キャラバン護衛編ⅩⅩⅩⅨ
私たちが部屋に入ったことにも気づかないのか、少女は、死体の損壊を続ける。
グチョグチョぐちゃぐちゃと、粘性の高い液体をかき混ぜるような音が室内に響く。
涙を零す少女のその瞳とは裏腹に、口角は上がって、笑みを覗かせている。
シトラスさんは、その部屋の壁に背を預けて座っていた。
「シトラスさん、大丈夫ですか? 立てますか?」
私が駆け寄って手を差し出すと、握り返し、私を支えに立ち上がった。
「立てる立てる〜。あんがとな。ちょっちたまげすぎて放心してたわ。いやなんかぁ、急に暴れちゃったかんね、あの子。うちがこう、シュバッ! って髭親父を速攻殺すじゃん? もう後頭部をワンパンよワンパン。あれ? 一突きのほうが良さげ? まぁいっか。したら、外で聞いた声のイメージよりめっちゃ幼い子が乱暴されてたわけよ? サイッテーだなこのクソ野郎ってプッツンして、蹴り飛ばしてやったわけさ。死体をな? んで、助けに来たぜ (当社比) って 、手ぇ差し出したわけよ。マジ紳士、淑女? 的なね。ほんなら、うちのこと突き飛ばして、部屋の物片っ端からひっくり返して、うちが蹴飛ばした拍子に落ちた、おっさんのナイフ拾い上げたと思ったら、そこからはもう今みたいなスプラッター的な?」
なるほど、状況は分かった。
彼女が、こういう凶行に走ってしまう理由は分からなくもない。何日か、下手をしたら何週間も、このアジトの男たちに虐げられ続けていたのだから、その悲しみや恨みや憎しみは推して知るべしだろう。
それを忖度するならば、しばらく好きにさせてやりたい気持ちもあるにはあるけれど、今は、酷く痩せ、体中に無数の傷がある彼女を、肉体的にも精神的にも休ませてあげなくちゃいけないと思った。
でもどうしようか。錯乱、興奮状態の人は言葉で止まれるとは思えない。かといって、私が力づくというのも……。力加減を間違うってことは無い自信はあるけれど、少女が振るうあの凶刃の向かう先が私自身に変わる可能性もある。うーん……。
「どれ、儂がなんとかするかの」
「お、師匠! なんとかできるのか」
「無論じゃ。童の動きを止めるなぞ造作もないわい」
私が考えあぐねていると、シーリーズさんが名乗りを上げてくれた。
シーリーズさんは、少女の手枷や足枷にワイヤーを操って通し、その動きを止めた。少女は、両手を振り上げた状態で静止する形になった。
「んん……!? んー!!」
少女が遺体の損壊を続けようと、体に力を入れるが、ピクリとも動かない。あのワイヤーが直接体に巻かれていたら、恐らく、その身を抉っていたことだろう。そこまで考えてシーリーズさんは、枷にワイヤーを通したのだと分かった。
シーリーズさんは、抑えているからと、私に説得するよう促した。あ、そこは私なんだ……。
「不満そうじゃな?」
「いや、あの、他に適任いるんじゃないかなって思って?」
「まず、男は論外。儂は見ての通り、手が離せん。双子の妹の方は、本人が悪いわけではないが、話し方がのう、要領を得んかもしれん。シトラスは――」
「ディティス、マジメンゴなんだけど、うち、意外と子供苦手なんだわ」
それは別に意外じゃないけど言わない。
「ユニエラちゃんは?」
「其奴は顔が怖い」
「怖くありませんわよ!」
「いーや、怖い。この依頼を受けてから何度かキャラバンで見かけとったが、ディティスの仲間の傍におる分には普通じゃが、それ以外の時の顔は怖い。威圧感というか、話しかけてくるな、近づいてくるなというオーラを感じるんじゃ。目付きも鋭いしの」
「私、子供好きですのに、あんまりですわ」
「その点、ディティスは目付きも柔らかく、アホ面じゃから、警戒心を解くには適任じゃろ。得物の大きさから来る、見た目のアンバランスささえ無ければじゃがな。お主は、童顔からの巨大な盾二枚のギャップが怖い」
「全然褒めてないよね、それ。ていうか、アホ面って言った?」
「言っとらん」
すっごい笑顔だった。絶対言ったよね? 後で覚えといてよね、シーリーズさん……。
私は、少女が余計な警戒をしないように、盾や防具を外し、部屋の隅に置いてから、少女の目線まで屈んで話しかけた。
「こんにちは。えーっと、お名前は言える?」
少女は小さな声で、リヴィと名乗った。
「リヴィちゃん。あのね、他の悪い人たちも、私たちがみーんなやっつけたから、もう怖い人はいないよ? お姉さんたちはね、助けに来たの。一緒にお外に行こう?」
「助、かる、の?」
「うん。そうだよ」
そう私が言うと、リヴィちゃんは俯いて、その小さな肩を震えさせた。そして、顔を上げると、大粒の涙をボロボロと溢しながら、魂からの叫びを私に――私たちに向けて放った。
「なんで……なんでもっと早く来てくれなかったの!? お父さんもお母さんも、こいつらに殺された! お母さんはお父さんと私の前で乱暴されて、抵抗したら殺された。殺された後も乱暴された……。お、お父さんは、私が乱暴されるのを見せられて、泣いて、やめてくれってお願いして、それをあいつら、ゲラゲラ笑いながら首を切ったの……。どうして、どうしてなの……。なんで私だけ生きてるの……。こいつらが死んだって、お父さんもお母さんも帰ってこない……。返して! お父さんとお母さんを返してよお!! お父さんたちも私も、何も悪いことなんかしてないのに!!」
リヴィちゃんの主張は、はっきり言うと理不尽だ。私たちも、ここでこんなことが起こっていたことを知ったのは、つい数時間前のことだからだ。
でも、家族を目の前で失った、恐怖と喪失感と悲しみが、彼女から見て、何もかも手遅れでやって来ておいて、助けに来たなどと宣う私たちに対して、堪らなくぶつけたくなる怒りに変わってしまうのは、仕方のないことだと思う。だから、私たちはこの嘆きを、怒りを、受け止めてあげなくちゃいけない。そう思った。
私は、シーリーズさんに指示して、リヴィちゃんが持つナイフを取り上げ、拘束を解いてもらった。
そして、年相応に泣きじゃくるリヴィちゃんを抱きしめた。
リヴィちゃんは、堰を切ったように、私の胸に縋り付いて一層大きく、強く泣いた。
その姿は、あの夜に両親を失い、私の部屋で泣いていたシャルちゃんと重なって見えた。
そして、リヴィちゃんのその声は、決して大人びていたわけなどではなく、散々泣き叫び続けた結果、枯れ果ててしまっていたのだと分かった。
そんな彼女が泣き疲れて眠るまで、私は抱きしめ続けた。
これが、彼女が悲しみで流す、最後の涙であってほしいと願って……。




