6 コーラ視点
「殿下、お怪我は?」
真っ先にティア殿下の元へ一番最初に駆け寄ったのはバーリードゥ侯爵夫人でしたわ。
見たことのない青ざめた表情でした。
幸いティア殿下にはお怪我はありませんでしたわ。
ただ、殿下自身も驚かれて呆然とされていました。
きっと、こんな事態になる事が初めてなのですわ。
ティア殿下の無事を確認すると、バーリードゥ侯爵夫人は立ち上がって、ルーベン様の元へ向かい──
バチンッ
夫人はルーベン様の頬を叩きましたわ。
「「夫人?!」」
わたくしとミンディさんは驚いてまた声を上げましたの。
するとしても注意ぐらいだと思っていたから、まさか手を挙げるなんて…
確かに躾でそうされる方はいますけど、バーリードゥ侯爵夫人が人前でその様な行動をするのが驚きでしたわ。
ルーベン様も、きっとこんな事態になると思っていなかったのですわ。
叩かれた状態のまま、じっとしたままでしたの。
バーリードゥ侯爵夫人は彼に対して、声を荒らげました。
「殿下に怪我をさせたら、どうするのですかっ?!」
わたくし達を叱るときとはまた違う声色でしたわ。
迫力もありましたし、何より必死さがありましたの。
「お前はっ…大ごとになったらどうするつもりだったの!?朝から『一緒に行く』と駄々をこねたかと思えば、大人しくするという約束も守れないのっ!!!」
硬いバーリードゥ侯爵夫人の口調が崩れましたわ。
バーリードゥ侯爵夫人が遅れてきたのには、誕生会が理由ではなかった様ですわ。
「なぜ、約束を守らないのっ!言う事を聞かないのっ!?その歳になってもいいことと悪いことの分別もつかないのっ?殿下に何かあったら…あったら、どうなるか分からないの!?」
「っ……れ…………もん」
ルーベン様は、固まったまま母の叱責を聞いていましたが、段々と表情を崩し始めました。
顔を下に向けて、絞り出すように声を出しましたわ。
「ルーベンっ!!聞いてるのっ?!」
そんなルーベン様にバーリードゥ侯爵夫人はさらに声を荒げましたの。
すると、ルーベン様もはち切れたように顔をあげて、夫人の手を振り解きましたわ。
「オレは悪くないもん!」
「ルーベン!」
ルーベン様の訴えを、バーリードゥ侯爵夫人はすぐ様叱りつけ抑えようとなさいましたわ。
でも、それはルーベン様には逆効果なようで、伝えきれない何かが弾けましたの。
「そんなにあいつが心配なら、あいつのお母様になればいいじゃないかっ!!!!」
「何を言っているの……?」
バーリードゥ侯爵夫人はショックを受けた表情を浮かべていましたわ。
明らかに動揺した声で、ルーベン様に声をかけ、もう一度触れようと手を差し伸べました。
「オレはお母様なんていらないっ!!!!」
ルーベン様はそう言うと、バーリードゥ侯爵夫人の手を振り払って、奥の庭園に走り去ってしまいましたわ。
「ルーベンっ、どこへ行くのっ!止まりなさいっ!」
すぐにバーリードゥ侯爵夫人は彼を止めようとなさいましたが、ルーベン様は止まりませんでしたわ。夫人は追いかけようと立ち上がったのですが、そこにクリスティンさんがやってきましたの。
「夫人っ!お越しでしたか!建国祭のことで至急集まるようにと…」
午前になかなか来なかったバーリードゥ侯爵夫人に代わって、クリスティンさんが業務を行なっていた様ですわ。
侍女がバーリードゥ夫人がいらっしゃった事を伝えたのかもしれません。
急いでやってこられたクリスティンさんの様子を見る限り、かなり重要な案件の様ですわね。
「あっ……、そう……ですが……」
さまざまな事が一気に起こりすぎて、バーリードゥ侯爵夫人はらしくもないオロオロとした様子でしたわ。
わたくしも様々な事が起こりすぎて心臓がバクバク言ってました。
なんだか、小説の盛り上がりを一気読みした気分ですの。
少し気まずさもありましたわ。
「夫人、ここは私達に任せて下さい」
ドキドキしているわたくしと違って、ミンディさんが一歩進んでいいましたわ。
この人、こういう時になぜか冷静なのはなんででしょう?
