鬼武の習わし
『もしも物語に出てくるヒーローに自分が選ばれたとしたら何をしたい?』
はらりと絵本の頁が捲られる。
『身近な人を助けたい?』
ぺらりと紙と紙の擦れる音がする。
『それとも誰でもいい誰かを助けたい?』
ぱらぱらと前の頁があった所に次の頁が収まっていく。
『まあでも』
ぱたんと空気を震わせて本を閉じる。
『ヒーローなんていない方が平和な世の中にはいいんじゃない?』
◆◇◆
起きて一番に鳥が鳴く音が耳に飛び込む。
白を基調として寒色を差し色とした色使いの自室で雪菜は目が覚めた。合っている筈なのに何かがズレてしまったような感覚が寝起きの頭を支配して離れない。確認作業のようにぺたぺたと自分を触る。
残念ながら、変わったようなところは何も無かった。杞憂であるということに安堵して雪菜は溜息をつく。
(なんだったんだろう、今の)
安心はしたが妙な感覚が後を引いているようで気を紛らわす為に雪菜は櫛で栗毛色の髪をとかして、枕元に置いていた白いリボンでハーフアップに結んだ。
「まあいいや、朝ごはん食べちゃおう」
部屋を出てパタパタと音を立てて階段をおりる。
一階についた途端、ふわりと卵と砂糖の甘い香りがした。
「春花、おはよう。今日はフレンチトースト?」
薄桃色の二つ垂らしたおさげを揺らして春花がこちらを振り向き、柔らかな笑みを浮かべた。
「そうだよ。よくわかったね、雪菜ちゃん。おはよう」
コーラルピンクの瞳がとろんと細められて、嬉しそうな表情を浮かべる。
有難いことに春花は料理の腕が壊滅的な雪菜に代わって毎日、それも通い妻だとか揶揄されるくらいに、熱心に雪菜たちの為の料理を三食分用意してくれるのだ。
一応名誉の為に言っておくと雪菜でもカップラーメンくらいならきちんと作れる。
「相も変わらず美味しそうなごはんで幸せだなぁ」
雪菜は感嘆のため息とともに用意されたフレンチトーストを見た。優しい卵色をしたトーストに赤茶の焼き目がマーブル模様に絡み合っていて、その上にご丁寧にパウダーシュガーが振られている。
雪菜は春花が席に座るのを待ってから「いただきます」と声を合わせて言い、フレンチトーストを口に運んだ。パンの耳のサクリとした食感と卵がよく染みこんだ部分のじゅわりとした口当たりが同時に舌を刺激してとても美味しい。
「春花また腕あげたね」
「雪菜ちゃんのところで修行させてもらってるからねぇ。えへへ」
「いやぁ、お世話になっております…」
雪菜は冗談交じりで談笑しつつ、「ごちそうさま」と言って食器をシンクに置いた。
「洗滌――五大を織り成す布陣の水よ、渫え」
雪菜が“ソレ”を唱えると青白い光を伴ってどこからともなく泡と水が現れる。そして一人でに――例えるならばシャボン玉を吹き付けるかのように――皿の汚れを落として、それを水が絡め取って濯いでいった。
ふう、と息を吐いて雪菜は魔法の調子を確かめる。今日は中々のコンディションだ。朝の違和感はもう気にしなくても大丈夫だろうと完全に吹っ切ることにした。
雪菜は春花に「先に行ってて」と言い残して、自身の腰には届かないくらいの長い栗毛の髪を翻してパタパタと二階の自分の部屋へ向かった。
◆◇◆
「さてと」
雪菜は本棚から名簿を抜き取り、自分の机に向かう。メトカルフェの都合(正確に言えば入学希望者の都合だが)によって生徒がいつ入学するのかが変動し、偶にとんでもなく中途半端な時期に転入生が現れることがある。
それを常時更新型の名簿で確認し、もしいれば案内するのが雪菜の日課だ。
見ると二ページ分昨日よりも名簿が増えていた。
つまり、今日は二人も入学したということだ。
「両方とも苗字が同じだから兄弟かな? 」
鬼武 哲と鬼武 諫という名前が刻印されたばかりのページに載っていた。詳細を見てみると二人とも二年でどうやら双子のようだ。それにしても秋の中頃に転入するとは珍しいなと雪菜は名簿を読み込む。
この生徒名簿は特別製の魔具で名を《サーヴィリアント・パノプティコン》といい、全生徒の名前や最低限の個人情報の他、位置を五分おきにリストアップしてまとめる機能を持っている。そんな個人情報ダダ漏れの物なのだが現生徒会長とメトカルフェしか開けないように設計されているので悪しき人の手に渡っても大丈夫らしい。メトカルフェが言うには。
「鬼武君たちは……」
名簿には温室にいると書かれていた。
もうすぐ八時――始業は九時からなので校舎から遠く離れた温室にいるということは迷っているということだろうか。雪菜は暫し思案してから慌てて、予め用意をしていた鞄の中身を最終確認して温室へ向かう。今から温室を経て校舎へ行くとなるとギリギリ走って間に合うかどうかだが、生徒会長が遅刻すると面目が立たないが迷っている転入生を放っておく方が人として面目が立たないと思う。あのニートめ、と案内人の癖に迷子を放置しているメトカルフェに内心文句を言いつつ雪菜はスニーカーの紐を結んだ。
