5
遠目でも確認できるほど、神々しいオーラを放った青年は少し崩れた服を直しながら首を傾げる。
「客室なら階が違いますよ?」
青年はこの状況を知らないようで淡々とマリッサさんに語りかける。
その声色には感情が特に感じられない。
騒がしいから見にきただけという空気がビシビシ伝わってくる。
正直、観客側の私たちからすれば、「どう見ても手すりに立っている人間が普通に客室を間違えているはずないだろ」と突っ込みたくなる。
それに、マリッサさんのさっきまで激情しているのが分かっているので「変に刺激しないでっ!」とあの青年を取り押さえたいほどだった。
──てか客室の階じゃないってことは…
うん。きっと彼は公爵家の人間なのだろう。
整った身なりをしているのは分かる。
マリッサさんも驚いた様で、青年の方へ顔を向けていた。
どんな顔をしているのかこちらからは確認できないが、「青年よこの状況に気づいて!」と私は念を送った。
すると、それが通じたのか通じてないのか、青年がこちらの方へ顔を向ける。
ずらりと窓辺に人が並んでいるから変に思わない方がおかしい。
青年も不思議に思った様で、「何してるの?」と再び首を傾げた。
──いやいや!マリッサさんっ!マリッサさんっ!
彼女から視線を外しかけていた私は慌てて戻す。
今は彼じゃない。マリッサさんをどうにか止めないと、と思っていると──
「あの……危ないです、よ?」
青年がマリッサさんに声をかけ、そっと手を差し伸べた。
──見知らぬ青年!!!!
相変わらず声色は平坦だったけど、遠目でも分かる綺麗な仕草をしたが、こっちはヒヤヒヤしっぱなしだ。私は心臓を飲み込むのに必死。なんなら顔のパーツが落ちそうだった。
──時間稼ぎなの?!時間稼ぎなのかい?!お願いだから何もしないでぇえええ!
どことなくぽわっとしているように思えて、彼がする事が危なっかしい。
マリッサさんの顔が全然見えないのが本当に不安。
こっち見えてても、距離的には全然わからないけどね。
たまらなくなって私はヴェロニカに顔を向ける。
「ちょっと、あれ誰?!」
「ノア公子よ」
「はぁああ?!あれが?」
相変わらずオペラグラスから目を離さないヴェロニカの答えに面を喰らった。
だって、ノア公子って言えば社交界じゃ、年頃の令嬢だけじゃなくて奥様方もキャッキャッさせちゃう白馬の王子様並みの人気の人だよ?
噂でしか聞いたことないけど完璧王子。兎に角、顔がいい。それが第一条件で、モテるモテる。
しかも家柄がめちゃくちゃいい。彼の曾祖父が今でいえば教科書にバンバン名が載ってしまう程の有名人。
この帝国ではキル教ってものが国教としてあるのだけど、さらにそのキル教を築き上げたアークティック教国ってのがある。キル教自体がこの大陸のほとんどで国教と認められていて──もちろん宗派は色々とあるらしいけどそこら辺は割愛させて。並な努力しかできない私の脳みそはこれぐらいで限界なの。
んで、その教国で当時教皇をしていた人の息子がノア公子の曾祖父で、帝国に忠誠を誓ってから国の一つや二つを簡単に征服しちゃったぐらいすごい人。しかも曾祖母さんも、皇族と縁のある高貴な人だったみたいで、彼の公爵家──デネブレ公家は帝国と教国の繋がりの象徴でもある。
ノア公子自身も、現皇帝の甥っ子でもあって、それはそれは雅な人なのだ。
デネブレのお家自体は他の貴族よりも歴史は浅いけど、そんなのは関係ない程凄い家。
しかも、容姿や家柄だけじゃなくて、彼は幼い頃から神童だと噂されるほど優秀なのだ。
貴族の令息たちが集まって切磋琢磨するアカデミーでも、優秀な成績を収めたと聞いたことがある。
長くなったけど、ノア公子といえば、リアル貴公子、理想の王子様って人。
なのにさ、まさかこんなぽあぽあした人だ、なんて思う?
この場が極限の緊張状態だったっから、その反動かもしれないけど。
彼を纏う雰囲気がマイペースに見えて見えて仕方ない。
「あの、冷えますよ?」
ノア公子と思わしき青年は反応を示さないマリッサさんに更に声をかける。
周りは私の気持ちと同じなのか分からないけど、固唾を飲んでそれを見守っていた。
──お願い!誰かっ!
私は警備さん達が間に合うのを願う。願うしかない。
「あ、あ…」
マリッサさんの声が聞こえた。
体が震えている様にも見える。
──やめて!!!!!
