シデリアン洞窟編ⅩⅨ クガルーア編
洞窟内に、太めの木の枝が折れるような音が響いた。その直前に、ディティスという娘の雄叫びが聞こえていたから、彼女がやってくれたんだろうと察した。
鱗を一枚一枚、えっちらおっちら悠長に剥がしていられるのも彼女が攻撃のヘイトを一手に引き受けてくれていたからだ。
見上げると、顎が開きっぱなしになったロックイーターから落下する少女の姿があった。意識を失っているようだ。
「まずい!」
どんなに急いでも、ふくよかな体の俺では落下に間に合わない。
「シウス!」
頼んでもいないのに仕事を辞めて付いて来た、今の相棒に声をかける。
「はい!」
いい返事だ。
「いや待て!」
シウスが駆け出そうとしたのを、この化け物の胴体の上で合流した、ロアという少年に止められた。
「何故だ!」
「お前が死ぬぞ!」
「は? 何を言って――」
シウスがロアとどうこうやりとりしている間に、ドスンと、女の子一人が落下したとは思えない音が聞こえてきた。
「なんだあの音は」
「あいつはとんでもなく重い盾を持ってるから、受け止めに行ってたら圧死してたぞ? ってことを言いたかったんだ」
怪力なのは知ってはいたが、あの両腕の盾がそこまで重いものだったとは思いもしなかった。見た目は明らかに重厚そうだが、いうて女の子が二枚持てるくらいの重さだろうと高を括っていた。
「忠告感謝する。だが、大丈夫なのか? あの落下は……」
「いや、俺も分からん。あいつの骨の頑丈さまでは俺も知らないからなぁ……」
既に落ちてしまった人間の頑丈さの話などしていても詮無いことだ。今は怪我しているであろう彼女を一刻も早く助けに行かなければ。
「シウス、あの子のことは頼む。俺はロックイーターの頭を引き継ぐから、お前たちは鱗剥ぐのを続けてくれ」
三人に指示を出して、俺も動き出した。
ロックイーターは、先ほどまでの元気がない。ヨロヨロと年寄りのように体を引きずっている。頭の位置はだいぶ低い。
これなら俺のハンマーも届きそうだ。
俺から発せられる、その体重から来る足音を聞いても、ヤツは一瞥程度に首をこちらに振って、またヨロヨロと洞窟の奥へ向かおうとする。
なるほど、逃走しようってわけだ。そうはさせない。ここで逃がせば、回復したこいつがまた人を襲いだす。それだけは阻止しなければならない。
ロックイーターの前に回り込んで、俺は、その頭に力いっぱいウォーハンマーを振るった。
ゴーンと、神殿の鐘を突くような音が響いて、ロックイーターの体が横倒しになった。
俺はすかさず、くるりと柄を持ち替えて、ピック側を攻撃面にする。
昔、お忍びで海へ行ったときに食わせてもらった、アナゴとかいう魚を捌くときと同じようなことだ。頭を釘で固定してから胴体を裂く。それをこのデカブツに対してやる。
ピックを思いきり顎の内側目掛けて振り下ろす。
ブシュっと体液が噴き出して、顎の甲殻まで貫通した。
やっぱりだ。こういう手合いは外からの攻撃にはめっぽう強いが、内側からはめっぽう弱い。
だがまだ地面への刺さりが甘い。これではすぐ抜けられてしまうだろう。もう一押しが欲しい。
こういう時に自分の体重を使わずしてなんとするのか。
俺は数度、ハンマーの上でジャンプして、ピックをより深く地面に刺しこんだ。
もう抵抗する力もないのか、あるけど諦めたのか、はたまた俺の攻撃で失神でもしたのか、ロックイーターはもう動かなかった。
「刺さりは、こんなもんか? さて――」
胴体の方を見ると、双子によって、こいつをブツ切りにする作業が始まっていた。
「――あぁ、後は任せてもよさそうだ。あのディティスって娘の容態でも見てこよう。」
来た道を戻り、落下地点に行くと、シウスが魔法陣の構築を始めていた。
「首尾は?」
「あぁはい。ただいま治癒の術式と、念のため、解毒の術式を書いています」
