序章 夢の破片
「もし、何にでもなれる特権を持っていたら貴方は何になりたい?」
何もない静謐に声が瞬く。
広げられた絵本には沢山の登場人物がずらりと並べられていた。
「人気者のあの子? 卑屈なあの子? 優しいあの子?」
ぱらぱら、数多の人物をまとめた無数のページにはもしかしたら貴方のこともあるかもしれない。
一定の速さで捲られるそれがあるところで止まった。
それは誰かを指していて、誰も指していない空白のページ。
「それとも、恋するあの子かな?」
◇◆◇
十一月の慌ただしかったあの日から月日は過ぎて、もう四月になる。
特に代わり映えもしない日々を過ごして、僕は『変な時期に入って来た転入生』から『クラスの一員』として認められるようになっていた。
僕の所属するGクラスは一学年に二人いるかいないかの少なさで、リセに通っているうちに大体の学年の人とは顔見知りになっている。
まあでも、Gクラスには所属はしているがリセに通ってすらいない人とは知り合いになれるはずもないのだけれども。
そんなわけでGクラスの新顔だった僕──鬼武 諫は新たに入学してくる新入生を迎える側にいる。
言い出したのは誰だったか今となっては忘れてしまったのだけれど、新入生に対して歓迎のお茶会を開くことにした。
新入生ただ一人のためだけにGクラスの人たちがお茶会を開くなんて少し贅沢かもしれない、なんて。
今年ただ一人の新入生──ミルティーヌ・アルカディアはなんと驚くことに“あの”アルカディア家直系の子らしい。しかも、次期当主候補とのことだ。
『アルカディアの契約書』にはお世話になった為、諫は一方的に親近感が湧いていた。
黎夜達にせがまれて作ってきた大量のスコーンを見つめて作り過ぎたかな、と一人苦笑いする。
これは当分、おやつがスコーンの日が続きそうだ。
「おはよう、諫くん」
ふと、話しかけられて声がした方に振り向く。
そこには絶世の美少年――カトレア=ミリウェイクの姿があった。
「おはよう、カトレアさん」
軽く会釈して挨拶を返すとカトレアは燃えるような赤髪を揺らして、橄欖石のような美しい目を細めて爽やかな笑みを浮かべた。
「それは今日のお茶菓子かな?」
「うん、スコーンだよ。でも作り過ぎちゃって」
「なら僕に貰えないかな。諫くんの作るスイーツはとても美味しいからね」
余ったスコーンを持って行ってくれるなら万々歳だ、と諫はその申し出を快諾する。
すると、カトレアは懐から色とりどりのジャムを取り出した。
林檎、苺、オレンジ、杏など取り出したジャムは宝石のように艶やかでとても美味しそうだ。諫は思わず目移りしてしまう。
「ありがとう。これはそれのお礼ということで。スイートジャムズのジャムだよ」
「わぁ……っ! それってあの行列のできるジャム屋さんだよね。これで一層、華やかになるよ」
「これも諫くんのスコーンあってこそさ」
カトレアと話し込んでいると、ふと後ろから視線を感じて、振り向く。
そこにはカトレアよりは劣るが綺麗な赤毛を持つ少年――シャルア=ミリウェイクの姿があった。シャルアは不快感に顔を歪ませながら此方を一瞥する。
「僕のカトレアに近づくな、この虫が」
「えーっと……」
困った。
シャルアとは何度か話したことはあるがシャルアの身内であるカトレアに関することでしか話をしたことがない。そしてこちらのことを何故か虫だと思っているらしい。
諫が困ったように目線を彷徨わせていると、カトレアが「はいはい、行くよ。兄さん」と言って適当な席に連れられていった。
カトレア達の行方を目で追っていたら、メイドの満と共に白石黎夜が教室に入ってきた。
