第一章 カタチを定めるもの
「ねえねえ、明星神社の噂って知ってる?」
「神社の噂?」
生徒会室でいつものように書類と格闘していた哲達に雪菜が話しかける。
雪菜はペンを弄ぶようにくるくる回していたので重要な用ではなく単純に集中力が切れただけだろう。
哲は雪菜のその様子を見て、雪菜に「どんな噂っすか」と聞く。
雪菜はそれを聞くとぱっと顔を明るくさせて、身振り手振りをつけながら神社の噂について話し出した。
ある生徒――ここではAさんとしましょう。
Aさんはある新入生と仲良くなりたくって願掛けの意味で明星神社に行ったの。
お願い事をし終わって目を開けると、なんとそこにはAさんそっくりの人間がもう一人!
Aさんは最初、鏡かと思ったんだけどどうやらそうではないみたいで驚いていたんだって。
そしたら、そのドッペルゲンガーがAさんに言ったんだ。
『アンタの願いは叶わない。なぜならアンタは三日後に死ぬからさ!』
そうしてドッペルゲンガーに会ったAさんはそのことを友達にどうしようと相談していたそうよ。
そして三日後、Aさんは昏倒状態に陥ってまだ目覚めないんだって。
「ホラーっすね⁉」
「ちょっと見てみたいかも……」
雪菜の話に哲と諫が思い思いの反応をする。
諫の発言に哲が「マジで?」と言いながら顔を青ざめさせたが、雪菜は気にせず話を続ける。
「それで件の明星神社の子から依頼が来たの。 行って欲しいのだけれど、哲くん達に頼んでもいい?」
「行きます」
諫が一つ返事で了解する。
それに対して哲は一瞬考え込んだようだったがすぐに頷いた。
「俺も行きます」
どうやら二人とも行ってくれるらしい、と確信した雪菜はニコニコと笑顔になる。
「噂で参拝者が減ったり、悪質な参拝客が来て困っているみたいだから解決してあげてね。ただし、危険そうだったらすぐ止めること!」
「「任せてください!」」
◇◆◇
必ず解決してみせると息巻いて明星神社に来たはいいのだが、依頼主である少女――貴船 星羅に任されたのは境内の掃除という雑用だった。
「綺麗にしてくれたら参拝客も増えるはず! そしたらあんな噂なんてちょちょいのちょいだよ!」
とは本人の弁。
面食らった諫と俺は思わず頷いてしまい、しぶしぶと掃除役を引き受けてしまったのだった。
見張りという意味ではいいのかもしれないけど。
「これ本当に意味があると思うか?」
「兄さん、文句言わない。このまま此処にいたらもしかしたらドッペルゲンガーが現れるかもだし」
「そっかぁ」
駄弁りながら竹箒で石畳を掃く。
落ち葉を掃くというのは意外に難しく、リセにくるまで掃除なんてしたことなかった俺たちは難儀した。
だが、それも途中まででコツを掴んだら上手くいくようになった為、二手に分かれて境内を掃除することにした。
◇◆◇
「掃除って意外と奥が深いんだね。兄さん」
自分と同じ後ろ姿を見つけて駆け寄る。
竹箒を持っていないということは先に終わったということだろう。
やはりというか、なんというか我が兄ながら要領が良い。羨ましい限りだ。
くるりと振り向く。
そこに居たのは哲ではなく“諫”だった。
「……っ⁉」
「兄さんだと思った? 僕たち似てるからね、そりゃ“自分”でも間違えるよね。偽物くん」
“偽物”と呼ばれて咄嗟に反応が出来なくなってしまう。
――そうだ。確かに僕は兄さんの偽物だ。
「そう全部偽物だったんだ。兄のトレース、出来の悪い複製品。今までもこれからもずっと『鬼武 哲』の“陰”のままさ」
