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短編集

数えきれない誰かの世界

作者: 大恵


「どうされたのですか? 勇者様」

 在り得ないほど青く輝く異界の月が冴える夜。

 王城のバルコニーで物思いにふけっていたら、心を癒す美しい声が俺の背にかけられた。


「いやぁ、ちょっと元の世界のことを考えていてね」

 地球の月とは似ても似つかない青い月から視線を落とし、強がりながら振り返って見る。

 そこには俺の妻となる可愛らしい姫が、心配そうに両手を握りしめて立っていた。潤む瞳は月の光に照らされ、青く輝いている。

 この世には無い、この世の者とは思えない、この国の美しいお姫様。

 異界の美を集合させたような姫は、なんど見てもいい意味で俺の心を湧き立たせてくれる。


「やはり、元の世界へお帰りになりたいのですか?」

 不安そうな顔で姫は俺にすがり、決して返さぬという意志を身体で示してみせた。

 少し怖く感じるが、それくらい愛されていると思えば嬉しいくらいだ。


「ごめん。別に帰りたいってわけじゃないんだ。少し結婚式を前にして、ちょっとホームシックになったのかな……」

 勇者である俺が弱音を言った瞬間。

 

 世界がブロックノイズに覆われた。


   *   *   *


「2201年より施行されました【心身幸福交換適正法】に基づき、15年前設立された我が社は、巨大な【Nシステム】を所有する【チックプロジェクト】と提携し、様々なサービスを多くの顧客の皆さまへ提供し、大変な好評を頂いてまいりました。これら最新鋭の設備は、お客様方に完璧な安全と質の高いサービスを約束いたします」

 巨大で重々しい機械が、そこかしこを占有する施設。その中にある少ない空間に明るい声が響く。


 若い科学者が饒舌に施設の高品質さを説明し、身なりのよい老人が静かに耳を傾ける。


「人口増加により、危険で性急な若返り技術が全世界で違法と認定されましたが、現代社会は大量の不都合で非生産的な国民を持て余しいるのも事実です。それらの問題を合法的にすり合わせたこのサービスは、必ずやお客様のニーズに応えてくれることでしょう――」

 学者でありながら、営業トークにも長けたこの若い科学者は、今日もまた1人の顧客から契約を取り付けた。

 

 身なりの良い老人はすぐさま契約金を支払い、健康的な非生産的国民のカタログを持って帰った。

 数日後には連絡があり、【心身幸福交換適正法】と【Nシステム】の恩恵を得るであろう。


 今日も仕事をしたな、と充実感を抱きつつ、若い科学者は休憩室で合成コーヒーを楽しむ。


「た、大変です!」

 そこへ助手が駆け込んで来た。そしてNシステムサービス開始以来、初めて起きた問題を報告する。


「肉体提供者B20058番が目を覚ましただと!」

 報告を聞いて若い科学者は、すぐさま問題の起きた番号のカプセルへと向かった。


 巨大な機械施設の一角。数千という睡眠カプセルが並ぶ不気味な部屋。

 そこでありえないことに、目覚めるはずのない【心身幸福交換】を受けた老人がカプセルから這い出していた。


「あ、ああ……、なんだ、なんだよ、この手は?」

 カプセルから弱弱しく起き上がった肉体提供者B20058番は、自分の手を見て激しく動揺していた。


 それはそうだろう。と、科学者は唸りながら頷いた

 彼は本来20歳である。それが齢70に相当するシミとシワに覆われた手を自分の手と確認してしまえば、動揺するのも当然であった。

 しかし、彼は自発的に『それを受け入れた』はずである。

 おそらく覚醒して間もないため、混乱しているのだろうと科学者は結論付けた。


「帰してくれ! 俺を、あの世界にっ! 姫様の元にっ! 帰りたいとは思ったが、本気じゃなかったんだっ!」

「まあ、落ち着きたまえ。すぐに帰してあげてもよいが、まずは説明を受けてもらいたい。そういう決まりなんだ」

 科学者は興奮する肉体提供者をなだめ、まずは毛布を渡した。

 

