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教えて! のじゃロリ金髪キツネ巫女BBA先生

作者: 原雷火

 この春もまた、王立冒険者育成学校から若い才能たちが巣立っていった。


 卒業式典が終わり一同解散となったものの、恩師や友人との別れを惜しむ新卒たちで、式典会場として貸し切られたコロセオムの人混みは掃けないままだ。


 明日からの冒険に不安を感じる者や、仲間たちとパーティーを結成してさっそく活動を開始しようと意気込む少年たち。王宮に仕官を決めた優秀な学生もいれば、学位取得はギリギリだったが実力を認められて、大手クランに誘われた者もいる。


 その影で何にもなれずに去っていく人間も少なくなかった。


「まあ、これからじゃの。学校はあくまで基礎を学ぶ場所じゃから」


 赤い袴の巫女装束姿をした、身長140センチにも満たない小柄な少女が、目を糸のように細めて呟くと会場から外に出た。コロセオム前の大通りに人はまばらだ。少女はほっと息を吐く。


 金色の耳とふわっとした尻尾が美しい。名はコンコン。見た目は十歳程度の幼女だが、王立冒険者育成学校が開校してから三百年ほど、巫術学の特別講師をしている半神である。


 元は創立者の守護精霊なのだという。


 学内では彼女を知らぬ者はいないのだが、ひとたび町に出れば麗しくも愛らしい見た目と特徴的な服装から、とかく人々の注目を集めやすい。


 なので「迷子になっちゃったの?」「おじさんが美味しいものをごちそうしてあげるよ?」「甘いキャンディーは欲しくないかい? あ! 狐ちゃんだから油揚げかお稲荷さんかな? そうそう、おじさんお稲荷さんを二つ持ってるんだ」と、コンコンは常に誘拐の標的にされてしまうのである。


 狐から精霊化し、今や神となりつつある彼女が誘拐されたのはただの一度しかなかった。(敗因:お稲荷さん)


 そんな彼女を学生たちは“のじゃロリ金髪キツネ巫女BBA先生”と尊敬の念をもって呼ぶ。


 呼び方は違えども何かしらそういった呼び名に、自然と落ち着くのだ。


「のじゃばば先生ちっすちーっす!」


「ロリコンちゃんおつかれしたー」


「ごしどーありがとうございました。巫女ばば様」


 卒業証書の入った筒を手に、礼装した三人組の少年がコンコンの前に立ちふさがるように並んだ。


「おぬしら卒業しても三人一組じゃのう」


 リーダー格の赤毛に鼻ピアスの少年――ダニングは照れ笑いを浮かべた。


「いやぁ、なんか腐れ縁みたいな? 三人でパーティー組んで演習も多かったし、このままクランでも設立しちゃおっかなぁって」


「功績稼ぎは良いが、焦るあまり無茶などするでないぞ。お主らはこれから伸びるのじゃ」


「いやいや、のじゃばば先生。オレらって人間だからのんびりしてらんないんですよマジで」


 取り巻き二人もうんうんと、リーダー格に同意した。コンコンは腕組みをして溜息をつく。


「わしとてのんびりなどしとりやせん。精霊から三級半神に昇格したのも、つい百年ほど前のことじゃ」


 コンコンは目を閉じると思い起こすように呟いた。彼女にとっての百年は、人間の半年前程度の感覚なのである。


「その百年でオレら死んじゃうから! ったく、まあ見守っててくれよ、のじゃばば先生。オレらが一旗揚げるところをさ!」


「わしの名前はコンコンじゃと何度言えばわかるのじゃ」


 腰に手を当てほっぺたをぷっくり膨らませて口を尖らせても、三人組は「おー怖い怖い」と茶化すばかりだ。


 そして「んじゃ、いっちょ伝説作ってきますわ」と、コンコンに一礼した三人組は、コロセオム前から王都の繁華街方面に消えていった。


 ふんわりとした大きな尻尾を抱くようにしてコンコンは眉尻を下げる。


「やる気を削ぐのもいかぬが、連中は少々ツメが甘いから心配じゃのう」


 何人送り出しても背中を見送るのは寂しいものがある。と、コンコンは自身の尻尾をぎゅうっと抱きしめた。


 お調子者が調子に乗れば本当に伝説を作る……こともある。七十年前に新大陸を発見した大冒険家の元教え子をコンコンは思い出していた。今ではその新大陸は、偉人となり教科書に載った彼の名を冠しているのである。


 死んだら終わりの人生だ。調子に乗るな慎重になれ。そのアドバイスで自粛してしまう学生もいれば、反発して伸びる学生もいて、伝説を作ったのは後者だった。


 助言に真の正解は見つからない。たった一つの冴えたやり方で済むなら、皆が実践して成功を掴んでいる。


 それがコンコンの三百年間で得た教訓である。


(――慎重であれ大胆であれ冒険に出ないことには始まらんのじゃがのぅ)


