シデリアン洞窟編ⅩⅩⅠ
しばらくの間、ロックイーターの縄張りだったこの区域は、魔物すら出現しないセーフティゾーンとなっていたようで、事切れた主の解体中も、それらが現れることはなかった。
今後もこのままなのかは分からないけど、少なくとも、私たちがいる今このときは、休憩場所として打ってつけだった。
地質の変化で境目が分かるから、ちょっと狩りに出て戻るときの目安としても重宝していた。
さすがに、人肉をたんまり食らったロックイーターの肉は食べる気が起きず、鱗などの堅い部分を剥ぎ終わったら、犠牲者の供養も兼ねて、燃料をかけて焼いた。
体力も気力も整って、いざ出発しようという段階だけど、私の借りてきた手足装備の防具はズタボロで、とても使用に耐えられる物ではなくなっていた。
なにせ、地面の土の感触がダイレクトに足に伝わってくるしね。靴は履いているはずなのに、湿った地面が足の裏を汚す感覚があって非常に気持ち悪い。
「ねぇロア君。私の靴だけでも何とかならない? 踏ん張れないし、何より気持ち悪いよ」
困ったときの鍛冶師様です。
「うーん。ロックイーターの鱗で何とかできるかもしれないし、できないかもしれない」
「何で曖昧なの」
「金属含んでるのは確かだけど、分離するためには一回溶かして精錬しないとだから、今ここじゃあ無理だ」
「じゃあ何とかできないじゃん」
「鱗を割って足の裏に紐とかで結ぶだけなら何とかなるぞ?」
「それ、滑らない?」
「絶対滑る」
「じゃあそれも却下で」
「俺も、何とかならんか頭抱えてんだよ。お前は重要な盾役だしさ」
「重要だと思うならもっと考えて!」
「お前も考えるんだよ。自分のことだろうが」
「百理ある」
「言うと思った。気に入ったのか、それ」
「ふふ、少し」
含み笑いが出る。
「あの、よろしくて?」
ユニエラちゃんが話しかけてきた。
「なに? ユニエラちゃん」
「……」
私が名前を呼ぶと、俯いて少し沈黙した。顔を上げたユニエラちゃんの頬は少し赤かった。まだ体調悪いのかな?
「えーっと、私の、防具を貸与しても構わなくてよ? 背格好も同じくらいですし。いかがかしら?」
「それは嬉しい申し出だけど、ユニエラちゃんの分が無くなっちゃうんだよ? 足の裏ずっとしっとり冷たいんだよ? 体調大丈夫? というか、お嬢様はそういうの耐えられる?」
「私が何日泉でいじけていたとお思いですか? 全く自慢にはなりませんが、足の裏だけずっと冷たいなんて、大した問題ではありません。それに、私はもう武器すら持っていませんし、今後足手まといになることは必死です。ならせめて、無事な防具を貴女に貸せば少しは役に立てるというものです。……体調は大丈夫です、ありがとうございます」
「うん。じゃあ、そこまで言ってくれるなら、お言葉に甘えようかな。私の穴あき防具で良いなら交換で使う?」
「よし。むしろそれが主目的……ではなくて、使わせてもらいますわ。無いよりはマシですもの!」
なんか変態チックな呟きが聞こえた気がしたけど、無視しよう。私には何も聞こえなかった。
「じゃ、じゃあ、はい。脛くらいしか守れないけど、どうぞ」
動揺が隠せていない! 聞こえてなかった、聞こえてなかったんだよ!
「では私も、これをどうぞ、ディ、ディティス!」
「名前を呼んだ!?」
「お嫌でしたか? お、お友達ですもの、これくらい許されると思ったのだけれど……」
しゅんとなるユニエラちゃん。違うんだよ、嬉しい驚きだったんだよ。
「全然許す許す! ありがとう、ユニエラちゃん!」
嬉しさを表現するために軽く抱きつくと、ビクンとユニエラちゃんの体が跳ねた。ハグは、急に距離を詰めすぎか、反省。
「ごめん、びっくりしたね。嬉しくなっちゃって」
「い、いえ、私の方こそ、こういうことに慣れていなくて……」
ユニエラちゃんに借りた足の装備を取り付けると、サイズはぴったりだった。
「おお! ぴったり合ってるよ、ユニエラちゃん。ありがとう!」
「はい、よくお似合い――コホン、まぁまぁ似合っているんじゃないかしら」
なんでちょっと言い直したんだろう。まぁ、ピンクの鎧が似合ってないってのは自分でも分かるし、まぁまぁ似合ってるって評価はマシな方かな。
「準備できたな? じゃあ本当のラストスパートだ。行くぞ」
クガルーアさんが音頭をとって、私たちは頷いた。
縄張りの境界を越えて進む私たちの前に現れる魔物たちは、ロックイーターを倒した後だということ念頭に入れると、とても強いとは言えないものばかりで、拍子抜けだった。
三首の犬型の魔物もいよいよの登場だったけれど、私が出る間もなく、ロア君とアイちゃんの先制攻撃によって沈んでしまった。
手応えのようなものも感じられずズンズン奥へ奥へ進んでいくと、遂に行き止まりへとたどり着いた。
