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「アーノルドお兄様、この方は私の手には負えませんの」
別の日、私は2度目の乗馬訓練をすることとなった。
しかも、コーラさんの乗馬の師匠アーノルドさんも混じる形となった。
「えぇ…一回の練習でそんな言い方しなくたって…」
私がぶー垂れながら言うと、コーラさんの目の色が変わる。
あ、綺麗なおでこ筋が見える…
「どの口がそんな偉そうな事をおっしゃるのかしら?!」
コーラさんが自分の持っている扇を閉じて私の方へビシッと向けた。
その迫力に、私も流石に一歩下がってしまう。
「いい?まず、馬にまともに乗れない方にどうしろとおっしゃるの?『こわい、こわい』ばっかりで、馬だって混乱して可哀想でしたわ!」
そう、結局、お馬さんと少し戯れた後、実践に入ったのだけど、もうめちゃくちゃ怖かった。
自転車とかって乗ってよしって感じなんだけど、生き物の上に乗るって結構こわいの。
──あ、私、今、命をこの子と共有してる
なんて思ってきたらもうこわかった。
全部がお互いの命に繋がりそうでこわかった。
「走るのが早いから運動神経がいいのかと思ってみれば!この方、体力だけですわ!」
「なっ、私より足が遅いコーラさんに言われなくない!」
「いいえ、わたくしが本気を出せばあなたなんてっ…」
コーラさんの言い方にムッとして言い返すとコーラさんも何か言い返そうとして、固まった。
お魚みたいに口をパクパクとして、その後言葉をグッと閉ざした。
「兎に角、あなたを相手にしてたら手が出そうで、我が国が誇る副騎士団長のアーノルドお兄様に助けを求めましたのよ!」
コーラさん、アーノルドさんの紹介に一段と気合が入っている。
本当はただの仲良し兄妹だったのかも。
変に心配して損した。
やっぱり、でしゃばるのは控えようと思う。
いや、この件は心の中で思っていただけで、決して首は突っ込んでない。
巻き込んできたのはそっちだからね。
「…久しぶりだな」
アーノルドさんがスッと目を細める。
あ、やっぱりこの人もこわいよ。
「あ、その節はお世話になりました」
私はアーノルドさんに頭を下げる。
あの時はめちゃくちゃありがたかった。
チェイスの野郎は1人じゃ対処できない。
「いや、あの後、彼に何かされてないか?」
「えぇ、一切遭遇してませんので」
「そうか」
「なんの話ですの?」
私とアーノルドさんが話していると、コーラさんが不思議そうな顔をした。
「あぁ、以前、彼女がチェイスに絡まれていてな」
「あの方に?」
コーラさんの顔色が変わる。
コーラさんってチェイスが嫌いだよね。
気持ちは分かるけど。
「実は、水汲みの罰の時に名前を覚えられていたみたいで…」
私は苦笑いで状況を説明する。
コーラさんは話を聞くと、アーノルドさんそっくりのこわい顔をした。
でも背が小さいだけで、少し可愛く思える。
「あの方は次から次へと懲りない方ですわね。女性は全員自分より下だなんて思っているのですわ!」
「女性だけではない。アカデミーでも自分の容姿が優れていると勘違いをして人を馬鹿にしていた」
「それに、家柄に笠を着て、何をしても結局許されるだなんて思っていますのよ!ミンディさんが自分より身分が下だと分かってるから、そうやって強気で攻めてくるのですわ」
「あぁ、自分が敵わないと分かっている人間には手を出さないからな。なんとも姑息な…」
コーラさんとアーノルドさんはお互いに頷き合っている。
兄妹ともチェイスが嫌いなのか。
しかも、アーノルドさんの堅苦しいと思ってたキャラは少し違うのかもしれない。
なんだかよく話すし、何より、コーラさんと仲良し。
「いいか、コーラ。逆に言えば、あやつの弱点はその力だって事だ」
「お兄様もそれで彼を大人しくさせたのですね」
「あぁ、アカデミーでの試合で、身ぐるみを全て剥いでやった」
それって試合なの?