 今度こそ帰ろうかとコンコンが大通り沿いで乗合馬車を待っていると――


「あれ? もう帰っちゃうんですかコンコン先生?」


「別れが寂しいから式典終わったら逃げるように帰るって噂……本当だったのかよ」


 短いツンツン白髪の少年と、背の高いガッチリ体型の黒髪の青年にコンコンは捉まってしまった。


 二人とも礼装で、胸には大きなバラのコサージュをつけていた。


 本年度首席卒業者と次席卒業者である。


「なんじゃお主ら。もうわしはお主らの先生ではないのじゃ。あっ! こら腋の下に手を入れて高い高いはやめるのじゃローニン!」


 ガッチリ体型の青年――ローニンはコンコンを軽々と抱き上げる。


「馬上試合の観戦の時は喜んでくれたのに、つれねえな」


「今は高いところから見物したいものなどないのじゃ! 降ろせ!」


 ローニンの視線がすうっと、ツンツン頭の少年に向けられる。


「どうするジニアス?」


「このままローニンが攫っちゃえばいいんじゃないかな? 先生って良く誘拐されかけてるっていうし」


 ツンツンとした前髪の一部がほんのり青く染まっている少年――ジニアスは首席で卒業を決めた逸材だった。


「お、おいお主ら。わしは半神じゃぞ? たたられたいのか?」


 ジニアスがニッコリ微笑んだ。


「呪いや祟りはローニンにどうぞ」


「ぐぬぬぬぅ! 放せ放せ放さぬかぁ!」


 持ち上げられたままコンコンは手足をジタバタと動かした。


 ローニンは「やれやれ」と、そっと恩師を地上に降ろす。


「まったく、お主らときたら……」


 巫女服の乱れを直しながらコンコンは口を尖らせ、主犯格のジニアスを睨みつける。


 ローニンと二人、よくつるんでいるのだが、企みの大半はツンツン髪の少年によるものだった。


「コンコン先生、水くさいじゃありませんか」


「先生はわしだけじゃなかろうに。他の面倒見の良い先生のところにいくのじゃ。お主らが世話になった人間はもっとたくさんおろう」


 青みがかった前髪を指でつまんで「僕はそれでも良かったんですけどね」と、ジニアスはローニンに視線で合図を送った。


「な、なんだよお前、さっきと話が違うぞ」


 急にローニンが口ごもる。


「なんじゃお主ら? 話が違うとはどういうことじゃローニン?」


 コンコンが下から見上げるように詰問すると、ローニンは視線を明後日の方向に向けた。


「えっと……あの……せ、先生……」


「もう先生とつけずにコンコンで良いぞ」


「い、いやそうはいかねぇよ。俺にとってもジニにとってもコンコン先生はずっと先生なんだ」


 困り顔のローニンを見てコンコンの耳と尻尾がだらりと下がった。


「しかたないのぉ。要件はなんじゃ? 聞くだけ聞いてやるかのぅ」


 ローニンは頬を指で掻くようにしながら呟いた。


「あ、あの……コンコン先生……俺らも卒業して一人前と認められたわけだし……その……」


「焦らすでない。早う言わぬか」


「の、ののの、呑みにつれてってください!」


 ローニンは跪いて両手を合わせると目を閉じコンコンを拝んだ。


「なんじゃぁ、そんなことじゃったか。構わぬぞ」


 コンコンはそっとローニンの頭を撫でる。と、ジニアスがやれやれと肩を軽く上下させた。


「じゃあ、僕はこの辺で」


「待つのじゃジニ坊。まさか、わしと酒が酌み交わせぬなどとは言わぬよな?」


 なぜかローニンがジニアスにまで拝む姿勢になったところで、ツンツン髪は「はぁ、しょうがないですね」と苦笑いを浮かべるのだった。




 適当に酒場を見つけてコンコンが入ろうとすると、店主らしきスキンヘッドの大男に進路を塞がれた。


「おっとお嬢ちゃん。ここは子供の来る店じゃあねぇんだ。帰ってくんな。後ろの学生さんは今年の新卒だろ? おっちゃんもOBで昔は冒険者をしててな。ちょっとした財宝を見つけてこの店を開いたんだ。ご祝儀のサービスしてやるぜ」


 コンコンがあっかんべーをする。


「嘘じゃな」


 冷たい眼差しで射貫くように見つめる幼女に、店主が肩をビクッとさせた。


「う、う、嘘じゃねぇよお嬢ちゃん!」


「卒業生ならわしの顔は知らずとも、この立派な尻尾に狐耳と巫女装束のことは知っておるはずじゃ。店を変えるぞ!」


「「はいコンコン先生」」


 唖然とする店主だが、作り話を看破されてしまったこともあって三人を引き留めることはなかった。


「最近はあんな風に騙る輩もおるのか」


 不機嫌そうなコンコンの右隣に並んで歩きつつ、ジニアスが首を傾げた。


「実際のところはどうなんですコンコン先生? 冒険者として得た名声とか財貨で王都にお店を持つのって」


「そこはそれ好き好きじゃからのぅ。かく言うわしも第一線を退いて客員講師をしておるわけじゃし。半神になったからこそ誰かの守護神としてともに冒険に出ても良いのじゃが……まあ、今の暮らしを気に入っておるのじゃ」


 コンコンはそこで言葉を呑み込んだ。これ以上の持論は二人の若者の未来に、なにか必要以上の影響を与えかねないと感じたからだ。


「どうしたんですか先生?」


「なんでもないぞジニ坊。お! あそこの店がおしゃれでよさそうじゃ。かわいいわしにぴったりじゃし、なにより料理が全品均一価格じゃぞ!」


 コンコンは小皿料理(タパス)と葡萄酒の店を見つけるなり、二人の手をとり引っ張っていった。




 生ハムやチーズに揚げ鶏や青豆といった小皿料理がテーブルにずらりと並び、三人は白ワインで乾杯した。


 ささやかな酒宴はしばらく、料理と酒の味が話題の中心だったのだが――


「ところでローニンはデカイな」


 酒が入って口が滑らかになったコンコンがポツリと呟いた。


「べ、別に好きでデカくなったわけじゃねーし」


「じゃが、お主の恵まれた体躯は才能じゃぞ。ま、巫術の方はイマイチじゃったがのう!」


 コンコンはパシパシとローニンの背をモミジのように小さな平手で叩く。


「俺だって巫術くらい使えるっての」


「ほほぅ……専門家のわしを前にして“くらい”とは言ってくれるのぉ。しかしまぁ、ジニ坊は魔法関連はどれも成績が万遍なく高くて、一つくらいローニンに分けてやったらよかろうに」


