プロローグ 告白Ⅲ 帰宅
2025/01/21(改)
「ディティス!」
お母さんが私を呼ぶ声で目が覚めた。どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。というか、私の家のベッドに寝かされていた。
「シャルちゃんは?」
手を繋いでいたはずのシャルちゃんがいないので、眠い目をこすりながら聞いた。
「起きて最初に言うことがそれ? まぁいいけど。シャルティちゃんなら、もう起きてるわよ。あんなことがあって、辛いでしょうに……朝ご飯の仕度、手伝ってくれたのよ」
「お父さんは?」
「村長さんとこで寝てる。お父さん、顎の骨にヒビが入ってたみたいで、しばらくは流動食よ。お父さんが起きたら村長も交えてお話するから。ほら、顔洗ってらっしゃい」
「ふぁ~いぃ」
昨夜あんなことがあっても、人は寝られるし、あくびも出るのかと、少し自分に呆れながら顔を洗った。
朝ご飯を食べようとダイニングへ行くと、シャルちゃんが椅子に座って待っていた。
「あ、ディーちゃん、おはよう」
「おはよう、シャルちゃん」
いつものように優しく挨拶してくれるシャルちゃんは、見た目はいつも通りに見える。でも、昨夜のことで相当心に傷を負ったのは間違いない。だからといって、私が腫れ物を扱うように接したら、せっかくいつも通りしてくれてるシャルちゃんに悪いと思ったので、私もできるだけいつも通り接することにした。
隣に座って二人で食事をする。
料理の感想を言ったり、他愛ない話をして、二人で笑う。
「私やお父さんには挨拶しないのに、シャルティちゃんには挨拶するのね、ディティス」
お母さんが、お小言を言いながら合流した。
「えー、お母さんにはしてるじゃん。今日はまだしてないけど。おはようお母さん」
「ついででありがとう。そういえば私も言ってなかったわ。おはようディティス」
「似てるね、二人とも」
と、シャルちゃんが笑った。
「私よりお父さんに似てるでしょ、ディティスは」
「どこが!」
「一回決めたこと頑として守るとことか? 二人揃って、変なところ頑固なのよね」
「芯が通ってて良いと思います」
「まぁ……ね。私も彼のそういうところが好きだったし――」
「ごめんください!」
話の腰を折るように、コンコンと玄関の扉がノックされた。村長の声だった。
「あ、来たみたい。はーい!」
お母さんが二人を中に招いた。
「おや、食事中だったかい?」
「いえ、もう終わって片づけるところですので、まぁ座ってください。お茶、お出ししますね」
「どうもどうも、お構いなく」
そんな会話がされる中、私とシャルちゃんは、食べ終わった食器をパパっと洗って。お母さんと入れ替わりでダイニングに戻った。
ほどなくして、お母さんも合流して席に着き、本題に入ることになった。
「ブラッド、昨夜のことはどのくらい覚えている?」
村長がお父さんに尋ねた。
お父さんは、顎に包帯をしており、口はわずかにしか開けられないようにされていた。
そんなお父さんは、村長から借りたであろうチョークと石板で質問の答えを書いた。
『ディティスとシャルティちゃんが好き合っていて、村を出て行こうとしていた』
『それを聞いたクレッグが、急に昔の乱暴者の頃に戻って、よく分からないことを言い出して、俺を殴ったところまでは覚えてます』
「ふんふん、なるほど。じゃあクレッグやシーラが今どうしてるかは知らんわけだ」
お父さんは頷いた。
「じゃあ昨夜何があったか、メアリ、言えるね?」
「はい……」
そうして、昨日の顛末を、お母さんはお父さんに説明した。
お父さんはとても驚いて、要所要所で思わず声を漏らしては、顎の痛みでうめき声を上げるということを何度か繰り返した。
お母さんが話を終えても、お父さんはまだ信じられないというような表情だったが、何かを書き始めた。
『シャルティちゃんは大丈夫かい?』
