感もなかった。
レイナはすごいと思っていたが、高校生になってから何かが違うと感じた。
──そうだ。あの中学の出来事の後にバビィさんのお店を見つけるようになって…
そこから段々と違和感を自覚し始めた。
レイナの主張はいつも正義感に満ちたものだったが、それ以外を全て否定するものだった。
レイナの意見以外をレイナは必要としていない。
──でも、それで上手くいっていた…
そう。ノアの様に不満に思う人はいなかった。
レイナの思う様に全ては運ばれていて──
はっきりとは見えない。
けど、確かにレイナの行動は意見を押し付けているかの様なものがあった。
「ミンディ嬢」
私が考え込んでいるとノアが私の隣に座って、声をかけてきた。
いつもは向かい合わせで座るのに、いきなり隣だから緊張する。
「いつまでも黙っていても良くない気がするから、早めに言っておく」
「え、なに?」
あまりにも真剣なノアの顔に、またしてもドキッとした。
「前に話したけど、彼女の持っているグリード国産の魔石」
「あぁ、うん」
「あれは多分、彼女と契約してないよ」
「え?」
突然の報告に私は目を丸めた。
──契約してない?レイナのものじゃないって事?
その事実に安堵する前に私は困惑した。
「ミンディ嬢、何か心当たりはない?」
ノアは私に瞳を揺らしながら尋ねる。
「心当たりって?」
何かを見透かされているような気分になりながらも、特に困ることもないなと私はノアに答える。
自分で言うのもなんだけど、私はノアに後ろめたいことは何もない。
だって、後ろめたいことは既にノアに言っちゃってるから、今更出てこないもの。
「あの魔石を気にしてた」
「それは…まぁ……」
さっきまで後ろめたくないっって自信あったけど一気に消えた。
前世の記憶があります、なんてそう簡単には言えないと思う。
──説明して納得してもらえるのかどうか……
そう思いながらも、この世界には私には理解できない魔法というものがある。
それに異世界から人が来るって考えもある。
前世の私にとってはありえないことだらけ。
──言ってもいいのかな?
ありえないことも受け入れられるのかもしれない。
そう考えると気が楽になりかけた。
──でも、もし信じてもらえなかったら?
その不安が過る。
頭がおかしいとか思い込みが激しいとか思われたらどうしようかと、私を後退りさせる考えは次々と浮かんでくる。
──どうしよう…
そう考えていると、ノアが体をこちらに向け直した。
「ずっと黙ってたんだ。何か理由が分かるまで君を不安にさせるのもどうかと思って…」
ノアは眉間に皺を寄せて苦しそうな表情をする。
ノアは気を遣って苦手なことをしてくれたんだ。
「何?」
私が尋ねると、ノアは思い切った様に口を開いた。
「あの魔石と契約してるのはミンディ嬢、君だ」
「え?」
「君の魔石なんだ」
そう言われて固まった。
──ん?私?
言葉はわかるけど理解が追いつかない。
「でも、あれは…レイナが持ってて……」
「うん。でも彼女とは契約してない。だから今まで魔法を練習しても彼女は使いこなせることは出来なかった」
「でも、私、魔力なしだよ?」
「どんな理由かはわからない。けどあれは君のものだ」
あまりにもノアが断言するのだから間違いはないのだろう。
「え、なんで?」
だけど、私も聞かずにはいられない。
ノアは私が尋ねると、呼吸を整えて説明するぞって姿勢になる。
私もなんだか構えてしまった。
「前に僕が君のマナがどこかへ飛んでいっているって言ったの覚えてる?」
「あぁ、うん。もしかしたら、魔力なしにも訳があるかもって?」
「うん」
私が確認し直すと、ノアもしっかりと頷く。
「そのマナの行き先があの魔法石」
「つまり…私のマナがあの魔石に吸収されてるの?でも、私、魔法使えないよ?」
「身につけてる訳じゃないからマナの提供が薄くなってるんだと思う。だから君の体の中でのマナの循環がうまくいってない。他の魔石が君を受け付けないのも、君のマナが既にあの魔石で手一杯になってるから」
「じゃぁ…あの魔石を身につけたら、私は魔力なしじゃないって事?」
「うん」
再度、力強い返事が返ってきた。
間違いではないみたい。
「魔法が使えるんだ…」
「黙っててごめん」
ノアは気まずそうに言った。
顔に影がおちる。
「彼女と関わるのはいい予感がしなくて、言うべきかどうか迷ってた」
「いい予感がしないって?」
私が尋ねると、ノアは緊張した顔をする。
「僕がいい思いをしたことがないから、君にまでそれが降りかかるかもしれないと……」
明らかな悪口だと思っているのか、ノアは苦い顔をする。
