表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/46

プロローグ 事の始まり


「妊娠したかも」


 何気ない風を装って、口にした言葉。

 でも、どこか異質な響きに聞こえる。

 実際のところは全く装えていなかったのだ。


 日曜日の朝の長閑な空気。

 柔らかな日差しのなかの食卓。

 淹れたてのコーヒーの香り。

 温かさに包まれる雰囲気に似つかわしくない。

 場が凍りつくような感覚を、私は肌で感じてしまったのだから。


「別れよう」


 目を合わせられることもなく、浴びせられた言葉。

 額にかかる前髪が、彼の表情を隠していた。

 そして、あろうことか。

 無機質な音で、言葉は続く。


「そもそも、本当に俺の子なのか?」


 一瞬、私は何を言われたのかが理解できなかった。

 もしかしたら、まだ自分は目覚めていなくて、悪い夢を見ているのではないだろうか。

 え、そうじゃなかったら。


 ——コノヒト、ナニイッテンノ。


 たぶん私は衝撃を受けたような顔をしていたのだと思う。

 伏し目がちな黒い瞳と目が合った瞬間。まるで伝染したかのように彼の表情も変わっていく。

 頭のなかにいる客観的で冷静な、もうひとりの私が「あぁ。今、こんな顔を私もしているのか」と思った。


 でも、それからの私たちの反応は少し違うものになった。

 私のなかに沸き上がったのは怒り。

 彼のなかに沸き上がったのは恐怖だろうか。

 え、別に私の顔が般若のような形相だったからというわけじゃないよね……?


 緊張の糸が張り詰める。

 息がしづらい。

 テーブルの上では彼の両手が小刻みに震えていた。

 何かを断ち切るようにして、彼は怒鳴る。


「俺は知らない。お前が悪い。勝手に孕んだお前が——」


 あまりにも煩くて。

 半ば無意識のうちに私は、お気に入りのペアマグカップをテーブルに叩きつけていた。

 甘い夢から現実に引き戻される。

 心地よい眠りから一気に目覚めるときのような大きい音がした。


「あなたって」


 喉が詰まる。

 生成りのランチョンマットには、いくつもの細かなコーヒーの雫が飛び散っていた。

 じわりじわりと広がる茶色の染み。

 元の綺麗な状態には戻れそうにもない。


「あなたって、威圧的にしか話せない人なんだね」


 しん、と部屋が静まり返る。

 もう私は彼の方を見なかった。

 他にも言うべきことはあったのかもしれない。

 でも、今は思い当たらなかった。


 程なくして、荒々しく玄関の扉を閉める音が聞こえた。それは、私の想いに対する彼からの答えだ。

 辺りを震わせる鈍い響きの後には、本当の寂寥感が訪れた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