あの話を聞いて、真っ先にシャルちゃんの心配をできる人だった、してくれる人だったんだと、私は少しお父さんを見直した。
「まだ、ショックの方が大きいですけど、ディーちゃんも、おじさんもおばさんもいるので、何とか大丈夫です」
『そうかい。泣きたかったらいつでも泣いていいんだからね。うちの娘はその辺、器が大きいから、胸でもなんでも借りなさい。これは少し親馬鹿っぽいけど』
「ありがとうございます。その時は遠慮なく」
そう言って、シャルちゃんは私を見て笑った。私も胸を叩いて笑顔で返す。
「さて、村長。こちらからも聞きたいことがあるんですけど」
お母さんが切り出した。例の話についてだろう。
クレッグが言っていた、シャルちゃんとの結婚の根回しを村長にしていたという話だ。
「あぁ、そのことか。確かに言った。私はクレッグに、シャルティちゃんと結婚させてやると言った」
それを聞くと、お母さんの表情が一気に険しくなった。今にも村長を殴りそうな剣幕だったが、その手は、私の眼前に広げてあった。
私の体は、無意識に机に身を乗り出して、村長に殴りかかっていた。それをお母さんが制止している形になっていたのだ。シャルちゃんも、私の腕にしがみついていた。
「ディティス、ダメよ。人の話は最後まで聞きなさいって、私教えたでしょう?」
「ごめんなさい」
私が椅子に座り直すと、お母さんが再び質問をする。
「確かに、二人に血の繋がりはありませんが、それを理由に娘との結婚を提案してくることについて、思うところはなかったんですか、村長」
「話は最後まで聞けか、いい言葉だ。その通り。私の話も終わっておらんぞメアリ。まぁ、人道という観点から見れば無理もないがな」
村長はそう言うと、お茶を一口啜って、話し出した。
「あれは、半年くらい前の事だったか。あの男、うちに尋ねてくるまでは普通だったが、二人きりになって、職員も息子夫婦も出払ったことを確認した直後だった。結婚する前のあの頃のようになってな。胸ぐらを掴まれて脅されたのよ。シャルティちゃんの結婚相手に、自分を指定するようにな。目が完全に肉食獣のそれだった。殺されると思った。だから頷いた。私も命は惜しい」
「そのまま当日が来たらどうするつもりだったんですか?」
「実際血が繋がっているわけでなし、結婚自体には問題ないから、指定していたかもしれんが、たらればの話だ。しても仕様がないだろう。奴は死んだわけだしな」
「クレッグが不妊で悩んでいた話は?」
「私は医者だぞ。何度か相談を受けた。妻のシーラの方にだがな。結論から言うと、シーラの体には何の異常もなかった。あの夫婦の不妊の原因はクレッグにある。誰を娶っても、あやつには子供などできんかっただろうよ。自業自得だ」
「それで、シャルティちゃんをクレッグの慰み者として生贄に出すのもやぶさかではなかったと?」
「極端な話をすれば、シャルティちゃんもシーラも、元はこの村の部外者だからな。心労は幾ばくか小さく済む。悪いとは思わんわけではないが。二人には殴られても文句など言えんとも思っとる」
シャルちゃんを見る村長。
「シャルちゃん」
私が名前を呼ぶと、悲しい表情でシャルちゃんが口を開いた。
「村長さんを殴っても意味ないです。もうお父さ……あの人は死んでしまったし、お母さんもどこかに行ってしまいました。二人がいなくなって、私は、この村で本当の意味で部外者になってしまいました。でも、まだディーちゃんがいるんです。ディーちゃんと一緒なら、まだ私はここに立っていられます。だから、ディーちゃんと結婚させてくれるなら、私は、この村を出て行くのをやめてもいいです。あの人がいなくなって、仕事をする人が足りないでしょうし」
そっちも、今日のもう一つの本題だ。私も、シャルちゃんと結婚できるのなら、別に村を出て行くことはない。だけど、出て行くという選択をしていなければ、この村長によって、シャルちゃんは、アレの物にされていたんだと思うと、複雑な気持ちだ。
