3
「「あ」」
ティア皇女の元へ帰る途中。
私とコーラさんは同時に声を上げた。
「コーラさん…あれ」
「間違いありませんわ」
私とコーラさんの視線の先にいたのは、チェイスだった。
懲りる事もなく、チェイスはせっせと茶会に集まった令嬢の侍女達を口説いていた。
流石にあの場で口説こうとしないのは賢いかもしれない。
コーラさんはそれをあの冷凍ビームを放つ目で見つめる。
私も見ていたけど、そんなに見たいものでもないので「帰りましょう」とコーラさんを引っ張った。
「婚約目前で別れ話をしたくせに、もう次の女性に声をかけるなんてありえます?」
コーラさんは帰りながら憤慨していた。
気持ちは分かるが、私達は部外者。
「家の事情が原因でしたよね?きっとそう簡単に説明のつかない何かがあったんですよ」
「何があったのですの?」
「それは分かりませんけど…」
私はコーラさんに圧されて言葉を濁す。
「あんな男はさっさとこの世から抹殺されるべきですわ」
「物騒な事言っちゃダメですよ。気持ちはわかりますけど」
「貴方、一体どの立場から物を申して知るのですの!?あいつが非道だとは思いませんのっ!」
コーラさんが興奮状態。
色々と当たり散らしてくる。
コーラさんは正義感が強い。
「そりゃ、思います。思いますけど、結婚ってそれこそ個人的な話じゃないですか。私たちがどうこう言う物でもありませんって」
「クリスティンさんの件だって腹が立ちますが、彼は他の方にも手を出しているのですわよ!」
コーラさんがまた力強く発言する。
まぁまぁと宥めていた私は、コーラさんの後ろの後ろにいる人物を見て、慌てた。
「あ、ちょっと、コーラさん!」
「被害者は大勢いますわ!この前、わたくしたちと一緒にいた下女だって無惨に捨てられたのですわ!いい加減、わたくしは黙ってられません!」
「コーラさん!」
コーラさんの口は止まらなくて、私は訴える。
「さっきから、なんですの?わたくしの話を──」
やっと私の様子がおかしいと気づいたコーラさん。
文句を言いながら、私の視線を追って──
「クリスティンさん…!!」
コーラさんは顔を青ざめさせて、手を口のところに持っていく。
ピンクの髪が全部逆立ちするほどびっくりしていた。
クリスティンさんはいつもの優しげな笑顔を見せていた。
「本当よね。私も遺憾だわ」
冗談まじりな声でクリスティンさんが言った。
私とコーラさんはもうアタフタとしてしまった。
「「ご、ごめんなさいっ」」
2人して謝る。
やっぱり、本人のいない所でこう言う話はしちゃいけない。
私達は頭を下げながら、どんなふうに怒られるだろうと冷や汗を流す。
いつも優しい人が怒ると最強に怖いの定理。
私達が怒られ待ちをしていると、クリスティンさんの小さなため息が聞こえた。
「もうっ…」
すごく居た堪れない気持ちになる。
「みんなが代わりに怒ってくれるから、私が怒る分が残ってなくて困るの」
クリスティンさんは「あぁ、困っちゃうわ」と言葉を続ける。
こうやって気を使わせてしまったことが更に私の罪悪感を加速させる。
「けどね、一番困っちゃうのは、本当にチェイス様の事をなんとも思わなくなった私よね」
クリスティンさんの言葉に私もコーラさんも固まる。
「なんであんな人に熱をあげていたのかしら…、全然魅力的に思えないのよね」
「「え?」」
私とコーラさんは顔を見合わせた。
互いに聞き間違いでなかった事を確認すると恐る恐る顔をあげる。
「恥ずかしい話だけどね。あの方と一緒にいた自分が馬鹿みたいに思えるの。浮かれて、はしゃいで…自分じゃないみたいなの」
クリスティンさんは苦笑いを浮かべる。
それは自嘲するというよりは、昨夜見たヘンテコな夢を語っているように見える。
「ね?おかしいでしょ?」とクリスティンさんに同意を求められては、私たちもどう答えるべきか困惑する。
「それは、吹っ切れたって事ですの?」
