11 ノア視点
僕はノア・エレン・デネブレ。
デネブレ公爵家の一人息子としてこの世界に生を受けた。
「ノア…気を付けてね」
建国祭当日、すれ違い様に、僕の友であるミンディ・ウルグスが言った。
彼女は子爵の令嬢で、僕の従兄弟であるティア皇女の女官をしている。
僕とは違い、思ったことははっきりというし、何より嘘の吐けない優しい人だ。
出会った時も──
*****
「殿下が事情を知らなくても………、彼女に気を使って声をかけたことは誇るべきことだと思います」
その時は彼女の言葉の意味が分からなかった。
けど、会場に戻った後、人々の勘違いの称賛を受けて、やっと気づいた。
何も事情が分からず声をかけただけなのに、彼女は誇ってもいいと言った。
あの時はメガネを探していたから、きっと彼女の所有物なのだと思った。
だから、ティア殿下にその話をした。
もしかしたら知っているかもしれないと、けどバーリードゥ侯爵夫人にも思い当たる人物はいなかった。
暗闇で他の特徴なんて見れなかった。
数日して、また彼女に会った。
今度は服を汚した状態でぶつかった。
以前の事があって、謝罪する僕に大丈夫だと言ってくれた。
その時、彼女のマナに触れて不思議な感覚がした。
次はその後直ぐだった。
けど、彼女は僕には会いたくないと言った。
その時は彼女が僕の探していた人だと知らなかったけど、気が落ちた。
人に嫌われる何かをしてしまったのかもしれない。
やっぱり彼女のマナは不思議だった。
知らない感覚だった。
そして4回目、気になって、僕は名乗ってみた。
騙しているようで居心地が悪かったのもある。
父はそんな僕を「正直すぎる」と呆れるが、僕はそんなにうまくは生きれない。
それにティア殿下にも「嘘はダメ!」と叱られてしまった。
僕はその時々に考えが至らない事が多い。
後から何度も思い返して、自分の至らなさを痛感する。
今回もそうだった。
なのに、ミンディ嬢は逆に頭を下げた。
僕は自分の過ちのせいでと後悔したのは一瞬で、直ぐに驚きが勝った。
ミンディ嬢があの令嬢だった。
会えた喜びの方が優ってしまった。
結局その時は話を中断してしまったが、僕はどうしても気になってどうにか彼女と話をしたかった。
そのことで悶々としていると──
「ノア、聞いてるのか?」
僕の数少ない友人1人であり、第一騎士団で副長を務めているアーノルド・ジャマが鋭い目つきでこちらを窺っている。
彼とはアカデミー時代からの付き合いで、僕と違って自分に厳しくそして努力のできる人だ。
「…すまない。少し考え事を」
報告があると従者に呼ばれてやって来たが何のことだろう。
断りを言うと、アーノルドはさらに目を細めて表情を険しくさせた。
かなり重要な案件なのだろうか。
「それで、妹のことなのだが…」
「……」
アーノルドは最近、宮廷に上がった妹の事が心配でならないようで僕の元に話に来る。
至急な案件として。
上に2人も兄弟のいるアーノルドは、唯一の年下である妹が可愛くて仕方ないらしい。
小さな頃から、頼ってくれる儚い存在で、健気に頑張る姿がまたたまらないそうだ。
そんな大切な妹が宮仕えができるのか気が気で、落ち着かないとアーノルドは訴えている。
「つい、きつい事を言ってしまってな…この前もつい冷たい態度をとってしまった。体が弱く、父たちに甘やかされて育ったあの子の為だと思っていっているのだが、あの子が辛そうな顔をしていると、胸が締め付けられそうだ」
僕は頷きながら彼の話を聞いた。
その気持ちを伝えるべきだと思うが、きっと彼には難しいのかもしれない。
それは周りに期待されている様になれない僕と近いものがある気がする。
だったら、せめて彼が楽になれるようにと、僕は聞くことに専念する。
「体も小さい子だ。もし他の者に、いじめられることでもあれば…」