「滑走――水面を辷る波、我が足に宿れ」
間に合わないのなら少しズルすればいい。
授業時間外の魔法の使用は原則禁止されている為、家もしくは校舎外での魔法はあまりいい顔をされないのだが雪菜の魔法は水。つまりこれは魔術ですと言い張って脱兎のごとく逃げれば大体の場合は大丈夫だ。もちろん後でメトカルフェに生徒会長なんだから品行方正に云々と言われるが今回はメトカルフェ側のミスなのでなんとかなるだろう。
スニーカーの底と地面に他の人に気取られないくらいの薄い水の膜を張り滑走して行く。
ちなみに、八大属性の魔法を持つものでもこの精度の“ズル”が出来るのはほんの一握りの人間しかいないのだが雪菜はそんな事実は知らないのであった。
◆◇◆
「到着、っと」
スノードームをそのまま大きくしたようなアトリウムの温室の前で魔法を解除した。
温室――正確には«セフィロトの箱庭»という正式名称がある――八大属性の『植物』に当てはまる魔術もしくは魔法を持つ者達の研鑽の場である。その為、『水』の属性を持つ雪菜はあまり温室で授業を受けたりはしないのだが、春花との待ち合わせで度々使うのである程度の構造は知っていた。温室は効率よく光を集める人工太陽システムと温度を調節する空調システムが組まれていて、最新の大型魔具を使った中々ハイテクな場所である。
「誘起――《サーヴィリアント・パノプティコン》」
雪菜の声に反応して名簿がぱらぱらと開き、目的のページを表示した。十分程度経っていたが鬼武双子は温室から動いていないようであった。なにかあったのだろうか、と少し心配していると温室の中が騒がしいことに気がついた。
具体的には怒号となにかの破壊音、ついでに見た感じ土煙もあがっている。 雪菜は、これはおかしいと焦ってドアに手をかけて温室の中へ足を踏み入れる。危ないだとか先生を呼ぼうとかの考えが浮かばなかったわけじゃない。
ただ、ほんの少し――夢という棘が心に刺さっていただけのこと。
「何があったの!? 」
雪菜がそう叫ぶと、地に伏せている金髪の少年と白髪の片目を隠した女性がこちらを向いた。
金髪の少年達はところどころ泣きぼくろの有無や分け目の違いはあれどよく似た顔立ちをしている、名簿で見た通りの鬼武双子であったが――
――名簿で見たことのない人がいる。
それだけで厳戒態勢をするには十分だった。
《サーヴィリアント・パノプティコン》にはメトカルフェが招いたもの全てが記されている。それに記されていないということは、侵入者という線が一番高い。
そしてこの惨状。
整備されていた木々や草花がバリケードのように絡み合っていたり、自然では有り得ない折れ方をして辺りに飛び散っていた。
そしておまけに、女性を中心として大きな“噛み跡”がでたらめに周囲を“喰いちぎって”いる。
明らかに異様だった。
なのに、異常を知らせるアラートは鳴っておらず、辺りを見回すと非常警報装置が喰い千切られているのが見えた。これでは教師たちも気づかないはずだ。
「この時間だとここにはだれも来ないときいたんだけどなぁ。アイツもまちがえるなんてこともあるのか」
女性が驚いたようにぱちぱちと目を開閉する。
瞼を閉じるたびに白目と黒目の色が入れ替わる(だから白目や黒目といった表現は不適切かもしれない)女性の不気味さに雪菜は一歩後ずさった。
それからしばらく両者が硬直状態に陥っていると、泣きぼくろがある方の少年――鬼武 哲が
「来ちゃダメだ……っ 」
逃げてくれ、と頼んで雪菜を女性から庇うように、遮るように立ち上がった。
許せなかった。
ボロボロになってでも誰かを守ろうとする姿が。
貴方はちゃんと傷つく普通の子なのに。
でも、なんでなんて言葉は出て来なかった。
痛いほどわかっていた。
自分もこの子と同じような状況ならそうしたいから。
だから、
「水明――恵は地に落ち天へと還る!」
此処はおとなしく願いを聞こう。
雪菜は温室の光を効率よく集めるシステムと水面の反射を利用し、女性に向かって光の柱を多方向から打ち出した。殺傷能力はないが確実に目を潰す術式。
実際に人相手に使ったことはなかったがうまくいったようで女性は呻き声をあげて目を抑えている。
その隙に哲と諫を波で攫い、温室から押し流されるようにして飛び出してから時間稼ぎの意味も込めて温室を分厚い氷で包み込む。
そして二人の首根っこを掴んで(担ごうとしたけど無理だった。せめて離れないようにしていたら水である程度負担は軽減出来る)、来たときに使った魔法で走って行く。
(メトカルフェはなにしてんのよ……!)
