そして幕は上がる
『測定結果F。汎用性に優れるが希少性はなし』
無機質な人の声がフィールドに木霊する。辺り一面を銀世界に染めた少女――森 雪菜がその放送を聞いて唇を歪めた。
決して悪い結果ではない。普通だったら満足しなきゃいけない結果だ。
でも、私は汎用性なんていらないから希少性が欲しかったなぁ、とか心の中でぼやいてしまうのを止められなかった。
人と違う何かというのは雪菜にとって、喉から手が出るほど欲しいものだった。
雪菜は未練がましい思考で握りしめた拳をゆるりと開いて虚空に向かって一礼をした。
「≪un corrode≫」
予め運営側が設定した解除コードを口にしてフィールド収束させる。
それと同時に展開された脱出用の魔術式で編まれた泡に自分が変換されていくのを人魚姫みたいだとぼんやりと思いながら雪菜は意識を手放した。
生物は何故進化の過程で海を捨ててしまったのだろう。
生物にとって水は無くてはならないものなのに、その基礎の土台である海を、すべての生命の母である海を何故捨てたんだろう。水がなくては生きていけないのに、水と混ざりあって、溺れてしまえば死んでしまう。なんだか滑稽なピエロのようだ、なんて。
雪菜は長い髪を水面に漂わせて、歪なクラゲのような息をプクプクと吐いた。
水がないと生きていけないくせに、それじゃあただ死因を増やしただけじゃないか――
「……雪菜ちゃん!」
――そんな考えても仕方のない、とりとめもない思考を飛ばしていたからかプールサイドに立っている友人に雪菜は全く気づかなかった。
「もう、ほっとくとずっと浸かってるんだから……。華の乙女がしわしわになっちゃうでしょ?そろそろ出ようよぉ」
「……うん。ありがと」
手を伸ばした彼女、水谷 春花の手をとって雪菜はプールからあがる。
春花は雪菜にとっての親友兼、幼馴染だ。
小学校の時に魔法使いについて意気投合して以来、ずっと一緒にいる。
魔法使いになりたいと言えば口には出さないが危険思想の持ち主だと断じられるあの世界ではお互いにただ一人の味方のように思えたのだ。
「ねぇ、あのさ」私は少し躊躇ってから「誰とも違う魔法を持ってるってどんな感じ?」と言って春花の方を見る。
八大属性と言われる誰にでも扱える魔術である『火』、『植物』、『雷』、『風』、『土』、『光』、『闇』、そして『水』。私は普遍的なカテゴリに属する水及び氷の魔法を使う。
魔術と魔法では応用範囲が全く違うのだけれども、ありふれた魔法であることは変わりない。大半の人は八大属性の魔法を持っているとされている。リセはその点、八大属性以外の魔法の使い手を多く取り入れている節はあるがそれは例外として。
春花は花の守護精霊の力をその身に宿して戦う(属性の『植物』にあたるが精霊の魔法は珍しい)稀有な魔法の持ち主だ。
その為、春花は希少性において雪菜よりも上だった。
「どう、って言われてもなぁ。私は魔法少女みたいに変身しちゃうのが恥ずかしいなと思うくらいだけど……雪菜ちゃんが聞きたいのはそういうことじゃないもんね」
うーん、と唸って春花が首を傾げ「人と違うっていうのも怖いよ。ふとした瞬間に自分は一人なんだという孤独感に襲われる、みたいな」と囁くように答えた。
それを聞いた時、春花には失礼だけれど“持つ”者の悩みだと思った。孤独の恐ろしさは今まで充分に味わっているのでどうにも言えないでいた。溝はあるけど痛いほどにわかると言いあぐねていたら春花は「違うところでなら雪菜ちゃんと悩みが似てるかも」と言って笑ってくれた。春花のこういう気づかいと優しさが雪菜にはありがたい。
「そうだね。皆、根っこのところでは繋がってるのかもね」
「きっとそうだよ。その方が夢があるしねぇ」
髪が少し乾いてキシキシになるくらい悩んだことが、こうして春花と話すことで解消されるのは少し嬉しかった。昔からこうしてお互いをお互いが励まして前に進むのが当たり前で、ちょっとした確認の儀式のようなものだった。近くにいる理解者というのはこんなにもありがたいのかと改めて噛み締める。
くすくすと大して楽しいこともないのに笑い合いながらプールを後にする。
さあ、くよくよ悩む時間はもう終わり。山積みの仕事を片付ける作業が待っている。
◆◇◆
魔法のある世界では当然ではあるが、いくつかの学校がある。
過疎により数が少なく、大体の学校が合併してマンモス校になりつつある。
雪菜たちが通うリュエール・デ・ゼトワール・リセ――通称、ゼトワール・リセは魔法のある世界でもさらに異質な学校だ。
まず、所在地不明。
入学を希望とする者はメトカルフェというゼトワール・リセの案内人を呼びつけ(メトカルフェはどんな魔法を使っているのかは知らないが希望者が名前を呼べば現れる)、入学希望の旨を伝え、書類をもらう。
書類に記入すると自動的にリセに送られ、リセの招待状が届く。
