12
そして翌日、ヴェロニカから「商談がまとまらないから午後ね」という伝言をもらって、私は昼になるとノアに会いに行った。
女官になって2ヶ月も過ぎれば、研究棟の場所は頭の中に入ってる。
研究棟まで行って、何人かの人に聞けば難なくノアの研究室までたどり着いてしまった。
「研究員にはみんなに部屋が割り当てられているの?」
私は、几帳面に整頓された部屋を見渡しながら言った。
書物は全て本棚に入っているし、計算した後の紙類も分類されているようで、揃えていくつかの山に重なっていた。
小物類は彼の趣味なのか、シンプルで高価なものが並べられていて、家具は正規のままをそのまま使ってるようで、綺麗だけど少し古びていた。
「うん。学位さえあればね」
ノアは私にお茶を用意しながら言った。
流石に公子にそんな事はさせられないと私が変わろうとすると断られた。
「いつでも飲めるように常備してる」
「でも、お湯は冷めるでしょ?」
「状態保持の魔法をかければ、大丈夫」
「…なるほど」
やっぱり魔法は便利だ。
羨ましい。
「それに、人が出入りするのが好きじゃ無いから」
「ノアは昔から人付き合いが苦手なの?」
「うん」
「そうなんだ」
昔から不器用なんだろうなって簡単に想像できる。
ノアはそこまで気にしていないのか、表情はあまり変わらない。
「祖母がね。すごく、厳しい人だったんだ」
ノアは入れてくれたお茶を私の前に置いて、私の向かい側に座った。
おっと、ルイボスティーだ。
甘い香りが湯気とともに漂ってくる。
甘党なのに意外。もっと蜂蜜がたくさん入ったハーブティーでも出てくるかと思った。
「言葉遣いとか、厳しくてね」
「へぇ~」
ノアも私に対して随分フランクに話すようになった。
前より、友達感が出て、今の関係は結構好きだ。
「なんて言えば人を傷つけずに済むのか考えていたら、返す言葉が分からなくて」
ノアは頬を指で掻いた。
別に表情は変わらない。
「話す事が億劫になった」
「…」
なんだろう。
ノアと話していると「あぁ…」て言いたくなる。
こうも不器用なんだ。
「でも、話を聞くのは好きなんだ」
「よく聞いてくれるよね」
「うん。人の思考って面白いから」
それは私でも感じる。
ノアの聞こうとしてくれる姿勢は私の口をさらに忙しくさせる。
「…こわい時もあるけど」
ノアがぽつりと付け加える。
また、「あぁ…」って言いたくなった。
「あ、そうだ」
けど、私は本来の目的を思い出す。
「これなんだけど…」
私は昨日から持ち歩いている封筒をノアに見せた。
下手に心配させるのも嫌だけど、黙っててもいい方向に行くとは思えない。
もしかしたら、ノア自体にも何かあるかもしれない。
ここは情報を交換しておくのがいいと思う。
だって、いじめとかストーカーとかって、黙ってても改善しないものだよね。
パンクしてからじゃ遅いもの。
何より、ノアに危害が加わるのが心配だ。
実は、あの後から少し、気になることがあった。
なぜか、ギリ当たらない距離だったけど、上から植木鉢が落ちてきたり。
ちょっとした段差のところで押されたり、滑ったり。
近くに人影は感じなかったから多分、少し距離をとって魔法で何かされたんだと思う。
偶然にしては少し不可解で不自然なそれを見逃すことは出来ない。
気が立っていて、気にしすぎならそれでよかったってだけだもの。
私が事情を説明すると、ノアは表情を暗くさせた。
口元に手をおいて、呟いた。
「そうか…。僕が関わることで相手にも被害が出るのか……」
呟いても、彼の表情は明るくならない。
寧ろ、形のいい眉が歪んでしまった。
「ノア!」
私はガシッとノアの顔を掴んだ。
私が言いたいのはそんな事じゃない。
ノアも流石に驚いたみたいで、下がってしまっていた目も眉も驚いたように上を向いていた。
「違うからね!ノアのせいじゃ無いからね!」
それだけは違う。
「だったら、ノアは誰とも関わらずに生きていくの?もしかしたら、エスカレートした『ストーカー』はティア皇女にだって嫉妬するかもっ、そうしたら、皇女様とも離れるの?」
ノアの顔を掴んだまま訴えた。
だけど、ノアの反応は予想とちょっと違った。
「ティア殿下に危害を加えるのなら、その方は捕まります」
──確かに…
いや、言いたいのはそういう事じゃない。
「つまり、悪いのはその『ストーカー』でノアじゃないの!」
「…」
「だから、捕まるのはノアじゃなくて、危害を加えた方でしょ?私が怪我しても、それはそれを実行したその人なんです」
って、言って気付いた。
友だからと言って、公子の顔を掴むのはどうなのだろう。
私が不敬罪にでもなるかも。
私はぎこちなくノアの顔から手を外す。
ノアは私に引き寄せられた体勢のまま。