魔法を同時展開したせいで頭痛が酷く、視界は焦点が合わずチカチカと点滅していた。魔力は生命力そのものなので使いすぎると生命力が弱まり、人体に影響を及ぼす。酷い時には昏倒状態に陥るそうだ。
歯を食いしばって前に進みつつ、どんどん離れていく温室の方へ向いた。
まだ破られていない氷のバリケードに安堵しつつ、もし過剰防衛とかあの惨状と全然関係ない人だったらどうしようと心配しながら雪菜に出来る限りの速さで逃げて行く。
雪菜がまともに息を吸えたのはその五分後、双子と共に予鈴の鳴る校舎に飛び込んだ時だった。
◆◇◆
校舎に着いた瞬間、倒れたらしい。
保健室の先生である緑川 美鈴から聞いた話だと、雪菜が意識を失った時に辛うじて意識を保っていた哲が警備員を呼んで保健室まで連れて来てくれたそうだ。
ついでに、魔法使いは魔力を使いすぎると、それ以上魔力を失わないよう防御機能として意識を失ってしまうということも教わった。気を失うほどまで魔法を使う生徒はここ最近いなかったとのことも。
そんなこんなで美鈴に口酸っぱく「命を危険に晒すような行為はしないの」とか「何があったのかは知らないけれど、どんな状況でも加減というものを知りなさい」とか言われてげんなりしながらベッドから立ち上がってところではた、と気づく。そういえば双子君達は無事なんだろうか。特に弟である諫君は意識を失ってボロボロの状態だったけれど。
「そうそう、あの子達は両方とも少し前に保健室から出ていったわ」
心配が顔に出ていたようで美鈴がお説教の後にそう付け足した。
「少し前ってどのくらいですか」
「うーん、十分前くらいじゃないかしら」
ありがとうございます、と雪菜は美鈴に礼を言って保健室から出て行く。
事情を聞かなければならないと決心を固め、名簿――サーヴィリアント・パノプティコン》を呼び出す。私的な使用は避けるように言われていたが律儀に守ってなんかいられなかった。もしかしたらリセの危機かもしれないのだから。
(二人とも校庭……? )
授業を受けているのならまだわかる。だがこの時間、どのクラスも校庭を使っていないはずだ。廊下にある窓越しに人の見えない閑散とした校庭を眺めながら、焦燥感が募る。
雪菜は何かに急かされるように小走りで校庭へ向かった。
◆◇◆
「見つけた! 」
校舎から身を隠すように生垣の脇で座り込んでなにかをしている哲と諫を見下ろす形で雪菜がそう宣言した。よく見ると手当をしているらしい。
哲は脇腹に怪我を負っている諫に包帯を巻いている手を休め「げ、どうしてここがわかったんだよ」と顔を引き攣らせ、諫は「誰?」と呟いた。
「……保健室に行ってたんじゃないの」
「傷口開かないように魔法使ってたんだけど、ガス欠で」
手当を再開した哲に耳打ちで雪菜のことを教えて貰った諫が溜息混じりに答えて、「その節はどうもお世話になりました、ありがとうございます」と事務的なお礼を付け足した。
「そういうことじゃない」
諫の投げやりな発言に雪菜はどんどん不満げな表情になって、若干声を荒げる。
「どうしてそこまでの怪我をして保健室でおとなしくしてなかったの、ってこと」
雪菜の言葉を聞いて今度は諫の方が不機嫌そうな顔になった。もごもごと口の中で言葉を転がしながら、やがて諦めたように深呼吸をする。
「追われてるからです。これは僕たちの問題なので、他人に迷惑はかけれない」
諫は震わせた声で呟き、そっぽを向く。
「……俺たちだけで解決しなきゃならない問題なんだ。ごめん、関わらないでくれないか」
哲は泣きそうな表情になって言葉を付け足した。
雪菜はその一連の言動に頭が沸騰しそうになった。人に助けを求めたくて堪らないといった風なのに、他人に迷惑をかけたくないからそれを黙殺する。それを強要する何かがあることが雪菜はとっても嫌だった。
「他人だからとか自分たちだけでとかそんなの、自分は誰かと関わって積み重ねたものだよ。だから他の人なんて幻想だ。私達、もう関わった。他人なんかじゃない……!」
雪菜は拳を握る。助けを求めている人がいるなら助けたい。そんな当たり前を実行するにはこんなに勇気がいるなんて知らなかった。
「何があったのか話してみて。大丈夫、迷惑なんかじゃないよ」
こういう時、春花みたいに人当たりのいい笑みを浮かべられたらいいのにと雪菜は思いつつ、溢れ出る感情を押さえつけるために口を固く結んだ。
先に音をあげたのは諫だった。
「わかったから、そっちが泣きそうな顔しないでくださいよ」
泣きたいのはこっちの筈なのに、と付け足して目尻を下げる。どうやら話してくれる気になったようだった。
哲はというと、諫に任せることにしたようで黙りを決め込んでぼんやりと温室の方向を眺めていた。
◆◇◆