「おはよ」
スコーンや様々なジャムが並べられたテーブルを見ながら黎夜が「これ」と言ってクロテッドクリームとバターを満に取り出させる。
満はクリームとバターを手際よく小皿に盛り付けて皆に行き渡るよう一人一皿用意していく。ついでにジャムも配分してくれた。
その姿は満の少女ではあるが性別の壁を曖昧にしてしまう見目麗しい容姿とキビキビとした整頓された動きによって映画のワンシーンのようだった。
諫が満の動きに見惚れていると黎夜が不満げな顔になる。
「これ俺のだから」
「大丈夫、奪わないから」
黎夜が満に想いを寄せているのはこの五ヶ月でありありとわかっているので(本人達はわかっていないみたいだけど)諫は適当にあしらった。
黎夜は若干安堵したような表情を見せて、辺りを見渡す。
「席とか決まってる?」
「黎夜と黒宮は離すから安心して」
「ありがと」
ならいいや、と付け足して黎夜は一番端っこの席に陣取る。どうしても瑠絺琉とは離れたいらしい。
「紅茶をお持ちしました」
黎夜が席に座ったと同時に黒宮瑠絺琉が教室に入ってくる。
手には数種類の茶葉があった。
とんとんとん、とリズミカルに缶をポットの横に置いて(黎夜のところだけ強く叩きつけていた)瑠絺琉は黎夜と反対側の一番端の席に座る。
瑠絺琉とはあまり口をきかない方なので諫は挨拶をし損ねてしまった。
どうしようかな、と悩んでいるとロシェが「おはよう、諫くん」と言ってスコーンの籠を覗き込んできた。
「これで新入生以外全員揃いましたね」
「僕が最後だったからね」
にこりとどこか作業的な笑みを浮かべ、ロシェが適当な席に座った。
あと空いているのは諫の席と新入生用の真ん中の席だけだ。
諫が席に座って数分後、扉がノックされる。
こんこん、と一定のリズムで叩かれた扉が「失礼します」という鈴の音のような可愛らしい声と共に開かれた。
絹のようにきめ細やかなプラチナブロンドの髪を揺らめかせ、顔立ちが人形のように整った少女が現れる。
「ミルティーヌ=アルカディアと申します。皆さま、宜しくお願いしますね」
「はじめまして、ミルティーヌ。僕は鬼武諫。親睦を深めようとお茶会を用意したんだ、よかったらこの席に座ってくれないかな」
「まあ、よろしいのですか? とっても嬉しいです」
ミルティーヌは優雅に微笑んで、椅子に座る。
彼女というピースが埋まるだけで雰囲気ががらりと変わり、それだけで開いて良かったと思うほどだった。
「まず右端から自己紹介していこうか――」
◇◆◇
歓迎のお茶会は大成功だった。
途中、カトレアが用意した大量のスコーンを食べ尽くすハプニングがあったが些細なことだろう。
「ねぇ、諫さん? 貴方『アルカディアの契約書』を読んだのでしょう」
ミルティーヌがこちらを覗き込む。
その目は獲物を狩る狩人の目のようで、諫は怯んでしまう。
ここは言うべきか言わないでおくか考えてからおそるおそる口に出す。
「……うん、読んだよ」
「その後に奇妙な夢を見ませんでしたか?」
「見なかったかな」
それを聞くとミルティーヌは「そうですか」としょんぼりして諫から離れていった。
ミルティーヌが離れて行ったのを見届けてから、ごくりと唾を飲み込む。
――本当は、見た。
水の中で溺れる自分を少女が助けてくれる夢。
そんな大した夢ではない。
でも、誰にも言っちゃいけないような気がして皆には伏せていた。
例えるならばババ抜きでジョーカーを引いてしまったような感覚。
諫はいたいけな新入生に嘘をついてしまった罪悪感からため息をついた。
「(なにやってるんだろ、僕……)」
◇◆◇
Fクラスってこんなに無秩序なのか?
