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プロローグ 告白Ⅴ 旅立ち

2025/01/21(改)

「落ち着いた?」

「うん、ごめんね」

「いいよ。今はこのくらいしかできないから。お父さんも言ってた、というか書いてたけど、泣きたくなったらいつでも胸貸してあげるから」

「あ、服が……」

 抱き付いた腕をほどき、離れて私を見たシャルちゃんが申し訳なさそうにした。私の服は、肩がシャルちゃんの涙でぐっしょり濡れていた。

「だから気にしないで。仕方ないよ。泣くなって方が無理だもん。それより、お腹空かない? 何か食べなきゃ倒れちゃうよ」

「うん。でも……」

 シャルちゃんは窓の外を見る。

 外はすっかり真っ暗になっていて、もう寝る時間も近い。

「こんな時間じゃ太っちゃう?」

「違くて、いや、それもなんだけど、こんな時間になんて、おばさんに悪くて……」

「じゃあさ、二人で何か作ろうよ。それならいいでしょ?」

「う、うん」

 伊達に花嫁修業はしてきていない。二人とも、家事全般は一通りできる。お母さんが既に眠っていても自分たちで作ればいいのだ。

 シャルちゃんには、今あまり無理はさせたくないから、私が全部やる腹積もりではあるんだけど。

 二人でキッチンへ向かうと、お母さんがダイニングの椅子に座っていた。

「やっと起きた。二度寝はさぞ気持ちよかったでしょうね」

「あはは、遅ようございます」

 一度起きてからは眠ってないけど、まぁそういうことにしておこう。

「シャルティちゃん、目元が真っ赤よ。少し顔洗ってきたら?」

「はい。ありがとうございます」

「シャルちゃん――」

付いていこうか? と声をかけようとしたが、大丈夫と首を振って洗面所へと歩いていった。

「過保護だこと」

 お母さんが弄る。

「だってあんなことがあったし」

「充分あなたの胸は貸してあげたんでしょう? 一人になって考える時間も必要よ。また借りたくなったようなら、貸してあげればいいの」

「うん……」

「そんなことより、ご飯温め直すから、手伝いなさい。これがディティスと、最後の夜になるかもなんだし」

「え?」

「出てくんでしょ?」

「許してくれるの?」

「許すも許さないも、もう出てくって決めちゃったんでしょうよ、あなたたちは」

「お父さんは?」

「あぁ、うん。村長に首根っこ捕まれて連れて行かれそうになったときに書いたのがそこに」

 そう言って、お母さんはダイニングのテーブルの方を指さした。

 示した先には、石板があって、チョークで殴り書いたメッセージあった。


『体に気をつけて。幸せになりなさい。シャルティちゃんのことも、ちゃんと幸せにしなさい。いつでもいいから、嫌になったり、暇になったら帰ってきなさい。良い父親になれなくて済まなかった。』


 私にはお馴染みの、あの仏頂面が頭をよぎったが、筆跡のせいだろうか、面と向かって言葉を交わすときよりも感情を感じられた。

 本当はもっと言いたいこともあっただろうに、私とシャルちゃんの今後の身を案じて、自分の不出来さを謝罪したその文面は、私が、お父さんに対して今まで抱いたことのない感情を呼び起こして、じんわりと心を熱くしていた。

 私、この人のこと好きじゃなかったはずなのになぁ……。

「娘が旅立とうって時に、これっぽちの言葉しかないわけ、あ……あの人はさぁ……」

 いつもの悪態を吐こうとするけど、どうにも言葉が詰まる。目頭が痛い。

 分かっている。お父さんが、殴り書きしなくちゃいけなくなったのは、私たちが泣き止んで戻ってくるのをずっと待っていたからだ。

 賛成するにせよ、反対するにせよ、私たちとちゃんと話し合ってから病院に戻るつもりだったからだ。

 私たちが結局戻ってこず、村長がドクターストップよろしく連れ戻しに来たときに、時間がない中、殴り書いたこの言葉は、お父さんの紛れもない本心。それが分かってしまって、私は、いつもなら鼻で笑っていたような、お父さんのこの言葉を前に、立ち尽くして泣くことしかできなくなった。


「まったくもう、手伝ってって言ったのに、この子は。今生の別れじゃあるまいし、明日にでもお見舞いに行けばいいでしょう。そんなんで、これから二人でやっていけるのか心配だわ」