「ですが…」
「私、弟で、お世話にはなれているんで、ルーベンくんを無事に回収してきます。夫人は早く、お急ぎ下さい」
「………えぇ、そうですね。分かりました」
躊躇っていたバーリードゥ侯爵夫人でしたが、ミンディさんが落ち着いた声で言ったからでしょうか、少し冷静になった様ですわ。
何度か息を吸って吐いた彼女は、頷きましたわ。
「ミンディさんよろしくお願いします。殿下……この度は息子が大変失礼いたしました。本当に申し訳ございません……」
大人が、ティア殿下に深々と頭を下げましたわ。
本当にバーリードゥ侯爵夫人は素晴らしい方ですわ。
たとえ主であっても、大人が子供相手にそう簡単に頭を下げることなんてありませんもの。
「ううん、ティア、びっくりしただけだよ?お尻、痛いけど、もう治っちゃったの」
すでにわたくしとミンディさんの手で立ち上がっていたティア殿下は笑顔で返しますの。
ティア殿下も、幼いながらに聡い考えの方ですわ。
「夫人、こちらに」
「えぇ、分かりました」
もう一度、ティア殿下に頭を下げられたバーリードゥ侯爵夫人はクリスティンさんに連れられて、殿下の宮殿から離れられましたわ。
すると、ミンディさんがすぐに動いたの。
「じゃあ、コーラさん、ここはよろしくお願いします」
「え?」
「私、ルーベンくんを追いかけるので。殿下をよろしくね」
「え、ちょっと!」
わたくしが声をかけ終わる前に、ミンディさんはルーベン様が消えた方へ走っていきましたの。
スカートをたくし上げて、全く淑女らしくない振る舞いでしたわ。
「コーラ!私たちも行こう!」
「え?!で、殿下っ?!」
すると、ティア殿下も何か刺激されたようで、わたくしの手を取って駆け出されましたわ。
わたくしも半ば、引っ張られる形で足を進めましたの。
「「「姫様?!」」」
後ろで控えていた侍女達も驚いていましたわ。
皆様、行動がいきなりすぎですわ!
「大丈夫ですわっ!そこで待機をしてくださいませ!!」
わたくしは振り返りながら、侍女達にいいましたわ。
ひとまず、これでこれ以上混乱はしない…はずですわ。
なぜでしょう。
ミンディさんが関わっていると言うだけで不安ですの。
なぜか放っておいてはいけない気がするのですわ。
「コーラ!もっと速く!ミミとはぐれちゃうっ!」
わたくし達はなんとか視界にミンディさんを捉えていましたが、少しずつその距離は離れていきますの。
──なんであの方は貴族なのに、こんなに足が速いの!
わたくしはそう思いながらも、どうしようか迷いましたわ。
だって、殿下に手を取っていただけるのは女官として嬉しい事なのですよ?
それなのに、ご期待に添えないのは些か申し訳なさがありますの。
でも、わたくしは淑女です。貴族の娘ですわ。
でも、わたくしは殿下の為の女官でありますので──
「あぁ!もう知りませんわっ!!」
色々と考えるのはダメですわっ!
