15
「全く、あの人は人の迷惑を考えずに…。すまないね。一人じゃ心細いね」
先代公爵に呆れながらも私に謝罪する先代公爵夫人。
その言葉からも愛情が感じられる。
「あ、いえ…突然にお邪魔して申し訳ありません…。さっきも変な事を口走って…」
「気にしないでおくれ。こんな老ぼれに会いにくる人なんて孫ぐらいなんだ。こっちは首を長くして待ってたんだよ」
平民っぽい言葉遣いだけど、やっぱり品があって悪い気はしない。
先代公爵夫人は紅茶を啜るとしみじみとした声で呟く。
心配する人がいないからか、さっきよりも落ち着いた優しみのある声だった。
「こんなに早くノアのお嫁さんに会えるとは思っていなかったね…」
──こ、これはどっちなんだろう…
先代公爵夫人が私をどう見ているのか予測不能。
でも、絶対に嫌われたくないから、ほっぺが引き攣るぐらい笑みをたやさずいる。
こういう媚へつらおうとする自分が嫌いだが、性分だからどうしようもない。
「そうだ。泊まっていくのに、服はあるのかい?」
「あ、はい。一応」
「何かあったらすぐに言いなさい。遠慮はいらないよ」
普通に心配してくれる。
最初はただの怒り口調だと思っていたけど、聞けば聞くほどその節々に愛情が滲み出ていた。
「はい」
私も自然と笑みが溢れた。
さっきまで引き攣ってたのに、嘘のようにほぐれた。
そんな私を見た先代公爵夫人も目を細め、再び語り出してくれた。
「私は小さい頃からノアの寝巻きまで用意してたんだ。あの子は肌が弱いから特注のほら、有名なあの商会があるだろ?」
「えっと…」
そう聞かれても分からない。
服とか色々と好きだけど、実は素材のいい悪いとかよく知らない。
丈夫に育ったからそういうの気にしたことないし。
「ごめんなさい。そういうのに疎くて………その、肌にいい素材なんですか?」
私は変に取り繕う事も出来なかったから、恥ずかしながら正直にいった。
ここで誤魔化してもすぐにボロが出るのは分かりきっている。
けど、何も知らない小娘だと思われるのが恥ずかしくて私は下を向いた。
今日一番に居心地が悪い。
すると、そんな私を見た先代公爵夫人は盛大に笑い始めた。
「ははっ!そうかい!知らないか!まぁ古い商会だし年寄りしか使ってないかもしれないね!聞いて悪かったね!ははっ」
あまりにも笑われすぎて余計に恥ずかしい。
無知な小娘は嫌われるのが常だ。
「すみません……」
恥ずかしさでそう言うしかなかった。
だけど、先代公爵夫人は笑いながら、顔の前で手を振った。
「何を謝るのさ、知らないことは悪いことじゃないよ」
「あ…いや、その、お話を理解できなくて」
「私がいいって言ってんだから、気にするんじゃない」
ちょっときつい口調で先代公爵夫人は言った。
「この話を髪結いの若い子にしたら、『そこのは可愛いですもんね』って見当違いな事を言われたことがあるんだ。そんな馬鹿な会話をするよりも、素直に言ってくれる方が何十倍も気持ちいいよ。素直なのが一番だ。私がノアによく言ってたことだよ」
先代公爵夫人はそう言って目を閉じた。
「素直に生きることが大切だ。それが一番だよ」
しみじみとした空気が漂う。
私は彼女の言葉をゆっくりと噛み砕く。
──この人はノアのおばあちゃんだ
そう思った。
「一つ聞きたいことがある」
しばらくして、先代公爵夫人はソーサーにカップを置いて私に目を向けた。
その目はノアに似て真っ直ぐな強い目だった。
──こ、これは…
この目つき知っている。
よくドラマで、「うちの子をどうやってたぶらかしたの!」って水をぶっかけられるやつ。
先代公爵夫人はまだティーカップを持っているのを確認した私は、ごくりと喉を鳴らした。
──修羅場…
一気に背筋が冷たくなってくる。
いや、修羅場なるものはいくらか気合いで乗り越えてきた。
──やっとここまできたんだ、乗り越えてやる!
私はそう意気込んで、先代公爵夫人の方へ顔をあげる。
「はい。何でしょうか」
──ドンとこい!