 お母さんが私の頭を撫でる。懐かしい感触と、暖かさを感じる。

「出て行くの止める?」

「止めない……」

 鼻を啜りながら断固固持する。

「頑固なんだから……。お願いだから、私たちよりは早く死なないでね」

「うん」

「あなたも顔洗ってらっしゃい」

 ポンと背中を押され、言葉に従う。シャルちゃんと入れ違いになって、顔を見られそうになったのを咄嗟に隠した。

 あんなこと言っておいて、こんな顔、情け無くて見せられないし。

「ディーちゃん?」

「ちょっと、トイレ。先、食べてて」

「うん……」


 ランプに火を点け、水瓶から水を汲んで桶に移し、顔をバシャバシャと乱暴に洗った。

 冷たい水が、ぐしゃぐしゃな心も、涙と一緒に流してくれるような気がした。

 だけど、まだ足りない……。

 鏡を見ると、昨日から結いっぱなしで、ぼさぼさになりかけている髪が目に留まった。涙で赤くなった目元と相まって、酷く自分が貧相に見える。

 結った髪は緩んで、根本が膨らみ、ぴょこぴょこと至るところから髪が跳ねて飛び出している。

 身だしなみ的に、これはよろしくない。気合いを入れ直す意味でも一度結い直そうと思ったが、もう今日は遅いので、解いて、髪の手入れだけすることにした。

 髪留めを外し、ポニーテールと三つ編みを解いて、手入れをした。

 一通り済んだら、両頬を自分で叩いて、ヨシと一言小さく呟いて、お母さんたちのところに戻った。

 お母さんは不在で、シャルちゃんはご飯を食べずに待っていた様子だった。器によそってもいない。

「食べてていいよって言ったのに」

「うん。でも、一緒に食べたかったから」

「健気だなぁ。お母さんは?」

「おばさんは眠るって寝室に」

「そっか。……食べようか。ごめんね、待たせて」

「ううん、大丈夫」

 二人で温かなご飯をよそって、二人で食べる。

 こんな時間に食べているというだけで、少し悪いことをしているような気分だ。けれど、温かい食事は、そんなささやかな罪悪感を打ち消してくれる。

 一息着いたところで、明日の予定について話すことにした。

「あのね、シャルちゃん。明日のことなんだけど」

「うん」

「明日、お父さんのお見舞いにいこうと思うの。別れの挨拶もかねて……」

「うん。私も一緒に行ってもいい?」

「それはもちろん。その後、お姉さんのところに行って、馬車を出してもらう」

「明日もう、出発するんだ」

「あんまり長居させちゃうのも悪いし、私の懐的にも痛いし、あと、あんまり村に残っていると、その……」

「覚悟が揺らいじゃう?」

「うん。ごめんね、言い出しっぺのくせに精神弱っちくて」

「私も気持ちは分かるよ。別にこの村が嫌いな訳じゃないもんね」

 そう。この村は好きだ。村の人も嫌いではない。お父さんのことは苦手だったけど。

 ただ一つ。このたった一つだけが出て行くに足る理由になるほど相容れなかった。

 でも、このままダラダラと残っていたら、その想いが希釈されてしまいそうだった。だから、明日中にすっぱりと出て行くことを今決めた。


「じゃあ、明日はそういう感じで。おやすみ、シャルちゃん」

「うん、おやすみ、ディーちゃん」

 食器を片付け、歯を磨き、二人でベッドに入った。

 また明日と、手を繋いで眠りについた。



 起きると、もうシャルちゃんはいなかった。私も急いで支度をしようとベッドから跳ね起きた。

 洗面所へ行き、顔を洗い、髪を結う。

 両サイドを三つ編みにして、後ろは上げ、三つ編みでまとめ、髪留めで固定。いつもの朝のルーチンだ。

 歯を磨いて、シャルちゃんの手伝いへ、いざ!