鬼武家は代々双子が生まれる家系だ。
陽と陰を表すように力を持つ者と力の持たない者がきっぱり別れた双子が。
力を持つ者は当主として生き、力を持たない者は当主の形代として殺されるのが掟だった。
でも、僕らの代は違っていた。
どちらも力を持つ者として生まれてしまったのだ。
当然、家は混乱した。
ずっとずっと守ってきた掟に背ける筈もなく、長く思案をして当主は僕ら二人にこう言った。
「殺し合った末に、生き残った者を次期当主とする」
◆◇◆
当然、僕らは殺し合うことなんて出来ずに二人で逃げることを選択した。
僕――諫の方は一先ず『陰』として育てられてきたので邸の外に出ることは許されず、本でしか外の知識を知らなかったが、
兄――哲の方は『陽』として鬼武とコネクションのある家に行ったりして外には人脈が沢山あった為、一時的に匿ってくれる所を探し出せた。
それでも、追っ手を完全に振り切ることは出来なかった。
そこで噂で聞いた所在不明の『リュエール・デ・ゼトワール・リセ』に逃げ込むことを決めた――
――と、同時に邸から最終通達があった。
「殺し合うことが出来ないなら、追跡者との戦闘で生き延びた方を次期当主とする」
現当主が精神系の魔法使いを使って伝えてきたとのことだ。
哲が言うことにはそう言ったらしい。
精神に影響を及ぼす魔法を持つものは精神防御と呼ばれる自動的に精神に働きかけるものを防御するシステムが備わっている。その為、僕には聞こえなかった。
そして邸から遣わされたのが、例の白髪の女――クライスト・ハーグリーイーターだった。
クライストは界隈では『何でも喰らう』狂人として有名で、匿ってくれていた人がそれを知った瞬間に顔を青ざめさせて僕らを追い出したくらいだ。
匿ってくれる所も失って、後に引けなくなった僕らはメトカルフェを呼びつけ今すぐ入学したい旨を伝えた。
メトカルフェは快諾してくれたが手続きに時間がかかるらしく、先にリセに向かってくれと門を出した時に――
――運悪くクライストが現れた。
僕らは門に転がりこむように逃げたが、閉めるのが間に合わなかったらしくクライストもリセへと忍び込んだ。
人が多い校舎を避けるように温室に行ったが、度重なる追っ手へ魔法で対処をしてきたのが裏目に出て、僕は魔力切れで昏倒し、哲の方もガス欠で満足に力が出せなかった。
そこに貴女――森 雪菜が現れたんだ。
その後は貴女の知る通り、なんとか逃げおおせて今に至るってわけ。
これが諫の語った事の顛末だった。
◆◇◆
「な――」
雪菜は諫の話を聞いて言葉を失った。
今まで魔法世界の一般家庭として生きてきた雪菜にとっては、『鬼武家』のことは日常からかけ離れたものであったからだ。
「驚きました?でも僕らにとっては普通のことなんです」
リアクションを取れないでいる雪菜を見て諫が自虐的な笑みを浮かべた。普通って言葉は人によって変わるカメレオンみたいなものなのだな、と雪菜は思った。普通という幻想は安寧の地でもあるが、時に牙を向ける自縄自縛だ。
「そりゃ驚いたけどさぁ、そっか。話してくれてありがとうね」
それでここからどうしようか、と付け足して雪菜は温室の方を見た。氷のバリケードで稼げる時間は少ないだろう。というかもうやぶられているかもしれない。早急に対策を練らねばならない。
ああでもない、こうでもないと雪菜が悩んでいると、不意にきゅうと小さな音が聞こえた。
双子の方を見ると、諫が赤面して「昨日から何も食べてなくて」と消え入るように言う。
「魔力の回復も兼ねて食堂エリアの方に行こっか。今の時間帯なら開いてるところは少ないけど、彼処は入り組んでいるから隠れるのに丁度いいかも」
「なら、是非そうしてくれると俺も助かる」
俺も昨日から何も食べてないから、と付け足して哲が立ち上がる。続くように諫もよろめきながら立ち上がった。魔力は生命力だ。睡眠や食事によって回復することが出来る。
「じゃあ案内するね。ついておいで」
◆◇◆
授業中の食堂エリアは昼間では有り得ないくらい閑散としていてこんな時なのに不思議とワクワクしてしまう。人がいないだけで特別感が増すのはなんだか面白かった。
「本当に開いているところなんてあるのか?」
「どこも閉まっているように見えますけど……」
哲と諫が不安げに辺りを見回す。
「大丈夫、この生徒会長様を信じなさい!」
ぽん、と胸を叩いて雪菜は自信満々に答えた。
「いや初耳なんだけど」という哲のツッコミを無視して雪菜は食堂エリアの簡易的な地図を思い起こす。丁度、昨日の申請書類に書いてあったのが幸いしたようで正確に思い出すことが出来た。
「今の時間でやってる所って中々穴場なのよね」
入り組んだレンガ造りの路地に入り込み、軽快な足取りで雪菜は案内を始める。