コーラさんは慎重に尋ねる。
私も黙って、その答えを待つ。
クリステンさんは穏やかな声で悩む声を出すと、クスリと笑った。
「吹っ切れたとは違うかも。夢から覚めたってのが正しいかもしれないわ」
「夢ですか?」
「えぇ、なんだかね、彼との思い出は記憶にもあるし、彼に想いを寄せていたの事実なのよ。もちろん、婚約を断られたのもすごくショックで、このまま死んでやるって思うほどなんだけど…」
クリスティンさんは本当に困ったように手を頬に添えた。
「なんだか今思い出したら、どれも陳腐な演劇を見ているかのようなのよ。ヒロイン役である私には感情移入できないし、彼も寧ろ嫌いな分類に入る人柄なの。本当、あの時何か病気にかかっていたのかも。浮ついていた自分が恥ずかしいわ。酔ってたのかしら?」
本当に恥じているのか、クリスティンさんは顔を両手で隠した。
チェイスとの一件はクリスティンさんの中での黒歴史決定と見られる。
「だって、あんなキザなセリフを囁かれても、正直嬉しくないわよね…。兄弟がいるからかしら?男性があんなセリフを吐くなんてどんな環境にいたのか下手に想像しちゃうわ…。同じ人にいっぱい吐いてるって分かった今ならすごく納得するの」
「本当に、あの男のことはなんとも思っていませんの?」
おい、元恋人の前で『男』呼ばわりはどんなものかと。
言いたい気持ちは分かるし、私もクリスティンさんの発言に動揺してる。
そんな私たちにクリスティンさんはけろりと笑う。
白百合のように美しい笑顔なんだけど、最近の笑い方の中で一番気持ちいい笑顔だった。
「そうよ。全然、だから気を遣わないでくれる方がいいのよ。みんなの気持ちはありがたいけど、私だって彼の悪いところを沢山愚痴りたいわ!」
そう言って茶化すクリスティンさんだけど、本気みたいで私とコーラさんに抱きついて訴えた。
どうやら、私たちが気を遣って逆にクリスティンさんには申し訳ないことをしたようだ。
クリスティさんからはやっぱり前のような甘ったるい香りはしなくて、寧ろ優しげな百合の香りがほのかに香った。
私はこっちの匂いの方が好きだ。
私とコーラさんはクリスティンさんの腕の中でお互いに微笑みあった。
──クリスティンさんに謝らなきゃ
私が助けられた分、彼女を助けたい。
私は心から彼女を幸せを願う。
*****
コンコン
「ノア──!」
私はなんだか気分良くって、勢いよくノアの研究室のドアを開けた。
「!」
ノアは私が入ってくるなり、驚いた顔をして、慌てて窓を開けた。
ふわっとなんだか変に甘い香りがする。
──あれ…この匂い…
私はその香りを知っている。
だけど、ノアが窓をすぐに開けたからその香りはすぐに消えていってしまった。
「あ」
「ごめん。薬草を使ってたから」
私が問いかける前に、ノアが先に口を開いた。
それで、思い出す。
「ヴェロニカのやつ?」
「うん。スコットレットの」
薬草でこんな甘い香りがするのか。
私が来たから慌てて窓を開けたってことは、毒性があるのか。
そんな事を思っていると、ノアが密室で実験をしていたことを思い出す。
「えっ、ノア!?大丈夫」
慌てすぎて、私はノアの顔を掴んだ。
うん、顔色は悪くない。
──次に脈を…
私が持っているだけの知識を使っても、ノアの異常は見られない。
もしかして、これは体に現れづらい毒なのかと更に慌てる。
「えっ…、こ、こういう時は、医者っだ!医者を呼ぶねっ!」
「だ、大丈夫っ!」
私が駆け出そうとすると、ノアが私を引っ張って止めた。
「っとぉ…」
勢いがつきすぎて私はこけそうになったけど、なんとか踏みとどまる。
そしてノアの方を向くと、なぜか腕で顔を隠すノアがいた。
さっきよりも耳のあたりが赤くなっている。
どう見ても大丈夫じゃない。
ついに発症したのかもしれない。
「息がしにくいとかある?えっと…あとは…」