 首席と次席ではあるが、ジニアスとローニンの成績の傾向は対照的であった。


 ローニンは元々、東方の国からやってきた留学生であり、言葉を学ぶのに二年を余計に費やして入学したという経緯がある。


 パーティーでは盾役となる重剣士の適正が高く、成績評価の大半が身体的な強さによるものだった。


 十代後半で他より二歳年上というのは、様々な面で有利である。他の種族と比べて早熟な人間の二年間分の経験値……しかも若い頃の二年というのは大きな貯金なのだ。


 コンコンには人間の二年間など数日のような感覚なので、どれほどその差が大きいのか実感がわかず、だからこそローニンが二歳年上だろうと、ほとんど気に掛けることもなかった。


 一方、ジニアスはどの学科も万遍なくそつなくこなして苦手がない。専門的な分野においては特化した学生に勝てないのだが、それでも上から数えて五指には入る。


 なにをやらせても平均以上。結果、総合的には大変優秀という評価に収まったのである。


 ジニアスは眉尻を下げた。


「僕だって見えないところで努力してるんですよ先生? それに入学当初の僕のこともご存知でしょう?」


 一部だけ青い前髪をつまんでジニアスは目を細める。


「そういえばジニ坊は一学年の一期の成績が学年最下位じゃったのぅ。あのひどさには講師全員頭を抱えたもんじゃが、まさかドンケツスタートから首席卒業とは、このお狐様でも予想できなんだ」


 ローニンがうつむいて溜息をついた。


「最後の最後で追いつかれて追い抜かれちまったな。つーかジニ。お前、ずっと実力を隠してたんじゃないのか?」


「そんなことはないよ。僕はいつだって一生懸命だったさ。それに剣の腕じゃいくらがんばってもローニンには勝てないしね」


 ローニンが皿の上のサラミをフォークで突き刺して口に運ぶと、ワインで流し込んでジト目になった。


「そのうちそっちでも負けるようになったら、俺の立場が無くなるだろうに」


 空になったグラスをじっと見つめると、ローニンはワインをもう一本追加注文した。二人とも酒になれている。が、コンコンはそのことについては咎めなかった。


「酒に呑まれるでないぞローニン」


「べ、別に大丈夫だって。というか先生の方こそちっちゃいのにカパカパ呑んで、顔色一つ変わらないんだな」


「お主らとは酒との友人歴が段違いじゃからの。そうじゃ! せっかくじゃからわしがお酌をしてやろう」


 新しく運ばれて来たワインの瓶を両手でよっと持ち上げるコンコンだが、ローニンは瓶を上からすぽっと抜くようにして、手酌でワイングラスを満たした。


「なんじゃかわいげのないやつじゃのぅ」


「では僕がいただきますね」


 ジニアスがグラス半分ほど残ったワインを飲み干し空にした。ローニンからワインの瓶を取り返してコンコンがジニアスに向き直る。


「そういえばジニ坊……その前髪の青いのも、いつの間にやら増えてきたようじゃが?」


「母方の先祖にエルフがいたみたいで、その特徴が出始めてるとか……ま、僕は僕ですけどね」


 ワインをグラスに「おっとっと」と注ぎながら、コンコンは「そういうことじゃったか」と、呟いた。


 ローニンは「ジニ……お前……ただ色気づいてただけじゃなかったのか!? いや、たしかに成績が上がり始めたのはその髪の色が出始めてからだったけど……」と、目を白黒させる。


「ごめんね。なんだかずっと打ち明けられなくて」


 ジニアスの髪の色が変わり始めたのは二年ほど前からで、それからというもの別人のように成績をめきめきと伸ばしていった。


 ずっと鳴かず飛ばずで何をやらせても失敗ばかり。ジニアス本人は課題に真面目に取り組んでいるのだが、グループを作ってのパーティー演習でも上手くいかず結果的に足を引っ張り、いつしか彼と組む者はいなくなってしまった。


 ローニンを除いて。


 コンコンはそっと自分のグラスのワインで唇を湿らせた。


(――そういえばローニンはジニアスの成績が上がるまで、ずっとジニアス係をしておったのぅ)


 エルフの力が緩やかに目覚め始めてからのジニアスは飛躍的に力を伸ばしたのだが、寓話によくある“アヒルの中にまざった白鳥のひな鳥”だったのだ。


 人間の学校の授業ペースは長寿なエルフにとっては早く、本来ならエルフが王立冒険者育成学校で学ぶ事はない。


 心は人間で才能はエルフ。同じ努力をしてもジニアスは常人より得るものが二つ三つ多いのである。


 ローニンがグラスをテーブルに置いた。


「やっぱズルイぜジニ。こんな時に打ち明けられて……そっちの勝ち逃げが確定じゃないか。ずっとお前に抜かれまいと必死になってきたけど……教えてくれても良かったじゃねぇかよ。俺じゃ勝てないって。お前は選ばれし者なんだ。凡人のくせに張り合う俺がみじめで滑稽じゃねぇか」