「増血も足せ。出血が多すぎる」
「はい、それはもちろん」
「速記ならもう終わっていてもいいはずだが?」
「重症ですし、回復量を上げたいので正式で構築しています」
「その間に死んだら元も子もないだろう。正式は治癒までにして、解毒と増血は速記で済ませろ」
「畏まりました」
「遜るな。もうそういうのは止めろと言っただろう」
「はい。すみません」
ディティスを中心に魔法式の構築を手早く済まさせて、円で囲む。シウスが円に触れて、体内のオドから起動魔力を送ると、魔法陣の効果が発動した。
ズタボロだった右手と両足の傷がみるみる癒えて、出てしまった血液も新たに構成される。
治癒系の魔法陣が使える人間は、この大陸でも二百人もいれば良いところ。その中でも、回復の量、速度ともにここまで高いのは、このシウスくらいなものだろう。
この娘は運がいい。その最高の術士に、偶然巡り合えたのだから。
娘の血色がよくなっていく。
「一安心といったところか」
「はい。この娘の峠は越えました。殿下」
「シウス……」
「あ、ああ、すみません殿下! じゃなくてクガルーア様……でもなくて、クガルーア」
まったく、この相棒、元従者の先行きが今から思いやられる。
あとがきざっくり設定解説
『魔法について』
魔法は本来、魔族が使う技術。魔法を使うための呪文は、人間には発話ができないため、詠唱による魔法の行使は人間には不可能。
魔法陣を用いた魔法の利用は人間でも可能。
魔法陣は、魔法の効果範囲や時間、威力、使用するマナの量などを細かく設定して式を構築し、円で囲み、術者による起動魔力の注入により発動する。発動した魔法陣は、設定されたマナを大気や地中から吸収し、構築されている魔法式に則って魔法を行使する。効果時間を『永久』にすると陣自体が破壊されない限り永久に魔法を発動し続けるということも可能。そういう魔法陣は、岩や鉄板に彫るというのが一般的である。
これで人間も魔法が使えるようになったが、しかし、魔法陣の構築は大変時間がかかる。魔族の使う呪文とは発動速度の桁が違い、とてもではないが戦闘に耐えうるものではなかった。そのため、新たに略式の魔法陣の研究がなされ、特定の紋様に意味を持たせ、いくつか組み合わせて最後に円で囲む速記式魔法陣が開発された。たとえば『の』のような形の紋様に『効果時間』という意味を与え、数字を組み合わせることで『の1』で『効果時間:1秒』など簡略化できるようにした。それでも書く必要がある都合上、呪文には及ばないが、初めから陣を書いた紙などを持ち歩くことで、保有数分だけならば、呪文よりも幾分か速く魔法の発動ができるようになった。だが、紙に書いた魔法陣は、持ち運びこそ便利だが、効果時間を終えると、灰のように崩れてしまうという特性があるため、上記のように保有数分だけという制限が付く。また、この紙の陣は、最大でも5分ほどしか継続的に魔法の効果が発揮できず、それを超える効果時間の設定をしても、5分もすれば先述のように紙が崩れて効果が霧散してしまう。攻撃魔法の場合だと、この霧散時にマナ爆発が起こり、周囲に甚大な被害を及ぼすことがあるため、攻撃魔法の紙への効果時間設定は、5分を超えてはいけないと厳しく制限されている。
予め書いておいた陣を持ち歩くという案は、速記式の前から実は使われてはいたのだが、活版印刷での量産では、同じ陣が書いてあっても発動せず、魔法陣は魔法を使う本人か同業者の直筆でなければならないことが分かったため、非常に量産効率が悪かった。この点においても速記式魔法陣は一種のブレイクスルーとなったのである。
ただ、この魔法陣という新たな魔法形態を作ったのは、戦争を始める前の、共存国家時代の魔族だったということを知る者はもう少ない。




