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「僕だって…………」
チェイスはノアの魔法が解かれたコーラさんによって、問答無用で木に縛られている。
あのキザな話しぶりはどこへやら、恐怖に震える子羊のように唇を震わせながら、吐くように語り始めた。
「き……君には…悪いと思っているんだ………」
チェイスはクリスティンさんと目が合うと、すぐさま後悔を滲ませた顔を背ける。
クリスティンさんも気不味そうな顔をしていた。
私も気不味い。
──これって聞いていいのかな?
今更だけど、不安になってきた。
「あ、あれが、あんなものだったなんて知らなかったんだ……父上は、『これさえあれば、お前にも利用する価値ができるだろう』って…、『お前は、顔しか取り柄がないのだから』って……」
どことなく視点の合ってない目をしているチェイス。
「スコットレット伯爵が…?」
クリスティンさんが瞳を不安げに揺らす。
最初から、惑わすことが目的だって言っているようなものだもの。
ショックがないわけない。
私はこの状況がなんだか後ろめたい。
だって、クリスティンさんの許可なく、クリスティンさんの事を調べてるみたいな…
当事者じゃないのに、なんだか余計に首を突っ込んでいる気がする。
──コーラさん、なんで捕まえてきたんだ…
そう思いながらも、チェイスを許せない気持ちは一緒だから責める気にもなれない。
「知らなかったんだよ……」
チェイスは、体を震わせ、何かから逃れようと頭をふる。
「こんな事になるなんて、本当に知らなかったっっ!!あんな事になるなんて…僕は本当に知らなかったんだっ!!本当だよっ!!!」
チェイスは懇願し始めた。自分は悪くないと主張する。
助かろうとしている下賤な奴かと思うけど、彼の取り乱した様子から単純にそう思ってしまうのも躊躇ってしまう。
──何に怯えてるの?
私たちに対してではない。
他にも何か彼を危険に晒す何かがあったはずだ。
「今更謝罪するのなら、早くそれを供述するべきでしたわ!」
コーラさんが怒りながら言った。
「コーラさん、落ち着いて、人が来ちゃいます」
「来てなにがいけませんのっ!?こんな男っ!」
「クリスティンさんに迷惑がかかるんです!!」
そこは忘れるなよと私はコーラさんに言った。
コーラさんも我に返ったのか、クリスティンさんの方を気遣いながら、気不味い顔をした。
「でもっ…それでも許せませんわ。だから余計に許せませんの…」
コーラさんはキッとチェイスを睨む。
コーラさんは恐れず、ダメなことはダメだと言える人間。
その強さに私は憧れてしまう。
私は、穏便にって思ってしまう人間だから。
──子供相手にしか言えない人間…
チェイスに敵意を丸出しにできるコーラさんを見ながら、私が偽善者を演じているような気分になった。
「貴方は、罪から逃れるのが本当にいい判断だと思いまして?そんな事をして余計に罪が深くなると──」
「父上がそれで許してくれるはずもないじゃないかっ…」
コーラさんが叱責を続けると、チェイスは苦しそうに言った。
「なぜですの?貴方の証言があれば、貴方がレモラを使用した方達の証言も合わせて、物証がなくともスコットレット伯爵を追及できますわ。結局、貴方が罪から逃れようとしただけではありませんの?」
「君は、今日から取り調べを受けている女の事を知らないのか?」
チェイスが信じられないと驚愕の表情を浮かべる。
「女?女性が取り調べ?なんの事ですの?」
コーラさんが私たちに質問を投げかける。
勿論、私はなんのことか分からないから首を横に振った。
けど、ノアが答えた。
「そういえば、父上から憲兵団にレモラの不正取引をしたと出頭した者がいたと聞いた」
「出頭ですって?」
コーラさんがどういうことかとチェイスを見つめる。
チェイスもしまったと思ったのか、口を閉ざして視線を彷徨わせる。
往生際が悪いなと私は思った。
──ここまで来たら聞くしかない
気になって気になって仕方なくなる。
クリスティンさんには本当に申し訳ないけど、ここで逃したらダメなきがした。
──有耶無耶にしようなんて、腹立たしすぎる。
これで終わっちゃダメ。
それは私の世界を守る為の行為。ママさんは自分の世界を守れと言った。
クリスティンさんもこの件も私の世界の一部だもの。
コーラさんの正義に私は酔っていたのかもしれない。
私はチェイスに追い討ちをかける。
「貴方がスコットレット伯爵の指示通りにしたって言ったの、ここにいる全員が聞いてます。今更誤魔化したって手遅れですよ?」
「そっ…それは…」
チェイスは口籠る。
もう一押しだと思った、私はさらに続けた。
「あ、そうですか。では、このまま憲兵団の方へ貴方を引き渡しますね。ここにいる4人分の証言がありますし、なんと言っても、ノア公子も証人ですからね。きっと陛下がその正当性を認めて下さるかもしれませんね♡」
小さい頃、パパさんに向かってやっていたぶりっ子をやった。
コーラさんもノアも怪訝な顔をしている。
コーラさんはいいとしてノアはその顔しちゃダメでしょ。
腐っても私はさっき貴方と婚約の口約束した人ですよ?