再び、恐ろしい光景が飛び込んでくるのかと体を強張らせた時─────
「はい♡」
この場に全く似合わない甘ったるい声が聞こえた。
そしてノア公子の方を向いていたマリッサさんは彼の手を取って手すりを降りた。
──へ?
全然事態が分からない。
マリッサさんが手すりを降りると、警備さんも駆けつける。
そして無事に保護されたけど…
──どいうこと?
そのまま一旦マリッサさんは会場に連れ戻された。
そして彼女の元へ駆け寄ったご両親らしき人に引っ張られてそのまま帰ってしまった。
私は全然理解できなかった。
けど、近くで見た彼女の顔は夢でも見ているかのようにぽわんとしていた。
いや、のぼせた?いや、なんていうか熱っぽいのに楽しそうっていうか──
「あれは、公子に落ちたわね」
いつの間にかオペラグラスを片付けていたヴェロニカが言った。
──嘘でしょ?
「あの顔は絶対そうよ。それに周りを見てみなさいよ」
ヴェロニカが顎で指した周囲は、さっきの空気などどこへやら。
「まぁ!見まして?公子のあの気遣い」
「さぞ公爵も自慢されるだろうな」
「まさかあの場にすぐ駆けつけるなんてな」
「あんな事をするなんて機転が効きますわ」
まさかの賞賛の嵐だ。
あの令嬢と男爵の話自体はそっちのけで公子の救出劇で盛り上がっている。
「解せぬ」
同調できない私はついそんな事を口走ってしまった。
「ま、それだけあの痴情のもつれより公子の方が魅力的って事じゃない?」
ヴェロニカはそう言うが、私には全く理解できない。
どう考えてもエロ男爵が生娘たぶらかしたって方が大事件でしょ?
そそくさと帰る伯爵の後ろ姿がかわいそうだった。
因みに、ミンタ男爵はいつの間にか姿を消していた。なんともセコい男。
せめてこのまま素直に叩かれればいいのにさ。
伯爵家の評判はどうなるか分からないけど、男爵はきっと悪評が飛び回ると思う。
私はどうしようもない気持ちになってそのまま会場を後にした。
けど、ヴェロニカの馬車に乗って来たから、勝手に帰ることはできない。
仕方なく、外の空気を吸いに中庭に出た。
「あ、あった」
中庭を散策していると、みんなに忘れ去られたメガネを見つけた。
メガネを拾おうとすると、上の方から声が聞こえた。
「お前は何を考えているのだ…」
真剣なその声に聞いちゃいけないと思って、木の影に隠れてしまった。
邪魔しないようにそのまま消えようと思ったけど気になって、声のする窓を見上げる。
そっと覗き込むと、見えたのは今日の開催者であるデネブレ公爵だった。
つまり、ノア公子のお父さん。誰かと話しているみたいだ。
「今日は我々がもてなす場なのは分かっているな?」
「はい」
素直な返事が聞こえた。
相手の顔は見えないけど、感情はないのにちょっと抜けた声色がノア公子と同じだった。
「何をしていたんだ?」
「人が多くて疲れたので、隣の部屋で休憩をしていました。いきなり隣から叫び声が聞こえたので注意をしに向かったのです」
「…」
公爵さんが絶句している。私もおいおいとは思った。
「酔って迷っているかと思ったのですが、違うのですか?」
彼はまだ現状を知らないようで、呑気な問いだった。
それでどこか気の抜けた対応だったのか。
「ノア…、人混みが嫌いなのは分かるが、もう少し家のために頑張ってくれぬか?」
「はい。挨拶周りはしたので休憩してました」
本当に素直な返事だ。「やることはやったよ?」「言われた通りにしたよ?」って聞こえる。
素直なのか馬鹿なのか…
「そろそろお前も身を固める時だ。しっかりしてもらわないといけないのだ」
「僕の対応に悪いところがあったのでしょうか?」
「あれ?なんかした?」と純粋な問いが来た。
「いや…そうではない。そうではなくてな……」
声しか聞こえないけど、公爵が頭を抱えているようだった。
なんとなく気持ちが分かる。なんだろう、彼が悪いわけじゃない。
むしろ今回はタイミング良く出てきた公子にマリッサさんが惚れちゃったから結果オーライ。
彼にしてみても、紳士的な対応をしていたわけで…、だけどそれだけじゃちょっと足りなくて……難しい。
──全然違うじゃない
私は思った。噂の完璧公子はどこいった。
なんか抜けてる。悪い人間じゃない気がするし、素直ないい子ちゃんだけど─────
なんとも頼りない。