何か言い返さなきゃいけないのに言葉が詰まって、喉から漏れるのは荒い息ばかり。
そうしている内に息の吸い方を忘れてしまい、打ち上げられた魚のように口をパクパクと悪あがきのように動かして苦しさに涙を目尻に溜める。
喉の奥から焦がすような酸性の液体が不快感を撒き散らしながらせり上がってきて気持ちが悪かった。
いっそのこと全部吐き出してしまえば苦しさはなくなるのに上手く吐き出せなくてみっともなく呻くだけ。
「……っは、うう……」
「兄さんを殺すことでしか本物になれないのにね。あの時が絶好の機会だったのに、みすみすと生かしてしまった」
ぐるぐると悪い考えが渦巻いていく。
これ以上考えてはダメだとわかっているのに止められない。
誰か助けて、という嗚咽が、悲鳴が頭の中で警鐘を鳴らしていた。
そこで、ひとつ。
夢の少女のことを思い出す。
あの夢のことだけであんなにざわついた思考回路が水を打ったように静かになる。
我ながら単純だとは思ったが、今まで自分だけ見てくれる人はいなかったのだから仕方ないだろう。
冷静さは取り戻した。ならば、やることは一つだけだ。
「……違う」
「ん?」
「僕は僕。お前に偽物と言われる筋合いはない!」
大きく息をして呼吸を整える。
しっかりとドッペルゲンガーを見据えて宣言するように言葉を放つ。
「勅――正体を晒せ!」
「罰――その場への拘束!」
ドッペルゲンガーは一瞬不思議そうな顔をしたがすぐに魔法を使ったのだとわかると「やば……っ⁉」と焦ったように一歩後ろへと下がろうとするが出来なかった。
「無駄だよ。これは絶対厳守の命令だ」
「つくづく便利な力だよね、アンタのそれは」
ドッペルゲンガーが悪態をついて諦めたように目を瞑ると皮膚が包帯のように解けていったかと思うと、中から狐耳を生やした金髪おかっぱの少女が姿を現す。
「ちっ、女の子の化粧を剥がすなんてサイテー」
「人の記憶を覗くのも最低だよ」
「“変身”した時にわかるんだからしょうがないでしょーが」
詳しく聞いたところ彼女が持つのは『変身する』魔法とのことだ。
変身した際には対象の持つ記憶を読み取り、完全になりきることが可能らしい。
恐ろしい魔法だと思う。なにより、記憶や思いを覗かれるのに対して嫌悪を抱く自分とは相性が悪い。
冷たい視線を狐耳の少女に注いでいると、哲がこちらに気づいたようで向かってくる。
「掃除終わったぞ! って、この子は?」
「ドッペルゲンガーの犯人」
「え……⁉」
哲はそれを聞いてうなだれながら口ごもる。
「(諫はやっぱりすげぇな……それに比べて俺の不甲斐なさったら。くそう、負けてらんねぇ!)」
「なんでこんなことしたんだ?」
「別に」
「お前は昏倒状態にした人って治せるのか?」
「アレやったの、アタシじゃないし」
犯人が別にもいるということがわかり、狐耳の少女を質問責めにしていた哲が顔を強張らせる。しかもより悪質な方が残っているときた。諫も冷や汗をかく。
「それとアタシの名前は狐火日和だから。お前って言わないで、哲くん」
日和のその発言に哲は面食らった顔をしてから、へにゃりと口の端を緩める。
「名前知ってくれていたのか。ごめんな、日和。質問責めにしちゃってさ」
その哲の一連の言動に日和は一瞬固まってから、はじけるような笑顔を見せる。
唐突になんだ、その恋に落ちた少女のような笑顔は?