好きな人に対する表情じゃないよ。
「っ……ぼ、僕が言いたかったのは……」
チェイスは苦しそうに吐き出す。
「僕が証言しても、結局切り捨てられるだけだ。あの娼婦みたいに…」
──娼婦?
「娼婦って誰ですの?」
「…」
「ここで命を終わらせたいですか?コーラさんは本気ですよ?」
「ヒィッ!」
まだ、全てを吐かないチェイスに私は、コーラさんで脅す。
コーラさんもノリノリで弓を引いて威嚇する。
チェイスは意外と単純な男のようで、色のない顔ですぐに震えだす。
「き、きっと…あの娼婦は、ミンタ男爵の指示でスコットレット領のレモラを不正に輸出したって証言しているっ…。そ、それにっ、取引した契約書を持っているはずだっ…」
震えながらも、チェイスが言った。
それを聞いたコーラさんが驚いた顔をした。
「犯人は、本当にスコットレット伯爵じゃありませんの?」
「コーラさん、伯爵が彼にレモラを渡したのを忘れてませんか?」
「あぁ、そうだったわね」
おい、ジャマ家は脳筋なの?
私みたいに体を張るなんて無理、なんて言っておいて…
「スコットレット卿が、身代わりを用意したのか?」
ノアがチェイスに尋ねる。
チェイスは優しい声のノアにコクリと頷いた。
私は、朝見た、スコットレット親子を思い出す。
あのスコットレットの腹立つほどの清々しい笑顔の意味が今更理解できた。
きっと、なに食わない顔で出席する為にわざわざ用意したんだ。
──でも、娼婦って…
なんだかおかしいと思って首を捻ると、思い当たる人物が浮かんできた。
「あぁ!?あれかっ!ミンタ男爵が伯爵に献上したっていう娼婦!」
パズルがぴったりハマったような感覚に私は声を発さずにいられない。
コーラさんもクリスティンさんも「あぁ!」って声を出した。
「それなら、ミンタ男爵と繋がっていてもおかしくないわね…」
クリスティンさんが、声のトーンを落として呟いた。
気がついて、一瞬ハイになった私だけど、現実に引き戻される。
──つまり、つい納得してしまう、尤もらしい犯人が出てきたって事は…
「これでは事件が解決してしまいますわっ!」
コーラさんが叫んだ。
ノアも考えながら、呟く。
「物証まで用意してるとなると、覆すのは難しい」
「でも待って下さい」
私は理解できなくて、口を開く。
「なんで、その娼婦は伯爵の言いなりなんですか?だって、下手したら自分は極刑ですよ?死ぬかもしれないのに、わざわざ他人の身代わりだなんて…、それだけ伯爵とその娼婦は深い仲とか?」
「違うっ!」
私が疑問を口にすると、チェイスが噛み付くように叫んだ。
彼の声はだんだんと枯れてきている。
それだけ彼も必死なのだ。
「言っただろ、父上は恐ろしい人なんだっ。僕が証言をすれば父は絶対に僕を許してくれないっ……」
「罪人に許しを乞う必要なんてありませんわ」
「違うっ!父上は真っ先に僕を切り捨てるんだっ!ミンタやあの娼婦みたいにっ!きっと、きっと母上が…母上が…………」
初めて、チェイスの目から涙がこぼれ落ちた。
今まで無様なほどに必死に逃れようとしていたけど、その時には見られなかった涙。
それに、絞り出す彼の声はどことなく心臓を掴まれた気分になる。
「…全員、なにかしらの弱みでも握られているのか?」
ノアはチェイスに尋ねる。
「…」
チェイスは沈黙して答えない。
「よくある方法ですわね。権力者が、他のものの弱みを使ってうまく操ろうとしたのですわね」
コーラさんは納得したように頷く。
「お姉様が言ってましたわ。お姉様の様な一流なら相手の弱みを握る事で世の中をよりよりものにできますが、三流が使えば、世の中を汚くするばかりだと…」
お姉様何者?
