第2話
「では、これは預かっておきましょう。」
丁寧に封をした手紙をお盆の端に乗せる。
早めに届くと良いんだけど…。なんせ山の中だ。暫く時間が掛かってしまいかねない。
「さて。」
俺の不安を断ち切るように、朔が明るい声を上げた。
「夕食にしましょう。そろそろお腹もすくでしょう?」
微笑みかけられ、そう言われてみれば…と、意識した途端にお腹の虫がきゅるきゅると言った。
その音を聞いて朔はクスクスと笑い、俺は恥ずかしさで罰の悪い笑みを浮かべた。
その日の夕食は山菜と川魚を中心に使って作られた純和食だった。
「すげぇ、うまい!凄いね、朔さん。」
スプーンでご飯を掻き込みながら、朔の手料理を褒めた。
お世辞ではなく本当に美味しかったのだ。
一人暮らしを始めてからはジャンクフードを食べる機会が多く、なかなか料理なんてしなかった。久々に食べる和食は実家を彷彿とさせる懐かしい味だった。
明らかにマナー違反の食べ方をする俺を見ながら、朔はどこか楽しそうに微笑んでいた。
「…朔さん、ここに一人暮らしなの?」
ふと疑問が頭をよぎり訊ねた。今いる食卓にも自分達以外はいないし、部屋を移動するさいにも誰にも会わなかった。一人暮らしには少し大きすぎる長屋。ここに一人で暮らすのは寂しいような気がする。
「えぇ、一人ですよ。」
「寂しくない?」
「…そうですねぇ。たまに離れて暮らす兄たちが訪ねてきますから、そんなに寂しくはないですよ。それにね…。」
カタンと箸をお膳に乗せる。
「直也君のように、思いがけないお客様もいらっしゃいますし。寂しくなんかないですよ。」
にっこりと微笑んだ朔は、嘘を言っているようには見えなかった。
そして言外に、俺がここに居ることを許容してくれたことに、俺は内心ほっとしたのだった。
ご飯を食べながら俺と朔はとり止めもない話をした。とはいえ、殆ど俺が一方的に話してたんだけど。
身も知らずの人間よりは、情報が有ったほうがいいかなって思ったんだ。家族の話から、高校の話、部活の話に、好きなテレビの話。朔はこの山の中での生活が長いらしく、興味深そうに俺の話を聞いていた。テレビ番組を全然知らないのには驚いたけど、何となく彼らしいような気がした。
「あー、お腹いっぱいだ!」
たらふく食べて気持ちも満たされたようで、いつの間にか不安な気持ちは何処かに行ってしまっていた。今は悩むよりも怪我を治すことを優先しようと思える。朔には悪いが、しばらくは厄介になることに決めた。
「朔さん、申し訳ないんですが…、暫く泊めてもらっても良いですか?」
「もちろん大丈夫ですよ。それに初めからそのつもりでしたし。」
手際よく皿を片付けながら、朔は俺の期待通りの言葉を返してくれた。いい人に見つけてもらえて良かったと心底思う。怪我が治ったら何かお返しをしなくては……。
皿を片付け終わると、俺の願いを聞き入れて、朔は家の中を案内してくれた。そんなに広くもない長屋のため、捻挫をしていてもある程度は一人で動けそうだった。
なるべく一人で動かないようにと忠告をされたが、必要以上に朔の手を煩わせるわけにはいかない。出来ることは少しでも自力でやらなければ。
貸してもらった部屋から廊下に出ると、窓から月明かりが差し込んでいた。いつの間にか雨は上がったらしい。しかし相変わらず包帯の巻かれた右足は鈍い痛みを訴えている。
――天気みたいに簡単に良くなったりはしないか…。
どのくらいで完治するのか分からない。こっそりため息をついて、俺は部屋に戻った。
翌朝は良い天気だった。
朝食の味噌汁の良いにおいに誘われて目を覚ました俺を見つけた朔は、端正な顔を驚きのそれに変え、慌てたように駆け寄ってきた。
瞬間、何故か懐かしい心持ちがした。遠い記憶の中で同じ光景を見たような気がする。
「歩いちゃダメですよ!」
肩を貸され、ご飯なら持って行くからと告げられた。
――気のせいかな…。
心に引っかかりを覚えながらも素直に肩を借りると、朔は俺を部屋まで連れて行った。
随分丁寧に連れられたものだから、ものすごく過保護なような気がして俺は思わず苦笑してしまった。
「俺、大丈夫だよ?」
実際、昨日よりも足の腫れは引いたようだし、鈍痛も良くなってきているのだ。
「ダメです!直也君はすぐ無茶するんだから!」
朔はメッと子供にするように怒ってくる。俺、そんなに子供じゃないんだけどな…と思いつつ、言われるがまま布団に入りなおすと、それを見て朔は満足そうに微笑んだ。
そんな顔で笑われると俺は文句も言えなくなってしまう。イケメンって得だ。
部屋を出て行った朔を見送り、一人残された俺は何をするともなしに廊下の窓から外を眺めていた。
この家は長屋なので、廊下を挟んだ部屋の反対側は前面窓になっている。夜は障子を閉めているようだが、昼間は開けっ放しのようだ。窓の外には広めの庭が広がっている。垣根によって敷地が区切られているが、垣根の外は当然のことながら木々しか見えない。朔さんしか住んでいないようなところで敷地を主張するかのような垣根に意味が有るのだろうか。
そんなことを考えながら外を見ていると、視界の端に朔さんが映った。視線を向けると不思議そうな顔をされた。
「何を熱心に見ていたんですか?」
「あ、垣根をね。わざわざ敷地を囲んでるのはなんでかなぁって思ったんです。」
指を垣根の方へ向ける。指先を追うようにしてそちらに視線を向けた朔は、合点がいったような顔をした。
「人はいないんですけどね。動物たちがいるから、荒らされないようにしているんですよ。」
「あ、そっか。動物くらいいますよね。」
「直也君も元気になっても一人で敷地外に出たらダメですよ。何がいるかわかりませんから。」
「了解です!」
敬礼のポーズで茶化したら、分かってるのかなって苦笑されてしまった。