「それは心配になるね」
僕にはない経験だけど、言葉があるのだから可能性はある。
僕はルイボスティーをカップに注いで、アーノルドに渡しながら答えた。
アーノルド曰くこういうことは男のすることではないと言うけど、他人が関わるより自分でする方が気が楽だ。
アーノルドは甘いルイボスティーの独特の匂いに顔を顰めた。
彼はあまり甘いものが得意ではない。
僕は甘いものが好きで糖分を摂取しすぎるから、この匂いで誤魔化している。
「それで、お前は?」
アーノルドは形式的にカップに口をつけると、僕に問いかけた。
「?」
アーノルドの問いに僕は首を傾げた。
アーノルドの妹と僕に何の関係性があるのだろうか。
アーノルドは、眉を持ち上げてさらに言葉を重ねる。
「ノア、お前も気になる事があるんだろ?」
「…」
突然の言葉に僕は沈黙してしまった。
これは僕の悪い癖だ。
突然のことになると、言葉に詰まってしまう。
なんて言えばいいのか咄嗟に言葉が出てこない。
いつも、言葉はこれでいいのか考えてしまう。
訂正できない事はいつも不安だ。
「…あぁ」
考えて僕はそれだけしか答えなかった。
結局、考えても何と言えばいいのかよく分からなかった。
「ノアの考えていることはよく分からないな」
アーノルドがスッと目を細めながら言った。
そうだろうか。
「昔からそうだ。私にはアカデミー時代も、ノアという人間が分からなかった」
「?」
僕には他人が理解できない。
人の思考などそれぞれ。だから恐ろしい。
僕がいくら考えても、至らない思考があるから。
「一番驚いたのは、試験期間に入ると、試験に関係ない本を読み漁ることだ」
アーノルドはこの話をいつもする。
そんなに驚くことではないと思う。
勉強するところがないのだから、本を読むしかない。
「なのに、いつも首席だったな。私がいくら足掻いても、お前の様にはならない」
「僕も、アーノルドみたいに自分に厳しくなれないし、武術を好きになれない」
僕はただやるべきことをこなす事だけ。
どれも別に好きじゃない。
一番好きなのは、日当たりのいい場所で昼寝をすること、本を読むことだ。
そんな僕にアーノルドはため息をついた。
いつもは威圧感のある表情で、硬い彼だが、時々こんな顔をする。
アーノルドは腕を組んでさらに語りかける。
「お前は教師に人生の目標を問われて、老後に自由に生きる事だと言ったな」
「僕の夢は祖父の様になることだ」
「なら公爵として立派に働く事、だろ?」
少しイラついた表情をアーノルドは見せた。
「僕の知っている祖父はすでに隠居していた」
この公爵家を築いた偉大な曽祖父の息子として祖父は様々なものを背負っていたのかもしれない。
だが、父が結婚すると同時に、役目は終わったと直ぐに隠居し、領地で趣味に没頭している。
庭をつくったり、フラッと好きなところに赴いて、時には平民に混じって釣りをしていた事があった。
厳しい祖母に叱られてもどこ吹く風で、飄々とした祖父の姿は僕には夢の様だった。
自分の人生を自分で楽しんでいる。そんな気がした。
──僕はそこまで全力で楽しんでいる気がしない
いつでもそうだ。
僕は別に何をするにも楽しんでいない。
やれと指示されたから、完璧にこなすのが義務だと思ってやっているだけ。
それに、いいように手抜きをするほどの器用さも持ち合わせていない。
アカデミーも息苦しくて嫌いだった。
いつも、家に帰れる長期休暇が恋しかった。
「もっと欲を出していいと思うが?なぜ上を目指そうと思わない」
「責任が伴う」
「それが当たり前だ。貴族として生まれた。その時からこの帝国に使える責任を持っている」
アーノルドが拳に力を入れて訴えた。
国の為に命を捧げるほどの勇気は僕にはない。
「アーノルドはすごいよ」
心からそう思う。