「おはよう、ディーちゃん。朝ご飯できてるよ」

 やることが、すでになかった……。

「今朝は思ったより早かったね、ディーちゃん」

「それはまぁ、旅立ちの朝ですし? 言い出しっぺなわけですし?」

「じゃあ、今度は私より早く起きられるようにならないとね、言い出しっぺさん」

「善処します……」

 二人で朝食を食べ、二人で片付ける。

 いつもならこのまま村の仕事の手伝いに出るのだけど、今日は違う。

「お母さん。お父さんのお見舞いに行ってくるね」

「少し待ってディティス。私も行くわ。着替え持って行かなくちゃ。あと、あなた、お見舞い終わったらそのまま出て行くつもりでしょう? ついででいいから、私にも挨拶をしなさい」

「なんで――」

「分かったのって? あなたの母親をやって十五年だからです」

 あまりに自信満々に言うもんだから、その言葉には謎の説得力があった。

 私は、なるほどと相槌を打つしかなかった。


 村長のところへ行く前に、この村で唯一、宿屋としての設備がある家へ寄った。お姉さんに、今日発つことを伝えるためだ。

 お見舞いの後に急に言っても準備が間に合わないかもしれないから、予め伝えておこうという算段だ。


 宿に行くと、お姉さんが、桑の葉が一杯に入ったカゴを背負っていた。

「お姉さん、何を?」

 いや、何をしているのかは分かる。蚕の餌の桑の葉を運んでいるのだ。この場合は、何故そんなことをしているのかが正しい。

「ああ! おはようお嬢さんたち。何って、見れば分かると思うけど、聞きたいことは分かるわ。あのね、私、暇だったから手伝いをしてたの。動いてないと落ち着かないのよねぇ。だからよ」

ちょっと待っててねと一言断りを入れて蚕小屋に一度引っ込んだお姉さんは、カゴを下ろして戻ってきた。

「ふぅ、良い汗かいた。それで? お母様もお揃いで来たってことは、家出は止める?」

「いいえ、今日にも出発したいと思ってます」

「あらそう。分かったわ。馬車の準備をしておくから、準備できたら村の入り口までいらっしゃいな。宿泊費は、とりあえずこっちでもう払ってるから、街に着いたら一緒に請求するわね」

「はい、それでいいです」

 お姉さんは、値踏みするように私とシャルちゃんの顔をじっと見てきた。

 美人に見つめられ続けて、少し気恥ずかしくなった私は、何事か聞いてみた。

「うん、あんなことがあった割に二人とも元気そうで良かったなって。正直、怖じ気付いてやっぱり止めますって言うのかと、少し思ってたから」

「そうならないために今日出発するんです。怖じ気づいてではないですけど」

「おや、私の見立てもあながち間違いじゃなかったわけだ。うんうん。こういうのは勢いが割と大事なのよ。とりあえず出てっ行て、細かいことは後から考える。私の若い頃もそんな感じだったなぁ……。お姉さん、しみじみしちゃうわ」

 若い頃って、お姉さん、じゅうぶん若く見えるけど、何歳なんだろう。とは、口には出さないでおく。言ってしまったら、私たちの逃避行は始まらずに終わる気がしたから……。


「あの、じゃあ夕方くらいに入り口で……」

「うん、待ってるわ。行ってらっしゃい」

「ディティス、シャルティちゃん、先に行ってて。私、行商さんと少しお話ししてから行くから」

「分かった」「はい」

 年頃の娘二人を預けるのだから、何か言いたいことがあるのは分かるし、子供に聞かれたくないこともあるだろう。そういう雰囲気を察した気になって、私たちは病院へ一足先に向かった。


 お父さんに顔を見せると、お父さんは、目元しか見えない顔なのに、それと分かるほど、心底意外そうな顔で私を見た。

「なーにさ、お父さん。私が見舞いに来たのがそんな意外ですか?」

 お父さんが頷く。失礼な!

 私は、昨日お父さんが置いていった石板とチョークを手渡した。すると、早速お父さんが何か書き出した。


『もう出て行ったものかと思っていた』


「私、そこまで親不孝者になるつもりないんで。ちゃんと挨拶くらいはするよ」


『これから発つのか?』


「うん、この後」


『そうか』


「……」

 沈黙が訪れた。いや、お父さんは初めから声には出していないから、私が何も言えなくなっただけなんだけど……。

 さて、何を言ったらいいものか、皆目見当も付かない。


 行ってきます?

 まぁ、これは言うとしても今じゃない気がする。

 

 昨日のメッセージ見たよ?