 ジニアスもグラスを置いてうつむいてしまった。


「ごめん……ローニン……」


 沈黙――


 その気まずさを打ち消すように、コンコンがぐびっとグラスを空にする。


「どっちでも良いから、わしのグラスにワインを注ぐのじゃ。喋らずとも口を動かせ。せっかくの料理が冷めてはもったいなかろう」


 ジニアスがワインボトルを手にすると、それをローニンは半ば奪い取ってコンコンのグラスに注いだ。


「おっとっと、もうそれくらいで十分じゃ。許してやるのじゃローニン。それにジニ坊も顔をあげよ。エルフの血統を黙っておくこともできたはずじゃが、こうして打ち明けてくれたじゃろ。信頼あってのことじゃ」


 ジニアスは頷くとローニンをじっと見つめた。


「僕にとってローニンは恩人だから。この青い髪の色が発現する前に、学校を辞めようとした僕を引き留めてくれたのは君なんだ。だから今の僕があるんだよ」


「あ、あれは……いや、こんなことになるなら引き留めやしなかったぜ。俺だって故郷からこっちに出て来て、言葉が話せるようになるまでずっとぼっちで不自由してたから……ハブられるのが辛いんで、お前を見てたら昔の自分みたいで……お前の面倒をみたのも、全部俺の自己満足だ」


「それでも僕は救われたんだ。首席で卒業すべきは本当は君なんだローニン。本当ならもっと早く言うべきだったのに、さっきも僕は逃げようとしてしまって自分が恥ずかしいよ」


「負けは負けだ。もうやめてくれ……ああったく! 今夜は吐くまで呑むぞ付き合えよな?」


 二人の間のわだかまりが完全に消えたわけではなく、かといって友情が壊れたわけでもない。


 端から見ていたコンコンには、そんな風に感じられた。




 ローニンとジニアスはそれから二年ほど組んで冒険者家業を営み、パーティー結成初年度に冒険者ギルドが選定する最優秀新人賞に輝いた。


 いずれクランを結成し若手有望株が集まると目されていた……が、ある日ひょっこりローニンは王都に戻ってきたのである。


 彼は独りきりだった。


 コンコンの元を訪ねたローニンの話では、ジニアスだけが超有名クランにスカウトされたという。若手の台頭を既存のクランが牽制したというのもあったが、ジニアスの実力が評価された結果でもあった。


 その日の晩――


 ローニンにとっては二年前に訪れたきりの思い出の小皿料理の店で、コンコンはワイングラスを傾けた。


 白い葡萄酒は発泡性のもので、シュワシュワと喉に心地よい。


 あれからすっかりコンコンのお気に入りになった店は、油揚げを手作りするようになりレパートリーが増えていた。


 一人減って、二人で小さなテーブルを囲む。


「ほれ、この厚揚げのサシミはうまいぞローニン。お前の故郷の味かどうかはわからぬがの」


「先生、俺さ……捨てられる前にあいつを捨ててやったんだ」


 寂しそうにローニンは告げるとワインを一気に飲み干した。


「ジニ坊と張り合うのはもうやめてしまったのか?」


「二年前とは状況が違う……つってもコンコン先生には先週の出来事くらいにしか思えないか。人間の二年って結構長いんだよ」


「そうらしいのぉ。どうしてジニ坊とケンカ別れになってしまったのじゃ? 今度はお主が引き留めれば良かったじゃろうに」


 ローニンは無精髭をさすった。青年はこの二年ほどでより精悍な顔つきにもなったが、使い込まれた革鎧のように、それなりにくたびれてもいた。


「理由は挙げだしたらキリがねぇんだけど、まあ……俺の実力が足りないっていうかさ……俺の成長のピークは学校を卒業したあたりで、今じゃ下降線をたどってる。ジニはあれからますます強くなって、今じゃこっちがお荷物さ。だから捨ててやったんだ」


「なんじゃ。あやつのために身を引いたんじゃな。相変わらず不器用じゃの」


「うっせー。けど……肩を並べて隣を歩くのはしんどいんだ。ジニが良い奴だから余計にな」


「他にも理由があるんじゃな」


 空のグラスを指先で遊ばせながらローニンは頷いた。


「ジニと一緒にエルフの国に行って調べてもらったんだよ。あいつの寿命とか能力とかを知りたくて。500歳は生きるってさ」


「ほぅほぅ。先祖にエルフがいるならそれくらいか。しかしまぁ半端じゃのう」


 一般的なエルフの寿命は1000歳程度なので、ジニアスのそれはエルフとして生きるには短く、かといって人間として生きるには長い。何より中身の精神構造は人間だった。


「それだけじゃねぇんだ。青い髪はエルフの中でも高貴な血統で、人間と交わってその強さや精神的な貪欲さなんかも加わって、英雄になる運命だって……ジニはやっぱすげぇよ……」


 コンコンはローニンのグラスを発泡ワインで満たした。しゅわしゅわと泡が立ち上る。


「確かにエルフ連中は性格的にあっさりしとるし、わしよりもマイペースというか時間にルーズじゃからのぉ。人間ほどの活力を持ったエルフなら、なにやら成し遂げるやもしれぬ」


 ローニンの頬に涙が伝ってグラスに落ちた。


「ううっ……だからさぁ……俺は……俺だっていっしょに行きたかったよ! トップクランに入れてもらえるようがんばったんだ! けど連中はバケモノだよ。選ばれし者の集まりに、凡人の入りこむ隙間なんて無かったんだ」