そして、入学希望日になるとメトカルフェが現れ、彼の出した門に入ることでリセに入れるというシステムだ。
また、学園内から外に出る門はないらしく、学園から出る際にはメトカルフェに門を出してもらうように頼まないと出られない。
一切の例外なく、生徒や職員およびその他の人々はメトカルフェの門から出入りしている為、誰も場所を知り得ない。その上なんと空間を繋ぐメトカルフェすらその所在を知らないらしい。
次に、実力順によるクラスの割り振り。
ゼトワール・リセには現在、A〜Gまでのクラスがあり、Gクラスに近づくほど実力が高くなる。
クラスは基本、戦闘によるトーナメント形式で決まる。 魔法により得手不得手であるので振り分けされたクラスに不満がある場合は異議申し立てをすることによって再編成出来る救済制度があるが、多くの生徒は生徒手帳を読み込んでおらず、知らない人は多い。
第三に、学園長の不在。
生徒の多様性を尊重するためにゼトワール・リセには創立者はいても長にあたる人物がいない。代わりにメトカルフェという案内人と併用された管理機構とリセを内から支える生徒会に全権を委ねている。
半分とは言えリセを支えるのは学業との両立が難しいと言われていて生徒会に立候補する人はあまりいない。その為、生徒会は万年人手不足である。
と、いうことで。
面倒見の良さが祟ってそんな万年人手不足の生徒会――それも生徒会長を引き受けてしまった雪菜は書類の山に埋もれて作業に追われているのであった。
ちなみに、この生徒会には『会長』『副会長』『会計』『書記』『庶務』に加え会計補佐である『監査』と書記の補佐である『総務』、そして『広報』がある。しかし、空席が多く現在埋まっているのは会長、副会長、庶務のみで空席が半分以上もあった。
しかも、副会長である黒宮 瑠絺琉と白石 黎夜はすごく、そりゃもう家同士で代々争っているくらいに仲が悪い。片方が出席すると片方が休むというのがお約束だ。
「今日は黎夜くんなの。珍しいね」
瑠絺琉の方が早く来る為、いつもは黎夜が休むことの方が多い。しかし、重要な時だけ白石家のメイドである東雲 満に引きずられて無理やり出席させられる。本人は解せないようで会議中ずっと眉間に皺を寄せているが、ちゃんと最後まで居てくれるので雪菜にとってはとても有り難い――
――ということは置いておいて。
雪菜がそう言うと黎夜は眉を顰め、書類から窓に視線をうつした。
「一応毎日きてるけど。アイツがいるから」
そんなに律儀に来てくれているならいっその事毎日ここまで入って仕事してくれたっていいのに、と雪菜は思ったが口を噤んだ。家同士の諍いというほど仲が悪いのは距離感が難しいのだろう。「ふぅん」とだけ返事をして書類に戻る。
『クラス交換交流学習の提案』、『食堂エリアの拡張』、『魔具の持ち込みの規制緩和』などの書類に纏められた生徒の要望(言うなれば目安箱の中身だ)に目を通していく。
一枚目、採用。一ヶ月くらいならなんとかなるだろうと採用の箱に振り分けた。
二枚目はスペースがないので却下。すごく熱量のこもったプレゼンだったが確保できない者は確保できないのだ。申し訳ないけれど却下の箱に振り分ける。
三枚目、微妙。魔具とは魔法道具、つまり魔法の力を閉じ込めた便利な道具だ。魔法の補助として使う人が多いのだが、目を通してみると娯楽用途のものが多すぎるので却下した。
単純作業が多くなってきて、休憩がてら雪菜は黎夜の方を見やった。
『白石』という名前に相応しく全体的にとても白い。ところどころくせ毛な白銀の髪はもちろん、ぼんやりとしたスノウグレイの瞳、薄っすらと血管の透けて見える肌。見てて飽きないぐらいの整った顔に逆に苛立ちを感じるくらいだ。
「これで年上に敬語が使えたら完璧なのになぁ」
まあでもそのくらいで目くじらを立てても仕方ないし、あっちは二年でこっちは四年だし寛容になりますとも。などと付け足して言い訳のように独り言を漏らしているといつのまにか黎夜の双眸がぐらりと雪菜の方を向いていた。
「完璧ってなんのこと」
「そりゃあもう黎夜君のことですとも」
「全然。理想とは程遠いし」
黎夜はそう言ってふてくされたように目を細めた。そして少し逡巡してから秘密話をするみたいにこっそりと「先輩の理想とか夢ってなに」と聞いた。
夢、と聞いて雪菜はギクリとした。
好きなものであれば物語に登場する魔法使いだと答えられる。けれど、私がなりたいのは――
「笑わないって約束する?」
「うん」
黎夜は大真面目に頷く。なんだかそれがとても繊細なものに対する慎重さのあらわれみたいで吹き出してしまった。
「なんでそっちが笑うんだよ」
「ごめんごめん」
すぅ、と息を吸う。
そして世界に宣言するように、でも密やかな儀式のような神聖さも漂わせ、雪菜は自身の栗毛色の髪を揺らして群青色の澄んだ瞳でしっかりと黎夜を見つめて夢を語る。
「――誰かを救える、ヒーローになりたいんだ」