 ただの報告じゃん。その感想……は、死んでも言いたくない。


 あーでもないこーでもないと、無い頭を絞っていると、透き通った声が聞こえてきた。

「あの、おじさん」

 シャルちゃんが口を開いたのだ。

「昨日、残してくれたメッセージ、見ました。私たちの幸せを願ってくれて、ありがとうございます。帰る場所になってくれて、ありがとうございます。それと、私から見たら、二人ともよく似た良い親子だと思います。二人ともどこか不器用で、お互いに接し方が分からない、頑固で、臆病な、似たもの親子です。大丈夫ですよ、ディーちゃんはこんなに立派に育ちました。その親が、悪い親な訳ないじゃないですか。ディーちゃんを育ててくれてありがとうございます。ディーちゃんに好きになってもらえて、私は幸せです。たぶん、本当は、ディーちゃんも同じこと思ってると思います。恥ずかしくて言えないだけで」

「シャルちゃん!」

「ふふ、ディーちゃん、あのメッセージ見て号泣してたんですよ」

「何で知ってるの!? ……あ」

 その慌て方が、もう何よりの真実であることの裏付けになってしまったことに気づいて、私は顔を手で覆った。

 ちらりと指の隙間からお父さんを見ると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。そりゃそうなるよ、私お父さんのこと嫌いだってずっと言ってたもん……。

「ディーちゃん。私がディーちゃんの様子の変化に気づかない子じゃないことは、身をもって知っているはずだよね? なんでって聞かれても、ディーちゃんのことだからとしか答えられないくらいには、ディーちゃんのこと見てるよ」

 そうですよね、そうでした。私が多少心を隠したところで、シャルちゃんにはお見通しなのでした。それは告白したあの日に思い知らされていました。

 でも、お父さんに言うこと無いじゃないの……。

「ディーちゃん、私、親子の後腐れは無くしておくべきだと思うの。……経験的に」

 両親と後腐れしかない別れをしてしまったシャルちゃんの言葉は明るいトーンでも、ひどく重い。

「あんなことにならなかったら、私も今みたいなことは言えなかったかもしれない。両親に書き置きだけ残して駆け落ちしていたら、ひょっとしたら、二人で今頃笑っていたかもしれない。でもね、あんなことがあった、今だから言えるの。あのまま話さずにお別れしていたら、心に残ったままだったと思う。残してきた両親への後ろめたさとか、ずっとそれを抱えたまま、両親との連絡もしたくてもできずに、いつか死んでしまったときも、お互いに知ることもできなくて、自分が死んでしまうその最期の最期の瞬間まで、心の片隅に、あのときちゃんと話していればって、トゲが刺さりっぱなしになるの。私は、何も言えなかった。お父さんはあんなだったし、お母さんはいなくなったし……。でも、ディーちゃんたちは違うから、ちゃんと話して欲しい!」

 そう言い残して、シャルちゃんは病室を出て行った。私たちに気を使ってくれたのだろう。

 大部屋なのに、他の入院患者がいないため、二人だけ残された病室。

 気まずい沈黙がまた流れる。けど、何か言わなければ……。

「えーと、その……」

 カツカツと石板を叩くチョークの音。


『泣いたのか?』


 お父さんが、先ほどの話題を蒸し返す。

「え!? えーと……」

 素直に泣きましたと言うのはなんか癪に障る。けど、それ以外に言うこともないし、シャルちゃんにもちゃんと話せって言われたし。

「う、うん……」


『そうか。』


『意外だった。お前は私の事、苦手そうだったから。』


「苦手だよ。どっちかというと嫌いな部類。でも、昨日の石板のアレで、少なくとも、お父さんは私の事嫌いじゃなかったってのは分かった。むしろ、だからこそ、今までの塩対応っぷりは何だったのって思った。ねぇ、実際なんだったの? シャルちゃんのお父さんには、昔いじめられてたみたいなのに、私より普通に接してたし。ああいう感じでよかった。あれくらいの対応を私にしてくれていたら、私も今みたいに嫌ってなかったかもしれないのに……」


