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「すみません。前を見てなくて…」


ギリシャ彫刻のような芸術的な美しさもある彼は、綺麗な形のいい唇から申し訳なさげな声を出す。


「あ、あ、いえ、こちらこそごめんなさい。私が慌てていたのがいけないのです」


青年の美しさに見惚れていたが、自分の失態を思い出し恥ずかしさが一気にこみ上げる。

絶対に彼のせいではない。私の注意力不足だ。


「お怪我はありませんか?」


私が声をかけると、美男子は立ち上がって「大丈夫です」と軽く首を振った。

あまり表情の変わらない人みたいで、どことなくノア公子を彷彿とさせる。

立ち上がった美男子は適当に衣服の乱れを直すと、私の方を見てぴたりと動きを止めた。


「僕よりあなたの方が…」


少しだけ眉を下げて、美男子は私の紅茶がかかっている胸元に視線を向けた。

私も恥ずかしくて再びナプキンで胸元を隠す。

すると、美男子は勘違いをしたようで、瞬時に顔を真っ赤にさせて俯いた。


「あっ……。すみません…その、ただ汚れてしまっていたので……、わざわざ見たわけではなく……その、不快な思いをさせて申し訳ございません」


口元に手をやって、私に謝罪するが、彼は顔を背けっぱなしだ。


「あ、いえいえ!違います!」


私も逆に気を使わせてしまったと慌てる。

首までしっかりとボタンが閉まっている胸元を見ることの何が恥ずかしい。

ボリュームがあるならまだしも、何度も言うがつるぺたの地平線並みで、ほのかにある山を後生大事に守って生きていくものしかないのだ。

それに透けているわけでもないので、セクハラだなんだの騒ぐ事は一切ない。


「これはさっき、違う場所で汚してしまったので、着替えに行く途中でして!別にスケベだなんて思ってなどいません!」

「スケベ…」


美男子がその言葉にちょっとショックを受けてしまった。


──だぁあああああ!違う!


私は言葉がよろしくなかったとすぐに反省する羽目になった。

どれもこれも自業自得で、説明能力のない自分が恨めしい。


「ですから、違うのですよ?!そう思ったのではなく、ただ自分がみっともない格好なのが恥ずかしかっただけで、どこが濡れていようと同じ行動してましたからね!」


見ず知らずの人にこれだけ必死に話すのは初めてだ。

今日はなんでこうもうまくいかないのだろう。

その後、なんとか現状を理解してもらおうと無駄に言葉を並べ続けて、やっと美男子も納得したみたい。


「ですが…、結局の所、僕のせいで不愉快な思いをしたのには間違いありません。申し訳ない」


再度、美男子に謝られてしまった。

どうやらこの美男子は紳士的な人間みたい。

表情は乏しいけど、困った時に押し出されてくる情けなさにちょっとだけ母性がくすぐられる。


「いえ、お構いなく。それより焦って突っ込んでごめんなさい」


私も謝る。このままでは謝罪の応酬になりそう。


「あの…少し…失礼します」


美男子も同じ事を思ったのか、スッと手を伸ばして何かを口ずさんだ。

多分、呪文だと思う。私は習ってないから知らない。

美男子は気不味そうな顔で一瞬だけ私の胸元を見た後、さっと顔を背けた。

美男子の呪文が終わると、胸のあたりが少し光った感じがした。


──あったかい…


ほんわりと胸元にぬくもりを感じる。

優しいその温もりはどこか懐かしさを感じさせる・


「……出来ました」


おずおずと美男子が言った。

私も胸元を確認すると、元通りの服になっている。


──おぉ


今まで色んな魔法を見てきたが、自分にかけてもらったのは初めてだ。

綺麗になった服を見ると、すごいなと喜びそうになる。

私が、綺麗にしてもらった事を忘れて、魔法に感動していると、美男子が口を開いた。


「これぐらいしか出来ませんが…」

「いえいえ、十分です!ありがとうございます!」


すっかり元通りになって嬉しい限りだ。


──シミが一切ない!