「(きゃーっ! 諫くんの記憶で見たけど思ったよりいい男じゃん! もう名前を呼んでくれるところが最高! 名前を呼ぶ声って大事よね! 名前だけが私を定義するんだから!)」
諫は思いっきり眉をひそめる。哲は日和の小声で発された言葉に気づいてはいないようだった。
「それで、昏倒させたのって誰なの?」
「アンタに答える義理はないし」
「そう言わずに教えてくれないか? 日和」
「悪霊だよ」
自分が聞いても全然答えないくせに哲が聞いたら答えるという露骨な日和の態度に、諫の日和に対する視線の温度がどんどん下がっていく。
例えるならば、絶対零度ぐらいに相当するだろう。
「こわーい悪霊がアタシの脅かした相手に取り憑いちゃっただけだって」
「そうなのか?」
「うん、そうだよ」
うっとりとした表情の日和がどんどん哲の質問に答えていく。
別に日和に対してどうこうというわけではないが兄だけ持ち上げられて自分が無下にされるというのは何度経験しても嫌なものだった。
「勅――生徒会室までついて来て」
「罰――明星神社を塵ひとつ残さず掃除」
「「鬼か⁉」」
「うるさい、行くよ。雪菜先輩に報告しないと」
◇◆◇
「はやくない?」
書類仕事が続いているせいかところどころインクで汚れた雪菜が目をまん丸にして驚く。そして日和の方をまじまじと見た。
「狐火日和さんだそうです。ですが昏倒の件は無関係らしくて」
「そーそー、驚かしたらこんなことになっちゃってさ。もう大変」
日和がへらへらと笑いながら雪菜に簡易的な説明をする。
諫はそれに対して終始胡乱な目線を投げていたが、哲と雪菜は完全に日和の話を信頼しているようで深く頷きながら話を聞いていた。
「じゃあ、事情も話したし帰っていいかなぁ」
「今後、人を脅かさないって誓うならいいわよ」
「それは難しいね。一方的に言われるのってフェアじゃないじゃん」
日和が口を尖らせて文句を言う。
それに対して雪菜は「こ、この……!」と拳を握ったが、哲がそれを制止した。
「条件はなんだ?」
「十三日に哲と遊園地に行きたいな」
頬を上気させて日和が哲に笑いかける。
哲は少々拍子抜けした表情になって、応えるように笑い返した。
「なんだ。そんなことでいいのか」
「ありがと。またね、哲くん」
日和がひらひらと手を振って生徒会室を出ていく。
その一部始終を呆然と見ていた諫に雪菜が「もしかしてできているの?」と小声で聞いてきたので、諫は「さあ」としか言えなかった。
◇◆◇
記憶を見た。
人の記憶なんかわざわざ見たくはないものだったが、今回は最低だった。
誰もが自分をいないもの扱いする記憶だったのだ。
その中では、“陽”を割り振られただけの兄の代わりとしてだけ扱われ、自分の存在なんて無いに等しかった。
唯一、自分のことを呼んでくれるのはその元凶である兄だけ。
あまり見たくもない記憶だった。
「いやぁ、大量大量」
空き教室でリストを捲りながら日和は椅子に腰かける。
日和のその金色の瞳でなぞるリストには『森雪菜』『鬼武哲』『鬼武諫』の三人がリストアップされていた。
特に、鬼武の二人には最重要事項と書かれている。
――双子の内、最低でもどちらかを消すこと。
それが日和の黒宮留から預かった仕事だった。
「にしても、哲くんの名前の呼び方好きだなぁ」
金糸のような髪を窓から吹き込む風と遊ばせて、日和は大きく足を伸ばす。
姿形を自由に変えることができる日和にとって、名前は自己を定義する重要なファクターだ。
名前は形を決める呪いを持つ。
日和の魔法は、『狐火日和』という名前を呼びかけられることによって解除される。 弱点とも言えるその部分をわざわざ敵に露出したのは“ただ名前を呼ばれたかったから”だ。
名前を呼ばれたい。
不定形のアタシに形を与えてほしい。
その願いを叶えてくれる人は優しい人がいい。
白馬の王子様とまではいかないけど、少なくとも心を込めて、噛み締めて名前を呼んでくれる人が良かった。