「お見合いでもないのに、ノアはどうやって貴方にアプローチしたの?あの子、ちゃんとプロポーズできたのかい?」
「え?」
思いがけない質問に私はキッと構えていた目の力が抜けた。
そんな私に構うことなく、先代公爵夫人はさらに付け加える。
「いや、それよりも本当にあの子でいいのかい?頼りないし、弱気だ。男としては正直、及第点ギリギリなのになのに、あんた本当にいいのかい?」
なんか逆に心配された。
「そりゃ、あの子をもらってくれるのは嬉しいよ。生きてるうちに孫がいい相手を見つけれたらってね」
目元に皺を寄せた先代公爵夫人の顔は既に、愛情深い祖母のものだった。
孫の幸せを心から祈る聖母のようでもあった。
「あの子は幼い頃から母を亡くしてね…つい手をかけてしまうんだ……」
先代公爵夫人からでた言葉に私は固まる。
──あんまりノアはその話しないよね…
少し物寂しい。
「おばあちゃん、お庭に行ってもいい?」
用事が終わったらしいノアがひょっこりと顔を出して尋ねる。
何故かこっちにきてノアの言葉遣いがいつもよりさらに丸い。
──お庭って言った
甘えた言葉遣いは普通の男なら減点だけど、ノアだからか、どことなく似合っていて優しみが増されるだけだ。
「いいけど、どうしたんだい?」
「裏の池で釣りができないかなって」
「やめとけ、あそこの魚は肥えすぎて美味くないぞ」
続いてやってきた先代公爵が相変わらずマイペースな口調で言った。
「ばあさんが、毎日餌をあげすぎたんだ」
「それはあんたが全然世話をしないからだよ」
「まぁ、行ってみろ。釣っても食わないなら問題ないだろ」
「食うとかいう言葉遣いはやめておくれ」
何だか、前世のお母さんとお父さんを思い出した。
普通の夫婦の会話だ。
──どのタイミングで、お祖父様にご挨拶すればいいの…
私が居心地が悪くてもぞもぞとする。
上手く会話の流れに乗れない。
「おや、君は──?」
すると、流石に先代の公爵は私に気づいて声をかけてきた。
やっとだ。
「あ、私──」
「ノアのお嫁様だよ」
「おや?婚約した?」
「そうだよ」
ノアの祖父母で紹介が終わってしまった。
「初めまして…」
それを言うのが精一杯だった。
「そうか…君か」
特に先代の公爵は何も言わない。
何と思われているのか分からない。
今度は馬鹿な発言はしまいと口を固く結ぶ。
「あぁ、そうだ」
先代の公爵はそう言って顔をぷいと逸らした。
嫌われてるんじゃないかと不安になる。
先代の公爵は窓を眺めた。
「今日は天気がいい。暑くもないし、寒くもない。いい風が吹いてるな」
目を細めて先代公爵が言った。
「丁度、庭の花がよく咲いている。ノアよ、お母さんに持って行ってやれ」
突然の提案に私は困惑する。
──お母さん?あ、ノアのお母さんのお墓がこっちにあるのかな?
皇帝の妹の墓がデネブレ領地にあるって聞いたことがある。
──お墓参り?かな?
そう思って、私はノアを覗き込んだ。
ノアも少し複雑な顔をして、私の方に目を向ける。
目がバチンと合うと、ノアはすぐに視線を彷徨わせた何かを考える素振りを見せた。
──どうしたんだろう…
ノアの考えている事が分からない。
しばらくして、ノアは顔をあげる。
「…うん、分かった」
ノアは頷いた。
「ミミも行こう」
そう提案された。
──いいのかな?
さっきの迷いはそう単純にいいものでは無い気がする。
迷って私がついていく事を提案したノア。
──なら、受けるしかないよね
私はそう思って頷いた。
「うん」
*
ノアのお母さんのお墓は、先代公爵の屋敷から少し離れていた。
山林を通って奥の方へ向かう。
けど、道は綺麗に整備されていたから、全く怖くなかった。
むしろ、京都の竹林を歩いているかのような軽い気分で進めた。
瘴気が全くない土地だからか空気が美味しい。
「おや、ノアの坊ちゃんじゃないか!」
ノアと歩いていると何人かの領民と思わしき人達に声をかけられた。
「ノア様!」
「きゃーーーー!」
ノアの顔面はやっぱりどこでも最強なようで、年頃の娘さんたちからは黄色い声が上がったりもする。
「坊ちゃん、パンはいるかい?」
パン屋さんが顔を出して聞いてきた。
ノアは「寄ってもいい?」と私に確認すると、彼の方へ歩いていく。
「貰ってもいいですか?」
「いいよ!坊ちゃんならタダでもいいぐらいさ」
「それをしたら祖母に怒られます」
そう言ってノアはポケットから硬貨を出してパンを二つ買った。