その一帯は、金属板に彫られた魔法陣が常に光っていた。シウスさんが見るに、魔物の沸き止めのようだ。
そして、行き止まりの壁のすぐ前には、一段高くするように岩が階段状に積まれていて、一番上の岩には、これまた何かの魔法陣が書かれていた。
「読めるか、シウス」
「はい。正式で書かれているので、簡単です。えーっと――」
シウスさんが魔法陣を読み解くと、転移の魔法陣のようだった。
「転移? 行き先は?」
「見張り小屋と書いてありますね。ドッグタグを預けている小屋では?」
「受付のおやじめ、いい加減なこと言いやがって。何が往復一ヶ月の道程だ。これで戻れば一瞬じゃないか。大方、ドッグタグが光り加減で持ち主が洞窟のどこにいるか分かるなんてのも嘘っぱちだったんじゃないか?」
「待ってくださいクガルーア。私が魔法陣を読めたからそう結論できるだけで、他の冒険者には読める者も稀でしょう。本当に徒歩で往復している人の方が多いのでは?」
私は、入り口でおじさんと話したことを思い出した。
「クガルーアさん、私もドッグタグで位置が分かるっていうのは本当のことだと思います。一番奥の手前くらいで、冒険者たちの反応が消えてるって、入り口でおじさんが言ってました。あれの理由、今なら分かります。ロックイーターに殺されてたんですよ」
「なるほど。つまり、この魔法陣は読める奴らにはショートカットで、読めない奴らにはただの落書きってことか」
そういうことなんでしょう。シウスさんがいてくれてよかったとすごく思う。
「んじゃ、全員乗った乗った。ぱっと帰るぞ、こんなところ。また半月使って来た道戻るなんて面倒くせぇ」
全員で魔法陣に乗るのを確認すると、シウスさんが内側から円に触れて魔力を送った。
魔法陣全体が発光して、私たちの視界を白く塗りつぶした。
視界が開けると、木造の壁が見えた。いや、ドアか、あれは。
木造だけれど、拵えはしっかりして重厚そうに見える。
「着いたのか?」
クガルーアさんが尋ねる。
「はい、その筈です」
シウスさんが答える。
「一応警戒して扉開けた方がよくないか? 実は全く関係ないところに飛ばされてて、開けたら危ない人たちとご対面なんて、俺はゴメンだぞ?」
ロア君の言うことはもっともだ。警戒するに越したことはない。
「じゃあ、ディティス先生、お願いします」
頷いていると、ロア君のいつもの声が聞こえてきた。
盾だものね、知ってた。私はいつもこんな役目だもん。もう慣れてる。
ドアノブをゆっくり回す。鍵はかかっていないようだ。
静かにドアを押し開け、隙間から中を覗いてみたけど、特に目立った人はいない。というか、人の姿が見えない。
死角に隠れてる? こういうとき、変に後込みするとこっちが不利になるんだよなぁ。逆に驚かせてやるつもりで挑まないと。
よし。覚悟完了。
「いくよ?」
頷く一同。
バンと大きな音を立て、乱暴にドアを開き、部屋に突入すると、扉の死角にいた人たちが驚いて椅子から転げ落ちた。
「あれ?」
「あー、びっくりした! 君ね、扉は静かに開け閉めしなさいって教わらなかったの!? って、え!?」
椅子から転んだ人は立ち上がるなり、至極真っ当な注意をして、それから、別の意味で驚きだした。
「君! というか、君たち!? この扉から出てきた?」
「いや、開いてるんだから他にどこがあるんだよ」
「ロア君、ステイ、ステイ」
「犬みたく言うな」
「洞窟の一番奥にある魔法陣を使った?」
「はい。私たち全員、あの魔法陣に乗ってここまで転移してきました。ひょっとして、使ってはいけなかったものだったのでしょうか?」
シウスさんが、少し不安げに男の人に聞くと、とんでもないと返ってきた。
「みんなに使ってもらうために設置しているものだから、あそこで使ってここに飛んでくるのが正解のルートだよ。ここ何年も使う人がいなくてね、それで驚いてしまったんだ。近くに立て看板もしてるんだけど、何で使ってくれなかったんだろう」
立て看板? そんなものは無かったけども?
「お兄さんは中の立ち入り検査とかしてないんですか?」
「もう何年もできてないね。ずっと冒険者が入ってるから、職員が入る時間がないんだ。その様子だと、立て看板、無くなってた?」
一同で頷く。
「あー、そっか。あ! じゃあじゃあ、窪地に設置してた梯子は?」
「ふ、踏み板が、く、腐って、も、もう、つ、使い物に、な、ならなくなってましたよ?」
「あー、やっぱり。だから一度、冒険者入れるのを止めて、中のメンテナンスしようって言っていたのに!」
お兄さんは、そこまで言って何かを思い出したように話を変えた。
「あ、ごめんごめん。これを言わなくちゃいけなかったね。正規ルートで戻ってくる人が久しぶりすぎて忘れちゃってたよ。みんな、洞窟踏破、おめでとう!」
全員の声で、ありがとうと響いた。