「なんじゃローニンは泣き虫じゃな。こっちにこい。泣きたいならわしの胸を貸してやろう」


「で、できるか恥ずかしい!」


「じゃったら店で他のお客がいるのに泣くでない」


「べ、別に泣いてねぇから」


 前腕でゴシゴシと涙を拭ってローニンは不機嫌そうに厚揚げを頬張った。


「なんだこれ、味がしねぇんだけど」


「ショウユをつけて食べるんじゃぞ。ああ、よすのじゃ! せっかくの厚揚げがもったいない」


「むぐっ……味がしないけど……なんか……アレだ……泣ける味だッ」


 ローニンは厚揚げを一皿全部サラっていった。


「で、これからどうするのじゃ? ソロ活動をするにもお主は重剣士じゃからのぅ。誰か守る相手がいてこそ輝ける才能じゃ。学生でイキのいいのを紹介してやってもよいぞ」


「ガキのお守りかよ……」


「お主だってわしからみればガキじゃ。どうじゃ? 指導役(チユーター)の仕事くらいならすぐに用意できるぞ?」


「いや、いいよ先生。しばらくソロでやってみる」


「まあ新人賞の実績があれば、お主ならすぐに新しい相方が見つかるじゃろ」


 厚揚げの刺身を一皿追加し、あと一本だけワインのボトルを空けてその日はお開きとなった。




 結局ソロでの活動は上手くいかず、ローニンは王都をぶらぶらとする日々を続けた。


 時折、学校に顔を出すが訪ねる先はいつも決まっている。コンコンの巫術学教室だ。


 ある日、ローニンは竹細工をコンコンの元に持ってきた。到底売り物にはならない不格好な籠で、コンコンに「生産系職の才能は残念じゃったな」と呆れられてしまった。


 学生たちが帰った後の夕日が射し込む教室で、コンコンは不格好な竹の籠を頭に載せて帽子のように被る。


「ちょうど耳が出る穴が二つあるのでのぅ」


「悪かったな下手クソで」


「新しい事を始めようという意気込みは素晴らしいぞ。籠にならぬば帽子にすれば良いだけのことじゃ。耳の長いわしにはぴったりじゃし」


「フォローなのか本気なのか、コンコン先生よくわかんねぇからな」


「そうじゃ! この前みたく、わしを掲げてみせよ」


「この前って……ああ、卒業した日のアレか。四年も前じゃねぇか」


 コンコンは両手を万歳させて「はよ、はよ」とローニンを急かした。


「ったく、しゃーねーな。ほらよっと!」


 抱き上げるてローニンはその場で身体をターンさせる。


「おおぅ! 相変わらずの力持ちじゃ。ちゃんと鍛錬は続けておるのか?」


「…………」


 ローニンはそっと優しくコンコンを降ろした。


「なあ先生。ジニのやつ……」


「ああ、聞いておる。なんでも世界の果てにある壁を越えたんじゃと。もうジニ坊とは呼べぬな。わははは」


 西日に照らされてローニンの影が長く伸びた。


「今まで誰もたどり着けなかった場所に行って、見たこともねぇ風景をあいつは見てるんだ。なのに俺は王都から出られなくなっちまった」


「ジニアスのやつが何をしようと、お主が進もうと思えば前に進む。立ち止まろうと思えば立ち止まる。人生とはそういうもんじゃろ?」


「ははは……だよな先生」


「そうじゃ! 同じ年に卒業した三人組を覚えておるか? あやつら最近、全然顔を見せぬが……クラン立ち上げをすると言うとったし、いっそお主もそこに加えてもらえばいいんじゃないかの?」


「先生……知らないのか」


「なんじゃ? というかお主、卒業後のあやつらの事を知っておったのか?」


「半年前にリーダーのダニングが死んじまったんだよ。狼牙獣の巣で。冒険者ギルドの黒の帳簿に名前があったんだ」


「な、なんじゃと……そう……か」


 こういった話は冒険者という仕事ではありふれている。戦死者や生死不明者は黒の帳簿に名を刻まれた。年に一度、黙祷を捧げる行事が王立冒険者育成学校にもあるが、その時までに講師が知る機会は多くはない。


「取り巻きだった二人は今じゃパン屋と漁師だ。完全に心が折れちまったらしい。ダニングは二人を逃がすため囮になって……中級レベルの冒険者によくあることだけど……そういうことなんだ。新人賞を取った時の俺はさ……結局ジニの力でなんとかしてもらってたんだよ。黒の帳簿にはダニングだけじゃない。知ってる名前がちらほらあって……俺も何者にもなれないまま、いつかここにだけ名前を残すんじゃないかって思うとさ……臆病だよな。嘲笑ってくれよ情けない俺を」


 皆、冒険者になると決めて入学した時に、探究心に命を捧げる誓いを立てている。


 それは脅しでもなんでもなく純然たる事実であった。


「自分が死ぬのは怖いことじゃ。わしとて不老不死の半神といえど、あくまで普通に暮らす分にはというだけじゃ。三級半神程度なら殺されれば普通に死ぬ。死ぬのは怖いし、それを想像できることは冒険者の大切な資質じゃからのぅ。死にたくないから気をつけるようになるんじゃ」


「慰められると余計に格好がつかないんだが」


「わしは一般論を述べておるだけじゃぞ。しかしまあ、お主の場合はそれだけじゃあなさそうじゃの」


「……?」


 大きな身体ごと斜めにするようにしてローニンは首を傾げた。


「お主はきっと、仲間を守れなくなるのが怖いんじゃ」


 ローニンは開いた両手を見つめる。肩は震えて口からは乾いた笑い声が、がらんとした教室に響いた。


「はは……はははは……ああ……そっか。自分が死ぬのも怖い俺が、いったい誰を守れるっていうんだよな」


 コンコンは息を呑んだ。


 助言に真の正解はない。ローニンが目を背けていた事実を突きつけてしまったのである。だが、ここで動じては導き手ではない。かといって掛ける言葉も上手くおもいつかなかった。