「そういう訳だから、これを話したのは、ノアに責任を感じて欲しい訳じゃなくて──…、その……ノアに何か起こらないか心配で……」
なんて言おう。
「私は、これからどうするべきか一緒に考えて、相談したいだけ。それが友達ってもんでしょ?」
そう言うと、ノアは頬を赤らめた。
「友達…」
お前は乙女か。
ノアって友達がいなかったのかななんて、疑問が湧いてくる。
少し喜んでいるって事は納得してくれたなと、私は話を戻す。
「それで、魔法でそういうことできるの?」
問いかければ、ノアは頷いた。
「なら、偶然じゃなければ、意図的に何かされた可能性はあるって事?」
またしてもノアは頷く。
「ノアは?何か変な事ない?」
「…」
ノアは考える素振りを見せた後、視線を床にとしたまま、ぼつぼつと話し始めた。
「よく、僕宛のものは届く」
どこの世界でもファンは贈り物をしたがるものだ。
でも、きっと令嬢達は少しでも応えて欲しいって下心があるはず。
「対処できなくて、最近は侍従に任せているんだけど」
そう言って、ノアか私が入ってきた扉の方へ顔を向ける。
私も釣られて、見てみるけど、変わったところはない。
「この前から部屋の前に毎日置かれている」
「つまり…、その人と同一人物かもしれない?」
「…怖くて中を見たことはないけど」
ノアの顔は青くなっていた。
こういうことに慣れるなんてないだろう。
不憫に思っていると、私はハッとした。
「ねぇ、この世界の魔法に盗聴とかある?」
「盗聴?」
「人の話を盗み聞きできるとか、あ、後、その人の行き先が分かる様に追跡できたりとか!」
私の言葉でノアも意図が分かったみたい。
ノアは首を振った。
「出来ても、長くは続かない。24時間マナを使用しつづけるなんて自殺行為」
「でも一時的にはできる?」
「うん。でも、それは上級魔力だからここでは無理」
「そっか。宮廷内でも、ブロックするように装置がついてるか」
「うん」
どうやら、最悪の状況ではないみたい。
ホッとした。情報がダダ漏れなんて最悪だもの。
「その接触した人物に見覚えがあるって言ってたけど、何か思い当たることは?」
今度はノアが聞いてきた。
危険人物がはっきりした方がいいのは分かる。
けど、全然わからない。
「正直、全然、分からないの。なんだろう…ちょっと華やかなメイクだったし、服装も派手とまではいかないけど、普段着にしては煌びやかだったと思う。まぁ、おしゃれといえばそれまでなんだけど…」
見覚えがあるようなないような。
「でも、あんなこわい表情の人なんて知らないしな…」
普通にこわかった。
「っ…」
私は考え込んで、頬杖をつこうとしたら痛みが走った。
やっぱり、昨日のうちに手当をしておくべきだったかもしれない。
少し腫れが目立ってきた。
すると、ノアの表情がスッと固くなった。
「それ────…」
ノアは唇が硬く閉じて私の手を見つめた。
「昨日の?」
「うん」
「ちょっと待って」
ノアにしてはテキパキとした口調で言うと、立ち上がる。
どうしたのだろう。
ノアは引き出しから、何か缶を取り出して、持ってきた。
そして、私の真横に座る。
「!!」
一瞬、びっくりした。
少し見慣れてきたとはいえ、美形が真横にいれば心臓が煩くなるのは当然だと思う。
この際、私がさっきこの顔を掴んだ事はこの際忘れておこう。
ノアは黙って私が怪我をした方の手を掴んだ。
「っ…」
私が痛みで顔を歪めるけど、ノアはその手を離さなかった。
「我慢して」
いつもより言葉が重い。
なんで、そんな怒ったような声を出すのだろう。
そんな疑問もあるけど、ノアの顔が私にさらに近づいて、考えてられなかった。
ノアの爽やかなのに甘い匂いがふわりと香る。
男の人なのになんでいい匂いがするんだろう。
真剣に私の手を眺めるノアの瞳に長い睫毛が被さっていて──なんか、すっごく──
──色気がある…
男でも艶かしく感じることがあるのかと新たな発見。
でも、一番の発見は、そんなことに私の心臓が反応する事。
自分でも初めてのその動きに驚く。
──美形、こわ…
きっと、そうなる人間の仕組みなんだと思う。
そうしていると、ヒヤリとした何かが私の手の甲に乗った。
スーッと何か手に溶け込んでいく感覚がある。
見てみると、緑のクリーム状のものがのっていた。
「…何それ?」
「医療用でよく使われているもの」
私がおずおずと尋ねれば、ノアはまだ怒っているかのような口調で淡々と語る。
「スコットレットの領地で取れた薬草。それを魔力と合わせて作ることで、簡単なものはこれを塗れば治る。最近、よく出回っているものだ」
「そうなんだ…」
やっぱり怒ってる。
なんだか口調が強めで、早口。
──ん?