「お前さんたちが好き合っているということは分かった。シャルティちゃんの身の上のことを思えば、その意志を汲んでやらんこともない……」
「じゃあ――」
「だが、それは相手が異性であった場合の話だ」
蝋燭の火が他人に突然消されるように、私たちの希望は吹き消された。
「どうして……ですか? どうしてそんなに男女であることに拘るんですか? この国は、同性の結婚を認めているのに……」
シャルちゃんが尋ね、私は横で頷く。
「そのことはもちろん知っている。だがな、私は、私の家は、村長としてこの村を守らねばならない。守るというのは、将来的な村の人口についてのことも含む。この村は、自分で言うのも何だが、排他的だ。なぜそうなったかは知らぬが、何代も前に馬車の定期便を断って以降、外との繋がりは、定期的に往来する行商人だけになった。しかし、あまり排他的すぎても、今度は、近親間での結婚で血が濃くなる危険がある。だから定期的に『そういう買い物』もして、町に新顔を入れている。シーラもその内の一人だった――」
「あの、村長。話が長いんで、端的に、はっきり言ってくれませんか? 子供を残せない同性の結婚は、村にとってメリットがないから認められないって」
お母さんが少しイラつきながら結論を先に言った。
「最近は大人しくなったと思っとったのに、お前さんもまだまだお転婆がなおらんな、メアリ」
「今それは関係ないことでしょう。ディティス、シャルティちゃん、聞いた通りよ。村長は貴女たちの結婚を認めない。村から出て行くも、出て行かないも、あとは貴女たちが決めることよ、大人になったんだから。私は残って欲しいけど、親としてはね」
お母さんは最終判断を私たちに任せた。
お父さんは何か言いたげだったが、お母さんに睨まれて石板を下げた。えぇ、弱い……。これが、私があんなに嫌っていたお父さんなのかと拍子抜けした。
さて、私たちの選択肢は二つだ。
一つは、この村に残って、わずかな時間のあいだ交際して、お互い他の男の人と結婚するか。
もう一つは、当初の計画通り、村を出て行って、苦しくとも、二人でずっと一緒にいるか。
村長の考えは、時代錯誤だと思う。でも、この村を守るためという理由は十分納得がいく。人を買うくらいなら、出入り自由にすれば全部済む話だろうとも思う。この頑固爺にそれを言ったところで、聞く耳などもう無いのだろうけど。
次の代に代わるまで待つ? 次の村長がそんな改革をするとは限らない。この爺の息子であるのだし、まずしないと思った方がいいだろう。
はじめから答えは決まっていた。こんな考えを巡らせるのも、ただの文字数稼ぎにすぎないってくらい無駄な思考だ。
シャルちゃんを見る。
ほぼ同時にこちらを見たシャルちゃんと目線が合った。
お互い、目で頷き、村長を真っ直ぐ見て答えた。
「「私たちはこの村を出て行きます。お世話になりました」」
村長は、そうかとだけ呟き、席を立った。
「ブラッド。だそうだ。別れの挨拶は済ませておけ。また夜逃げされんようにな。邪魔したの。あ、そうそう、クレッグの葬儀はこっちで適当にやっておくから、お前さん等は気にしなくて良いぞ。思わぬところでやっかい払いができて良かったわ」
村長が出て行くと、家族と、シャルちゃんだけになった部屋に、重い空気が立ちこめた。
「シャルちゃん、大丈夫? その……」
昨夜あんなことがあったけど、一応父親ではあるし、何も娘の前であんな言い方しなくてもと思ったが、言葉がうまく出なかった。
「大丈夫。あの人のことは、もう、いいの。育ててくれたこと自体には感謝してる。それだけでいいの。あの人に関わる他のことは全部余計なこと。そう、思うことにしたから」
「シャルちゃん……!」
「でぃ、ディーちゃん!?」
私は、思わずシャルちゃんに抱きついた。
辛いことを全部飲み込んで、前を向こうとしているシャルちゃんがとても尊くて、健気で、でも心細そうで、少しでもその心の支えになれたら、そういう一心だった。