その点において、哲は合格だった。
特にたまらないのは、自己より他者を優先しようとするところだ。
諫の記憶では哲はいつも誰かを助けるヒーローだった。
ひとつひとつ丁寧に名前を呼んでくれたのも相まって、日和は哲に一目惚れをしてしまったのだ。
「恋、しちゃったなぁ」
日和が狐耳をぴこぴこと動かしながら鼻歌を歌っていると、声がひとつ投げ込まれる。
「本気で抹消しようと考えているのだろうな? あんな態度をとって……」
「だいじょーぶ。アタシ、恋と仕事は分けられるから」
紫の髪を一つにまとめた凛々しい雰囲気を放つ悪霊使いの少女――ヒイラギが眉を顰めながら教室に入ってきた。
ヒイラギの険悪な言葉を日和は軽く受け流しながら「アンタもなんかやらかしたそうじゃん?」と笑いかける。
それに対してヒイラギはますます眉間のシワを深くした。
「あれはポチが勝手にだな……」
そして、ヒイラギは一つ咳払いをして日和を睨みつける。
「で、どちらが誰を担当するんだ」
「アタシは哲くん、アンタは諫くんで。あの子亡霊とかに弱そうだし」
「それでいいのか? お前はアイツを好いているのでは……」
それを聞くと日和は「それこそ余計な心配だよ」とからからと笑う。
ヒイラギはそんな日和の様子を見てため息をついた。
「そうか、そういえばお前はそんなやつだったな」
「あはは、まあ見てなよ。哲くんはアタシが殺してあげるからさ」
日和は口の端を吊り上げ舌なめずりをする。
視線の先には赤色のマーカーで大きくバツ印が描かれた哲の写真があった。
◇◆◇
今日は初めてクラス交流会が実施される日だ。
日和と約束を交わした日から三日経った今日、行われるクラス交流会は俺たちが初めて任されたイベントだった。
「今日はDクラスとEクラスが交流だっけ」
「うん、そうだよ」
諫が書類を確認して肯定する。
どちらも人数が多いのでかなり大変だ。
初回である今回は催しものとかは特になく、一緒に授業を受けてもらうところから始まるのだが。
対象となるのは、薬学――魔力を使ってもっと高度な魔術を使えるようになるための薬を学ぶ授業だ。
それを大教室で行い、DクラスとEクラス混合のグループに分かれて授業を受ける。
簡単そうな仕事に見えて、人数分の薬草を用意したり、教室の後方でも声が聞こえるように拡声の魔具を設置したりなど、中々ハードなものだった。
「上手くいくといいんだけど……」
「授業受けるだけだし、なんとかなるだろ」
諫が不安そうな顔をしたのを見て哲が慌ててフォローをする。
諫は完璧に近い仕事をするくせに妙に自分に自信がない。『鬼武家』の仕打ちを考えると当然なのだけれども、もっと自信を持って欲しかった。
諫が自分の髪を指先で擦りながら「そっか、そうだよね」と呟き、微笑んだ。
それに対して哲は満面の笑みで笑いかえす。
こうして自分たちの生徒会で初めての大仕事が始まった。
◇◆◇
「まずこの薬草を煎じて……」
とても実年齢には見えない、どちらかというと学生に見える童顔の持ち主である女性、ナタリア=マクレガーが教鞭を振るう。
初めての合同実習に彼女も張り切っているようで、いつもは水色の髪を二つに束ねただけの髪型なのだが今日はいつもの髪型にプラスして編み込みをし、着飾っている。
その様子をただ一瞥するだけで済まして華宿鶴はあくびをする。
『幸運が訪れる薬』といういつもとは系統の違う、どちらかといえばおまじないに近い授業だが、さして気を引かれるわけでもなかった。
それよりも隣で熱心に聞いている少年――ユク=ツウェルクを見ている方が楽しいくらいだ。
「ユクならこのくらい魔法で出せるんじゃないの?」
「出せるけど、十回に一回は失敗しちゃうから」
ユクはえへへ、と照れたように頬をかく。
ユクの魔法は『想像したものを現実に出す』といったものだ。
その強力さはFクラスにも匹敵するらしいが十回に一回は失敗する制約と本人の想像力が乏しい為にEクラスにいるというなんとも残念な例だ。