哲と諫は如何にも半信半疑といった顔だったが文句を言わずに雛鳥のようについてきた。
幾つかの角を曲がった末に階段を降りると、『Mephistophilus』という看板を掲げたこじんまりとした店に辿り着いた。
「メフィストフェレスって悪魔の名前……大丈夫なんですか、ここ」
諫は眉をひそめて思わず、と言ったふうに呟く。
哲と雪菜は「そうなの?」と声を揃えて聞き返してしまった。雪菜は店の名前などいちいち気にする性質ではない為、疑問も持たずに利用していた。
「名前の由来は知らないけど、美味しさは折り紙付きだよ」
諫が何か言おうとするのを遮って雪菜は誤魔化すように少し大きめの声で言う。
「まあ、ものが食べれるならいいですけど」
諫が渋々というような言葉を述べるのを聞きながら、哲は苦笑いして店の扉に手をかけた。
「いらっしゃい――って、森!?」
「どうも、アインくん」
黒いコック服に身を包んだ少年――アイン=エスレッフェルが驚いたように口をぽかんと開けた。
「どうしたんだ?風邪か?」
彼にとって雪菜が学校に行っていないことがよほど珍しいらしく、早口でまくしたてるように言う。
雪菜は心配してくれる同級生に対して若干の申し訳なさを感じながら「サボりです」と答えた。
「生徒会長サマがサボってていいのかい?」
カウンター席の奥から、にまにまと意地の悪い笑みを浮かべた少女―ヴィーゼルタ=ミリウェイクが雪菜に声をかけた。
リセ五年生――つまりは十六歳と見た目の割に老齢とした雰囲気を醸し出すチグハグなこの少女に対して雪菜は顔をひきつらせる。
「私も生徒会長である前に一生徒なので」
話したことは少ないのだが、雪菜はヴィーゼルタという先輩に対してなんとなく苦手意識を持っていた。
「ふうん、まあいいや。そこの双子くんかな、君達は誰なんだい?」
ヴィーゼルタはサボっている生徒会長よりも、見慣れない双子の方が興味を惹かれたらしい。
雪菜は内心で少し安堵する。
「鬼武 哲です。こっちは双子の弟の諫。今日、転入してきて……」
哲がヴィーゼルタの二つ隣の席に座りながら話しているのを尻目に雪菜はアインに「手早く出来て手早く食べれる物を二つお願い」と注文を済ます。アインは「あいよ」と返事をして作業に取り掛かった。
出てきたのはハンバーガーだった。
しかし、ハンバーガーと言ってもファストフード店によくある簡素なものではなく、肉厚なパンズに挟まれた新鮮なレタスと肉汁が滴るパテが魅力的な手作りならではのハンバーガーである。
「うわぁ……っ!美味しそうだな!」
「ほんと、美味しそう……」
哲と諫が歓喜の声をあげたと同時に「いただきます」と素早く手を合わせ、ハンバーガーにかぶりつく。感想を言うことも忘れるくらい良い食べっぷりで見ているこちらもお腹が空いてくるくらいであった。
「美味しいだろ?」
ヴィーゼルタか双子を見てニヤリと笑う。
その言葉を聞いて哲は食べるのを中断して「めちゃくちゃうまいっす」と答えた。
「ヴィーゼルタ、“わかりきったこと”を言うな」
嬉しい感想のはずなのにアインはため息混じりに笑う。
「そういう魔法なんだ」
「どういうことですか?」
「『美味しい料理を作る』魔法だ。触れたものを料理に変える魔法なんだよ。味は食べる相手に合わせて変化するんだ」
六十秒以上触れたら何でもかんでも料理に変えちまうから不便なんだけどな、とアインは付け足して『絶魔手袋』をはめる。『絶魔手袋』はアインのような常時発動してしまう無差別型魔法に対する対策魔具だ。無意識に溢れ出る魔力――イドの放出を抑制する仕組みとなっているらしい。雪菜は詳しくはよく知らないのだが。
「面白い魔法っすね」
「そうだろ?食で人を幸せにできると思えば楽しい能力なんだよ」
アインがにこりと笑ってみせた。
不便だと言ってはいるがなんだかんだ言って自分の魔法が好きなのだろう。
「人を幸せにすると思うと良い魔法ですね。僕の魔法はそういうのじゃないから羨ましいです」
既に食べ終えたらしい諫が会話に割って入る。
「へぇ、どんな魔法か聞いてもいいか?」
アインがそう言った時、不意に遠くの方で爆発音が響いたのが聞こえた。
この爆発音は侵入者――クライストの可能性が高いだろう。
「ごめんなさい、その話はまた後で!」
雪菜はお金をカウンターに置いて、哲と諫のことを半ば強引に引っ張って店を出る。 二人も爆発音に気がついたようで一気に緊張した面持ちに変わった。
「兄さん、特定して」
哲はそれに「いけると思う」と答えて瞼を閉じる。
次に哲がゆっくりと瞼を開いた時、その灰色の瞳は真紅に染まり光が渦巻いていた。
「なにしてるの?」
「兄さんの魔法は『力を生み出し操る』魔法です。それの応用で『力場』を視て力の流れを読んでもらっているんです」