どこまで純粋なんだと私はつい笑ってしまった。
「それぐらいは悪口には入らないから。事実だから」
「だが、僕が思っただけだ」
「うん、でも人の印象って気持ちが最優先だから。そりゃ、それだけで判断しちゃダメだけど、苦手なタイプの性格を好きになろうとしても無理でしょ?これって誰が悪いとかじゃなくて、相性の問題だから」
私が宥めるように言うと、ノアは視線を逸らした。
「…今、僕を情けないって思った?」
「思ってないよ」
そんな事を気にするのかと私は苦笑いを浮かべた。
「そういう所を気にしちゃうのはノアらしいって思っただけ。普通は気にしないところでも気にするノアの優しさでしょ?」
「…こわいだけ。男らしくない」
「それをこわいって思えるのはすごい事だよ。それにそこに男とかって関係ないでしょ?」
私はそう言ったけど、ノアは眉を下げた。
「聖女が甘いものを食べるのは男らしくないと」
「レイナが?」
「あぁ…」
どうやらそれを気にしていたようだ。
自分の好きなものを押し付けて、さらに考えも押し付けた。
ノアはそれがどうも引っかかっているようだ。
「それによく言われる」
ノアは不貞腐れた様に言った。
──気にしてしょげるのか
意外な一面を見れた。
「ノアでも、人の目を気にするんだね。人を傷つけたくないけど、自分はどう思われても平気なのかと思ってた」
「僕だって普通に気にする。それに──」
ノアは珍しく反論したかと思えば、すぐに言うのを止めた。
そしてこの話題が嫌なのか、自分から言っておいてレイナの話に戻した。
「それに聖女の魔力はいい影響を与えてない気がする」
「どういう事?」
「分からない。何故かまとわりついてくる感じがある。まだ魔法は研究が始まったばかりだから分からない事の方が多い。だが、僕はいい感じがしない」
「それで、私にわざと知らせなかったの?」
「うん……」
ノアなりの気遣いなのだろう。
「だが、なんだか聖女は君に対してどうも変な感情を抱いてるみたいだったから、黙っていて手遅れになる前に、ミンディ嬢も警戒しておく方がいいかと思って」
ノアも悩んだのだと思う。
話すノアの言葉がいつもより重い気がした。
「さっきの、やっぱり私が責められた形で終わっちゃったよね…」
私もすっごく気になっていた。
すると、ノアは首を捻った。
「どうも言い方はそうだが、話の流れでどこをどう解釈すればそうなるのか分からない。どこに君を責める理由があった?それとも、僕の知らない意味がどこかにあったのだろうか」
どうやら、ノアは理解に苦しんで、あの時の怪訝な顔になってしまったようだ。
私も同感。
なぜ、あんな言葉がレイナから飛び出てきたのかびっくりだよ。
そう思いながらも、ノアはきっと黙っていたのを後悔してるのだと思って口元が自然と緩んだ。
──どこまで優しいんだろう…
だから、つい許してしまう。
全部ノアが私を考えて、私の思いまで汲んで考えた事だから。
──別に、腹も立ってないしね
私は顔をあげてノアを見た。
「私は男らしいとからしくないとか良く分からないけどさ」
ノアも私をまっすぐ見つめる。
「私はそのままのノアが好きだよ」
そう言って、笑うとノアが手で顔を覆った。
「え、どうしたの?」
「……」
びっくりして声をかけるけど反応はない。
でも、少しして手をずらし目だけを出した。
「ミンディ嬢が眩しかった」
「え?」
「あと、恥ずかしかった」
ノアはそう言って顔をプイッと背けた。
好きと言われて照れたのか。
初めてのその反応に胸がうずうずする。
「ノアさん、恥ずかしかったんですか?顔を見せて下さいよ」
変態親父のようにうざったくノアにちょっかいを出した。
私もちょっと恥ずかしくてふざけてないとやってられない。
「───ミンディ嬢は意地悪だっ」
ノアは迫る私から顔を背けて拗ねながら言った。
頬を染めて、ちょっと色っぽかった。
──うぉおおおおおおお!!
私の全細胞が歓声を上げる。
──これが両思いってやつか?付き合うってやつか?
そこら辺がいつの間にかすっ飛ばされていた私。
2度の人生での初めての体験に、もうはしゃぎまくっていた。
こんな自分は、後になって恥ずかしくなるやつだけど、どうしてもこの感覚に溺れたくなる。
「ノアさん、婚約者なんでそろそろ呼び方を変えませんか?」
私はノアに顔をグッと近づけて言った。
「ミミって呼んでもいいですよ?」
私がわざとらしく言ってみると、ノアは唇を尖らせた。
「…………ミミ」
すっごくぶっきらぼうに言われたのに、私は嬉しくてたまらなかった。