強奪じゃない?
「わたくしもジャマの家の名に傷をつけぬように、お兄様のような活躍をしてみせますわ!」
「あぁ、期待しているぞ」
「はい!」
なんだ?
ただの熱血系の兄妹の会話じゃないか。
私もチェイスは嫌いだ。
「わたくし、どうしてもあの方が許せませんわ!」
コーラさんが憎らしそうに顔を歪める。
「ミンディさんにまで声をかけて…節操のない方ですのよ?」
「コーラさん…私のために?」
ちょっと感動した。
ただの同僚だなんだと言いながら、なかなか人情深いじゃないかい。
私は目頭を押さえた。
「ちょっと、あなたの為じゃなくてよ?」
コーラさんは、さっきの勢いはどこへやら、私を呆れた目で見てくる。
──ありゃ?
「わたくしはクリスティンさんの事を言ってますの?クリスティンさんという方がいながら、あなたなんかに手を出すなんて…」
「え?」
全く知らない話になった。
なんで、チェイスとクリスティンさんが関係するんだろう。
てか、私はコーラさんの中でかなりランクが下らしい。
クリスティンさんより下なのは仕方ないけど。
私の腑抜けた返答に、コーラさんは呆れた顔をする。
コーラさんは表情豊かで分かりやすい。
ありがたいけど、時々心にくるものがある。
「まさか、あなた、まだ気づいていませんの?」
その、心底馬鹿な生き物を見る目はやめてほしい。
「クリスティンさんが最近元気がなかった理由ですわ」
そう言われて思い出す。
確かに最近のクリスティンさんは元気がなかった。
レイナがこの世界に来た翌日ぐらいだっただろうか、クリスティンさんがひどく疲れた顔をしてやって来た。
連日式典の準備に追われた疲れが出たのかなとか思っていたけど、色々と事情があったようで──
「私、恋人と別れたの」
クリスティンさんがそんな告白をした。
少し前まで、例の恋人と婚約直前なんじゃないかって噂があったから、私たちはびっくりした。
けど、クリスティンさんはそれ以上語ることもなく、私たちも『同僚』の立場からそれほど聞くこともない。
恋の終わりと共にクリスティンさんからは甘い匂いが消え、最初の頃のような優しげな百合の上品な香りがするようになった。
先輩達も「クリスティンの将来に響くことだから、こういうのは聞かないふりをするものよ」と教えてくれた。
つくづく、いい職場だ。
バーリードゥ侯爵夫人のおかげだと思う。
──いや、だからなんでその事とこれが関係あるんだ?
私はコーラさんに変顔を返した。
コーラさんもさらに顔を捻らせて対抗してくる。
「あなたって、本当にそこらへん鈍感ですのね!」
「なんですか!勿体ぶらずに教えて下さいよ」
「あの刺繍、覚えていませんの?」
そう言えば、クリスティンさんが浮かれながら刺繍していたやつがあった。
狩猟大会に向けてのものだったけど──
「あの毒々しい緑の蛇のですか?」
「緑の蛇?チェイスの家の紋章じゃないか?」
頼もしそうにコーラさんを見ていたアーノルドさんが言った。
この兄妹の間で本当に何があったのか。
この前までの態度が嘘のよう。
いや、それよりもだ。
「あ、万能薬の缶の図!」
ふと思い出した。
ノアがつけてくれた万能薬の間に、ノイトラール公爵家の紋章である鷹とともに描かれている緑の蛇の絵があった。
──そうだ。あれってスコットレット伯爵家とノイトラール公爵家の合同事業だから…
「そうですわ」
私が気づくと、コーラさんも頷いた。
「あのチェイス・スコットレットが、クリスティンさんの恋人なのですわ」
「えぇ?!なんで?」
と言って、私はハッとした。
「ま、まさか…」
2人の接点が思い浮かぶ。
そう、私とコーラさんが罰で水汲みをしていた時、クリスティンさんが一度だけ私を呼びに来ていた。
そしてその時私は助かったと思った。
だって、そこにはたまたまチェイスの野郎がいたから。
「ア、アンビリーバボー…」
初めてリアルで言ったよ。
だって、クリスティンさんが恋人ができたのと時期が重なるし…
しかも、出会った他その日に朝帰り…
その日は私も誘われていて、私は気持ち悪くて行かなかったけど…
