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「ちょっと!?何してるのよ!」
コーラさんに言われて私はハッとした。
「おぉっ」
私は井戸から汲み上げた水を何故かリリースしてしてしまっていた。
慌てて傾けている桶を立て直すも、既に殆どの水は既に消えてしまっていた。
「あーあ」
私は、やってしまったと空になった桶を見ながら、ため息を吐いた。
「『あーあ』じゃないわよ」
コーラさんが呆れた表情でこちらを見ている。
「さっきからボーッとして何をしているのよ」
──身分違いの友ができました
なんて言えるわけもない。
私はうっと言葉を詰まらせて顔を背けた。
──コーラさんはノア公子に憧れてるっぽいし…
あの時の喰いつき様はダメなやつだと悟る。
お姉様方はもっとダメだ。おもちゃのように扱われそうだ。
一瞬だけ、ティア皇女の事が頭をよぎったけど、流石にない。
異性の友達なんてのも久しぶりだし、大体あんなイケメンなんて…
恐れ多い。荷が重すぎる。
「な、なんでもないです」
私はコーラさんに目を向けることもできずに、不自然な棒読みで答える。
声に出してから思う。これはやばい。
変に追求されそうだなって思っていると──
「あぁ!分かったわ」
コーラさんは今まで見せたことのないとびきりの笑顔を見せる。
あ、いや、ちょっと悪い笑みを浮かべてる。
突っかかってきた時と同じ顔だ。
しまったと思ってももう遅い。私はコーラさんが何を言い出すのか緊張した。
「あれでしょ?」
ニタリと笑うコーラさん。
悪役、いけそうです。
私はじわりじわりと汗をかきそうだった。
「ティア殿下に呼ばれなかったからでしょ?一回ぐらいでお気に入りになれただなんて、思っているのかしら?」
わざとらしくコーラさんは鼻で笑ってくる。
──ティア…皇女……
なんの事だろうと顔を歪めそうになったけど、すぐに気がつく。
──朝の挨拶の着替えの話かっ!
そんな話をしたなと思い出す。
朝の会話の続きだった。そう言われてみれば、呼ばれていない。
その後の出来事が強烈すぎてすっぽ抜けていた。
ここに来てから次から次へと事が起こる為、いちいち思い出せないでいた。
「あ、あぁ~!それです!そうです!!」
コーラさんがいい勘違いをしてくれたと、私は満面の笑顔で返す。
「なんで嬉しそうなのよっ!おかしいわ!」
突っかかってやろうと構えていたコーラさんは私の反応に悔しそうな顔をする。
本当に彼女は分かりやすい性格だ。
きっと、本物の悪役にはなれないタイプだ。
「あぁ~残念だなぁ~悲しいなぁ~」
「全然くやしがってないわよ!」
「めちゃくちゃ思ってますよぉ~」
「そのだらしない喋り方はおやめなさい!」
私がわざとらしい甘えた声を出せば、コーラさんは期待通りに反応してくれる。
やみつきになりそうだ。
「あ、そろそろお昼ですよ!」
私はコーラさんの手を掴んで歩き出す。
誤魔化せたかは怪しいけど、勢いでどうにかするしかない。
今は面倒ごとは避けたい。それでけ。
──だって、ただの友達なだけ!
自分にそう言い聞かせる。
モブな私が色々と言うのは烏滸がましいけど。
それでも、この状況はおかしい。
とか考えていると、あの忠実なわんこの姿が目に浮かぶ。
──あ゛ぁ…
なんだかどうしようもない状況になっている。
私はなんだかなと思いつつ、歩き続けた。
「1人で歩けますわっ!」
すると、コーラさんが私の手を振り払った。
彼女はノア公子の様に素直についてきてはくれないみたい。
うん、そんな性格じゃないよね。
「そんなにお食事をしたいの?卑しいわよ」
注意されてしまった。
それぐらいの言葉は可愛いものだ。
なんだか胸が痛んだ。
ノア公子と知り合いになった事を伝えてない罪悪感がこみ上げる。
──もし、本気だったら…
そう、コーラさんが本気で彼を好きだったら──
そう思うと、申し訳ない気がしてきた。
「その顔はなんですの?」
コーラさんはやっぱり突っかかってくる。
このまま、知らんぷりもできなくて、私は軽く頭を下げた。
「先に謝っときますね。ごめんなさい」
「何がよ」
「いや…なんとなく。偽善者ごっこの続きです」
コーラさんはめちゃくちゃ怪しそうな顔をしている。
分かる。けど、これで少しだけ私の気分が楽になるだけ。
私もスッキリしない気持ちでいると、なんだか険のある声が聞こえた。
「ちょっと、そこの貴方?」
貴族らしい気取った話し方をした令嬢がこっちにやってくる。
その口調はどこか使用人を呼ぶ様だった。
「…」
私もそれに応えるべきなのか分からなくて、ただその令嬢をじっと見つめた。
なんとなく、見覚えがあるようなない様な…
──私に言ったの?