『クレッグとのことは、なんだかんだ言って、一番、歳が近かったというのもあるんだと思う。』


『昔、私をいじめてはいたが、結婚して落ち着いて、そのことについて謝罪もされた。』


『お互い、良い親になろうとしてたという共通の話題もあった。だからだろうな。』


『だが、結果的に、お前に対しての態度との温度差を生むことになってしまった。』


『私は、初の子育てで、子供とどう接して良いのかわからなかった。』


『クレッグのように好青年を演じられるような器用な人間ではない。』


『こう言うとお前は怒るか笑うかするのだろうけど……』


『かっこいい、決断力のある親としてお前に見てもらいたかったんだ。』


「は?」

 あまりにも意外な塩対応の理由に、思わず声が出た。いや出るでしょうよ。

「えっと、つまり、私にかっこつけたかったってこと? キャー、お父さん決断力あって男らしいステキ! って?」

 お父さんは、恥ずかしそうに首を縦に振った。

 マジかよ、この親父……。私に見栄を張ってたのか……幼少のころから……。

 私は大きな溜息を吐いた。

「拍子抜けした。というか呆れた。怒る気にもならないわ」

 まさかと思って、質問をする。

「あのさ、まさかとは思うんだけど、それ、お母さんに惚れ直してもらいたかったとかも理由にある?」

 お父さんの体がビクンと震えたのが見えた。図星かよ……。

「見栄の塊か!」

 申し訳なさそうに肩を竦めるお父さん。

 私は、なんでこんな人を嫌っていたんだろう。今までの自分が馬鹿らしく思えてきた。

「結果的に、決断力のある男ではなく、自分勝手な男に見られて、私とお母さんに見限られそうになってたわけですが、その点はお気づきだったのでしょうか? お父様」


『あの夜まで、お前に嫌われていたことはわかっていたが、まさかメアリにまでそういう風に思われていたのは気づいてなかった』


 えぇ……。不器用にもほどがあるでしょうよ……。

「あのねぇ……私にまず嫌われてるって気づいてたなら、そこで作戦変えようとか思わなかったわけ? 私、こう言っちゃなんだけど、だいぶ昔からお父さんのこと嫌ってたからね?」


『初志貫徹できないのは男らしくないと思ってだな……』


「お父さんさぁ。初志貫徹って言うなら、私が生まれて、それまでの自分のキャラ捨てた時点でもうできてないからね。お母さん困惑してたんだってよ? 私がいなかったらもう別れてるって言ってたからね。私がお嫁に行ってもそのままだったら別れるってはっきり私に言ったからね」

 絶望顔してるのが包帯越しにもわかった。

「いや、そんなに好きだったのならお母さんの変化にも気づいてあげてよ……もう……ふふっ」

 何か笑えて来た。お父さんの百面相が楽しい。こんな顔出来たんだ、この人。目しか見えてないけど。目は口ほどに物を言うってホントだったんだね。

「私、今のお父さんの方が好きだよ。そんな感じでよかったのに。うわ、耳まで真っ赤じゃん。照れたときの私そっくりだよ」


『お前は、だんだん若い頃のメアリに似てきた。私のいじり方があの頃のメアリそっくりだ。男を手玉に取る悪い女になるな』


「お母さん、タダ者じゃないと思ってたけど、やっぱりか。男を手玉には取らないし、取る気も無いよ。シャルちゃんがいるからね」


『そうだったな。ちゃんと幸せにしてやるんだぞ。』


「そんなの当たり前じゃん。苦労はさせちゃうかもだけど……」


『二人で生きていくっていうのは、お互い苦労や迷惑をかけるものだ。その先に幸せがある。』


『と、私は思ってる。』


「妻と娘に幸せを提供出来ましたか?」


『本当にそういうところ、メアリそっくりで泣きたくなる』


「ふ、ふふふ。これからは大丈夫でしょう、気づいたんだから。私はいなくなるけどさ」


『そうだな、もう間違わないさ。お前に新装開店したお父さんを見せられないのは残念だが、反面教師として私と同じ間違いはしないだろうという自信はある。』


『私の娘は賢いから』


「こんな日になってやっと親馬鹿になるのもどうなのよ。お父さんの新装開店は……まぁ、片鱗は見られたし、充分充分。お母さんと仲良くね。帰ってきたとき別れてたら、一発殴ってあげるからね」