そんな疑問が哲の頭を過る。
入学式ということでクラスごとに集まる、ということなのだがそこにあったのは惨状だった。
まず、生徒会長――森 雪菜。
一通りの挨拶を述べた後、勧められたのは丸焦げの物体たち。
「ちょっと焦げちゃったかも」と本人は述べているが、これは焦げではなく炭である。
そして料理が受けなかったのを気にして魔法で盛り上げようとし、水や氷の花火を披露した。教室の中で。当然教室は半壊した。
二番目、最高学年であるリセ六年生のカウロ=ミリウェイク。
綺麗な赤髪を揺らして持ってきたのはロシアンルーレットであるシュークリーム。ただし全部当たり。からし、わさび、タバスコ、胡椒などこの世の香辛料と苦痛をつめこんだ恐ろしい品物だった。
そんなこともつゆ知らずカウロ以外全員が口にして吹き出した。酷いものである。
三番目、新入生としてやってきたリセ四年生のヒイラギ。
肝試しをしようか、と本物の悪霊を呼び寄せ大騒ぎになった。
悪霊、彼女曰くポチが大暴れし、クラスメイトの一人に取り憑き危うく殺傷沙汰である。
上位クラスであるFクラスの者が本気で立ち向かおうとしてくるというのはそれだけで脅威だった。そして教室は全壊した。
そんなわけでどうしようもなくなった教室の残骸をどうにかこうにかメトカルフェに復元してもらって今に至るわけである。
ちなみにさっき挙げた三人は閉め出されている。
「此処っていつもこうなの?」
「いや? 最悪のカードが揃った感じだね」
哲がなんとなく隣にいたヴィーゼルタに話を聞く。
「なるほどなぁ」とぼんやりした返しをして、目の前に小柄な少年がいることに気づいた。
「あの、なんか……うちの姉がすみませんでした」
そう言って、サラサラの茶髪と透き通った水色の目が特徴的な幼い顔立ちの少年が頭を下げる。雪菜と似通った目鼻立ちをしている。変な言い方だが、雪菜が男になったらこういう感じであろう、といった顔立ちだ。
「姉って、もしかして雪菜さん?」
「そうです。僕は森清といいます。森雪菜の弟です」
恩人の身内。
微妙な距離感だな、と思いながら軽く会釈をして去っていく清のことを見つめる。
今はもうない擦り傷たちが疼いた気がした。
◇◆◇
また、あの夢を見たいな。
入学式が終わって人混みから逃げるように自然エリアに逃げてきた諫は唐突に思い返してしまった。
夢の話を聞かれたからだろうか。なんだか夢のことが脳裏にちらついて離れなくなってきたような気がする。
「(あの夢、というか――あの少女に会いたいんだろうな。僕は)」
溺れていたせいであまり記憶に残っているわけではないが、それでもあの少女に心惹かれるのだ。
プラチナブロンドの髪を揺らして懸命に“自分だけ”を助けようとしてくれた少女。
いままで哲の付属品としての扱いを受けてきた自分には得難い体験だった。
恐らく、哲はあの少女の夢を見ていない。
魔法以外で初めて哲と同一存在ではない“諫”を手に入れたような気持ちだった。
きっと、このままいけば上手く分裂できる。
あの少女のおかげで、『鬼武』という胎で哲の“陰”として育てられた自分から変われるような気がしたのだ。
誰かも、そもそも実在するかも怪しい少女に対して心の中でお礼を言う。
こちらへ向かってくる哲の姿を視界に収めながら。
◇◆◇
ごうんごうん、と脈動する機械の群れ。
ワタシ達を創造する鋳型。
グロテスクでサイケデリック。
ワタシ達の最高傑作はまだ目覚めない。
ならば。
ならば!
ワタシが成り代わってもいいはずだ。
――ずるい。
最高傑作と言われる所以の物を取り込めばワタシだって最高傑作となれるはず。
――ずるい。
ならば、問題はないだろう。
――なんでアイツだけ。
ガラス筒という胎を割り捨てる。
溢れ出る羊水。
最高傑作と謳われた彼の皮膚に触れる。
ぐちゃぐちゃ。
ガラス片で彼を掻き乱す。
ぐるぐる、穴を開ける。
血液がとめどなく溢れ出す。
彼に開いた穴に手を入れる。
骨を避けて、目当てのものを。
いくつかの臓器。無数の血肉。
ハンバーグをこねるように彼の中を探っていく。
――あった。
柔らかく温かな“人間”の中身達とは裏腹に、ひんやりとした固いものが指先に触れる。
ワタシ達がワタシ達である証明。
『核』と呼ばれる器官。
ワタシ達の本当の意味での“心臓”だ。
静かに煌めく宝石のような『核』を取り出す。
血に塗れたそれは妖しく不規則に脈打っていた。
ごくり、と喉を鳴らしてから『核』を見据える。
――そしてワタシは『核』を飲み込んだ