 コンコンはローニンの手を両手でそっと包むように握る。大きな青年の手はコンコンの両手に余るものだった。


「のう……しばらく休んでみるのはどうじゃろう。冒険者の良い所はいつやめるも再開するも自由なところじゃ。お主はよくがんばった。他の誰がどうということではないのじゃ。今日までこうして生き残ってくれたことを、わしは誇りに思うし嬉しくも思う。それだけでも十分な戦果じゃろ?」


「コンコン先生……竹細工職人になって地道に生きようと思ったんだけど、俺の器用さじゃあ売れるような品物は作れないんだ。いつも俺はこうだよ」


「わしはこの籠みたいな帽子を気に入ったぞ。竹を切るのも鍛錬になるじゃろうし、しばらくつつけてみてはどうじゃろうか? いや、無理にとは言わぬがのぅ」


 ローニンはただ黙って頷いた。


 これ以上、何を言ってもコンコンを困らせるだけと悟ると「売り物になる籠ができたら、一番に先生に届けるよ」と、青年は教室を出る。


「お、お主! くれぐれも早まるでないぞ!」


 背を向けたまま手を上げて応えるとローニンは廊下を音も立てずに歩いていく。


 コンコンにとって、遠のく背中はいつも寂しいものだった。




 十年が過ぎ去った。


 ローニンはあれきり学校には姿を現さず、コンコンも毎年のように学生を送り出しては新入生を迎え入れ、巫術のイロハを教える日々を送っていたのだが――


「ご無沙汰しておりますコンコン先生」


 世界の果てと呼ばれる長大な壁を越え、第一次遠征隊に参加し、半数を失いながらも無事生還したジニアスがコンコンの教室を訪れた。


「青ッ! なんじゃその髪は? しかもずいぶんと長くなりおって」


 ツンツンだった髪は全てが青く染まり、少年の背中を隠すほど長くなっている。


「先生の尻尾と同じように、ちゃんとブラッシングをして手入れは欠かしてませんよ」


 柔和な笑みを浮かべるジニアスは、髪の色と長さこそ変わったものの、卒業したあの日から顔つきはほとんど変わっていなかった。


「しかしジニアスよ。お主は今や英雄じゃ。学校に表敬訪問はよいが、わしではなく学長やらお偉いさんが相手をした方が良いのではないかのぅ」


「そんなのは後回しでいいんですよ。次も無事に戻れるかわかりませんからね。一度全滅しかけて、死ぬかもしれない体験をしたら、先生とローニンの顔が思い浮かんだんです」


「で、わざわざ世界の果てから戻ってきおったのか?」


「壁の向こうの拠点は災厄(クラディ)に壊されてしまいましたけど、壁の手前側には前線基地ができましたから。基地までの転移魔法もありますし王都との行き来はしやすくなったんですよ」


「ふむ……しかし話を聞いた限り、なんじゃか壁の向こうというのは恐ろしい場所のようじゃな」


「壁の向こうにいるのは魔物とも違うバケモノでしたから。壁は連中の侵入を防ぐために築かれたっていうのが学者たちの見解です。そしてあと二百年もすれば、今の壁を越える巨大な災厄が発生する確率が73%もあるんですよ。もし災厄が溢れ出たら、入植に成功したノア大陸を放棄しなきゃならなくなるかもしれません」


「じゃから第二次遠征隊に参加するのじゃな。しかしのぅ他の誰かに任せるわけにはいかぬのか?」


「隊長に推薦されちゃいましたから。頼りなく見えるかもしれませんけど、今じゃトップクランの副長なんですよ」


「なんとまぁ出世したもんじゃ」


「クランの副長としての責任もありますし、人類の未来を繋ぐためにも僕が遠征隊を率いるのが一番成功率が高いんです。詳細な作戦は機密なので教えるわけにはいかないんですけど、災厄を無害化した標本を持ち帰ることができれば、それを研究して災厄の対策を練られるんですよ」