私が知識を絞り出していると、ノアが首を振った。
「毒は僕に効かない」
「え?」
「毒は元々マナからできている。僕が無効化にできる分野だから」
「あ──…、そっか」
そう言われて、すっとんと気が抜けた。
いや、腰が抜けてその場に座り込んだ。
「ごめん。驚かせた」
「いや、私が勝手に暴走して…話も聞かずにごめん」
「ううん」
ノアも私と同じ目線になるようにしゃがみ込む。
そして何か魔法を私にかける。
やっぱりノアの魔法は気持ちがいい。
「多分、これで毒の影響は受けてないと思う」
ノアはそう言うと、最後に私のほっぺを摘んだ。
ムニムニと数度その感触を確かめる。
「…やっぱりミンディ嬢がいい」
「どうかしたの?」
「…なんでもない」
なんでもないって顔ではない気がする。
ただ、真剣に見つめてくるノアに吸い込まれそうで、私は慌てて視線を逸らす。
このままだと私は調子に乗ってしまう。
ノアが好きだから、これ以上自分がおかしな事をしてしまいそう。
私がノアの部屋を見渡していると、一つの箱を見つけた。
「ノアって煙草を吸うの?」
意外だなと思いながら、葉巻のセットを見つめた。
なんだかよく見る葉巻と違う。
新しい種類のものだろうか。
「吸わない。それは贈り物の一つで、最近流行っている香り付きの葉巻。実験用に持ってきた」
「あぁ、デネブレ公爵が言ってた」
そんなものがあったなと思い出す。
ノアはお父さんの話題が出た途端、渋い顔をしたがすぐにいつもの表情に戻す。
「…この前教えてもらったお店がよかったって言ってたよ」
「うん、お手紙でも言ってもらった。よかった」
「…」
やっぱりノアは少し不機嫌そうだ。
「ねぇ、実験用って?」
私は一旦自分の気になる事を尋ねてみる。
話したい事なら、ノアから話してくれるはずだ。
「この葉巻に使用されている葉の中には、スコットレット産の植物が使われているかも」
「そうなの?」
「まだ確かじゃない」
ノアはそこまでで言葉を濁した。
多分、その先はちゃんとしたものではないから言えないのだと思う。
「さっきの匂いの植物と関係あるの?」
「…」
私が聞いてもノアは黙って答えない。
──それって、もし毒性がある植物なら…
葉巻にそれが含まれていたらかなり危険なのではないか。
そう思うと、気になってじっとノアを見つめてしまう。
「……もう少ししたら、毒性も分かるし成分も判定できるから」
「ノアがするの?」
「これも僕の専門じゃないから」
今日のノアは歯切れが悪い。
更に私が見つめると、ノアが両手を上げた。
「お願いだから、これ以上聞かないで…」
完全にノアが白旗を上げた。
「ミンディ嬢に聞かれたらうっかり話しちゃいそう…」
今日の困った顔のノアはなんだか可愛い。
これも惚れてしまった故の定めかも。
「別に言いふらさないから言ってくれてもいいのに」
「分かってるけど、これは僕の信用の問題」
「今、私たちの信用にヒビが入ってもいいと?」
「……勘弁して」
私が意地悪を言ってみると、ノアは本当に困ったようで、片手で顔を覆ってしまった。
どうやら、私と顔を合わせるのは駄目みたい。
まるで、私にノアが弱いみたいで、ちょっと心がくすぐられる。
「ふふっ、分かったよ」
ここら辺で私も引き下がる。
気になるけど、それほどじゃないから。
私は立ち上がって、いつもの椅子に座る。
やっぱり踏ん切りがついたからか、私の気分はいい。
「いいことがあった?」
ノアもそんな私に気づいて、いつものお茶を入れながら問いかけてくれた。
私はご機嫌さを更に表すように、鼻に声を通す。
「うん。そうなんだよねぇ~」
私はノアから紅茶を受け取って飲む。
「やっぱり私、生きてるね!ノア、ありがとう!」
「どういうこと?」
訳の分からない発言を連発する私にノアは不可解そうに首を傾げる。
──きっと説明しても分からないよな…
どういうのが最適なのか頭を回す。