どう見ても私を見ている。
「下品で汚い髪が宮廷をふらついている思ってみれば、偽物貴族の罪人だなんて」
そして、令嬢がくすりと煽るように笑った。
私はいきなり聞き慣れた言葉が飛び込んできた。
聞き慣れても、それに平気でいるわけではない。
けど、平気なふりはいくらでもできる。
私はじっと彼女を見つめ続けた。
「あら?返事もできないの?『嫌われ者』は礼儀がなってみたいね。いや、教育なんてしてないのかしら?ふふっ」
刺々しい言葉と彼女の目が突き刺さる。
冷たい笑いがさらに追い討ちをかけてくる様だった。
彼女は私をよく思っていないのは一瞬で分かる。
その彼女の漂わせている空気感はどこか懐かしかった。
──忘れてた…
私はただのモブではないと気づいた。
嫌われ者でモブと名乗るのも烏滸がましい存在だった。
女官になってから、環境が良かってせいで忘れかけていた。
「貴方こそ無礼ではなくて?人に話しかける時は、まず自ら名乗るものですわ」
この環境下で、唯一私に突っかかってくるコーラさんが怪訝な顔で令嬢に問いかけた。
まさか、彼女がここで口を開くだなんて思ってもみなかった。
コーラさんの言葉に、令嬢はキッと睨みを効かす。
「…身分の低い者にわざわざ挨拶する必要なんてないわ」
「どなたにでも礼儀を尽くすのが、貴族としての心構えではなくて?」
なぜか小柄なコーラさんの背中が大きい。
「……貴方は誰よ」
キッと睨みを効かせて令嬢が問いかける。
コーラさんは待ってましたと言わんばかりにパッと顔を上げた。
「わたくしは、コーラ・ジャマですわ。ご存知だと思いますけど、あの辺境伯、ジャマ伯爵家の生まれですわよ」
無敵の盾をかざして、コーラさんは満足げだ。
「よっ、コーラ姉さん!」って掛け声が脳内で響く。
「あぁ~~、辺境伯のご令嬢…ね」
一瞬、ジャマの名前にたじろいだ令嬢だったけど、令嬢は鼻で笑うように言った。
コーラさんもそんな反応を返されると思ってなかったみたいで、眉を顰める。
「…なんですの?」
嫌な予感がした。
コーラさんも感じ取ったみたいで怪訝な声を出す。
令嬢は顔をあげて、私たちに顎を見せながら、余裕そうな笑みを浮かべる。
そしてゆったりと口を開いた。
「ジャマの落ちこぼれさん、でしょ?」
「──っ!」
──何?
私には全然分からない言葉だった。
けど、コーラさんは目を見開いて、令嬢を見上げていた。
──この表情…
どこか怯えたその顔には見覚えがあった。
以前、彼女の兄と遭遇した時と同じだ。
「落ちこぼれと嫌われ者ね。あぁ~!とってもお似合いね」
令嬢は両手を合わせて、嫌に嬉しそうな声で言った。
コーラさんの拳にグッと力が入る。
「皇女殿下も貴方達みたいな方を女官にしているとは、なんて可哀想な方なの?」
固まったコーラさんの耳に彼女が口を近づけた。
「同情しちゃうわ」
「っ……」
コーラさんはグッと唇を食いしばった。
俯いていても、その横顔ははっきりと見えた。
「わっ、わた、わたくしはっ────」
コーラさんは顔を真っ赤にして、何かを言い返そうとしたけど、最後には言葉を飲み込む様な表情を浮かべた。
──やっぱり、ワイアットに似てる
ずっと思っていた。彼女のそういう姿は、弟のワイアットに似ている。
もっと幼い頃の感情表現が下手だったワイアットだ。
何か思うところがあるのに表現できなくて、泣き喚いてみせるけどそれでも満足できなくて、どこか自分にも苛立っているようなそんな感じ。
何で、彼女とワイアットが似ているのかなんて分からないけど、何となく思った。
「っ……」
「何かしら?」
何も言えないコーラさんを令嬢が更に煽る。
「あのっ───」
令嬢の言おうとしている事はわからないけど、私は口を挟む。
ここで黙って見守っているだけじゃ、同僚じゃない。
結構、覚悟して声をあげたのだけど、それよりも先にコーラさんが行動にでた
「っ、失礼しますわっ」
まさしく逃げるようにコーラさんは走り去る。
「あっ…」
私もその行動に驚いた。
以前よりも全然早い速度で走って行ってしまった。
「貴方も、彼女みたいに身の程を弁えたら?」
令嬢が私に冷たい目を向けた。
瞳の奥は、いじめてやるって気が満載だった。
「これ以上、ノア様の周りを彷徨かない方がいいわよ?少し構って貰えるからって調子乗らないでね」
さっきよりも一層、ゾッとする声色に私は反射的に顔を上げた。
目の前にいる令嬢の瞳の奥はあの悪意よりももっと深いものを感じ取った。
さっきのノア公子に迫っていた令嬢達の中にいた1人なのかもしれない。
私を追いかけてくるほど、熱烈なファンなのか──
「偶然ぶつかっただけのくせに…」
──え?
一気に体が冷え切った。
なぜ、それを彼女が知っているのか。
──こんな人、私は知らない…
さっきの令嬢の中にこんな表情をしている人はいなかった。
腹の奥から冷えてくる感覚に私は怯えた。
どこで見ていたのか。嫌な予感がする。
「邪魔なのよ」
令嬢は、笑って言った。
こっちが怯えていると分かって言っている。
「ふふ」
視覚でも私の表情を確認すると、満足げな表情を浮かべた。
でも、目の奥はやっぱり笑っていない。
私は、その令嬢が去るまで、恐ろしさで足が動かなかった。