 コンコンは腕組みをして頷いた。


「ジニアスよ。機密というにはべらべらと喋りすぎじゃのぅ」


「無害化の具体的な方法は機密ですけど、概要については口止めされていませんからね。ところで、もう僕のことはジニ坊とは呼んでくれないんですね」


「当然じゃ。お主は立派に務めを果たしておる。坊やでは失礼じゃろ」


 ジニアスは小さく息を吐いた。


「僕なんて先生に比べれば坊やもいいところです。寿命は500年分あっても、感覚は人間なんです。長すぎますよ」


「だからといって死に急ぐような真似はするでないぞ」


 コンコンはじっとジニアスの瞳を見つめて訴える。根負けしたようにジニアスはもう一度溜息をついた。


「はい先生。肝に銘じます。ところで……ローニンの事はご存知ですか?」


「お主はずっと王都には戻っておらなんだな。あやつは生きておるはずじゃ。毎週、王都の冒険者ギルドで黒の帳簿を確認しておるが、幸いなことに名前は書かれておらぬ」


 ジニアスは「そう……ですか」と言葉を詰まらせ、一度呼吸を整えると確認する。


「つまりコンコン先生もしばらく会ってないんですね?」


「最後にここへ来たのは十年くらい前じゃのぅ」


「どこに住んでいるかわかりませんか?」


 コンコンはそっと首を左右に振った。


「今も竹細工を作っておれば、きっと王都の東側の下町あたりじゃとは思うんじゃがのぅ。ちょっと待っておれ」


 コンコンは巫術学教室の裏手にある準備室に引っ込むと、不格好な竹籠を手に戻ってきた。


「ローニンの作ったものじゃ。籠のはずなんじゃが、こうして被るとじゃな……よっと! わしにぴったりの帽子になるのじゃ」


「なんだかローニンらしい不器用な感じですね。ただ、帽子じゃなくてそれはやっぱり籠ですよコンコン先生」


 籠を脱ぎ去ってコンコンはじっと見つめた。


「わしは気に入っておるのじゃ。これはローニンがわしのために作ってくれた帽子なのじゃ」


 頑固なコンコンにジニアスはぷっと小さく吹き出した。


「な、なにがおかしいのじゃ!」


「いえ、おかしくないです。ただ、なんだか楽しかった学生時代に一瞬だけど戻れた気がして。あの……もしローニンが先生を訪ねてきたら……伝言をお願いしてもいいですか?」


「なんじゃ?」


「壁の向こうで待っている……と。副長権限でローニンをクランに迎え入れる用意はできていますから」


「ふーむ。わかった。伝えるとしよう。で、第二次遠征の期間はどれくらいの予定なのじゃ?」


「ざっと五十年ですね」


「なんじゃ。長いのぅ」


「あれ? コンコン先生らしくないですよ。僕はてっきり五十年くらいとでも仰るとばかり思ってたのに」


「ん? そういえばそうじゃのぅ」


 それからすぐに、ジニアスの来校をどこからか聞きつけて学長たちが巫術教室に押し寄せて、あっという間に青い髪の少年は来賓室へと連れて行かれてしまうのだった。




 四十年が過ぎた。巫術学教室に白髪の老人がやってくる。


「コンコン先生。やっと満足のいく竹籠が編めました。時間、懸かっちまったけど」


 老境に入った顔は苦労の分だけシワが刻まれていた。


 コンコンと並ぶ姿は祖父と孫のようだ。長身でがっしりとした体躯も背骨が曲がって以前より小さく見える。


「しばらく会わぬうちに変わったのぅ。背はいくらか小さくなったし髪も白くなったか。しかしローニンよ……連絡も寄こさずに心配を掛けさせおって。お主のせいで毎週冒険者ギルドに行くようになって、すっかりギルドの職員と顔なじみになったぞ。受付嬢など今では数えて八代目じゃ!」


 最初にコンコンが行くようになってからの代替わりである。


「そいつはすまねぇ……」


 しわがれた声が震えていた。コンコンはローニンの編んだ竹籠を手に取る。


 ほつれもなく形も整い、工芸品としては一級のものだった。


「おーこれは見事じゃ。最初に残念といった言葉は取り消そう。お主の才能は素晴らしい」


「へへ……五十年近くかかっちまったけど、やっと人並みにできたし俺自身も納得のいくものが作れたんだ」


「よし、そこに座れ」


 老人に椅子を勧めると、コンコンはもう一脚を前に置いてその上に立ち、ローニンの顔をぎゅっと胸に抱き寄せる。


「ようやったぞローニン」


「せ、先生……」


「なんじゃ恥ずかしいのか? 今日はもう誰も来ぬから安心せい」


 しばらくローニンは恩師の胸の中で目を閉じて、心音に耳を傾けた。小さな手が優しくローニンの頭を撫でる。


「憶えてますか先生。ずっと昔、酒場で俺が泣いた時もこうしてくれようとして……俺、恥ずかしくてできなくて……」


「もちろんじゃ。だからその続きをこうしてしておるのじゃぞ。生きてさえいれば、止めてしまったことでも途中で投げ出してしまったことでも、いつだって再開できるのじゃ」


「けど先生、さすがに俺はもう年を取り過ぎたよ。結局何も残せなかった」


「そう思うのはお主が満足しておらぬからじゃろ。それにのぅ……肉体は衰えておっても、わしの目は誤魔化されんぞ」


 そっとローニンを解放するとコンコンはローニンの二の腕に触れた。若かった頃と活力は無いが、それでも硬く引き締まっていた。


「ずっと剣は振るっておったようじゃな」


「未練がましいですかね、俺」


「つい四十年ほど前じゃが……ジニアスがきおった。お主への伝言を預かっておる」


「あいつが俺に……ですか?」


「世界の果ての壁の向こうで待っておるそうじゃ。どうじゃ……そろそろ冒険者に戻っても良いのではないかのぅ」


 ローニンは立ち上がった。


「俺が行ってもジニアスの迷惑になるだけだ」


「あやつがお主を呼んだのじゃ」


「けど俺なんかが……」


「大切なのはお主がどうしたいかじゃぞ」


「俺は……追いつけないどころか周回遅れだけど……もう一度……あいつに……」


 ローニンは拳を握ると肩を震えさせた。


「うむ。ではそうじゃのう。わしもお主に憑いて行くとしよう」


「ついて……って、先生?」


「久しぶりに冒険者に戻るのじゃ。とはいえ、わしはあくまで守護神じゃからのう。誰かに憑かねば力を発揮できぬ。じゃからローニンに憑いていくのじゃ。よろしく頼むぞ相棒よ」