ジャマ家の謎が増えた。
ただ、そんな話にも反論しないチェイスの様子を見るに、スコットレット伯爵は彼らのなにかしらの弱みを握っているのだろう。
「姑息なやつ…」
つい声に出てしまった。
けど、みんな同じ気持ちなのか、それに対してなにも言わない。
「でも、チェイスさんはスコットレット家のたった1人の御子息では?」
クリスティンさんがチェイスに尋ねる。
チェイスはバツの悪そうな顔をして、クリスティンさんから顔を背けながら答える。
「…僕には異母兄弟が多くいる。ただ、お金が勿体無いから、修道院に預けられているだけだ。替えは幾らでもきく……」
つまり、いつでも切られる存在なのだ。
なんとも言えない空気がその場に流れる。
それは怒りなのか、憐れみなのか。
単純に整理しきれないものがあった。
「本当に悪かったさ…、ここまでになるとは思ってなかったんだ。香りが誘導してくれるだけだ思ってた………。兎に角、宮廷内に人脈を作れば、父上は喜ぶはずだと………その通りで、クリ──…」
チェイスはクリスティンさんの名前を言おうとしてやめた。
この男にも罪悪感がちゃんと存在していた。
「君と出会った事を言えば、父上は喜んでいた。『一儲け』できそうだって…」
「っ……」
クリスティンさんは眉をひそめ、少し赤みを帯びた瞳を細めた。
そんな一言で始まった今回の件をそう簡単に飲み込めるわけがない。
「すまなかった…。本当に悪かった。土下座でもなんでもする。いや、望むなら、一生、君のいう通りにするっ…奴隷になるっ………。だから、だからどうかこれで許してくれっ………。このままじゃ母上がっ、母上が父上に捨てられてしまうっ…。そうなったら、母上は行き場がなくなってしまうんだっ…。僕があの家からいなくなったら…母上はっ、母上は!!!!」
チェイスは木に縛り付けられたまま、必死に謝ろうとする。
キザな顔をしていたのが嘘みたいだった。
「そんなのきっと嘘ですわ。最初から嘘を吐いていた人間の話など信じられませんわっ!」
コーラさんは我慢ならないと反論する。
「最初から、傷つける気で近づいて、平気な顔して傷つけて、知らんぷりしていた人間ですわっ。ミンタ男爵や娼婦がスコットレット伯爵に弱みを握られていても、貴方は実の息子なんですものっ。そんなわけ──」
「親の愛を当たり前に受けて生きてきた君達になにがわかるっ!常に顔色を窺って生きてきた僕のなにが分かるっていうんだっ!役に立たないと判断されたらすぐに捨てられ、次のスペアが用意されてるっ…。親に殺されるなんて思った事もないだろうっ!!そんな、そんな事、一度だって経験したこともないくせにっ…!!」
そう叫んだチェイスは目を閉じて、涙をこぼす。
その瞼からは悲壮感が漂ってきて、それを簡単に演技だと決めつけるには良心が痛む。
コーラさんも彼の口から吐かれた言葉が衝撃的だったのか、固まってしまった。
私もかける言葉が見つからない。
チェイスが悪いことをしたのは事実だし許せない。
けど、その裏の事情を知らない私はそれが正しい感情なのか分からない。
──どの基準で正しいって言えるの?
罪は罪だと言う人がいる。
けど、快楽の為の罪と生きるための罪では意味が違うと思う。
大体、生きる為の行為は罪と言えるのか。
戦で敵を殺して、罪にはならないのに。
なにをどう判断すればいいのか分からない。
自分にとって正しいと断言できる言葉がない。
見つからない。
私の守りたい人たちの立場になればなるほど分からなくなる。
彼が証言しても事は解明される可能性は少ない。
彼が伯爵に切り捨てられると分かっていて、憲兵に突き出す?
でも、スコットレット伯爵をこのまま見過ごせる?