僕にはできない。
そんな僕にアーノルドは険しい顔を見せる。
「私から見れば、ノアは十分誇れる人間だ。当たり前のように、そうやって生きれる人間もいない」
彼はきっぱり言ってくれる人間だ。
だからこそ、この言葉はそのままの意味しか持ってないと思える。
そこが、明快で好ましいと思う。
多くの人間は僕という人間を勘違いしている。
教国と皇族との繋がりがあるせいで、下手に持ち上げられる事が多い。
何でもない行動でも大袈裟にとられることだって多い。
その後ろ盾のお陰で得るものが多いのは分かっていても、皆と親しくなりにくいこの性格も原因だと分かっていても…
僕は自分の生まれに責任をなすりつけたくなる。
僕はのしかかってくる全てが恐ろしい。
けど、アーノルドはそれから逃げてはダメだと指摘してる。
そしてミンディ嬢はそれでも誇れと言ってくれた。
「それにお前は博愛主義者と思うほど心が広すぎる」
「?」
アーノルドは苛立ちながら言った。
綺麗に整えられた髪をクシャりとかきあげる。
独特の髪の香料が香った。
「お前は、アカデミーでチェイスの事だって『すごい』と言った」
「彼の社交性は羨ましい」
「それに自信もあって、すごいだろ?」
アーノルドは呆れ、聞き飽きたように手を振った。
自分から話題を振ってきたのに。
「事実だ」
そう言うと、彼は鼻に皺を寄せた。
彼は顔に迫力があり、体格も立派な為、顔が少し歪んだだけで威圧感がある。
だが、見慣れてしまった為、僕はさほど気にならない。
彼のお陰で、見える表情が感情の全てではないと分かった。
余計に考えさせられるけど、新しい発見は面白い。
「私は、あいつに一泡吹かせたお前に惹かれたんだ。友になりたいとな」
彼の率直な言葉に、不意に僕は口角が上がってしまう。
再認識した彼との関係性は、僕を安心させる。
ただ、そんな記憶などどこにもない。
憶えておかないといけない事は頭に残るが、どうも思い出などの記憶は残りにくい。
「チェイスが同期の男爵の息子に『お前は服装がダサいと、令嬢方が言っていた』と揶揄ってた。確かどっかの茶会が開かれた後日で、授業前に、チェイスが取り巻きとやってきて大声で話して、ばかにしていたんだ」
「な?」と言われても、全く記憶にない。
僕は冷め始めたルイボスティーを飲み干して、新しく入れる。
保温の魔法を使えばいいが、魔力の使用は疲れるからあまり好きではない。
「あれはかなり不快だった。特にそいつはダサいわけじゃない。ただマナー通りの無難な服装をしていた。確かに洒落っけはないにしても、何も悪いことをしているわけじゃない。それを揶揄するなど言語道断なことだった。私が腹を立てて、物申す前にお前がチェイスに言ったんだ」
そこで、アーノルドは一呼吸置いた。
僕はその間につまみの菓子類を勧めたら「お前はなぜこうも準備がいいんだ?」とまた指摘された。
彼は僕の気づかない僕を教えてくれる。
それからまたアーノルドは続きを言った。
「お前はその時言ったんだ。『服装など場に合っている規定通りのものなら、非難するに値しない』と。『規定外での良し悪しは、個人的な評価に過ぎない為、一感想として述べるのではなく、価値観の一方的な押し付けの方なのならやめた方がいい。彼にとって問題ないのであれば、それは余計なお世であって、キル教の教えにも他人を批判する前に己を振り返れとある。君のその華美な服装の方が、アカデミーの規定違反で恥じるべきだ』とな」
多分、アーノルドの中で大きく改変されている。
そんな言葉遣いをした記憶はないし、そんなに強く言える訳がない。
事実を述べるに止まるはずだけど、やっぱり記憶にない。
それだけ、何ともないことだったはずだから、やっぱり彼の中で真実と異なるものが作り上がっているはずだ。
でもそれを素直に言ってくれるアーノルドはやっぱり好ましい。