今はミンディさんを放っておく事が一番の問題ですの。
今度は何を言い出すのやらと思うと…
わたくしは先ほどから、ずっと手に力を入れぬように気をつけていましたが、それをやめましたわ。
走るのだって、らしくいようとしてましたが、やめましたの。
だって今、最善に頑張るのが一番ですもの。
「殿下っ!失礼しますわっ!」
わたくしは殿下から手を離して、立ち止まると、殿下を抱き上げましたわ。
殿下は羽のように軽かったです。
「わっ!!」
「いきますわよ!」
「う、うわぁあああ!」
わたくしは全力で足を進めましたわ。
でも、ミンディさんは本当に足がはやくらっしゃいますので、距離を保つのがやっとでしたわ。
「コーラっ!すごいねっ!」
殿下はわたくしの腕の中で言って下さいました。
本当に優しい方ですわ。
しばらくすると、ミンディさんが立ち止まりましたわ。
どうやらルーベン様を見つけた様ですわ。
「コーラ、ここでいいよ」
ティア殿下もそれに気づかれた様で、小声で指示をなさいましたわ。
わたくしは立ち止まって、殿下を下ろしましたの。
「近くに行こう」
なぜか小さい声で囁く殿下。
わたくしも黙って頷いて、ともに木の影に隠れながら近づきましたわ。
段々とミンディさんとルーベン様の声がはっきりとし始めましたわ。
「どうせっ…どうせオレなんてっ…いらないんだっ」
ルーベン様の声でしたわ。
もう完全に泣いているようで、つまりながら話していましたわ。
その声色はなんだか、わたくしには覚えのある響きでしたわ。
「オレっ…こんなものっ、こんなものいらないっ…!!!」
ボチャンッ
わたくし達がはっきりと2人の姿を見えた時、ルーベン様はティア殿下の庭園にある池に胸元のもの取って投げてしまわれましたの。
「「あっ!」」
わたくしとティア殿下は声をあげてしまいました。
だって、それは魔石でしたの。
ルーベン様はティア殿下と数ヶ月違いでしたから、きっと昨日、バーリードゥ侯爵夫人からプレゼントされたもののはずですわ。
小さい頃から、魔石について教育を受けているわたくし達にはそれの重要性がよく分かっております。もちろん、幼いティア殿下だって知っているのですわ。
「何やってんのよ!このママっ子が!」
わたくし達が驚いているとミンディさんが叫びましたわ。
『ママっ子』
また変なことをミンディさんは口にして──
──侯爵の子息相手への言葉遣いではありませんわ…
ミンディさんは子爵扱いですもの。
「あんた、あんたのお母さんがこれをどれだけ悩んでるか分かってんのっ?!仕事で構ってあげられないからって!どれだけ思いを込めてるか!あんた、本当にお母さんがいらないの?」
「うるさい!うるさいっ!」
けど、ルーベンさんは聞く耳を持ちませんでしたわ。
興奮してしまっていて、もう何もかも嫌がっている様でしたの。
「お母様なんていらないっ!あいつばっか!オレなんてどうでもいいんだ!オレはいらない子なんだ!」
──あ…
わたくしの胸がちょっと痛かったですの。
その感情に覚えがありますの。自分が恥ずかしくてどうしようもなくて、そんなふうに考えたことがありますわ。
何もできない自分が不甲斐なくて、必要ない子ではないのかと不安になることもあったのですわ。
「なら、私が貰う!」
ザブンッ
ミンディさんはそう言って、池に入っていきましたわ。
──え?
「あ、お、おいっ!」
ルーベン様が声をかけましたが、それを無視してミンディさんは池を進んでいくのですわ。
あんなにわたくしに怒っていたくせに自らご両親の選んで下さった服を汚しましたの。
池は深さがあるように、ミンディさんは腰まですっぽりと入ってしまっていましたわ。
「何やってんだよっ!!」
──何しているのよ!