「前方方向――いやこれは上か!?」
どうやら魔法を解除したらしく瞳を元の色に戻った哲が雪菜と諫の手を取って弾かれたように駆け出す。
雪菜が走りながら後方へ振り向くと、レンガ造りの床に物を齧ったような“噛み跡”がついていた。
「爆発音は囮だ!くそ、どうしてアイツにはすぐに場所がバレるんだ!!」
哲が叫びながら魔法を使い、乱雑に貼られたポスターをクライスト目掛けて飛ばす。視界を遮ったことによってたクライストの魔法が壁を“喰い破った”。
「哲くん、君もまだ魔力が回復してないんじゃ」
雪菜が哲に向かってそう言うと「多少の無理は承知の上だ」と目を細めた。走り続けることもできずにふらついた哲を雪菜が支える。
「それで君が倒れちゃ本末転倒じゃない!」
雪菜がクライストに向かって魔法を放とうとした手が止まる。
雪菜も魔力がガス欠状態で魔法が撃てなかった。
冷や汗が止まらない。
この危機的状況を打破する手立ては何もなかった。
「ひとり殺せばいいんだろうが」
クライストが立ち止まった哲の胸倉を掴み上げ、
「どうせならふたり喰らったってバチはあたらないよな?」
諫の方に狙いを定める。
「やめろ!」
哲がそう叫んでクライストを蹴ろうとしたが、腹に蹴りを入れられ止められる。
その合間の一瞬、諫がクライストへ手を向けた。
それは命令を下す王のようで。
その眼差しは皇帝のごとく凛然として。
「勅――力の行使は我が特権」
「“喰らえ”」
「罰――力は霧散する」
それは同時だった。
見えない何かが諫を喰らおうと、牙を向けた刹那、その力は“諫の言った通り”霧散した。
「勅――鬼武 哲と鬼武 諫を明日まで傷つけるな」
「罰――十時間後『セフィロトの箱庭』へ現れよ」
それを聞いた哲が踠いて暴れたが、クライストは舌打ちして哲へ手刀を叩き込み哲の意識を失わせる。
「これだからおまえは先に潰したかったのだ」
そうクライストが吐き捨て、哲を担いだかと思うと素早く跳躍して姿を消した。
◆◇◆
「よかった、体術を挑まれてたら今頃お陀仏でした」
諫がぜえ、と息を吐く。
緊張の糸が緩んで雪菜もへたり込みそうになった。
「調子を取り戻したわけじゃなかったの?」
「全然。後もう一歩で倒れるところでした」
「諫くんってもしかして演技派?」
雪菜がそう言うと諫は照れたように視線を彷徨わせた。
しかし、クライストが去ったことにより山は越えたけれど、事態は好転するどころか哲が拐われたことにより悪化したとも言える。
「にしても困ったな。打開策を十時間で見つけなきゃいけないわけでしょ」
「それ以上は魔力が持たなくて」
すみません、と諫が付け足した。
諫がやったことは十分すごいことなのに謙遜するところが彼らしいなと短い間しか諫のことを知らない雪菜でもそう思ってしまった。
「ところで、諫くんの魔法って何なの?」
「『ルールに従わせ、破ったものに罰を与える』魔法です」
諫の魔法は第五属性のどれとも当てはまらない。
雪菜はびっくりして「それが使えるならクライストも撃退できるんじゃ?」と聞いてしまった。
「普段でしたら撃退できると思います。ですけど、最近十分な休息が取れていないので簡単な魔法しか使えなくて、駄目なんです」
諫が下唇を噛み、悔しそうに顔を歪める。
普段であれば乗り越えられる障害が、不調のせいで大きな壁として立ちはだかってくるのはとても歯痒いのだろう。諫の目の端にはじんわりと涙が滲んでいた。
「ごめん、嫌なこと聞いちゃったね」
「いいんです、きっと皆そう思います」
雪菜は自分の無神経さを反省して、状況に対する打開策を考えはじめる。
こういう時に頼りになるのは瑠絺琉か黎夜だ。
二人は主席クラスであるGクラスに所属している。きっと知識量は雪菜よりも遥かに上だ。
相談するにあたってこれほど信頼するに値する人物はいないだろう。さしあたっての問題は今が授業中ということなのだが。
「諫くんって自分の所属クラスってわかる?」
「Gクラスだそうです」
またしても雪菜は絶句した。
この短時間に二度も絶句するとは思わなかった。
「そっか……そうかぁ」
行き当たりばったりだがGクラスの人達に助力を頼むのはどうか、なんて考えが思い浮かぶ。
Gクラスに所属する者は皆、規格外の力を持つとされている。
例を挙げると、瑠絺琉の『宝石を触媒に様々な魔法を使う』魔法。これはEクラス相当の実力を持つものであればその本人以上の出力で魔法を再現し、Fクラスは八大属性に属さない特質系が多く再現が難しいのだが、瑠絺琉は同じ出力とまではいかないが再現出来るといった代物だ。
雪菜達とはまず魔法のスペックが違う。
後輩もしくは見ず知らずの人達に頼るというのは中々勇気がいるが、人の命がかかっている状態では文句は言ってられない。