そう思い、苦笑いで聞いていると、ふと思った。
──そういえば、彼女も全て素直に口に出していた
思い出した。
彼女はなぜか僕に謝罪した。
隠すこともせずに、その意味も僕に会いたくない理由も全て話してくれた。
──2人は似ているのかもしれない
そう思うと気づいた。
なぜか気になって、探していた理由がわかった。
──あぁ、彼女と友になりたいのか
難しい計算式が綺麗に解けた気分だった。
異論の余地のない計算課程に僕は満足した。
だから、その思いを次の時に伝えた。
朝から、集団に掴まってどうするべきか困っていた所にミンディ嬢が通りかかった。
多分、多くの人はこんな場面でも上手く対処できているのだろうが、僕は彼らの言い分の半分も理解できず、意思疎通が難しい。
小さい頃から会話を避けてきた結果なのかもしれない。
困惑するだけの僕とは違って、ミンディ嬢は堂々としていた。
この前まで気づかなかったが、ミンディ嬢の頭には緑色のリボンがあった。
ティア殿下の元に新しく配属された女官がいると聞いたが、彼女もそうなのかもしれない。
だから、アーノルドと会話するように、僕のその考えをそのまま口にしてみた。
アーノルドはよく「思った事は口にしてくれ。こっちが不安になる」と言う。
友にはそうであることが誠実なのかもしれない。
それを参考にして、伝えてみたのだけど、ミンディ嬢は口をぽっかりと開けたまま聞いていたかと思えば、直ぐに早口で言葉を紡ぎ始めた。
でもその内容は、自分の行動を自分で批判しているような内容だった。
思い返してみても、彼女の行動に反省する点はなかった。
むしろ、彼女の言動は他の研究者の新しい解を目にしたような感覚だった。
会話の内容も理解できるし、彼女のかもしだす空気感が心地よい。
きっと、優しく漂って消えていく彼女のマナとよく似ていた。
一度、彼女のマナに触れてみたい。
見た事のない、不思議な動きのマナだ。
彼女は全てが興味深い。
大人になるにつれて明確な解のないものが増えた。
小さな頃はもっと単純だったと思う。
正と偽がはっきりしていて、もっと明解だった。
だが、さまざまな事を知って仕舞えば、そう簡単に判断することは愚かになってしまう。
法や決まり事だけが正義なんじゃない。
感情だけが正義なわけでもない。
どちらも無下に出来ず──
そんな複雑に絡み合った世界に僕は戸惑うことが多い。
なのに、ミンディ嬢は何か答えを持っているようだった。
彼女から出てくるはっきりとした意見は、誰かを特別に傷つけるわけでもない。
否定するわけでもない。ただ、生きることを肯定してくれている。
そんな気がした。
友となる事を承諾してくれたミンディ嬢は、毎回僕を驚かせる。
アーノルドでさえ「大勢の人に好意を持たれるなんて羨ましいものだ」と言うことでも、彼女は「大丈夫か?」と僕に尋ねてくれた。
それまでそれを迷惑だと思ってはいけないとどこかで思っていたのに。
自分でも押し殺していた不安を彼女は尋ねてくれた。
だからか、彼女のマナを感じ取るとつい探し出したくなってしまう。
『魔力なし』だと揶揄されようとも、彼女は真っ直ぐのびた背筋をびくともさせなかった。
意志の強そうに輝く白銀の髪は、優しく揺らしながら語った。
瞳は動じる様子も見せず、穏やかに笑う姿が──
僕には、羨ましいものだった。
羨望は時に恨みに変わると、哲学の一つにあった。
彼女は完璧ではないかもしれない。それでも懸命に生きていた。
懸命な生き方の分からない僕は、恨む暇もない。
ただ、そんな生き方もあるのだと一つの解を常に提示してくれる。
世の中には解が多すぎる。
だが、どの解も必ず正解ではなく、不正解でもない。
ミンディ嬢が見せてくれる解は、僕自身が納得するに近いものだと思う。