「えぇ?!あのクリスティンさんが?あんなやつに?おかしいでしょ?」
私は叫んだ。
だって、あんな落ち込むまであのクリスティンさんがチェイスにのめり込むのが分からない。
クリスティンさんの性格なら、穏やかに笑って簡単にあしらってしまいそうなのに。
「これだから恋を知らないお子様は困るのですわ。恋は盲目とよく言うでしょ?」
「いや、盲目過ぎますって!クリスティンさんですよ?まだ、ワーキャーしてた下女さんとか、ミーハーな方々だったら分かりますけど…」
「皇女付きの女官が、チェイスと恋人関係だったのか?」
私が混乱していると、アーノルドさんが話に加わってきた。
「そうですわ」とコーラさんは強く頷く。
「婚約目前で、スコットレットのおうちの事情かなんかで断られたらしいのですわ」
コーラさんが話を続けた。
顔は悔しそうだった。
「いきなり会えなくなって、数日後にはスコットレット家の方からそんな文書が届いたと。しかも、内々で婚約に至るだろうと考えていたクリスティンさんのご親族がスコットレットの方と事業契約をしてしまっていて、色々と複雑なことになってしまってますのよ」
結構ドロドロな展開だった。
婚約できないので関係がはい終わりってのもなんだか引っかかるものがあるけど、変にぐずぐず続くのも面倒だろうなとか考えてみる。
結婚と仕事が別っていう世界じゃないから困るだろうな。
「…なるほどな。飽きたところで捨てたという所か?」
「きっと、婚約まできて怖気ついて、伯爵に泣きついたに決まってますわ」
「あぁ、あいつは根性なしだからな。自分の力では何もしない」
「伯爵の方も新しい妾に夢中なようですし、親子揃ってなんと情けないっ…」
2人の熱血スイッチが入ってしまった。
多分、ジャマ家って誇りが高くて、正義感が強いタイプの家柄だと思う。
そんな感じする。伊達に辺境伯の生まれじゃないって感じだ。
「コーラさんは、なんでそんなの知ってるんですか?」
私も、クリスティンさんの恋人の正体に驚きながらも突如浮かんできた疑問をぶつける。
「それは…ご相談していたら、そこら辺を語り合うことになりましたのよ…」
コーラさんはモジモジとする。
おい、暗黙の了解はどこいった。
「その…クリスティンさんに、刺繍をね…習ってて…」
「あー、お兄様にあげる」
コーラさんがそこまで言えば、私だって分かった。
ポンッと手を打って納得する。
「私か?」
「あっちょっと…まだ内緒ですのよ?!」
コーラさんが慌てて私を静止しようにも時すでに遅し。
アーノルドさんは驚いた顔をしていたけど、すぐに表情を和らげた。
──こんな顔もするんだね
なんだか、この兄妹を心配する必要なんかどこにもなかった。
十分いい関係だ。
「そうか!私にか!」
「そうですわ…だって、狩猟大会でお兄様の活躍を見たくて…」
「コーラ!」
兄妹愛が深まりました。
私はほっとしながらも、何を見せられているんだろうとちょっと遠い目をした。
すると、そこに、その場に似合わないちょっとテンションの低い声が届いた。
「…………何話してるの?」
「ぐぇ」
その声が聞こえると同時に私は腕を掴まれて何かに引き寄せられた。
その何かの腕が私の首に回って、首が一瞬締まりかけた。
おかげで、変な声が出た。
「ノア公子!?」
「やっと来たか」
コーラさんが私の後ろへ目をやって驚いている。
アーノルドさんも同じ方へ顔を向けて、迎え入れている。
私もそれにつられて、私をバックハグしたような形になっている人物を確認する。
「ノア!」
「…何話してたの?」
私の頭上に、無表情のノアはぶっきらぼうに呟いた。
「なんでここに?」
「呼ばれたから」
私はノアの問いを無視して尋ねると、ノアは早口で答える。
それは答えになっているようななっていない。
情報不足すぎる。
「私が呼んだ。ノアは教えるのが上手いからな。体力はないが、乗馬はそれなりにこなせるし、何より、2人は知り合いらしいからな」
アーノルドさんが代わりに答えて言ったけど、本当か疑わしい。
さっきの情報量のない答えを聞いた?