やりたい事はあるのに方法が分からない。
すると、クリスティンさんがチェイスに歩みよった。
「……私はなにも聞いてません」
クリスティンさんはチェイスの前に立って、彼を見下げる。
チェイスは顔をゆっくりと上げた。
その顔はぐしゃぐしゃで、ナンパなんてできる顔じゃなかった。
「今日、ここではなにも聞いてません。きっと私たちは他愛もない言葉を交わして、そのまま何事もなく別れました。レモラのお話なんて一つも聞いてません」
「……なんで?」
チェイスはクリスティンさんの言葉に目を丸めた。
私たちも驚いた。
クリスティンさんは赤みを帯びた目で無理やり笑い、話を続ける。
「きっと私が貴方と婚約したいって思ったのは、そのレモラのせいだと思うわ。現に今は、あなたの事すごく恨めしいの。恋してたなんて思えないぐらいに……」
クリスティンさんは笑顔でチェイスを拒絶した。
「っ……」
座っているチェイスと立っているクリスティンさんって構図だからか、クリスティンさんが余計に大きく、チェイスが小さく見える。
「でも、レモラのせいだけじゃないわ。もっと私が惑わされないように冷静でいればよかったの。だって、あの匂いを嗅いでない時だってあったのに、私は貴方を少しも疑おうとしなかった。きっと私も馬鹿だったのよ。だから、私が馬鹿だった分は見逃すわ」
クリスティンさんがゆっくりと話す。
「私が馬鹿じゃなかったら、こんな大事にはならなかったかもしれないもの」
「あっ…あ、あぁっ…………」
チェイスは涙を流し続ける。
もう彼の声は言葉になってなかった。
いなかったけど、彼の安堵は伝わってくる。
クリスティンさんの言葉に、誰も反論する事はできなかった。
正しいかは分からない。
分からないけど、今はクリスティンさんの意見を尊重したい。
多分、全員がそんな気分だった。
*****
クリスティンさんがチェイスを見逃すと、ノアが取り乱した彼を落ち着かせるために連れて行った。
「彼とは少し話があるし」とノアは言っていた。
もしかしたら、何か策があるのかもしれない。
分からないけど、ノアに任せることにした。
クリスティンさんが彼に目を瞑ったからには、これ以上の詮索はよくない。
私が今尊重したいのはクリスティンさんだった。
この選択は間違いでも、後悔することになってもいいと思った。
「あ、あの……」
気不味い空気を打ち消すかのようにコーラさんがクリスティンさんに躊躇いながら声をかける。
「余計なお世話だって分かっていますわ。でも、わたくしどうしても──」
「分かってるわ。コーラさんもミンディさん病になっただけでしょ?」
「え゛?」
クリスティンさんがコーラさんの言葉を遮って聞き捨てならない言葉を口ずさんだ。
「ついつい、お節介をかけたくなって体を張っちゃう病よ。まさか感染するなんて思ってなかったわ…。コーラさん、大変なことになってしまって……。不治の病だから、これから辛い思いを沢山しちゃうことになるわ」
クリスティンさん、いつもの優しい言葉遣いでとんでもない毒を吐く。
これ、ただの私の悪口になってない?
コーラさんも突然そんなことを言われて、頭の上にはてなが飛びまくってる。
「私、お節介ですか?迷惑なんですか?」
ちょっとショックを受けた私。
でしゃばってるかもとは思うことはあるけど、ギリギリセーフじゃなかったのか。
私は尋ねた後、答えを聞かずに項垂れた。
結構きてる。
「ふふっ」
すると、クリスティンさんの笑い声が聞こえた。
顔を上げると、口元を手で押さえ、いつもの白百合のような微笑みがそこにあった。
「そうよ。彼のあんな姿見て、憲兵に突きだしたりしたら、私が鬼みたいじゃない」
クリスティンさんは本当に困ったように言った。
「それにミンディさん流に言ったら、憲兵に彼を突き出して伯爵に切り捨てられるだけなら、後味悪くて仕方ないことになっちゃうわ。あんな話聞いたら、そんな残酷な事できないじゃない」
──確かに…
私も認めるしかない。
私も同じことを思ったから。
すると、クリスティンさんはこの会話を楽しんでいるのか、また笑い声を漏らす。
「あーあ、困っちゃうわ。これで彼に最初から私が騙されていたなんて証明できないんですもの。こんな状態で、女官を辞めるなんてできなくなったわ」
「「え?」」
私とコーラさんは固まった。
──今、なんて?
「私のせいで経営が傾くかもしれないし、シー・ガレ商会の手伝いをする為に女官を辞めようと思っていたの。私にできる罪滅ぼしはそれぐらいだと思って………」
そう寂しげに視線を落とすクリスティンさん。
あの元気のない姿はそう言うことだったのか。
そこまで思い詰めていたんだと私も苦しくなる。
「けどね。彼の話を聞いたら、そう簡単に引っ込んでしまったら、負けた気分になっちゃった」
クリスティンさんが顔をバッと上げて言った。
その表情はちょっといたずらめいていて、こっちがドキッとしてしまう。
「このままスコットレット伯爵の思い通りになるなんて腹立たしいわ。それに、本当に私が馬鹿だったらこんな事になってるのに、勝手に罪滅ぼしをしようとするなんて卑怯だもの。もっと、商会の為に伝を作って、商会の信用につながる立派な人にならなきゃね。馬鹿で終わったら、それこそ家の恥だもの」
クリスティンさんは晴れ晴れとした笑顔でそう言い切った。
その言い方はいつもより勢いがあって茶目っけがあったけど、やっぱり白百合の凛とした姿がある。
「え………、って事は?」
「もしかして、クリスティンさんは…」
私とコーラさんは顔を見合わせなが確認する。
「えぇ、もっとここで頑張るわ。どうせなら皇后のお付きになれるぐらい頑張らなきゃ。元気な後輩さんたちには負けていられないわ」
そう言ったクリスティンさんの表情は、ただ可憐な白百合ではなかった。
大雨が降っても咲き続ける力強さがあった。