とか思っていると、『スコットレット』の名前に気づく。
「スコットレットって、あのスコットレット?」
「君に手紙を渡した、彼」
「やっぱり?じゃぁ、最近、お金がたくさん入っているってこれの事だったりする?」
私はこんな万能なもの知らない。
「スコットレットの領地は元々瘴気が多い土地だが、植物のマナに瘴気が作用することで、さまざまな特性を持つ植物が育つ。特にこれに使用されているパナセは治癒能力が高い。植物のマナを魔力でそれを高めれば、薬としての効果が大きい。その他の薬草についても、昨年発見されて、医療関係で普及し始めている。スコットレットの資金繰りが拡大している要因としては大きいに決まっている」
まるで、彼の持っている情報を読み上げているみたい。
怒っていると、意外と饒舌になるんだな。
しかも、言葉がちょっと荒い。
そっか、スコットレット家は医療系で国に貢献していたのか。
そりゃ勢力が強くなっても仕方ない。
缶の蓋を見れば、蛇と鷹が描かれていた。
──鷹って、確かノイトーラル公爵家の家紋だった気がする
3大公爵家の最後の一つ。
ノアのデネブレ家、ヴェロニカのオリエンス家、建国以前からこの国に使えてきたノイトーラル家。
私がぼんやりと考えていると、ノアが再び口を開いた。
おっと、新たな興味に心が奪われてしまっていた。
「だから、これを塗ればある程度は安心だ」
「そっか、これなら怪我しても安心だね」
私が感心して言うと、塗り終わったノアは荒々しく薬の缶の蓋を閉じた。
そして、私に向かってより強い声で言った。
「怪我はしないことが前提だっ。これぐらいの治療もせずに、わざわざ、悪化するまで放っておくなんて、どうかしている!!!」
ノアが唸る狼みたいに言った。
その目は真剣で、いつもは落ち着いた色合いが、青い炎のようにも見えた。
ノアの初めての姿に驚いたし、何より勢いに押された。
「そんなに…大ごとになるなんて分からなくて……」
「人の人間関係の心配をする前に、自分の体を心配しろっ!」
ノアが私の肩を掴んだ。
私はここで説教されるなんて思ってなくて、完全に固まった。
そんな私に気づいたノアはハッとして、俯いた。
けど、私から手を離すことはない。
ノアは暫くすると、顔を上げた。
「念願の女官なんだ。…気をつけるべきだ」
さっきより声のトーンは落ち着いて、少し押し殺したようだった。
瞳も燃える何かはなかったけど、やっぱり、静かに貫かれる意志を感じる。
何か溢れる気がして、私は喉を閉めた。
友達ってこんな気分にもなるんだ。
きっと溢れたら止まらない気持ちがあって、私は少し気恥ずかしくて、なんだか嬉しかった。
私を掴む彼の手はその後、少し緩んで、私の腕を撫でるようにゆっくりと落ちた。
「ごめん……」
ノアは俯いて言った。
「感情的になりすぎた…」
「いや……」
なんだろう。叱られてびっくりしてたけど、なんでか嬉しい。
変な感情が入り混じって、すごい心臓がうるさかった。
「私もごめん…。後、心配してくれて…ぁりがとぅ…」
ちょっと恥ずかしいと思いながら言うと、少しかたまっていたノアの表情が緩んだ。
いや、緩んだだけじゃない。
色づき始めた蕾が一気に開花したような、そんな表情だった。
──私も単純な人間だよね
それだけでこっちも嬉しくなってしまった。