「帰りにまた来てもいいですか?家にも持って帰りたいので」
「あぁ、用意しときますよ」
「ありがとう」
そう言って、ノアは注文を始めた。
「坊ちゃん、それで、隣の方は?もしかして…これかい?」
「婚約者です」
婚約者って何度聞いてもむず痒い。
「は、初めまして…」
領民になんて挨拶するればいいのか分からなくて私は軽くペコリと挨拶をする。
「何だって!そりゃめでたいな!おまけだ!」
そう言って、いくつかのパンを渡してくれた。
会う人会う人に話しかけられて、私とノアがお墓に向かうまでには両手はパンパンで、最後には「もう持てないから…」って断るぐらいになった。
「ノアは領民に慕われているんだね」
私は荷物の多さにヒーヒーしていると、それ以上にノアは疲れたようで、立ち止まって石に腰掛け始めた。
やっぱり、ノアはノアだ。
「僕じゃないよ。祖父と祖母だよ。祖父はあんな感じでふらふらと好きなように歩き回るし、祖母はなんだかんだと世話焼きだから、みんなの手助けをしてる。小さい頃はそれに連れ回されていたから、みんな僕を知ってるだけだよ」
確かにノアは愛想がいいわけじゃない。
時々無表情な感じが、「嫌なの?」なんて思うこともある。
──でも、きっとみんなノアの良さを知ってるんだよね…
じゃないとこうやって声をかけるわけがない。
「あそこのパン屋は良く母に連れられて来てた。だから思い出の味なんだ」
初めてノアからお母さんの話を聞いた。
「母は…すごく優しい人だった」
ノアは懐かしい目をして語り始めた。
「所々しか記憶がないんだ」
ノアの表情に影が落ちた。
「すごく好きで大切な人なのに、段々と記憶が薄れるんだ。覚えてることもある。突然思い出すこともある。けど、どんどん忘れている事もある」
そう言って、ノアは途中でもらった飲み物を開けて口にする。
流石に喉はカラカラだ。
私もノアの横に座って飲んだ。
「僕は……」
ノアは言いかけてまだ迷っているようだった。
「「…」」
沈黙がやってくる。
よくある沈黙なのに、どこか不安になる。
「行こっか」
ノアは黙って立ち上がった。
そして先に歩き始めた。
私は「何?」ってその一言を簡単に言っちゃダメな気がして、ついて行くしかなかった。
*
「ここだよ」
山林を抜け、一回小さな道を進むと広い場所に行き着いた。
デネブレの領地が見渡せる場所だった。
「さっきの道ももっと真っ直ぐに行けば、曽祖父母のお墓と記念碑がある」
ノアが教えてくれた。
「ここは母がゆっくり休めるようにって、父が開いた場所なんだ」
そう言って、ノアが顔を向けた方には花畑が広がっていて、そこに美しい白い石のお墓があった。
綺麗に整備されているそこは切り離された別世界のような幻想的な美しさがあった。
ただ、物寂しさはなく華やかでお墓だとは思えない。
「お久しぶりです」
ノアはお墓に向かって呟く。
デネブレ公爵の時や、先代の公爵達との会話のような印象はなく、どことなく他人行儀だ。
「今日は、ミミを連れてきました。僕の大切な人です」
それでもノアの声は優しみに包まれている。
低い音が水を跳ねていくようなそんな心地よさがある。
「初めまして、ミンディ・ウルグスです。お会いできて光栄です」
今日初めて、ちゃんと挨拶ができた。
「…」
「…」
花を置いて、一通りの事が終わると、私とノアは側の芝生に腰を下ろして、デネブレの街を見渡した。
「あそこから向こうが、デネブレの葡萄畑」
「すっごくお世話になった畑だ」
「そう」
ノアが街の事を教えてくれて、私はそれを聞く。
そうやってゆったりとした時間が過ぎていく。
「…」
「…」
「…僕は、ミミが思ってるほど出来た人間じゃない」
ノアがゆっくりと吐き出すように言い始めた。
沈黙の後だからか、ノアの声がいつもよりはっきりと聞こえる。
「体力もないし、度胸もない。僕が何かをして傷付く誰かがいるのなら、僕は何もしないでいたいって思う。ひどく臆病な人間だ…」
ノアが私に弱さを見せる。
「ピンチの時には君を助けるどころか、僕が捕まるなんて間抜けだし、それを打開する能力もない」
この前の誘拐の件だろうか。
「それに………」
ノアは言葉をまた詰まらせた。
きっとさっきの続きた。
そんな感じがした。
同じ不安が込み上げる。
「僕は…大切な人を覚えておくことも出来ない」
横を見れば、ノアは俯いていた。
端正なノアの顔に影が落ちる。