「『幸運が訪れる薬』を使ったらここぞという大一番で失敗しないかもしれないからね」
◇◆◇
作り方を聞いて、実践に移り数十分した時にそれは起こった。
ガシャンというガラスの割れる音と鍋をひっくり返したような乾いた金属音、何か焦げ臭い香りが辺りに広がる。
音がしたのは一番後方の班だ。
「ご、ごめんなさい。僕が、悪くて……」
消え入るような声で手を後ろに隠しながらDクラスに属する黒髪の少年――黒宮榴が謝る。
それをニタニタ笑いで見つめるEクラスの少年、クレランス・ロザリーが「聞こえねぇよ」と笑う。
それを聞いて榴は唇を震わせて俯いた。
一連の行動を見ていた鶴は舌打ちをする。
「あいつまたなんかやったな」
「鶴?」
みんなの意識は榴にいっているようでクレランスのことは気づいていないようだ。
鶴はますます気分を悪くし、文句の一つでも言ってやろうかと画策していると「大丈夫か?」という声が割り込んだ。
そちらの方を見てみるとたまたま見回りに来ていた快活そうな金髪の少年、鬼武 哲が榴の方へ向かっていた。
「手、火傷してるじゃないっすか。保健室に行きましょう」
「いいよ、別に。これくらい慣れっこだし……」
「ダメです」
哲は頑なに拒否しようとする榴の手、もちろん火傷してない方の手を取って、保健室へ引きずって行く。
火傷なんてどうやったら慣れるんだと憤慨しながら。
◇◆◇
「うわ、爛れてきてるじゃないですか」
「元々傷があったから……」
榴が手を震わせて「大丈夫」と呟く。
哲には全然大丈夫そうには見えなかった。
「これは酷いな……うーん」
「僕帰るね、手を煩わせてごめん」
「待ってください!」
ろくな治療もせずそのままさろうとした榴の手を握る。
すると怪我した方の手だったようで榴が痛みに顔を歪めた。
「痛……」
「すみません。でもやっぱり痛いんじゃないですか」
哲は慌てて手を離し、榴が俯いたのを見て保冷剤を探す。
備え付けの冷蔵庫にあった目当てのそれを取り出し、清潔なガーゼで包んで榴に渡そうとする。
しかし、榴は不思議そうな顔をして受け取らなかった。
「どうぞ」
「もらっていいの?」
「はい、先生には後で言っておきますんで」
榴は一瞬逡巡してから受け取り、患部を冷やす。
すると、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「ごめんね、誰かに優しくされたの、久しぶりで……」
哲はその言動に慌てふためいたが、すぐさま笑顔を作って榴に笑いかける。
「謝らなくていいですよ」
「……うん、ありがとう」
それと、敬語はいらないよと付け足して、涙を拭った榴は保健室を出て行こうとする。
特に止める理由もない為、哲は出かけた言葉を飲み込んでただ見送った。
『榴さん、本当に大丈夫なんですか』
なんとなく、飲み込んだ言葉が棘のように刺さって抜けなかった。
◇◆◇
一度は妙な空気感になったが、何事もなく合同授業は終わった。
食堂エリアへ向かうために歩みを進める。
その途中で鶴はなんでもなさそうに、ちゃぷちゃぷと小瓶の中の液体を揺らした。
琥珀色の液体の中にプリズムが浮かび、まあ、なんとなく綺麗だった。
このプリズムを壊すことによって『幸運が訪れる』効果があらわれるらしい。
「綺麗だなぁ」
感嘆のため息を漏らすユクの赤色の瞳には虹色に瞬くプリズムが映っていた。普通に見るよりこちらの方が綺麗に感じるな、なんて。
「これが幸運の形なのかな?」
「これくらいだったら駄菓子のアタリが当たるくらいの幸運だろうけどね」
「それでもすごいよ!」
アイスがもう一個もらえたら嬉しいもん、と付け足してユクが笑う。
ユクがあんまりにも嬉しそうだったので鶴は「だったら僕のもあげようか?」と提案した。
「大丈夫、それに鶴とお揃いなのがまた嬉しいからね」
「……そ」