わたくしはそう思いながら、それを見ているだけでしたわ。
彼女のしようとしていることは全く理解できませんの。
「っ……」
池でふらふらとしていたミンディさんが一瞬、体を跳ねさせましたわ。
それは尋常ではない反応で、わたくしは思わず立ち上がってしまいましたの。
ティア殿下も同じみたいで、心配そうに声を出されましたわ。
「ミミ…大丈夫なの?」
その呟きをかき消すようにミンディさんが声をあげました。
「あったっ!!!!」
そう叫んで、手を伸ばして、さらに池に浸かりましたの。
そして、その手が池から上がると、そこにはルーベン様の魔石がありましたの。
「っ……ったぁ……」
ですが、ミンディさんは『魔力なし』。
魔石はチカチカと光ってミンディさんを拒否していました。
ミンディさんはそれでも離さずにそれを握っていましたわ。
もう全身は池の濁った水でぐちゃぐちゃでしたわ。
上がってきたミンディさんはそれを持って、ルーベン様に突き出しましたわ。
興奮していたルーベン様はミンディさんの行動に驚いて、もうさっきのように取り乱してはいませんでした。
むしろ、戻ってきたそれに少しだけホッとした表情を見せましたわ。
そして、それに手を伸ばそうとした時──
「これ、私が貰うから」
「……」
「いい?」
ミンディさんはまた煽るように言いました。
まだ魔石はミンディさんを拒否してチカチカしていました。
聞いた事がありますわ。
魔力なしが魔石に触れようとすればものすごい痛みを伴うものだとか──
ミンディさんの額からは汗が滲んでいましたわ。
「一緒に、いれない分、これがあんたを代わりに守ってくれるって、これはティア殿下の為でもなく、あんたの為に、あんたのお母さんが必死で選んだの。忙しくて休暇も取れないけど、あんたの為にわざわざ休んで選んだの。分かる?」
「…でも、お母様は…オレと一緒にいないじゃないか……オレは…」
「馬鹿ね。あんたの為に頑張ってるんでしょ?まだ大きくならなきゃ分からないだろうけど、こうやって、殿下に仕えてんのもあんたの為になるのよ。今後のあんたの為にもなるのよ」
「……」
「あんたの特別な日だから、夫人だって、休んだんでしょ?午前だって仕事があるのにね。我が儘も聞いてくれたでしょ?」
「でも……怒って…」
ぐずぐずと言い続けるルーベン様にミンディさんはため息をつきましたわ。
「だ・か・ら、あんたが悪いでしょ?女の子に手をあげたのよ?あんただってお母様に叩かれて悲しかったんでしょ?」
「……」
「それに、あんた皇族を敵に回したら生きていられないわよ?」
ルーベン様はもう言い返しませんでしたわ。
ミンディさんはそれにニヤリと笑います。
色々とマナーとしてダメダメですけど、ミンディさんの言葉はルーベン様によく届いていうる様ですわ。
──『くん』呼びや『あんた』なんて…マナーも何もないですわ
ミンディさんは見せびらかすようにその魔石をルーベン様に見せました。
顔はちょっと悪い顔になっていましたの。
「あんたがいらないならお母さんもこれも私がもらう。いい?」
ミンディさんはもう一度確認しました。
手はもう限界の様で震えていますわ。
「……いやだ」
「え?」
「いやだ!誰がお前にやるかっ!」
ルーベン様はそう叫んで、ミンディさんの手から魔石を奪い取りましたわ。
「…ねぇ、コーラ」
ティア殿下が言いましたわ。
「ミミってすごいね」
「…そうですわね」
わたくしはつい頷いてしまいましたわ。
泥だらけの服に、震えている手……
──『同僚』ですわ
もう一度わたくしは思いましたわ。
そして、色々とごちゃごちゃとしていたものが少しスッキリしましたわ。
どんな態度をとっても、なぜかミンディさんは喰いついてくるし、わたくしにはよく分かりません。
いつも変な言い合いが始まってしまうのも理解できませんでしたわ。
わたくしはどうするべきなのか少し分からなくなっていましたけど、そうですわね──
「ミンディさんはライバルですけど、その前にわたくしの同僚ですわ」
けど、少しだけ、何かが変わった気はするのです。
うまく言えませんけど、ミンディさんとのこの関係は悪くないのかもしれませんわ。