ホッとしながら、コーラさんが命拾いしたと少し悔しくなる。

それでもやっぱり嬉しいので、感動と共にもう一度、感謝を伝えた。


「本当は私が悪いのに、ありがとうございます」

「僕も前を確認していませんでした。周りから良くぼんやりしていると言われるものですから、気にしないで下さい」


確かに柔らかいが、話し方はしっかりしている。

そしてやっぱり表情が乏しい。

それでも、悪いい人じゃないのは伝わってくるので、私は悪い気はしない。


「本当にありがとうございます」

「いえ…」


美男子はそう言うと、何かを思い出したようで、気不味そうに背けていた顔を上げる。


「あ、すみません。これから用事があるので、これで失礼します」


美男子は忙しい人みたいだ。少しだけ早口でそういうと、そのまま走っていってしまった。

私は助けてくれた人の名前を聞く事もできずにそのままお別れする事となった。


──宮廷でまた会えるよね?


初日から会えたのだ。これからも会えるはず。

誰かの専属の印もなかったし、服装から見て大貴族である事は間違いなさそうだ。

そしてもう一度服を見た。


──本当に綺麗になってる…


何度見ても同じだ。元のよりも綺麗になっている。

パパさんとかに魔法を見せてもらった事は何度もあるけど、自分にかけられるのとはなんか違う。

魔法がなんだと思っていたけど、あんなに温かいものだったと知ったら少し羨ましい。


──あんなに簡単に魔法を使えるって事は慣れている人よね


すごい人なのかもしれないと思いつつ、次はきちんとお礼ができるといいなと思った。

しばらく、魔法に惚れていたが、私も自分の仕事を思い出す。


「うわっ…戻らないと」


少し何の為に来たのだとカツを入れながら、私はティア皇女の部屋に向かうのだった。


*****


「あら、早かったわね」


ティア皇女の部屋に着くと、部屋の前の扉でコーラさんが立っていた。

そして私の服装を見て驚く。


「何で同じ服を着てるのよ」

「親切な方が綺麗にして下さったので」

「…ふ~ん」


コーラさんはあからさまに面白くなさそうな顔をした。

この人、何がしたいのかよく分からない。

兎に角、私が気に入らないのは分かる。

私は「命拾いしたな」と心の中でほくそ笑んだ。次はないぞ。


「コーラさんはここで?」


中に入らないのはどうしたのだろうと問いかける。

すると、コーラさんはブスッとした表情を見せる。


「ノア殿下が来たの」

「公子様が?」


私とすれ違いだったのかもしれない。

そういえばあの公子は元気かなと少しだけ気になった。

何だかほっとけない。


「……折角お近づきになろうと思ったのに」


不貞腐れた顔でコーラさんが言った。

その一言で察してしまった。


──なんかやらかしたな…


そんな気がした。

あの公子は押し倒されたらそのままやられそうだなと想像する。

何故か彼は私の中で軟弱者認定だ。それも勝手な思い込みだけどね。


「あ、2人とも、ちょっとお願いできるかしら?今日の授業の先生にお休みになった事を伝えてくれる?」


先輩の女官が扉から顔を出して言った。

その隙にコーラさんが中のノア公子を見ようとして「こら」と怒られた。

扉を閉めてしまったので、私も見ることは出来なかった。


「貴方はティア殿下の顔であるのを忘れちゃダメよ?」

「…はい」


絶対にやらかしたなと確信する。

何が彼女をそこまで全力にさせるのか不思議だ。


「予定を変更する事になったから伝言を頼むわね。ついでに顔を知ってもらえばいいから。国の歴史の分野を担当しているのは書庫管理長だから、書庫に行ってくれるといいわ」

「分かりましたわ!」


先輩女官に張り切ってコーラさんが返事をする。

宮廷の地図は頭に入ってるって言ってたし、彼女についていけばいいなと私は気楽に考える。


「行ってまいりますわ!」


またしても変に張り切るコーラさん。

私はモブとして大人しく着いて行くのだった。

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