鶴はなんだか照れ臭くなってそっぽを向く。
――そこでふと、気がつく。
食堂エリアの近くの墓地に一人の少女が佇んでいることに。
そして、その少女が“ドス黒い靄のようなもの”に囲まれてこちらを向いたことに。
虚ろな目。
けれど、意思はちゃんとある芯の通った目。
「悪霊どもよ、行け」
「空間領域設定――閉ざせ!」
少女が放った“黒い靄”を拒絶するように結界を張る。
靄は弾かれたが、それでもめげずに何度も向かってきた。
黒い靄に触れた部分が黒ずんで溶けていくのを見て鶴は焦る。
「ユク、逃げるよ」
「う、うん! わかった!」
結界を可動式に設定し直し、ユクの手を取って走り出す。
墓地と食堂エリアは隣接していて、アイアンフェンスで区切られている。
そのため、向こうが柵を超えてこない限り安全なのだが、黒い靄は柵なんておかまいなしといった風にすり抜けてきた。
さらに、逃げている鶴たちを追いかけてくる。
鶴たちは入り組んだ煉瓦造りの建物たちの間を通って追い払うように逃げていく。
それでも黒い靄は撒くことはできずに変わらず追尾してきた。
黒い靄の正体がわかれば対処ができるかもしれないのに、と考えてはたと気づく。
墓地。そして黒い靄。
「一か八か。ユク、『悪霊を祓うお清めの塩』出して」
「うん」
ユクが何かを念じるように目を瞑ると、オパール色の光の粒がユクの掌に集まりだす。すると光の粒は三角錐の形をとる。
キィン、と輪郭を持った光が輝き、ユクの手には塩が握られていた。
「空間領域設定――解除」
「えい!」
鶴の一言をトリガーにユクが黒い靄に向かって塩を投げる。
結果は見事命中。
ユクは軍事訓練を受けているので当たり前と言えば当たり前なのだが。
黒い靄は何かの呻き声をあげて消え去った。
「よかったぁ、なんだったんだろう」
「わかんない。でも生徒会に行っておいた方がいいかもね」
疑問が浮かんでは消えていく。
考えてもキリがないと判断して、便利屋こと生徒会に任せようと鶴は投げた。
◇◆◇
「逃げたか」
悪霊を呼び戻しながら少女――ヒイラギが呟く。
手短に済ませようとしたのが悪かったのかもしれない。
不本意だがやはり、メルナードに渡されたリストに従う方が身のためか。
ヒイラギはポケットから几帳面に折られた紙を取り出した。
「不確定要素は排除せねば……」
彫刻が施された大理石の墓石を這う蟻を踏み潰す。
それはやがて黒い靄になり、世界を侵していく染みになる。
わいわい、と楽しそうな声。
しくしく、と誰かが泣く声。
アイアンのフェンスで分けられる境界線。
悪霊たちが『殺そう』『もっと殺そう』と恨み辛みを吐き捨てる。
そんな声たちを無視して、ヒイラギはただ一人の少女を思い浮かべる。
それは、闇夜を内包する黒。
しかし、純白の思いを持つ少女。
「全ては、留様のために」
◇◆◇
言葉は痛みとともにやってくるものだった。
投げられた石は私の体を傷つけた。
投げられた言葉は私の心を傷つけた。
此処に安息の地はない。
心休まる場所なんてどこにもない。
けれど唯一、夜だけが私の傷を癒すように何も言わず包み込んでくれた。
それもいつかは朝が来て夜を拭い去っていく。
明けない夜にずっと居たいのに、明けない夜はないのだった。
なんで。
『悪霊を操る』魔法を持っているだけで何故こんなにも、村単位で虐められなくてはならないのだろう。
なんで。
悪霊たちの声はこんなにも私を苛むのだろう。
どうして。
私はこんな魔法を持って生まれて来てしまったのだろう。
私にとって魔法は、絶望だった。
でも、絶望を希望に変えてくれる存在が現れたのだ。
その名前は『黒宮留』。
誰も手を差し伸べてくれない世界で、ただ一人手を差し伸べてくれた人。
最初は信じられなくて邪険にしてしまったが、それでも懲りずに手を差し伸べてくれた。
「君に、恋を教えてあげる」
可憐に笑ったその少女はドス黒い輝きを秘めていた。
焦がれるほどに。
焦がれたほどに。