「一先ず、君のクラス――Gクラスに行こっか」
◆◇◆
Gクラス教室の前まで来てみたはいいけれど、やはり授業中であった。
Gクラスの授業は特別で一人一人に合わせたカリキュラムを組まれていて滅多に一同が教室に集まることはないらしい。
そのため、現在教室にいるのは瑠絺琉と黎夜、そしてクリーム色の髪を持つ三年ロシェ・デュ・プランティエだけだった。
「あの、僕これからどうしたらいいんですか」
諫が困ったように首をかしげる。
雪菜は「大丈夫、ついてくるだけでいいよ」と笑って諫の手を引いた。
深呼吸をして水晶で出来た扉をノックする。
すると、ひとりでに扉が開きはじめ、中の三人が一斉にこちらへ振り向いた。
「すみません、お邪魔します」
雪菜がそう教師に言おうとしたところではた、と気がつく。この教室には教師は居ないようだ。
雪菜は出鼻を挫かれて内心少し焦っていると黎夜が驚いたように声をあげた。
「げ、先輩」
「げ、って何かな、げって」
「いや別に、何の用?」
雪菜が、こほんと咳払いを一つする。
後輩に頼みごとをするのは勇気がいるのだ。
「貴方達に知恵を貸していただきたい!」
雪菜が手を合わせて、お願いします!と付け足して頭を下げる。
「良いですよ。雪菜先輩の頼みなら」
「コイツと一緒ならやだ」
瑠絺琉は少し驚いたように瞬きをしてそう答え、黎夜は瑠絺琉の発言を聞くと顔を背けた。
黎夜の言動に相変わらずだなあと雪菜は苦笑する。
「瑠絺琉ちゃん、ありがとう。あと黎夜くんも」
「なんのご相談に乗れば良いでしょうか」
「待って、その前に授業大丈夫なの?」
それを聞いてそれまで我関せずにいたロシェがこらえきれないといったように小さく笑みをこぼした。
「自習だから大丈夫だよ。人命がかかっているのに授業の心配をするんだね、生徒会長」
瞳の奥に怪しい輝きをたたえ、ロシェが微笑む。
雪菜はロシェの一連の言動に何故かヴィーゼルタと近しい何かを感じ、些細な違和感を覚えたような気がした。
「自習ならいいか。諫くん、入ってきて」
雪菜のその声に合わせて扉が開き、諫が「どうも」と若干上ずった声で挨拶をする。
「鬼武 諫、二年です。今日から転入することになっています、一応」
瑠絺琉が一拍おいて「このクラスに?」と聞く。
諫はこくりと頷くと今度は黎夜の方が驚いたように目を見開いた。
「珍しいな。同学年は初めてだ」
「え、Gクラスってそんなに少ないんですか」
「学校来てる奴は全学年合わせて五人」
諫が明らかに冷や汗をかいているところを見ながら、雪菜は瑠絺琉に状況を説明しようとした。
すると、瑠絺琉が「“視ます”」と言って雪菜の両手を握る。
瑠絺琉のしていたブレスレットの宝石が不規則に瞬いて強い煌めきを放った。
大方、『思考を読む』魔法を再現したのだろう。光を放った宝石はやがて光を発さなくなり、やがて辺りには静寂が訪れた。
「状況はわかりました。クライストという方をどうにかしなければならないのですね」
「う、うん。まあ、その通りだけど」
「でも雪菜先輩はクライストも傷つけたくない、と。円満な解決方法を探しているわけですね」
「……そうなります。はい」
雪菜はまたしても出鼻を挫かれて、しゅんとする。気合いを入れて来ただけに何度も計画を折られると若干落ち込むのだ。
「じゃあ、賭けだけど『アルカディアの契約書』はどう?」
黎夜が重要なところを掻っ攫うように話しに割って入る。
それに対して瑠絺琉は思うところがないらしく普段通りに無表情でいたが、『アルカディア』の名前を聞いて焦ったように口を開く。
「それは『禁書』の筈よ、白石」
「口出すな、黒宮。手っ取り早い解決法はこれしかない」
黎夜は軽々しく『禁書』の名前を出したが、『禁書』はそうそうお目にかかれるものではない。
魔法で大罪を犯した者へ対する、命まではとらないが命に等しい魔法をとるという極刑がある。それを課された魔法使い達の魔法は“本”に封印される。
その本を形取った封印された魔法のことを『禁書』と呼ぶ。
通常、禁書は書架監獄というところに収められるのだが、書架監獄が出来る前に作られた禁書は各地に飛び散って行方不明なのだそうだ。
おそらく、黎夜は書架監獄の収監を逃れた禁書を指しているのだろう。
アルカディア家とはこのゼトワール・リセを作った四大名家の一つだ。四大名家とは『黒宮家』『白石家』『ミリウェイク家』そして『アルカディア家』のことだ。この四大名家は学院を創設した者達のことである。
そんなアルカディア家が何か大罪を犯したのだろうか、と疑問に思う。
そんな疑問もつゆ知らず、諫と黎夜は話を続ける。
「それ、リセにあるの?」
「ある。普通に図書館」
「え……!?」