 帰すという言葉で少し落ち着いたのか、本来20歳である老人は毛布を受け取りその場に座り込んだ。


「まずご説明しましょう。あなたは元の肉体をある顧客に提供し、この【Nシステム】の中で決して目覚めない夢を見ていました」


「決して……目覚めない?」


「そうです。現実と変わらないが、現実ではありえないほど都合のよい夢を、あなたは先ほどまで見ていたはずです」

 老人は説明を受けてまずは信じられないという顔を見せたが、しばらく考えると夢の内容を思い出したのか、震えながら納得したようにうなずく。


「思い出しましたか? あなたは不都合な世界と肉体を捨て、【心身幸福交換】をしたのです」


「ああ、思い出した……俺は俺の望む世界を……そんな小説の話を……」

 老人を肉体と幸福を交換した契約を思い出す。


 21世紀初頭からあるネット小説サイトへ投稿され始めた小説群は、途切れることなく200年間も投稿され続けた。23世紀の現在において、それら小説は星の数ほどネットの世界であふれかえっている。


 その中から1つを選び、いくつかの小説からさらに好みの話やキャラクターを取り入れた世界。

 老人は先ほどまで、その夢の世界にいた。


「良かった。思い出しましたか? 【Nシステム】はそのネット小説投稿サイトからいくつもの話を精査し、キャラクターを選別し、ストーリー内容と人物像をあなたの夢に合うよう提供いたしておりました。しかし……」

 科学者は困り果てた顔で、腕をこまねき小さくため息をついた。


「こちらの不手際か【Nシステム】のバグかわかりませんが、あなたは目覚めてしまいました」


「俺はどうなるんですか?」

 老人は不安そうに尋ねる。科学者は安心しなさいと微笑む。


「もちろん元の世界に帰って……いえ、同じ夢の続きを見ていただくことも可能です。さらに法律上では、あなたは現実へ社会復帰する選択肢を与えられています」

 老人は法律の説明を深刻な表情を持って耳を傾ける。自分のことだから真剣なのだろう。

 科学者が専門的な用語と用例を説明に織り込んでも、彼は正しく理解した。


 健康な肉体を実社会で有能な老人に譲り渡し、その老体へ精神を移し替えて眠るという選択をした人間だが、それでも高い理性と知能を持っていたようだ。

 科学者は肉体提供者を少し侮っていたな、と反省した。


「俺が社会復帰を望まない場合は?」


「もう一度、その肉体のまま高い延命措置を受けつつ、醒めることのない素晴らしい夢を見ていただくことになります。ああ、今回はこちらに手落ちがありましたので、特別に別の新しい夢を提供させていただいても良いですよ。原則、夢の変更はできないのですが、今回は特別です」


 一度、好み夢を見てしまえば、次はどうしても前回と比べてしまうだろう。

 だが、問題ない。

 【Nシステム】……NAROUシステムに蓄積された膨大な小説のデータバンク。そこから時間をかけて個別に拾い上げれば、肉体提供者のどんな無茶な要望に応えられる。


 今までもそうだった。一度たりとも「不満だ」と言って目を覚ますものはいなかった。

 もっとも今回まで目を覚ますものがいなかったので、それを直接確認することはできないが――。

 

「もしも社会復帰を望まれる場合は、政府から相当の支援がいただけます。条件はこちらに……」

 書類を手渡そうとすると、B20058番は手を翳して遮った。

 もう決断しているようだった。


 分かっている。

 あちらの世界を経験したものが、こちらの世界で生きる事を望むわけがない。


 なんとも形容しがたい、へらへらとした顔で肉体提供者B20058番は希望を述べ始めた。


「そ、そうだな。次はやっぱり美少女かな? ああ、俺が美少女になるヤツね。それで金髪……いや銀髪でオッドアイのロリ吸血鬼で……それから……」

 肉体提供者の要望は止まらない。

 覚えきれないほど条件が並べられるが、科学者は顔色一つ変えないで端然と聞いていた。

 

 人が夢想する欲望の形や数など、NAROUシステムの前ではたかが知れているのだ。


 夢のような世界は、数えきれない誰かの膨大な夢を練り合わせて出来ている。



ずいぶん前から書きかけてあったネタですが、そのデータを見つけたので書きあげました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 私が選ぶとするととんでもない世界になるのは間違いない気がするけど、途中で夢であることに気づいて、けど納得してそのまま暮らしそう。
2019/06/30 21:05 退会済み
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