永遠に感じた時は瞬く間に終わり、それは私の心に住み着いた。
――そうして、私は留様に忠誠を誓ったのだ。
◇◆◇
「昨日だけで昏倒した生徒が十人も⁉」
「ええ、そうよ。これで被害者は全員で十五人ね」
保険医である緑川美鈴から報告を受けた雪菜と哲が声を揃えて驚愕する。
保健室とは言っても、小さな病院並の広さはあるのだが、ベッドがそろそろ満員になる、と困ったように美鈴は言った。
「教師達でも犯人を探しているのだけれど、人手が足りなくて。見つけたら教えてくれるかしら」
哲はこの深刻な事態に内心冷や汗をかく。
誰かが傷ついているのにもかかわらずのうのうと過ごしていた自分が許せなかった。
「今日は捜索に当てた方がいいな……日和には悪いけど断りに行かないと」
日和に連絡しようとして手が止まる。
そういえば一方的に今日遊園地の噴水前で会おうと言われただけで連絡先を交換していなかった。
手詰まりな事態に哲は思わず唸ってしまう。
現地であって断ると言うのもなんだか酷いような気がする。どうしたものか。
己の中の天秤をぐらつかせながら目を回していると、美鈴が「無理にやらなくてもいいのよ」と笑いかけた。
「今日はとりあえず瑠絺琉ちゃんと諫くんと私で探しておくよ。哲くんは日和ちゃんの所に行ってあげて」
雪菜が悩む哲を見かねて声をかける。
こういう時、他に頼れる仲間がいるというのは有難い。
離れたところで作業している諫と瑠絺琉を見やってから、哲は覚悟を決めた。
「ありがとうございます。明日からはちゃんと手伝うんで」
美鈴はそんな哲の様子を見て「青春ねぇ」と含み笑いをすると、改めて雪菜たちに声をかける。
「じゃあお願いね。危険な目にあわせるようで悪いけど、気をつけて」
◇◆◇
ゼトワール・リセにはいくつかの娯楽施設も併設されている。
遊園地もそのうちの一つだ。
リセは学業施設以外にも、リセに通う生徒たちが住む様々な国の建物を模した『住居エリア』や、飲食店が身を寄せ合う『食堂エリア』、温室や飼育園や花壇、湖などがある緑豊かな『自然エリア』、ショッピングモールや遊園地などがある『娯楽エリア』がある。
リセにある遊園地は原色をふんだんに使い、煌びやかな装飾をして所狭しとアトラクションが並び、どこからかファンシーな音楽が流れているといった典型的なものだ。唯一他とは異なる点は星のモチーフが多いというくらい。
傾きかけた日のせいで赤く染まった遊園地を背に、一人の少女が噴水の淵に腰かけているのが見えた。
特徴的な耳と尻尾ですぐに狐火日和だとわかる。
哲は日和を視界の端に入れると、気が急いてつい走ってしまう。
「わりぃ、待ったか?」
「全然。さっき来たところだよ」
日和は哲が近寄ってくるのを見て大きく深呼吸すると、頰を紅潮させてはじけるような笑顔になった。
「さあ行こう、早くしないと夜になっちゃう!」
◇◆◇
くるくる回るコーヒーカップ。
ごうごう風をきって進むジェットコースター。
時間の感覚がなくなるくらい楽しい時間。
でもそれももう終わり。
日が沈んだら、戻れなくなる。
最後に観覧車に乗ろう、と言われ、哲には特に断る理由もないので日和に誘われて観覧車へと向かう。
春という時期だからかそこそこ混んでいたが、大人数では乗ることのできない観覧車は不人気のようで誰も並んではいなかった。
ゆったりと進むゴンドラに乗り、いよいよ哲と日和の二人っきりになってしまう。
「なぁ、あのさ」 静寂が支配する空間にぽつりと哲の呟き声が漏れる。
「日和は本当に昏倒させた奴について心当たりってないのか?」
「……」
いつまでたっても日和からの応答がないのになんかミスったか⁉と一人焦る哲であったが、やがて日和は貼り付けたような笑顔になり、口を開く。
「あるって言ったら?」
「そいつについて聞かせてくれ」
「そっかぁ」と日和は口の端を釣り上げて嗤った。
「駄目だよ、哲くん。女の子といるのに“他の女”の話しちゃ」