『お前の力で殴られたら首が無くなってしまうな。気を付けよう』


 自然と笑って会話していた。あぁ、話せてよかった。また帰ってこれる場所があるんだって思えるだけでこんなに心は軽くなるんだ。

 少し名残惜しくもあることが意外だったが、それも意外と思うことが意外というか、今はそんな心境だ。

 最後に、ちゃんと挨拶をしなきゃ。

「じゃあ、お父さん。私たち、行ってくるから」


『最初は駆け落ちしようとしてたのに、「行ってきます」か。』


『いつでも帰って来なさい。二人で』


「うん、二人で……」

 そのとき、お父さんが手を伸ばしてきて、顔に触れた。

 細い、女の子のような、でもマメでごつごつとした手指。それが私の目元をスッと拭った。

 私は涙を流していた。

「あぁ、もう……締まらないなぁ……かっこよく別れたかったのに……」


『かっこつけなくていい。それも、親の前でできる子供の特権だ。』


「馬鹿。そういうこと普段から言えるようになっとけ……」

 私は、物心がついてから初めて、お父さんに抱き付いて、その胸で泣いた。

 昨日も今日も泣きっぱなしだ。泣かされた相手が半分以上お父さんなのが悔しい。

 ひとしきり泣いて、もう一度はっきりと言った。

「行ってきます」

 こんな晴れやかな気分で別れを告げられてよかった。

 シャルちゃんには感謝してもし足りない。この恩も含めて、絶対返して幸せにしなくては、そう誓った。



「お話は終わったみたいね」

 待合室に行くと、お母さんがシャルちゃんと待っていた。

「うん」

「有意義なお話ができたみたいで大変結構」

 私の顔を見て、お母さんが少し笑ってグシャグシャと頭を撫でた。

 泣き腫らした顔を見られるのが恥ずかしくて、顔を隠そうとすると、もっとよく見せなさいよと、今度は両頬を掴まれた。

「出て行く娘たちの顔をちゃんと見せなさい。ほら、シャルティちゃんも」

 唐突に呼ばれたシャルちゃんが、驚きながら私の隣に並ぶ。

 お母さんは、二人の顔を交互に見て、感慨深そうな表情をしている。

 小さな溜息を吐いて、ヨシと小さく自分を鼓舞したのが聞こえた。

「二人とも、しっかり生きて、生きて、私たちより遅く死になさい。これから大変だろうけど、助け合って、たまに喧嘩して、仲直りして、最後にはどちらも笑っていられるような、そんな生き方ができるように頑張んなさい。早死にだけはダメ、絶対に。特にディティス。あんたは無茶ばっかすることになりそうだから、あんまり自分の力を過信しないように少し慎重になりなさい。それと、シャルティちゃん。この国では生きづらいこともあるだろうと思う。ひょっとしたら追われることになるかもしれない。この村を出るということはそういうこと。みんながみんな見て見ぬふりはしてくれない。あなたは賢いから、そのことも覚悟の上なんでしょうけど。でもね、もしそういうことになったら、その時はうちの娘が絶対に守る。命に代えてもなんて私には言えないけど、愛した人を守ろうとしないような軟弱者には育ってないって私は信じてるから、遠慮なく頼りなさい。この子になら好きなだけ迷惑をかけなさい」

 なんか、無理するなって言いながら、迷惑かけなさいって矛盾してない? お母さま。

「はい、ディーちゃんにいっぱい迷惑をかけます」

「シャルちゃん!? まぁシャルちゃんの迷惑は、私にとってのご褒美なんで、全然いいんだけど」

「ディーちゃんの迷惑も、私のご褒美だよ。ドンと来いって感じ」

 シャルちゃん、頼もしい限りだぜ……。

「よし、ほら行ってこい! バカ娘ども! どこへなりとも消えちまいな! 二度と帰ってくるなよ!」

 私たちをくるっと回して背中を叩いたお母さん。

「言ってることがさっきと真逆!?」

「昔、本で読んだの、このセリフ。一回言ってみたかったのよ。……元気でね、可愛い娘たち」

「うん、行ってきます。お母さん」

「行ってきます、おば……お義母さん」

 二人で手を振って、歩き出した。


 村の入り口に着くと、約束の時間には少し早かったが、既にお姉さんが待っていた。

「お、来たね。少女たちよ」

「早いですね」

「特にやりたいこともなかったしね。パパっと準備して、二人が乗り込むスペースを作っていたのよ」

「ありがとうございます」

 お姉さんが私たちの顔を見る。

「いい顔になったねぇ。良いお別れができたようで何より」

「はい」

「それじゃ、乗った乗った」

 促されて馬車に乗った。

 あの夜とは違う、明るい旅立ち。それは、私たちの心持ちにも当てはまる。ネガティブな今日から、ポジティブな明日へ向かっていたあの時と違う。今は、ポジティブな今日から、よりポジティブな明日へと向かうんだ。

「それじゃあ、出発しますよ、お二人さん」

 お姉さんの声に、二人で揃って返事をする。

 声は弾み、胸が高鳴っている。

 お姉さんが手綱を振るうと、ゆっくりと馬車が動き出した。

 まだ見ぬ未来に希望を抱いて、私たちの新しい人生が、今、始まった。

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