「ん~、いつも引っかかっていた過去があって、戻れるなら戻りたいのかなって色々と考えてた事があってさ」
「過去の失敗を悔むって事?」
それなら僕にも分かるよって言いたげなノア。
あっているようでちょっと違う。
でも、他に最適な表現が思い浮かばない。
「う~ん、そんなところかな?どうしようもないけど、すごく未練があって、もしかしたらって何度も考えちゃうの」
ノアは納得したのか、頷きながら聞いてくれている。
「けどさ、いざその過去をやり直す可能性が出て、すごく悩んだんだよ。だって、過去は結局、過去で、どうしようもないって腹を括っていたらさ。そんな僅かな可能性があったら動揺しない方がおかしいでしょ?」
「…そうなのか?」
「私はそうだったんだよ」
ノアはいまいち理解できないみたい。
多分、ノアはいつも考えているから、過去に本当に戻りたいことなんてないのかも。
「でもさ、ハッとしたんだよね。だって、過去をやり直すのが惜しいほど、ここまで生きてきたんだなって思って。ここまでの努力を無駄にはできないし、この人生を失う以上のものが過去にはなかった。いや、あるんだけどね。あるのはあって…どうでもいい訳じゃなくてさ…」
ここからどう話せばいいのか分からなくなった。
家族への未練はまだあって、それは拭いきれないけど、それと同じように大切な関係がここにはある。
私は未練さえもバネにしてやってきたから、その努力が消えるのは嫌だった。
全てが私そのもので、どれも消したくないけど、やっぱり今は過去よりも今が大切。
それがよく分かったってだけ。
「……ごめん。自分から話しておいて、なんかうまく話せない……」
どんなに話しても納得してもらえるものでもない。
多分、私がこの世界に転生したことを話さないといけないと思う。
そして、それをすんなり話せる覚悟がまだない。
今は余計にレイナの事があって、薄情な人間だと思われたくないって卑怯な気持ちがプラスされてる。
──本当に贅沢者だ…
結局、自らは何も手放せない。
私はノアに拒絶されない限りこの関係を続けてしまうのかもしれない。
多分私が耐えきれなくて、思いをはっちゃけて、自滅しちゃうんだろうな。
自分で自分の未来が見えてくる。
「もし」
ノアが口を開いた。
「もし、過去をやり直す機会があれば今、こうやって僕と君が話すこともない?」
ノアが私に問いかける。
どうなるのだろうか。
ただ、あの世界に戻ることができるのなら、もうこの瞬間はやってこない。
「そうだね。そうかも」
それが私を寂しくさせる。
あの事故は不本意なものだった。
だけど、この人生が不本意であるわけがない。
そんな悲しい生き方をするほど私も愚かじゃない。
「なら、いいや」
「え?」
私が罪悪感を持って答えていると、ノアは普段通りの声を出す。
「それなら、分からなくてもいい」
ノアを見ると、ちょっと満足げな顔。
やっぱりこの顔好きだ。
顔で好きになったんじゃないけど、好きだから余計に顔も好きに思える。
「僕との時間を君が選んだなら」
ノアはそう言って、顔を少し上に向ける。
ちょっと明るく見える彼の表情は、いつもよりも口角が上がっている。
意外とノアはプラス思考だ。
確かに、ノアのおかげで私は今を好きになってはいるけど。
そんな自信満々な顔をされちゃ──
「ノアには敵わない気がする…」
私は小さな声で呟いた。
「あ、一つ聞いていい?」
ノアが何かを思い出したようで私に尋ねる。
なんだかんだとマイペース。
「何?」
「この前、魔石の話をしたのが関係する?」
ドキッとしたが、さっきよりも緩やかで寂しげに輝く彼の瞳を見ると、すぐにその気持ちは落ち着く。
──心配かけたか…
確かにあの日の私はおかしかったかもしれない。
「違うよ」
私はそう言って、また卑怯な嘘を吐いた。
そして、薬草を見て、ふと思い出す。
──そっか、ヴェロニカがいた