日和の輪郭が溶けだして、別の何かに形成されていく。
それは鏡合わせの自分。
否、哲に変化した日和だった。
「知っているのか⁉」
「だから、哲くんはアタシだけ見てればいいんだって!」
日和が懐からナイフを取り出し、哲の喉元をめがけて振り下ろす。
哲は咄嗟に身を翻し、ナイフを避けた。
「……っ⁉」
哲が魔法を使おうと臨戦態勢に入った刹那、目にも止まらぬ速さで日和が哲の瞼を切りつける。
魔法を発動するキーである目の周辺を傷つけられたことに動揺し、一歩後退るとその隙を見逃さぬように日和が哲の脇腹へと蹴りを入れた。
「く……っ」
「どうしたの哲くん、動きが鈍いよ!」
どうしても受け手に回ってしまう哲を挑発するように日和が叫ぶ。
「それとも手加減してくれてるのかな⁉ ねぇ!」
「ああ、そうだ。日和とは敵対したくない」
哲が真っ直ぐに日和を見つめてそう言い放つと、日和の動きがピタリと止まる。
「……甘いねぇ、哲くんは」
哲であった日和の姿が、包帯が解けるように変わっていった。
その姿は鬼武諫。
哲の双子の弟の姿。
「こうやって、人を貶めることも出来るのに?」
日和は観覧車から半ば飛び降りるように出ていくとそこら辺にいた通行人を拘束し、ナイフを突きつける。
「おいでよ“兄さん”」
「てめぇ……っ!」
それを見て慌てて哲も観覧車から降りる。
哲は『力を生み出し、操る』魔法を使い、着地時にかかる力の負荷を分散させて、そのまま分散させた力を使って突風を起こした。
風がナイフを絡めとるように吹き抜ける。
「一般人を巻き込むのそんなに嫌?」
「嫌に決まってんだろ!」
哲は拳を握り締めてそう言い放つ。
カラン、とナイフが乾いた金属音を響かせたのを合図に日和が通行人に殴りかかっていく。
それを庇うように哲が突風の壁を作る。
風が吹き抜ける合間を縫って日和が哲の鳩尾へ蹴りを繰り出した。
哲は対応出来ずにまともに蹴りを食らってしまう。
「ぐ、ぎ……っ」
日和は再び哲に変身する。
そして落ちたナイフを拾い、倒れた哲に跨った。
「優しいんだね、死んじゃえ」
恍惚が混ざった笑みを浮かべ、日和が哲に向かってナイフを振り下ろす。
それと同時に、哲の瞳の色が紅に変わる。
それは彼が魔法を使った証。
「(力を操るということは、止めることも出来るという事! 今までやったこと無かったが、いけるか……?)」
眼前にナイフが迫る。
哲はナイフと日和をしっかりと見据えて“力場”を弄った。
それにより日和の動きはピタリと止まる。
「よし……」
動けなくなった日和からナイフを奪って、“停止”を解除する。
解除されたと同時に日和が哲に向かって殴りかかってきたが受け流し、日和の腕を掴む。
「日和、こんなことはもうやめよう」
「うる、さいな……」
日和の変身が解けていく。
慌てて次の者に変化しようとするが、哲に触れられているせいで魔法が発動しない。
日和の『変身』は誰かに触れられていない事が発動条件に入っているらしい。
それがわかったのは偶然だったが哲はそれを見逃すまいとさらにもう片方の腕も掴んだ。
「誰にこんなことを頼まれたんだ?」
哲にはなんとなくだが日和がだれかに頼まれてやっているような気がしてならなかった。
クライストにも感じた借り物の殺意がそこにはあったからだ。
「『黒宮留』。聞かれたらそう答えなさいってさ」
日和は渋々と口を開く。
『黒宮留』という単語に微かな聞き覚えがあった哲はなんとか頭を捻り出して、それが雪菜の言っていたクライストの雇い主であったことを思い出す。
「また俺たちを殺しに来たっていうのか……⁉」
「ご明察、よくわかったね。ターゲットは別に哲くんだけじゃない」
「じゃあ、諫は……? 昏倒事件の犯人は?」
「ヒイラギっていう女。哲くんなら知ってるよね。だってクラス、同じだったでしょ?」
日和は「今頃ソイツ、諫くんのこと殺しに行ってると思うよ」と付け足した。