「他の思い出が増えるだけ、記憶が曖昧になるんだ。母が亡くなってからも、母を失望させてしまう。それが………不安なんだ」
ノアの顔が険しくなった。
「ミミは離れていても、前世の家族を思っているのに、僕は母を忘れている事の方が多い」
自分を責めるようにノアは唇を噛み締める。
私が前世の話をした時、どことなく複雑な表情を浮かべてた理由はそこにあったのか。
「僕はどこまでもダメで、情けなくて…愚かだ………」
最後にノアは吐き出すように言い切った。
きっと、それを知られるのがこわかったんだ。
──なんで…
私はそんなノアに胸を掴まれたようにぎゅっとなった。
苦しくて切ない。
「だから、僕は……君を失望させるかもしれない…」
ノアの声が不安の色を見せる。
──何でっ…
込み上げる感情が止まらなくて、いろんなものが吹き出してくる。
私は顔を上げて、ノアに勢いよく飛びついた。
「何でっそんな事言うの!この馬鹿っ!!!!」
ノアを押し倒した形になってしまった。
芝生にノアが埋もれる。
でも、そんなのにかまってられない。
「ノア!私は嬉しかったんだよっ!」
怒りの方が私の感情で爆発した。
「ノアは私の味方してくれたじゃん!私を怒ってくれたじゃん!私を奮い立たせて、泣かしてくれたじゃん!それがどれだけ心強かったかわかってる!?」
ノアを押し倒したまま私はブチギレる。
ノアはぽかんと呆気に取られた私を見つめたいた。
「ノアが私を失望させる?ありえないから!どんなに嫌なことがあっても、何があってもノアは私にたくさん贈り物をくれたんだよ!それを嬉しく思った私は何?私もバカって事っ?」
「ミミ…」
「ノアは、私が前世で美々だったから、ミミって呼んでくれるんでしょっ!知ってたけど、言わなかっただけだかんね!私、ノアにめちゃくちゃ感謝してるのにっ!この気持ちをどうしてくれんのよ!こんなに惚れてんのにどうしてくれんのよ!!」
「惚れてる……」
私が思いの丈を叫ぶと、ノアはポッと頬を赤めた。
──それはまるで少女のようで──って違う!
私は、思ってたのと違う反応のノアに唖然とした。
「色々と言ったのに…反応するのそこ?」
「?」
私が脱力するとノアは不思議そうな顔を見せる。
くそっ…、かわいいな。
「えっと、さっき言いたかったのもう一回言ってもいい?」
ノアは押し倒された状態でなんの抵抗もせずに、平然と言葉を続ける。
私はいつまでノアを襲う形でいればいいのだろうと思いながらも、ノアの話に耳を傾ける。
意外と顔が近くて、変に緊張してきた。
「あのさ、僕は本当にダメな人間で、君を失望させることはたくさんあると思う」
──また…
カッときかけたけど、一回クールダウンして意外と落ち着いていた。
私はむっとしながらノアの話を聞く。
何だか、さっきのノアとは違って見える。
「それでも、僕は君といたい。ひどい人間だけどそれでも一緒にいたい」
暗い影はどこにもない。
キラキラした瞳が私を映し出していた。
「君の為に強くなりたい」
──そんなの私だって…
「君と一緒に踏ん張りたい」
そう言ってノアがもぞもぞとして私の目の前に何かを差し出した。
「だから、結婚してくれますか?」
私とノアの顔の間に煌めく指輪。
透明なダイヤのついたその指輪は違いなく婚約指輪だ。
「え…何で……」
私は呆然としてそれを見つめる。
「プロポーズはちゃんとしたほうがいいんじゃないの?」
まさかこの前の話を覚えていたとは。
「待って…もしかして、さっき暗い顔してたのって…」
「暗い顔?」
ノアはキョトンとする。
「あ、緊張してたからかな?」
ノアは首を傾げて柔らかい笑みを見せる。
クシャッとなったその笑い方にまたしても胸を捕まえる。
──あぁあああああ!もうぅ!!
私が悶えていると、ノアがさらに問いかけた。
「受け取ってくれないの?」
「受け取るに決まってんじゃん!!!!」
半ばキレ気味に言った。
「そっか…よかった」
またしてものんびりとした幸せそうなノアが目の前に現れる。
どことなくほっとした表情。
もぞもぞとしてくる。
嬉しくて恥ずかしくて…この気持ちはノアと出会ってやっと知った気持ち。
「ミミ、愛してる」
ノアの大きな手が私の顔を包み、引き寄せた。
私はされるがままノアの上に覆い被さった。
甘い痺れが、唇に伝わる。
唇が少し離れた瞬間に私も呟く。
「私も…」
そう言って、またノアに抱きついた。
ノアのお母さんのお墓が近くにあることは吹っ飛んでいた。