だけど、ノアはそんな事お構いなしでまた質問してくる。
「…何を話してたの?」
何をそこまで気になるのか。
──仲間外れにされてると思ったのかな?
そんな事を思いながら、私はその問いに答える。
「チェイス・スコットレットさんの話だよ」
「チェイス……」
ノアが噛み締めるようにその名を口ずさむと、私をぐるりと回転させて、向き合う形にした。
「何かされたの?」
また暗い声色で、私の肩を掴んで言った。
いきなりどうしたんだと思いながら私も返す。
「え?別に」
そう答えると、アーノルドさんが割って入ってきた。
「君、別にって事はないだろ?この前だってチェイスに絡まれていたじゃないか」
「彼に?」
アーノルドさんの話でノアの目がこわくなった。
なんで?
「なんでアーノルドと知り合いなの?」
更に疑問を投げられた。
「えー…、コーラさんのお兄さんだから?」
何故か疑問系になってしまった。
だって、それ以上の説明のしようがない。
成り行きって感じだもん。
「コーラ…」
ノアは考えるように視線を彷徨わせて、その場にいるもう1人へ顔を向ける。
「お久しぶりです。コーラ・ジャマですわ。いつも兄がお世話になっております」
コーラさんが綺麗な挨拶をする。
「あなたでしたか…」
私の肩を掴むノアの手が緩んだ。
「お久しぶりです」とノアも挨拶をする。
「もう、聖女の相手はいいのか?」
アーノルドさんがノアに問いかける。
アーノルドさんとノアはアカデミー時代からの友人らしい。
ノアもちゃんと友達がいたんだなと少しほっとした。
「もうすぐ引き取り手は決まる」
ノアが平坦な声で言った。
アーノルドさんはその話に興味があるみたい。
「どっちだ?」
「正式な報告があるまではなんとも言えない」
ノアは、少し前のめりなアーノルドさんを落ち着かせる。
「だが、力の証明ができない聖女はお飾りにすぎない」
「そうだな」
「教国が欲しいのは、帝国の勢力を押さえつけられる実質的な力だ。民の心は関係ない」
「なるほどな」
ノアの説明にアーノルドさんは納得したみたい。
私とコーラさんはあまり口に出す問題でもないかなと黙っていた。
──レイナはここにいる事になるのかな…
そう考えると、自分の中にある爆弾を発動させるスイッチがそばにあるような気分だった。
関わらなければいいと思うも、気になってしまう。
なんだかんだと付き合ってきた人間で、嫌いな人ではないから。
正直、どうするのが賢い判断なのか迷っているところ。
「それで、聖女のお世話役は解放か?」
「元老院が何人かの付き人を手配している。これ以上僕がいる意味はない」
「それはお前の見解で、向こうは?」
「…偶には僕の意思も尊重されるべきだ」
ノアはアーノルドさんの問いかけに、嫌そうな顔をした。
もう限界なのかも。
そんなにレイナの相手が嫌なのか。
何が嫌なのかいまいち分からないけど。
──ノア、暇になるのか…
そう思うと少しだけ、気分が躍った。