「私、絶対、シャルちゃんのこと、幸せにするから!」
「ディーちゃん……。う、うぅぅ――」
シャルちゃんは、堰を切ったように、大きな声を上げて泣きだした。
私と一緒の時でも、笑いこそすれ、怒ったり泣いたりは、ほとんど見せたことがなかったので、非常に珍しいことだ。
そんな姿を見た私はというと、初めて抱いた赤ちゃんの泣き姿に戸惑っているお父さんのような、そんな心境と言えばいいのだろうか。どうしていいのか分からず、抱きしめた姿勢のまま動けず、固まってしまっていた。
見かねたお母さんが、耳打ちしてくれた。そのまま頭でも撫でてあげなさいと。
言われた通り、恐る恐る頭を撫でてあげる。赤ちゃんをあやすように。
「よしよし、シャルちゃん、頑張ったねぇ。我慢したねぇ。私の前では……泣いて、いいんだよぅ……グス」
あ、どうしよう。なんだか私も……。
人間、何が引き金になって涙腺を破壊されるのか分からない。シャルちゃんが、気丈に振る舞っていてもやっぱり辛かったんだと分かったこととか、私自身も、今まで、思っていた以上に気を張ってたんだなとか、いろいろな感情がない交ぜになって込み上げてきて、シャルちゃんの泣き声が呼び水となって、貰い泣きした。
こんなに泣いたのは何年ぶりだろうかってくらい、もう、ワンワン泣いた。
信頼していた、育ての父親から受けた、身の毛もよだつような恐ろしい計画の告白。私たち全員に向けられた悪意、害意。そして、育ての母親の変貌と失踪、父親の死。
一晩で立て続けに起こったショッキングな出来事は、シャルちゃん一人の心ではとても受け止めきれない。だから、私も少し荷物を持ってあげようとしたけど、私自身も当事者だったこともあってか、情けなくも、ご覧の有様だ。
私たちの、切れてしまった緊張の糸の影響は大きくて、どうにもこうにも、涙は止まらなかった。
その日は、泣き疲れて眠ってしまうまで、私たちは食事もとらず、抱き合って泣いていたのだった。
この村の主要産業は養蚕と紡織。(ディティスの父の仕事も同様である。母は機織りをしている)
あとは村内で消費される食糧分の狩猟や農耕。農耕は各家庭に畑があるが、麦は特定の家が一手に担当している。
養蚕のついでに採れる桑の実は、各家庭で味付けが微妙に違うジャムに加工されて、その家の味を形作っている。
村長の家は代々医者を務めており、跡取りは村の外の学校に出され、医学を学び、伴侶を連れて帰ってくる。村長の孫が現在、外の学校で学んでいる。
シャルティの家の仕事は炭焼きなのだが、実はこの村では現在、そこまで必要とされていない仕事だ。
どの家にも小さな炭焼きのできるかまどがあり、わざわざ買うことは滅多にない。
先代と違い、クレッグが作った炭は生焼けも多く、炭として適したものでもない。こうなるだろうことはクレッグがまだ修行中の時分から、先代に相談を受けていたため村長はわかっていた。そこで先述のかまどを設置させた。
クレッグの不出来な炭は村長が一括で買い取り、自分の家のかまどで焼き直しをして使っている。
クレッグに仕事をしていると思わせておかなければいつ暴れ出すかわからないという思いもあったからだ。
なまじ薄い責任感を負わせたばかりに、跡取りを作るという、余計な願望を抱かせてしまったのは村長の計算違いだった。
彼は彼なりに村に貢献していると思っていたのだから当然なのだが。
クレッグの妻シーラは、どこぞの商家の令嬢でもなんでもなく、この村に訪れるいくつかの行商人の内、最も大きかった人売りから村長が看護師にしようとして買ったのだが、翌日にクレッグの土下座イベントが発生。彼の日ごろの行いをよく知っている、この村の女性をあてがうのは憚られたため、これ幸いとシーラを指定した。売られる前は本当にいいところのお嬢様だったのか、礼儀作法は心得ており、村の者も商家のお嬢さんという噂を信じていた。