相撲に関連する作品(相撲小説「金の玉」「四神会する場所」シリーズは、別途でまとめています)
相撲における、立ち合いの変化についての一考察
相撲における立ち合いの変化について、書いた文章です。
以前、友人が運営されている相撲関連のブログに投稿した文章の再録です。
文中、立ち合いで決して変化しなかった双葉山についても言及しております。
いったい誰が言ったことだったのか。何で読んだのか、はっきりとした記憶はないのだが、ある力士が双葉山と羽黒山について、このように語ったのを読んだか、聞いたかしたことがある。
双葉山の土俵生活における晩年。同部屋だった二歳年下の強豪横綱、羽黒山とは、本場所の土俵で対戦することはなかったわけだが、もうあるいは、羽黒山の方が強いのでは、と言われ出した時代背景での発言である。
「羽黒山関と対戦するときは、もしかしてもしかしたら、立ち合いに変わられるかもしれない。心の奥底にそんな気持ちも抱いたまま立ち合いました。
一方、双葉関については、絶対変わらないということが分かっていたので、その安心感の元、立ち合いでは思い切りぶつかることができました」
立ち合いに決して変わらなかった双葉山。それは彼の信念だったのだろうか。信念だったと考えると、話はそこで終わってしまう。
安芸ノ海に敗れ69連勝でストップした際、彼は、師、安岡正篤宛に
「我、未だ木鶏足りえず」
と電報を打った。
双葉山が目指したものは木鶏。
静かに佇むが、誰も敢えて戦いを挑もうとはしない至高の強者。
果たして双葉山はその土俵生活において、木鶏の境地に達しえたのだろうか。
以前、別の場で書いたことだが、双葉山は相撲に相撲以上のものを求めた人であったと思う。
彼は相撲道を極めることによって、人としての高き境地、人格の完成を求めた人であったのであろうと思う。
昭和以降の強豪では、貴乃花も同タイプの力士であったかと思う。関心があるのは己れ。己の相撲の完成。
大鵬、北の湖については、自らが力士として最高の地位にある。その集団の最高者としての意識が強く、それに伴う責任感をしっかりと認識する。そういう力士であったと思う。
千代の富士、朝青龍、そして栃若時代の一方の雄、若乃花については、他者の目に映る己の姿に関心が強かったように思う。
白鵬については、求道者、最強者の意識、他者の目に映る己。この三つをいずれも包含しているタイプでは、と思う。
話が飛んだ。双葉山にとって、立ち合いに変化しない、ということは信念だったのだろうか。
信念だったとすると、何かそのことに捉われて、自由闊達なイメージにならない。
変わるとか変わらないとかいうこと、そんなことはどうでもよい。
ただ本質から外れた無駄な動作はしない。無駄な相撲は取らない。
その意識が、やがて血肉となり、無意識の境地で相撲を取る中で、変化は彼の相撲の中では不要なものとなった。このように考えてみたい。
対戦する全ての力士が、絶対に変化しない、という安心感を持って全力でぶつかることのできる力士。
決して変化しない相撲。それは世紀にひとり。特別に選ばれた至高の力士だけが持つことのできる特権だ。
では、世紀にひとりならざる力士は。
お客さんによい相撲を見せることを心掛ける。勝敗は度外視。そのような勝ちにこだわらない相撲がかえってよい結果を生む場合もあるだろう。
だが観客の目を第一として相撲を取るのなら、それはプロレスだ。
相撲は勝つことを目的とした競技だ。勝利を求めた結果、立ち合い一瞬の変化で決まるあっけない取組も生まれ、時に観客の感動を呼ぶ名勝負も生まれる。
世紀にひとりならざる力士は。
それが勝利を得るための最善策と思うのなら、好きなだけ、いくらでも変わったらよい。