 翌日、二人は王都にあるトップクランの館に足を運んだ。


 この三百五十年ほどの間に、コンコンは初めて休校を申請したのである。クビにしたくばするが良いというコンコンに気圧されて、学長も首を縦に振るしかなかった。


 そうして訪れたトップクランの館では、ジニアスの手引きが四十年前からずっと有効なままであった。


 狐巫女と老人という奇妙な取り合わせだが、賓客としてもてなされローニンには特級レベルの装備と武具まで貸し与えられた。それでも壁の向こうでは力不足だという。


 コンコンとローニンはクランの館にある魔法陣から転移魔法に乗って、世界の果ての壁前へと跳ばされた。


 砦のような前線基地でも歓待を受けた二人だが、そこにジニアスの姿は無い。


 彼は今、確保した災厄の種を持ち帰る最終作戦に従事しているというのだ。


 そして――


 運命だったのだろうか。


 まさにこれから、ジニアスが率いる帰還中の第七次遠征隊を出迎えに、冒険者たちの軍団が壁越えの準備を終えたところだった。


 コンコンとローニンもそれに加わった。今やトップクランの隊長となったジニアスの招きに異論を挟むものはいなかった。




 壁の向こうに降り立つと、合戦が始まった。


 半神の守護を得たローニンは、巫術による強化で若かりし頃よりも強い。


 それでもトップクランに所属する冒険者たちには及ばないが、未知なる魔物である災厄にも後れを取ることはなかった。


 常にローニンの背後には狐巫女が憑いて回り、巫術を駆使して的確に重剣士の戦いを補助していく。息切れすることを忘れたように、ローニンは戦場で暴れ回った。


 日が落ちかけたその時、地平線の彼方から馬群が現れた。敵陣を蹴散らすのは戦闘を行く青い髪の少年だ。


 左腕で包むようにして椰子の実ほどの種子を抱えていた。遠征隊に参加した冒険者たちが命を繋いで持ち帰った“無害化された災厄”だった。


 魔法を駆使して押し寄せる災厄を切り裂くように走る。後続が次々と倒れようとジニアスは振り返らず、立ち止まらなかった。


 馬群はみるまに災厄たちによって討ち減らされ、残ったのは先頭を行く一騎のみ。


 ジニアスが自陣まであと百メートルを切ったその時――


 敵味方が入り乱れる乱戦の中。


 一本の黒い稲妻が、ジニアスの背に矢の如く跳んだ。


 それは心臓を撃ち抜く呪いのかけられた一撃だった。


 狐巫女の巫術が呪いの稲妻を感知したが、怨念じみた災厄の一矢は味方のはずの他の災厄たちすら貫いて、ジニアスに突き刺さろうとしていた。


「いかんジニアス! 逃げるのじゃ!」


 逃げている。全速力で馬を走らせているのは自明である。それでもコンコンには叫ぶことしかできなかった。


 ジニアスを黒い稲妻が貫く寸前――


 全身を漆黒の甲冑に包んだ老剣士が割って入ると、その心臓を黒い稲妻に撃ち抜かれた。


 ドサリと倒れたローニンに気づいてジニアスが手綱をゆるめる。


「ローニン! ローニンだよね!」


「止まるな……ジニ……」


 身を挺した老剣士によって呪いの稲妻は力を失った。


 老剣士の傍らに駆け寄ったコンコンが巫術で治療を試みるが、呪力が強すぎて手の施しようがない。


「おいしっかりするのじゃローニンよ。せっかくジニアスに会えたではないか」


「なあ……先生……俺……残せた……かな」


「ああ、ジニアスを守ったのじゃ。あやつが人々の希望を持ち帰ることができたのは、お主が背中を守ったからじゃ」


「そう……か……はは……あいつの背中が……また遠くなっちまった……けど……俺は最後に……やっと冒険者になれた……ありがとう……」


「おお、素晴らしい活躍じゃったぞ」


「ちゃんと……語り伝えて……くれよ……死んじまったら……おしまい……だ……」


 言葉とともにローニンの命が途切れた。


 馬がいななき引き返したジニアスが馬上から身体を放るように投げ出してコンコンに腕を伸ばす。


「コンコン先生! 僕の手を掴んで!」


 ジニアスの持つ種子を取り返そうと災厄たちが今にも雪崩込もうとしていた。一刻の猶予もない。


 コンコンはジニアスの腕にしがみつくようにした。鞍の上に引き上げられると同時に馬が走り出す。


 斃れたローニンほか、無数の冒険者たちの亡骸を残してトップクランの軍勢は壁の上へと撤退を始めた。そのまま置いておくより他無い。生き残った者たちは立ち止まる事も引き返す事も許されないのだ。


「先生、ローニンは……」


「お主の背中を守れた事で、ようやく冒険者になれたと言うておったぞ」


 風の中に二人の声は溶けて消えた。




 月日は流れて、コンコンは王立冒険者育成学校で四百年目の春を迎えた。


 世界の壁の解体が始まり、新大陸の奥地へと人類は進出しようとしている。


 持ち帰られた種子によって災厄の研究も捗り、有効な対処方が確立されるまでに至った。


 陣頭指揮を執るジニアスと、彼を慕って集う腕利きの冒険者たちによって未踏の地の探索は続いている。


「また春じゃのぅ。ふあぁ~あ……っくしゅん!」


 木漏れ日に目を細めあくびをすると、コンコンはクシャミをした。


「はて、誰かまたわしのことを“のじゃロリ金髪キツネ巫女BBA”だのと言うておるな」


 不老不死の狐巫女はこの春、三十七度目の昇級試験をついに突破して二級半神に昇格した。

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