「言葉足らず。本当に必要としている者にしかそれを見る権利すら与えないそうです」
黎夜のぶっきらぼうな回答に瑠絺琉が補足を付け足す。
雪菜は禁書という授業でしか聞かない単語が飛び交っているのに目を回しながらどうにか会話についていくのが必死だった。
「それ、読んでみたいです」
禁書という単語に一番惹かれたのは諫らしい。
諫はキラキラと目を輝かせて黎夜の方を見ていた。
「お前らならイケるかも。図書館行ったら?」
黎夜が一歩離れて、諫と雪菜を見て頷く。
「雪菜さん、行きましょう?僕、本を読むのが好きで、禁書をこの目で見てみたかったんです」
さらっと述べられる危険思想に頭を痛くしながら雪菜は自暴自棄になって叫ぶ。
「アルカディアだかなんだか知らないけど、この際禁書だって読みまくってやるわよ!」
◆◇◆
「わぁ……!」
ゼトワール・リセの図書館はゴシック建築の建物で、膨大な量の図書を収めている。 本好きの諫にとっては楽園のようなところだろう。
一方、雪菜はあまり本を読まないため、辟易とした表情を見せた。
心なしか、ダークブラウンの木製の本棚が紺色の壁と合わさって物々しい雰囲気を漂わせているように思える。
「ここから探し出さなきゃいけないわけよね」
どうしたものかと雪菜が唸る。
この大量の本の群れから目当てである『アルカディアの契約書』を探し出すとなると中々に骨が折れそうだ。
「少なくとも八時間以内に、ですよね」
「そうだね」
諫と雪菜はどんどん不安になっていった。
しかし、焦っても仕方がないだろう。
「とりあえず古書エリアから行ってみようか」
◆◇◆
探し始めて四時間が経過したが一向に見つかる気配はなかった。
「やっぱりダメなのかな」
諫が両腕を掻き毟ってため息をつく。
雪菜は自分も弱音を言いたいのを飲み込んで、諫を諫に声をかけた。
「私が探しておくから、諫くんは休んで魔力の回復に専念しておいて。疲れたでしょ?」
「でも……」
「どうせ『アルカディアの契約書』を見つけても魔法を使うことには変わりないんだし」
雪菜は不安を物色するように笑う。諦めていられたらどれだけ楽になるだろう。
諫が「お言葉に甘えて」と近くにあった机に伏して寝入る。相当疲れているようだ。
残ったエリアは一人で回るには到底時間は足りないだろう。しかし、雪菜は一つ確信があった。
「メトカルフェ、いるんでしょ」
雪菜は虚空へ鋭い目線を飛ばす。
蝋燭の炎のゆらめきのように空気が溶け、メトカルフェが姿をあらわす。
「よくわかりましたネ。雪菜サン」
「今まで何してたのよ」
「何でもデスし、何にもデス」
雪菜は話しにならないと首を横にふる。どうやら自動システムの方のメトカルフェのようだった。
メトカルフェはその多忙故に簡単な対応のみをこなす分身のような自動システムがある。今回はセンサーであるアラートを壊されていたので出動できなかったという事か。
「『アルカディアの契約書』はどこにあるの」
「欲する者にしか与えられないデスヨ」
「欲しいわよ。それも早急に」
メトカルフェは口の端を釣り上げて笑うと雪菜の方へ手を伸ばした。
何もない空間から出てきた黄金の蝶たちが思い思いに舞ってから集まり、一冊の本が現れる。
それは皮の表紙に紋章が箔押しされた、『アルカディアの契約書』だった。
「お探しのものデス。必要なページを読めば消えるのでご注意ヲ」
「ありがとう、メトカルフェ」
雪菜はそれをしっかりと受け取る。
なんとなく味気ないような気もしたが見つけられたので安堵の方が優った。
「よかった。これで哲くん達を助けられる」
◆◇◆
諫を起こして、雪菜達は『アルカディアの契約書』を読み込むことにした。
契約書と銘打っているだけあってその内容は様々な契約方法だった。
例えば、悪魔との契約。悪魔が本当にいるのかはわからないが、そんな契約の内容がつらつらと書かれている。
「雪菜さん、これ」
諫があるページで手を止めた。
そこには『水の契約』という文字が載っていた。
『水の契約』
大体の生物には水分――つまり『水』が含まれている。これは『水』の属性のアドバンテージといえよう。
生命の恵みを与えるということはつまり、生命の死を司るとも言えるのだ。
それを利用し、相手と契約を結ぶ方法をここに記す。
「これなら、出来るかも」
雪菜は確信を持って呟く。
必要なことを覚え、本から目線を外すといつのまにか『アルカディアの契約書』は消えていた。
『水の契約』が雪菜にとって必要なページであったということだろう。
「僕もアルカディアを理解しました。これでアルカディア家から襲撃があっても契約魔法の使い手でしたら僕の魔法が使えます」
冗談めかして諫が笑う。解決策が見つかったからか諫の表情も格段に朗らかになっていた。